53:並列次元
そこは異様な空間だった。
壁は有り、天井も床も存在する。高さ、横幅、奥行きの三条件を持ったまごうことなき三次元空間。
そう文字に起こし言うだけなら、何の異常もない。
だが、この空間はおかしい。
天井も床も壁も存在するはずなのだろうし、そこにあるのは感覚的に分かるが、それを視覚的に確認することができなかった。埃が宙を舞っているのは分かっていても目で捉えられない、とでも言うべきか。
四方八方の空間は闇で閉ざされていた。壁と言う限界があるのに無いように感じてしまう。ちぐはぐな矛盾空間。
「こんな所に跳ばされて、なお一瞬も揺るぎないとは大変恐れ入る。普通はもっと慌てるなりすると思うけど」
背景に溶け込む黒の燕尾服を纏った青年、ゼパルが腕組みをして感嘆の言葉をもらした。
本来は畏怖と驚嘆の念を抱かれるはずの人外に賞賛を送られた男、赤瀬洋司はしかし揺るぎない。
赤瀬がゼパルに身体を向けると、左手に携えた日本刀の納まる鞘が鎖が擦れるような音を立てた。
「驚いてはいるさ。それを表情に出さないだけでな。元から感情表現には乏しい身なんだ」
平然と言ってみせると、刀の柄尻をゼパルに向けた。
「それにこちらからしてみれば、お前がこれの元凶であり諸悪なのだと分かった時点で、殲滅撃破する以外の行動は必要あるまい?」
「……まあ、そうなんだよな」
組んでいた腕を外して指の間接を小気味よく鳴らすと、虚空の闇に右腕を突き入れた。宙に波紋が広がり、ゼパルの右肘から先が消失する。消えた腕が何かを掴み、引き抜く。
消失した腕が世界に回帰すると、右手には両刃の刀剣を握り締めていた。
銀色に輝くおよそこの空間には似つかわしくない、芸術品として美術館に展示されていてもおかしくない代物。その刀身から漂う妖気じみたそれも、ぴったりと条件に合致している、呪物としての。
細身だが打ち合えないわけではなく、強度も見た目と反してかなりのものであろう剣。いや、そもそも人外が脆弱な武器など使うわけがない。
日本刀とどこか在り方の似た片手剣を、流水がごとく優雅な動作で構える。
「僕らの天敵たる異能を持った序列にして一につく最古参の人間、改めて名を聞こう」
「答えてやる筋合いはない。が、今回だけは名乗ってやろう。……赤瀬洋司だ。忘れるな」
「では、遺言として聞き届けた」
「ならば、その死を切り捨てて見せよう」
ふたりの間で、争いの火蓋が切って落とされた。
初動作はゼパルが勝った。
優美さを感じる見た目とは裏腹に、戦いの動きは鍛錬され磨き上げられた兵士それ。無駄な部分が粉微塵も見当たらず、違う意味での美しさを感じた。
神速と呼べる速度で、赤瀬に肉迫する。常人では反応することもできず、このままなすすべなく切り捨てられ、しかも死因すらも分からないだろう剣による一撃。
──キンッ。
それを屈強な肉体を持つ赤瀬は後ずさることなく、中ほどまで抜いた刀身で受け止めてみせた。防御でまったく隙が現れない様子は、始めから来る場所を予測しているような──。
後の先、と言うものがある。
敢えて先手を譲り、その動きの後に斬り込む──言うなれば"カウンター"。
先手をとられることはそれだけで危ない。下手をすると反撃が出来ないかもしれないうえ、防御を読み違えて斬られる可能性がある。
だが赤瀬は卓越した観察眼を駆使することにより、敵の初手がどこから襲いくるかを予測し受け止めて見せたのだ。
なんたる慧眼。
「チィ──ッ」
ゼパルが舌打ちをした時には、赤瀬の蹴りが放たれている。
それを跳び退けて間一髪で躱した。
そこにさらなる追撃が繰り出される。
完全に鞘走らせた不自然な色に揺らめく刀が身を踊らせ、空を裂きながら、恐ろしい速さでゼパルを強襲する。
それを辛くもゼパルは剣を使い受け止め、人間では有り得ない跳躍力を持って後方に飛び退いた。
あっという間、に間合いは開く。およそ約一○メートル。このふたりにとっては意味など皆無に近い距離だが、相手が相手だけに容易な行動ができない。
「……驚いたな、本当」
目を丸くして、心底から人外は驚愕して見せた。
「僕みたいな人外に蹴りを入れようとする危険知らずな所、的確な読み、後の先を行き更なる追撃、斬撃のスピード……。赤瀬洋司、お前を人間か疑うよ」
鞘を腰に差して両手で刀を握りなおした赤瀬を半ば本気で見据えた。あの刀身を揺らめかせる刀も、人間が作り出した刃物とは思えぬほどに頑強だった。
赤瀬はそんな人外の問いにも、眉を軽く動かすだけ。
