16 変異種
誰かが僕の頭を優しく撫でてくれている……とても気持ちがいい。
いつまでもこのままでいたいけど、僕にはやらなくちゃいけないことがあるから……。
僕は閉じて目を開くと、そこにはエリザさんがいた。
「あら、起こしちゃったかしら?」
エリザさんは少し困ったように微笑んだ。
「いえ、もうすぐ起きる頃だったと思います。エリザさんが頭を撫でてくれていたんですか?」
「ええ、あの人……ゴロリーからクリス君のことを全部聞いたわ」
困った顔が少しずつ悲しんでいるように見えて、僕も少しだけ悲しくなってきた。
それにしても、ゴロリーさんが奥さんのエリザさんに、まだ僕のことを話していなかったことに少しだけ驚いていた。
「撫でてくれてありがとう御座いました。とても気持ち良かったです。それと僕は幸せですよ? [スキル]もそうだけど、優しいゴロリーさんやメルルさん、今回はエリザさんとも会えたんですから」
「あ~なんていい子なのかしら。クリス君が良かったら、うちの子にしてもいいわよ」
エリザさんは僕を抱きしめてくれた。
「えっと、ごめんなさい。とても嬉しいけど、もう少し一人で頑張ってみます」
「……どうしてか聞いてもいいかしら?」
「はい。ゴロリーさんやエリザさんは優しくて好きです。きっと今よりももっと幸せになれると思います。でも僕はスラムの子供と同じ孤児です。だからこそ孤児でも立派な大人になれることを証明したいんです」
「まるで伝説の騎士クリストファーだな」
そこへいつの間にか側にいたゴロリーさんの声が聞こえた。
「はい。でも僕はまだ小さくて、力もないから、今日みたいにゴロリーさんを頼りたくなってしまうことがこれからも多いと思います。それでも頼っていいですか?」
少しだけ不安になりながらも、二人を交互に見て聞いてみる。
「当たりまえよ。迷宮に入るのだって、本当は止めるわ……でも、クリス君は迷宮に入るのを止めたら、きっともうここには来ないつもりでしょ? だからこの人の約束した毎日顔を出すって約束だけは絶対守るのよ。風邪を引いた時はうちで看病してあげるからね」
エリザさんは僕をもう一度抱きしめてくれながら、そう言ってくれた。
「……えっと、エリザお姉さんありがとう御座います。僕、頑張りますからね」
「……お姉さんって、エリザはウグッ!?」
ゴロリーさんが何かを言おうとして、お腹を押さえた。
一体どうしたんだろう? でもすぐにエリザさんは僕の頬を両手で包んで教えてくれた。
「いつものことだから、お腹がおかしなゴロリーは放っておいて、スラムの住人達はクリス君のことを探していたけど、クリス君の正確な顔は分かっていないと思うから、着替えがあるなら着替えて外に行けば、クリス君だとはわからないと思うわ」
「そうなんですか? 分かりました。着替えてもいい場所はありますか?」
「厨房に入らなければ何処で着替えてくれてもいいわよ」
「じゃあここで」
僕は着替えとなる昨日着ていた服を黒い霧から【排出】させた。
「それがクリス君の[固有スキル]なのね……確かに隠した方が良さそうね。色々なところから狙われてしまうわ……ねぇあなた、クリス君を鍛えて上げるのは駄目なの?」
「ああ。体質にもよるが、まだ子供のうちから無理に身体を鍛えるのは逆効果だ。それなら飛んだり跳ねたり、走り回るぐらいの方がいい」
エリザさんの言葉に少し期待したけど、どうやらゴロリーさんが僕を鍛えない理由がちゃんとあったみたい。
ただ断られたのではないことに、僕はホッとした……けど、少し不安になったことがあった。
「じゃあレベルが上がるのも止めた方がいいの?」
「いや、レベルは器を広げることだから、身体自体が強くなるだけだから問題ない。後はそうだな……簡単には出来ないことだが感覚を鍛えることだな。誰かに見られているとか感覚を磨いていけば分かるようになる。ただ鍛え方も特殊で難しいがな」
「う~ん、とりあえず今まで通りに頑張るね」
言っていることの半分も分からなかったけど、どうやら問題はないみたいだ。
「……それでいい。さて、今日も迷宮に行くんだろ? 夕飯用の料理を作っておいたから、その黒い霧の中へ【収納】して、後で食べてくれ」
「わ~ありがとうゴロリーさん」
「おう。新しい魔導コンロも調子も確認しておきたかったから気にするな」
「あ、まだお金払ってなかった。これで足りますよね?」
僕は銀貨を出した。
「昼食とこの料理は早めに魔導コンロを設置してもらった礼だ。ただあんまり色々な友達を連れて来るのは止めてくれると助かる」
ゴロリーさんは銀貨を受け取ってくれなかった。
「この人は小さい子供に弱いのよ。だから強くは追い返せないの」
エリザさんは僕の頭を撫でながら、笑っていた。
「えっとごめんなさい。分かりました。でもお世話になったり、今日みたいに助けてくれたお礼の時はゴロリーさんの美味しい料理をたべさせてあげてお礼にしたいから、今度はちゃんとお金を出しますね」
「……おぅ」
「はぁ~クリス君は既にこの人を篭絡していたんだね」
エリザさんはそう言って笑ったけど、僕にはあまり理解出来なかった。
