69:オメガ
これで何もかも終わる。長く続いた戦いに終止符が打たれるのだと、赤瀬は一人の部屋でぼんやり思考していた。
戦い続けて、気付けばもうこの年になっていた。そのくせ改めて今までを振り返ると対した時間は経っていない気がする。
──あまりにも早足で生き急いでいた。
少々勿体無く思う。ただでさえ年をとって体感時間が早まっているのに、それへ拍車を掛けていたのだから。本当、今まであっという間の出来事だった。まるで夢の中にいるかのように。
いっそこれは夢で、今にも目が覚めるかもしれない。もちろんその自分には無精髭も生えていないし、妻も子供も元気に笑っている。悪い夢を見ていたと軽く笑って二人を抱き締める──。
「俺も、年だな」
想像を断ち切って、自嘲を浮かべた。そんなことは万に一つもない。あの時妻子が流した血は本物であったし、自分に刻まれてきた傷は紛れもなく現実である。
過去の感傷に浸るのは、老いた証拠か。それを自嘲出来るのも、老いた証なのだろう。昔は浸る暇などなかったし、思い返せば怒りの炎が身を焼いていた。擦れた心では、もうそんな俗世的な感情が浮かんでこない。悟ったわけではなく、人間性をどこかに置いてきてしまったのだ。
だから、明日のことも一際面倒な戦いがあるという認識しかなかった。それしか出来なかった。最近は心が擦れたからか多数の人命が掛かっていると言われても、数字の羅列にしか思えなくなってしまっているから。悲しいことと分かっても、それを変えようとも思えない。
だがそれでも赤瀬だって人間である。顔を知るSDFTの人間位は守ろうと思えるし、目の前で人に死なねるのは目覚めが悪い。そのため、やるからには負けるつもりはないし、全力で終わらせにかかる気でいた。
問題は、総てが終わってしまってから。
夜魔を駆逐するのは我が身の悲願であると同時に──ただ一つの生存目的。
これを達成してしまった時、自分はどうなるのだろうか。赤瀬にはそれがまったくと言って分からなかった。
それが、一番の不安。長らく感じていなかった感情だけに、これがとても重要なことであると自覚する。
──どちらにしろ、赤瀬洋司という男は明日の戦いで全力を出すだろう。命を賭けるだろう。もう自分の人生にやり残したことはないのだ。怯えて足をすくめることはない。
人生最後になるだろう弟子にも、卒業と称して餞別くれてやった。これで本当に憂いはない。
それでも強いて何かを上げるならば──中途半端なことまでしか弟子に教えてやれなかったことが、後悔と言えば後悔だった。
*
何もすることがない。これと言ってしたいことも浮かばない。なら、する必要はないのだろう。
あまりに暇だったので幸水絢人は荒廃した通路を目的もなくうろついていた。いや、最初はあったのだが、ついさっき目的の物である自販機が粉々に粉砕されているのを確認してしまった。
自分の徒歩で数分の位置にある自販機は総て残骸に成っているか売り切れで購入出来ないし、わざわざ反対側まで出向くほど喉が渇いているわけでもない。それに他も大体似たような感じだろう。
途端に暇潰しの機会が失われてしまい、時間を潰す趣味も今の姿の絢人には見当たらない。かといってジッとしようとは思えないのは、自分が明日のことを気にしているからだろうか。
気分が落ち着かないので、必然的に通路を歩き回ることになった。
──っと。
擬音をつけるならバッタリ、絢人は角から現れた荒凪と鉢合わせた。
いつものようにからかってやるのも面白いか、と思うも荒凪の様子がおかしいことに気付く。あからさまに狼狽して視線を絢人から逸らして合わさない。なんとも分かりやすい反応だが、これが荒凪と言う人間である。
「……む、なんだ。ボクの顔は何か変か?」
フードに隠れて見えるわけもないので、無論冗談なのだが。
「分かるわけねえだろオマエが隠してやがるんだから!」
そんな当たり前の反応を期待していたわけだが、さらに荒凪の狼狽に拍車をかけることになった。
