68:プスィ
──その作戦は、SDFTの所属隊員全員を一堂に会して発表された。
いや、作戦と言うのも憚られる。それに戦術などと言うものは凡そなく、勝機は未知数。成功確率は計算不可だった。
勝利出来る可能性が○.一パーセントもあるのかさえ分からない。今から攻め込む場所は人間が相手ではなく、異形の巣窟であり総本山。そのうえ敵対戦力は不明と来ている。人知で推し量れるものではなかった。もしかすると、成功は万に一つもないのかもしれない。
SDFTにおける最後の任務、長年の仇敵である夜魔等への本拠地前に一点集中で兵力を揃えて撃破、という無謀極まりないものだった。
だがこのような作戦であっても、異議を唱えるものはひとりとしていない。各地から集められたSDFTの兵力は、今や恐ろしく少なかった。ただでさえ人員不足であるのに、あの襲撃がこれに拍車をかけたのだ。人数は一○○人前後と中隊クラス。組織としては致命的な人数。SATでさえこの数倍はいる。
勝利の見えない戦いに挑む兵士の顔は皆引き締まり、緊張感が蜘蛛の糸のように張り詰めていた。死地へ赴くことに、もはや後悔はない。死はもう覚悟の範疇であり、強襲により死んでいった仲間達の姿を見て死と隣り合わせになった時、克服してしまった。勝たねばならない。戦友の分まで戦い、勝たねばならない。でなければ死の数々が無為となる。それだけは絶対に許してはならない。
恐くないわけはないだろう。家族を残す者もいる。ここにいる人間は、皆死にたくないと思っている。だからこそ生きて帰ってくると、固い決意を心に秘めた。
作戦開始は明日の一四○○(ひとよんまるまる)時、決行されることとなり、溝呂木による伝達は静かに終わりを迎えた。
*
作戦内容が開示されたすぐ後、圭は赤瀬に自室へ来るようにと呼び出しを受けていた。赤瀬の自室──というより最早家──に行ったのは、押しかけ弟子となった時以来だったので、通路を右往左往としていた。だが久しぶりとはいえ、本来はこんなに苦労しなかっただろう。
床に散乱したコンクリートの破片を跨いで、圭は通路を進む。壁や床など所かまわず、無数の点が穿たれ蜂の巣を築いていた。巣を刈り取るようにその上から夜魔の爪痕が深く刻まれている。隊員と夜魔の亡骸は回収されたものの、周りには夥しい量の血痕が生々しく残っていた。戦場となったSDFT内の情景は、まさに壮絶の一言に尽きる。
今やこの中はどこもかしこもこんな様相を呈していた。迷うのも当然だ。目も否が応にも引き寄せられてしまい、正しい分岐点を探すのに集中出来ない。自分の周辺を蠅が飛び回って思考を散漫にされているのとさして変わらなかった。いや、これはもっと性質が悪い。
自分さえ不甲斐なくなければ、この光景を少しは緩和させられたのではないか──。無意味な妄想だとしても、圭の内からわだかまりは消えなかった。
ようやく赤瀬の部屋の前まで辿り着いた頃には、本来の三倍は時間を消費していた。移住区画にも被害の痕は深々と刻まれていて、まるでこの傷に責められている錯覚に陥りながら、圭は赤瀬の部屋の扉をノックした。室内から赤瀬に入室を促されたので、頭を下げれば扉を遠慮がちに開いた。
──と、間髪入れずに黒い棒切れが圭に飛来した。
あまりに不意なタイミングに驚きの声を上げながら、圭はとっさにそれを受け止める。ずしりとくる重さに視線を落とせば、受け止めたものは日本刀だった。
漆塗りの艶やかな鞘に刀身を納めるのは、刀鍛冶により何十時間と鍛え上げられた本物の日本刀。厳かな空気をうっすらと纏っていて、抜かずとも圭はこれが世に言う名刀なのだと悟った。たとえ圭の見立てが外れていたとしても、まず秀作と呼ばれる一刀であることは間違いない。抜き身の刃は間違いなく人体を骨ごと両断してしまおう。
「選別だ、持っていけ」
刀を投げ渡した赤瀬は、常と変わらぬ抑揚のない言葉でそう告げた。この物腰は刻んできた年輪が違うのだろうな、と今更ながら思いつつ、何故このようなものを渡してきたのか不思議でしょうがなかった。
「選別……いったい突然なんで?」
「卒業だよ、卒業。修行は今日で終了だ。見事修練に耐えぬいたな、おめでとう……ということだ」
赤瀬の一方的な卒業宣言に、圭は目を呆けたのか数回瞬き、慌てて食いついた。いきなりの弟子解雇には重大な理由があるかもしれない。