「愚問だ。人間でなければここでお前と対峙しない。そして、俺にも夜魔等に対する確かな復讐心も"あった"。それが何より人間である証拠だろう? ……なにより、お前は人間を舐めすぎだ。次は本気でこい」
驚きが収まったゼパルは静かに目を細める。
「本気か……」
剣を持っていない方の腕を頭上に掲げる。
「つまり……こうゆうことかな?」
掌には、小さい子供と同じくらいの大きさまで膨れ上がった禍ヶ禍ヶしい光を放つ光弾が存在した。
それを、無造作に赤瀬へ向かって射出する。
腕の動作に呼応して瑠弾頭のように光弾ははじけた。
「ぬ────ッ」
数瞬も待たずに、光弾は赤瀬に飛来し着弾した。
大型弾頭が炸裂したような爆音と風に、ゼパルの髪が煽られた。
数秒で行われたワンアクションの巨大な暴力。なすすべなく赤瀬はそれに飲み込まれてしまった。
掲げた腕を下ろし、ふっ、と一仕事やり終えた様子で息をついた。
「これが本気の一端。赤瀬洋司、お前の身体能力は人間としては驚愕に値した。だから、こちらも人成らざる法則を行使させてもらったよ」
返事は帰ってこなかった。
呆気なく終わらせてしまったな、複雑そうに内心でつぶやく。久しぶりに身体を動かしたから、もう少しやり合おうと思っていたので少し勿体無かった。油断していたら、もしかするとやられていたかもしれない相手だったので、これがなにより正しいのだけど。分かってはいても、やはり納得出来ない部分がある。いやはや、人間らしい感情も出来たものだな、自分自身に関心した。
残念だよ、と一人ごちてゼパルが身を翻そうとした時、
「──悔いるのはまだ早いな。戦いはまったく持って終わってないぞ」
「────ッ!?」
ゼパルが背後を振り返った。
光弾の影響で塞がっていた視界が晴れた先。
そこに無精髭を生やした屈強な男性が、刀を構えたままの体制で存在した。
──どういうことだ?
何か能力を使ったのか。それで世界の物理法則外の攻撃を無力化した?
いや、違う。とゼパルは否定した。これは違う。能力ではない。能力ではあるけれど、異能者に備わった固有のモノではないと断言する。
これは例えば鳥が空を飛ぶように、あるいは魚が海中を泳ぐように、当然の行動の帰結。
異能者は我々人外の天敵。
"天敵"。
ゼパルはその言葉が、思った以上に重い意味を持っていることを思い知った。
天敵たる異能者は自分達が操り人を超越する"理から逸脱"した能力の対象にならない。
それはつまり、こちらのアドバンテージがほとんどなくなってしまったと言うこと。
家屋を一棟倒壊させることができる光弾を放っても、異能者には傷ひとつ付けることができない──。
「……いったいどちらが人外だ」
自嘲的な笑みが浮かんだ。最近、自らを蔑む頻度が増えてきたように思う。
だが、完全に無力化させられるわけではない。現にこの異空間に閉じ込められているのがその証拠だ。
直接的にダメージを与えるモノは完全に無力化されるが、他はその限りではない。
なら、やり用はある。
何より、こちらは人成らざるもの。身体能力は人間の比ではない。
「……そうか。なら、また始めようか」
*
拳と拳がぶつかり合う。
掌と掌がぶつかり合う。
打撃音はせず、攻撃をいなし空を切る風切り音と息遣いだけが暗い空間に響きわたる。
「シ──ッ」
肺から二酸化炭素を吐き出し、拳を突き出す。それは流され、あるいは相殺され、またはフェイントですぐさま拳を引き違う打撃を繰り出す。
パーカーを羽織いフードを目深に被る人間と、暗い闇を移したような燕尾服の人外は、お互いにそれを繰り返し、武闘劇を続ける。
人外の拳の速度は、速い。疾い。一撃一撃がプロボクサーのジャブをも優に凌駕していた。そして一発が鋼のように重い。
対して人間はこれと見事に拮抗していた。こんな一発受けるだけで骨が折れるだろう拳の応酬に、一歩も引き下がらない。時折、人間の拳が人外をも超える速度で打ち出される。
音の無き攻防。
それはふたりが後方に跳んで間合いを離したことをきっかけに、ひとまず幕を下ろした。
人間──幸水絢人は指貫グローブをはめた両手を緩く握り、油断なく構える。
人外──シトリと呼ばれていた青年は構えをとらない。が、そこに打ち込む隙はなく、彼にとってはこれが構えなのかもしれなかった。
「やるね。僕の拳を全部受けきった人間はそういないよ」
「化け物に褒められても嬉しくはないな」
軽口を叩くシトリに、絢人は機械音声で抑揚もなく応える。
それにシトリは連れないな、と笑った。