「べ、別になんも変じゃねーよ! オマエはそーいうこと軽々しく口にすんなっ」
「……なんだそりゃ」
意味が分からん、と呆れを言葉に滲ませる。
「うるせえ何でもいいだろ!」
乱暴に声を上げれば、肩に荷物を担いで荒凪は来た道を戻っていた。端から聴いていただけならただの怒声に聴こえていただろうが、当事者の絢人には半ば自棄になっているように見えた。
荒凪の意味不明さに肩をすくめて、絢人も来た道を戻っていった。今日はもう部屋で大人しくしていよう。明日は大一番の勝負の日だ。それで終わる。
そう思えばこの"生活"から逃れられることへの高揚が湧き上がる。同時に一抹の寂しさが絢人によぎった。そんな二つの思いが、胸の中に同居していた。
*
無数の書類を机上に投げ出して、溝呂木龍一は深々と溜め息をついた。
辺りには山のようとはいかないものの、それでも大量の書類が散乱している。溝呂木はSDFTの代表としてこれら総てに目を通そうとしていた。
それも、何時間とかけてようやく終わりの兆しが見えてきている。明日は本番、故にこの書類も増えることはないだろう。これは代表者としての責任であり仕事なのだが、やっぱり終わるとなると安心する。
ネクタイを緩めて肩を落としながら、散乱する書類の内容を目に入る。
対物銃から機関砲までの高火力火器の物資支援要請、およびその使用許可。
航空機による支援要請。
装甲車の提供、およびその使用許可。
などなど。これら総て溝呂木が上層部に掛け合ったものだった。それらの内容を他人が見れば、この男は戦争でも始める気ではないのかと正気を疑うだろう。が、溝呂木にはこれでさえ足りないのではないかとさえ思っていた。
次は今までの集大成。背負うのはこれまでの時間と人員の命。念には念を入れて最善の道へ進む架け橋を作りあげる必要がある。失敗は断固としてあり得てはならない。
だが結果はほとんどが却下。書類の返答は冷たく突き返すもの。
溝呂木も戦闘機などの支援が却下されるのは当然と諦めていたものの、高火力火器の使用まで制限されるのは痛い。火器は対物ライフルを一丁融通してもらい、ロケット砲も二丁、後は機関砲やら溜弾砲を数丁。確かに戦力は増強されているし、元からあるものを入れれば──なんとか人間でも夜魔を屠ることが出来るだろう。奇跡的だが、装甲車もM41軽戦車と74式戦車が一機づつ導入された。夜魔の集団とは対等以上に戦えるはずだ。
──それでも、人外に勝てる気はしない。
そもそも弾丸なんてものは、奴らにとっては鉛玉以下の玩具でしかない。火器による攻撃なんてコンダクターからすれば戯れ事、銃器の打ち合いなんて児戯にも等しく見えるのだろう。何せどれ一つとして、自分に傷を負わせることは未来永劫不可能だから。
「……まったく、こんな化け物はスクリーンから出て来ないで欲しいよ」
幾度となく口にしてきた皮肉を、今一度言葉にする。
結局の所、こちらの切札は彼らのまま依然変わりなく。自分達の任務は夜魔を牽制し道を築いて、彼らをコンダクターにぶつけること。それが今出来る最大の行動。
次が、最後。
弾薬も、惜しまず。
花火を空に咲かせよう。
例え使用が厳重に注意された武器であろうと出し惜しみはしない。この国の潔癖症じみた規制に捕らわれていれば、勝利の可能性は損なわれる。
厳罰は、もとより覚悟の上。
「子供達を戦場に駆り出すんだ──何が何でも、最良の状況を作り出そう」
赤瀬以外成人もしていない彼らを思い出し、溝呂木は残りの書類に目を通し始めた。
*
真由美の相手を放り出して優希の後を追えば、圭はすぐ彼女の背を視認出来るようになった。
ばたばたと床を叩く足音に気づいて優希が振り返れば、走ってくる圭の姿に目を白黒させる。追われている理由がわからないのだから当然と言えば当然の反応だ。そんな様子の優希の前で圭は減速して足を止めた。
疑問の方が大きいのか、生理云々のことを忘れているようで優希の頬が赤くなることはなかった。変わりに圭が思い出して一瞬声を詰まらせる。