「理由は簡単だ。もう教える機会がないからな。すべて次で決着が付く」
誤解して狼狽する弟子に、師は冷静に理由を述べる。明確な動機が分かって、圭は安心して息を吐いた。成長が悪いと弟子に見切りをつけたのかと思ってしまったのだ。
「去年の秋頃に自宅から持って来てな。一応は我が家の家宝だ。あまり杜撰に扱いすぎるなよ」
家宝──自宅が道場ならこの様な業物があるのも、頷けなくはない。しかし動機は分かっても、圭に渡すことがイマイチ理解出来なかった。圭の能力は武器を精製するものであり、最初から鍛えられた刀を渡されても使い用がない。記念に持っておけ、ということか。
弟子の心情を察したのだろう、赤瀬は疑問符を浮かべる圭に言葉を投げる。
「お前の能力は武器を作ること、だ。故にそれが有効になる。今度の決戦には持って行け。プラスになりこそすれ、マイナスにはなるまい」
完成された刀剣という武器──これを使って戦えということか。まだ煮え切らないものがあるものの、赤瀬が言うのならば利益があるのだろう。ならば大切に使わせてもらうまで。
「ありがたく賜ります」
刀を両手で持ちながら、深々と頭を下げる。家宝とまで呼ばれる代物を受け取って、圭はその場を辞した。
呼び出しの内容が終わると、途端に圭は手持ち無沙汰になってしまう。明日の戦いに備えて準備を万全にするべきだろうが、圭が扱うは刃一刀ただそれのみ。SDFT隊員のように銃器や弾薬の点検はないし、手伝おうにも専門知識がないので足を引っ張ることしか出来ない。圭に出来ることはコンディションを万全にして、憂いを残さず明日に一二○パーセントの力を発揮することだ。
──憂い、か。
胸中で呟いて、圭は会わなければならない人間を思い出した。彼女に伝えずしてどうするというのか。でもどうせなら一人より二人の方がいいだろうと、圭は足を進めた。
きっと、医務室にいるはずだと当たりをつけて。
*
案の定というか、探していた少女は医務室にいた。
圭が医務室の前──無論周辺の通路には無数の傷がある──についた時、扉が開いて中から出て来て鉢合わせたのだ。
必然的に少女──優希と目が合う。すると圭が口を開く前に、何故か視線を恥ずかしそうに下へ逸らした。そのまま圭を避けて、優希は小走りで立ち去ろうとする。
「あ、優希っ」
手を伸ばし、待って、と言葉を続けようとしたが優希はどんどんと遠くに走って行ってしまった。
引き止めようとした手が虚しく中空に取り残される。いきなり避けられた理由が見当たらず、圭は困惑した。前みたいに優希を不快にさせてしまった覚えはない。もしかすると圭に愛想を尽かしたのだろうか。それとも今自分は余程みっともない格好でもしているのかと、疑心暗鬼になって様々な可能性が脳裏に浮かんでくる。こうなってしまえば全部が全部該当していそうで、頭がパニクって、不安も肩にのしかかってきた。
疑問が脳内で勝手に乱舞して不安を募らせていく事に動揺しながら立ち惚けていると、医務室から白衣の女性が顔を突き出した。
「山里ー、さっきからなに案山子みたいに突っ立ってるんだよ。入るのか入らないのかハッキリしなさいな」
そんな風に口を開くのは女医である堂島真由美。煮え切らない様子の圭に痺れを切らして出て来たのだろう、半眼に狭まられた双眸から不機嫌オーラがほとばしっている。だがそんな彼女は、ぼけっとしている圭を見て優希のことを察したのだろう。なにせ先程まで優希は医務室にいた訳で、二人がすれ違ったのもしっかり見ていたはずなのだし。
「あらま、もしかして振られた?」
「なんでそうなるんですかっ」
にんまりと笑みを浮かべる真由美に、圭は条件反射で答えてしまう。少年らしい反応に気をよくしたのか、真由美は満足気に鼻を鳴らした。
「じょーだんよ、じょーだん。ま、安心なさい。優希が逃げたのはアンタのせいじゃないから」
「……じゃあ、なんで?」
不安を払拭したいがために真相を尋ねれば、途端に圭は後悔する。真由美のからかいの笑みに言葉を誘導されたと悟ってしまったが故に。
「生理よ、生理。もうすぐ今月のが来るはずなのに来ないー、って相談されたの」
笑みの正体が分かって、圭の顔へ急激に血が上ってくる。