ただゴロリーさんとエリザさんが楽しそうだったので、僕も一緒になって笑った。
それから僕は着替えを終えて、料理を回収すると、今日は“ゴロリー食堂”の裏口から迷宮へ向かった。
僕はゴロリーさんに教えてもらった通りの道を歩いて行くと、いつもの迷宮の入り口近くにある道へ出ることが出来た。
「僕って今まで遠回りをしてたんだね」
少し反省しながら、スラムの人に会わなかったことに安心して、いつも通り迷宮の入り口の前で見張りの人が居なくなるのを隠れて待ってから、迷宮の中に入った。
今日もスライムを倒すことは順調だった僕は、ゴロリーさんが言っていた感覚を鍛えるということに挑戦してみることにした……。
だけど一向に何かを感じることはなかった。
ただスライムが生ゴミを食べに来て、伸びきったところで核に木の棒を落とす。ただそれだけだった。
「やっぱり直ぐには無理だよね。あ、今度は冒険者が迷宮に入って来るかどうかも調べてみようかな」
だけどこの日、百匹のスライムを倒しても、僕は感覚について分かることは一つもなかった。
「今日はレベルが上がらなかったな。でも明日はレベルが上がる気もするし、焦らなくてもいいよね」
今日はスライムの数も多くて、直ぐに百匹倒してしまったけど、ゴロリーさんとメルルさんと約束した無理をしないという約束を守り、僕は安全エリアに向かった。
……だけど今日に限っていえば、安全エリアは安全ではなくなった……正確には安全エリアの前が、だ。
僕が安全エリアに到着する寸前、安全エリアの出入り口に光が集まったと思ったら、巨大なスライムが現れたのだった。
「おっきいし、色がおかしいよ」
突如現れた巨大なスライムは半透明な水色ではなく、黄色でいつものスライムの十倍ぐらい大きくて、簡単に大人でも飲み込んでしまいそうな感じだった。
「大きいなぁ……あんなに大きいと僕の攻撃じゃあ倒せないよ~」
さすがに木の棒で倒すことは、とても難しく感じた。
「逃げようかな……」
そう呟いたところで、スライムが少しだけ動いた気がした。
僕はとても嫌な感じがしたので、直ぐに逃げることにした。
逃げることは恥ずかしいことじゃないってゴロリーさんも言っていたから……。
でも、来た道を帰ろうとすると、黄色のスライムはこちらに気がついたのか、普通のスライムの倍以上のスピードで迫ってきたのが見えた。
「嫌だ、嫌だ、嫌だ、まだ死にたくない」
僕は必死に逃げながら、迫ってくるスライムの動きを少しでも足止めするために、生ゴミ【排出】し続けて迷宮の入り口を目指す。
しかし黄色のスライムは、ここでまさかの行動に出る。
あの巨体で飛んだのだ。
まるで重さを感じさせずに生ゴミを【排出】し始めたところまで一気に飛ぶと、いつもの三倍ぐらいの速度で生ゴミを吸収していく。
そして黄色の巨大スライムは凄い勢いで伸びて、僕に迫ってきた。
ちょうど全ての生ゴミを【排出】してしまった僕までスライムが伸びてくることはなかった。
どうやら運が良かったみたいだ。
二十メートルぐらいの長さまで伸びきったスライムは、とても薄くなっていた。
それを見た僕はチャンスだと思って振り返ったけど、普通のスライムとは違って、核の辺りにはまだ余計な厚みがあり、きっと黒い霧から木の棒を出して叩いても、このスライムは倒せないと思ってしまった。
僕が攻撃した時点で、このスライムは攻撃した僕を敵として飲み込みにくるだろう。
そうなったら、やっぱり死んじゃう。
せめて僕の攻撃よりも強い攻撃が与えられるならと、思わずにはいられなかった。
その時、スライムがいきなりこちらへ向け、何かを飛ばしてきたけど、届くことはなかった。
それでも……地面に当たって跳ねた液が服やブーツに当たると、せっかくメルルさんから貰った服とブーツに穴があいてしまった。
それを見た時に僕の頭に久しぶりの痛みがあった。
「よくもやったな~!!」
その瞬間僕の頭に閃きが生まれた。
僕は一気に黄色いスライムに近づき、核を見つけると黒い霧から“ゴロリー食堂”で【回収】したばかりの魔導コンロを限界の高さまで上げた状態で【排出】したのだ。
直後、ドォォォオン!っと重い音が響くと、伸びていたスライムが消えていた。
そしてそこで身体に力が漲ってきた。
「やったぁ、勝てた。これはゴロリーさんとメルルさんのおかげだな。メルルさんが魔導コンロはとても重いって言っていたから思いついたけど、上手くいって良かった」
僕は黒い霧で魔導コンロを回収すると、そこにはいつもより大きな魔石と他に首飾りが落ちていた。
「何だろうこれ? まぁとりあえず黒い霧の中にしまっておこう」
それにしても……服やブーツに変な液体が溶けて穴だらけになってしまっていた。
「これじゃあ、スラムの子供よりも酷いよ……はぁ~まぁ助かっただけでも十分だよね」
僕は気を取り直して生ゴミを【回収】していくと、もう生ゴミは十キロも残っていなかった。
「また明日から生ゴミを集め直さないといけないな」
僕はそう呟きながら、安全エリアへ移動して、ゴロリーさんが作ってくれた料理を食べることにした。
お読みいただきありがとう御座います。