この暗闇に包まれた矛盾空間。そこにいて、絢人は平静を保っていた。わけもわからない世界での人外との闘い。焦りがないわけではないが、そうしてどうにかなる話でもない。目の前に元凶と思われる奴がいるならば、まずはそいつを打ちのめしてから考えようと思っていた。
他の人間が今どうなっているのかも気がかりだ。あの時ゼパルは五人と言った。これは圭、優希、赤瀬、絢人、荒凪と異能者の数と合致する。なら、今自分と同じ状況になっているのは後四人と考えられる。そうなれば優希が一番危険だろう。何せあの傷。誰かと一緒にいてくれと願うしかない。
「……ん?」
シトリが突然眉根を寄せ、困惑気味につぶやく。
「能力が破られた……? 異能者には、物理的干渉は不可能……?」
ぶつぶつと独り言をつぶやき、しばし逡巡すると、揺れていた感情もなりを潜めた。
「そうか……。つまり僕達はこのまま殴り合いを続けるしかないわけか」
「何の話だ?」
「別に。僕達は、さっきと同じように殴り合いで決着をつけなきゃいけないってことさ。……まあ、君の能力も早く完全に把握したいし、もう少し付き合ってもらうよ」
「……ああ、早く決着をつけさせてもらう」
ふたりの武闘は未だ終焉の兆しを見せない。
*
紅き炎の奔流が、焼き尽くし溶かさんと摂氏何千度の熱を孕んで、蛇のように宙をうねり目標に喰らいつこうとする。
荒凪健一は自分の化け物以上の膂力を最大限に活用して大剣を振るい、炎蛇を薙ぎ払った。高熱を受けた大剣は僅かに赤みを浮かべるが、三〇〇〇度以上の融点を誇るタングステンは並大抵の事では揺るぐことはない。
ちぐはぐの空間の中、十字架を模した剣を持つ青年は駆け、戸惑う荒凪に接近する。
ゴウッ、音を立てて剣が炎の装飾を施された。
容赦なく振るわれた炎剣を荒凪が大剣で受け止める。刃金がぶつかり合い、火の粉が散り、大蛇が這った後に似た軌跡を宙に残した。
熱風に肌を舐められ、珠のような汗を浮かべながら、荒凪は声を張り上げた。
「こンの──なんなんだよテメエはッ!」
無理やり力で押し返す。筋力の勝負では勝てないと判断したのか、相羽は自分で後ろに跳び力を受け流した。
無表情に、相羽と呼ばれた青年は剣を構え直す。
荒凪も自衛のために寄って来たら対応できるよう、大剣を軽々と構えるが、表情には迷いがあった。
「お前……本当にあの得体の知れねえ連中の仲間か?」
何か、荒凪の勘に引っかかるものがあった。
もう一方的な攻撃を何合も受けたが、どれも人間の運動能力の範疇に当てはまるもので、なんだかおかしい。
空に浮いたり、銃弾を制止させ、空間をねじ曲げたりしてみせ、常識の外を平気で行ってみせる人外にしては物足りない。
鷹の鋭さを持ち、豹のような俊敏さを備えてもいなければ、空を飛んで縦横無尽ならぬ縦横宙無尽と人間では考えられない攻撃を仕掛けてくるわけでもなかった。あの炎を除けば、すべてが人の常識ではかれてしまう。
それが、
その様は、
まるで──
「……ああ、そうだ。……お前達と、同類だがな」
「───────ッ!」
言葉が投げられ硬直する荒凪に、相羽は躊躇なく炎剣を振るう。
距離の離れた位置、本来なら剣の間合いではないが、それを炎が補った。先と同じく火焔が襲来する。タイミングを見誤った荒凪は大剣を振るうことが出来ない。
とっさに剣の腹で自らを庇った。
炎蛇がふたつに分かたれ、荒凪の両脇を抜けていく。高熱高温が肌や呼吸する気管を苦しめる。歯を食いしばって、それを耐えた。
眼球の水分を蒸発させ、目を細めて辛うじて視野を確保する。だが目の前は紅一色に染め上げられていて、たいした役割を果たさない。その炎が消えた時、後間合いまで数歩と言う位置にいる相羽の姿を霞む視界で察知する。
「ク、ソがぁ──!」
イエス・キリストを磔刑に処し、断罪する神聖の十字架をもくした剣は、紅蓮の業火で着飾られて荒凪に振り抜かれる。
それを無理な体制で身体を捻り、大剣で弾いた。充分に力を伝えられない腕力だけの腰が据わっていない一振り。それでも荒凪の力は剣を弾いてみせた。
二の太刀に備えて、すぐさま剣を構え直す。それでも数瞬の時間を要したが、相羽はよろめいた身体を直すための時間と同じくらいだったのか、隙をつかれることはなかった。
相羽の表情には後悔も、悔しさも、身勝手な怒りもない。
「オイ! さっきのはどういう──」
「……生きていたら教えてやるさ」
無だけが顔面神経を支配していた。
大剣使いと炎蛇の死闘は終わらない。
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