「そんなこと男になんか洩らすか普通!?」
色々と想像してしまい、圭は口周りを手で覆って声を上擦らせた。
今や疑心は妄想に置き換わり、さっきまでとは別の意味で頭の中が大変だった。頬の熱さから、今の自分は完熟トマトみたいなみっともない顔になっているに違いあるまいと圭は確信する。
好意を持つ異性のそんな話を聞かされてしまったら、誰だってこうなってしまう。男の悲しい性である。当分顔の赤みは引きそうになかった。
慌てる様がさぞ真由美のツボにハマったのか、トドメとばかりに追い討ちを掛けた。
「その慌てよう、もしや生理が来ないのはアンタの性かな?」
沈黙。
「………………………」
はて、と真由美は目を瞬く。違うと即答されると思っていたので、この反応が以外だったのだ。
当の圭はと言うと、身体が絶賛大洪水に陥っていた。シャツは汗を吸い込んで重さを増し、肌に張り付いてくる。
外見上の静謐さとは裏腹に心臓は爆発しそうなほど脈打っていた。圭は落ち着けと自らに言い聞かせながら記憶を掘り返す。そんなわけはない、だってそこまで進んだ覚えはまったくないのだから。優希の生理と圭自身の関連性はないはずである。いやしかし、忘れているだけでもしかすると一線を超えてしまっていたのか。最近はお互い操られたり、意識が朦朧としたりで定かになっていない部分もある。断言できない部分が怖い。
優希に嫌われたかと疑った時とはまた違う不安が首を擡げる。一歩間違えば一児を持つ身となってしまうわけで当然と言えば当然の心配ではあった。
目を右へ左へと揺らし思案する圭に、真由美は首を傾けた。
「あー……パパさん?」
「違うわっ!」
口では否定してももしかするとそんなんじゃないか、という考えが浮かんできて思考の八方塞がりに陥りそうになってしまう。優希の人生を左右しかねない問題だけに楽観的な考え方が出来ないようになっていた。
内心と別ではあったが否定の言葉を返したのにそれは耳に入っていないのか、真由美は圭の肩を励ますように叩いた。
「学生は大変だろうけど、あの娘を幸せにしてやんなさいよ。いい娘だから」
「だから違うと──ああもうっ!」
ここで弁明していても仕方がないし、医務室自体にも用はないのだ。こんな所で油を売っている暇はない。
ひとまず父親疑惑は保留にして、真由美の手を振り払い圭は優希の後を追うことにした。
「あ、ちょっと……うーん、からかい過ぎたかしらね?」
悪戯が過ぎたと顔をしかめ、続いて近づいてくる足音に眉尻を上げる。圭とも優希とも違う、もっと力強く床を踏み締める靴音。
やがて現れたのは上機嫌な様子の荒凪健一だった。肩に布で幾重にもくるまれた人の身長ほどもある包みを担いでいる。どうやらそれが機嫌の要因らしい。
今度の来訪者には、茶化す言葉を真由美はかけない。何故なら荒凪をここに呼び出したのは紛れもない真由美自身なのだから。
顔を出すこちらに気づいた荒凪と軽く挨拶を交わせば、真由美は肩の包みを指差した。
「なにその馬鹿デカいの」
興味を示されたことで荒凪は自慢気に鼻を鳴らした。
「ボロボロになった大剣を鍛え直して貰ったんスよ。いやもうコイツが凄いの何の! 強度に重量、切れ味も新品状態! 俄然、最終決戦に向けて闘志がたぎるってもんスよ。……ところで、大事な話って?」
呼び出されたことに心当たりがないようで、荒凪は一転不思議そうに尋ねてきた。当たり前だ、話していないのだから知るわけがない。知っていたらエスパーである。そしてこれは、こんな時だからこそ話しておかなければならない事柄だった。
「ああ、それね。あんま長くはなんないけど……とりあえずコーヒーくらいなら出したげるから中入んなさい」
そうして医務室に招き入れれば、真由美は荒凪にとあることを語って聞かせた。
時間にして一〇分少々だろう。荒凪が呆然と──或いはどんな表情をすればいいか分からないといった様子で医務室を退室した。
入る前の上機嫌さは既に吹き飛んでいる。肩に担いでいる物は相変わらずなのに、それへと気を向ける余裕がない。それほどまでに荒凪が聞かされたことは衝撃的で、今もまだ信じることが出来なかった。
「……なんだよ、そりゃ」
ようやく出た言葉は、驚きを疑問で表現しただけのつまらないもの。ただ、今はこれが精一杯だった。
|