「……? どうしたの?」
「あ、いや……っと。なあ優希、ちょっと時間あるか?」
動揺を押し込めて、いきなり本題に入った。
そう口にして、圭は去年優希に同じことを言われたのを思い出す。確かあれはクリスマスの日。雪が降っていた。真っ白な深く積もった雪。今思い出すには出来過ぎだ。
いきなりの言葉に優希はしばし逡巡する。やはり戦いを明日に控えているのだから、圭とは違い時間はないのだろうか。
「ある、けど。材料の点検も終わったから」
材料とは剣鞭の精製素材のことだろう。そういえば圭はしていなかったが、まあ警棒状のものがそう不良を起こすとは思えないし能力の発動に不都合が出るとは考えられない。鉄塊も相当な量が残っていたはずだ。心配はあるまい。
そう結論付けて圭は話を続行する。
「なら、一旦家の辺りまで戻らないか? ほら、こういうことはあいつに話しておくべきだろ?」
彼女には、話しておくべきであろうとこの作戦が知らされた時から考えていた。だが最近はなかなかタイミングが合わずに話せぬままだった。でも今なら時間に余裕がある。それなら自分一人でなく優希も一緒にどうだろうか、と誘ったわけだった。
圭の提案を、優希は潔く承諾してくれた。
「うん、……言っておかなきゃ、駄目だよね。だって──家族なんだから」
*
朝倉深雪という少女がいる。彼女は圭達とは違い、まったくもって普通の女子高生である。
本来ならば、曲がりなりにも軍隊の作戦内容を話していいような相手ではないのだろう、と思うが圭と優希は構わずに明日起こす作戦の概要を彼女に伝えた。
明日で決着が着くだろうこと。今まで以上に危険が伴い、最悪命を落とす可能性があること。もしかしたら負担がかかるかもしれないけれど、深雪には聴いておいて欲しかったこと──。
それらを神妙な面もちで深雪は黙して最後まで聴き終える。
場所は彼女の家のリビング。慶子もいない今なら誰にも聴かれないだろうし、たとえ耳に入れられても何の話だかも分かるまい。きっとゲームか、妄想の類と勘違いしてくれるだろう。
だから聴かれても危険はない。ただここなのは深雪がいるのが実家なのは当たり前だ、ということと、誰にも邪魔されず三人だけで話したかったからだ。
言葉を舌の上で吟味するように黙っていた深雪が、ゆっくりと口を開く。
「そっか、明日、そんなことがあるんだ」
「……もっと早く話した方が良かったかもしれない、な」
圭の声のトーンが下がる。大切なことを一日前に言うのはどうだろうかと自分でも思っていた。
しかし深雪は頭を振って否定する。
「ううん、そんなことないよ。話してくれただけで嬉しいよ。だってそれって、信用してくれてるってことでしょう?」
深雪が圭と優希に視線を送れば、二人は揃って頷いた。
「言ったろ。その、家族、って……そういうのは、隠し事しないものだろ?」
素面の状態で言うのはやはり照れくさく、でもきちんと言い切った。濁していい言葉でもなく、照れくさくはあっても恥ずかしいとは思わないから。
それ聴いて深雪は純真な少女の笑みを浮かべた。
「なら、充分。あ、それとも一日前なのはわたしが無理やりにでも止めると思ってたから?」
「そんなことは──」
当たり前だが、違う。そんなことはまったく思ってはいない。誤解を解くにはどうするかと狼狽える圭に、深雪は優希と目を合わせれば二人して悪戯に笑った。
「冗談だよ。……まあ、昔のわたしだと釘で打ち付けてでも止めただろうけど」
さらりと恐ろしいことを口にする深雪に圭は苦笑する。想像するとホラー映画チックではあっても、深雪の言葉に実行するという雰囲気はない。代わりに、この一言が圭をどれほど大切に思っているかを示唆していた。だから不安は覚えず、嬉しいとさえ思えた。
「こういう時は──笑顔でいってらっしゃい、そう見送らなきゃね。それが何も出来ない人の責任だよ」
いってらっしゃい、と言ってくれることに圭は幸福感を感じる。見送って貰えるのはこんなにも嬉しい。だが、だからこそ、圭は深雪の言葉を否定しなければならない。
「……何も出来ないってのは、違うだろ」
「え?」
「俺は、帰ってくる場所に深雪がいるから安心出来るんだよ。役に立ってないわけがない。深雪はこの上ないほどに俺の背中を押してくれてる。だから、何も出来てないなんてことは絶対にないんだ」
少年から紡がれたものに、深雪はしばらく呆けていた。台詞が徐々に脳内に染み渡り圭の言葉を完全に理解した時、深雪は表情を崩した。
「ズルいよ、圭くん……。突然そんな恥ずかしいこと言うんだから。こんなこと言われちゃったら、一生待ち続けちゃうよ……」
目を伏せて頬を桃色に染める深雪に、優希が一歩踏み出して強く拳を握り締めて断言する。
「一生待たせる、なんてことない。圭は絶対に帰ってくる。私が、命に代えても守るから」
固く決心されたそれには、圭が自分の台詞だと割り込むことができぬほどに強固だった。
根を地面深くまで降ろし枝を伸ばす大樹のような雰囲気に、深雪は安心したと目で優希に告げる。だが今度は優希が否定する番だった。
「優希ちゃん、違う。命に代えちゃ駄目だよ。圭くんも生きていて欲しいけど──私は、優希ちゃんにも無事でいて欲しいんだから」
それは嘘偽りないいたわりの言葉。ゆっくりと優しく心に浸透していくのは心地良く、これが本当の深雪の才能なんだなと圭はぼんやりと脳裏に浮かべた。
「だいたい今度期末テストだよ? 二人とも帰ってこないと留年なんだからね」
圭と優希は深雪に誓う。また生きて返ってくると。けして違えてはならぬこれを一生の約束と言うのであれば、これは紛れもなくそれに当たるはずだ。
それに帰ってこなければ単位も出ないし下手をすれば留年になってしまう。学生としては、それも避けなくてはならない事態である。
だから、改めて深雪は告げる。
「いってらっしゃい」
──行ってきます。
と、二人の言葉が重なった。
*
ゼパルが、西洋建築の城の吹き抜けに立ち、見た目石造りの塀に肘を掛けて眼下を見下ろしていた。視線の先々には緑豊かな自然と、それらから城を遠ざけるようにすぐ横で流れる長く太い川がある。いや、城の横ではなかった。城は若干川を跨ぐようにして建てられている。ここの端の方だけではあったが、人間はわざわざこんなものを意味もなく作るまい。過去に作った人間がいるとすれば、物好きか何かしら考えがあってのことだろう。
こんな時にゼパルの頭に浮かぶことは、川の水がいつもより大分少ないな、というたわいもないことだった。
もうすぐ、彼らが攻めてくる。ここは衛星軌道上からでも見えないよう細工を施しているというのに、どうやって調べ上げたのか。もしかすると切り捨てた人格保持者が洩らしたのかもしれない。こちらが死亡命令を出していればよかったか、と今更悔やんでも仕方ない。それにあながち失敗でもなかった。憂いを断ち切ることも出来るし、何より"魂"の収集量は後数人で理論値に達する。攻めてきた彼らを幾人か殺すだけで──悲願は成就する。飛んで日にいる夏の虫、そんなこの国の慣用句がゼパルの脳裏をよぎった。
代償に、彼女の愛した景観は荒れ果てることになるだろう。これで見納めになるのかと景色を目に焼き付けるように辺りへ視線を向けた。実際目に景色を木の葉一枚間違えずに記憶するのは他愛もないが──こういう日常的な部分で非人間的な能力を使用したくはなかった。己の存在事態が非人間的であったとしても。
背後からゼパルは肩を叩かれる。振り返れば温和そうな青年の顔があった。彼の横にアスタロトと相羽も続いている。
「来るよ、彼らが」
言われなくとも、距離が二〇キロ以上離れていた時から気付いている。だからゼパルは驚かない。ゆっくりと余裕ある動作で、ローター音を撒き散らす無数の輸送ヘリを見上げた。
これで、ゼパル達の戦いも同時に終幕する。
「……最後の舞台に、緞帳を降ろそう」
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