52:情欲魔界
うっすらと圭が目を開いた。霧がかかったような視界のなか、ぼんやりとした頭を必死に動かそうとするが、決定的な進展は訪れない。脳の中心にフィルターがかけられたようだった。
辺りは薄暗く活字を読もうとするなら苦労しそうだが、物を見るには困らない丁度いい光源。淡いオレンジの光がそこを妖しく、綺麗に照らしていた。
圭の視線の先には、"天井のような"ものがある。確かに光を反射しているけど、永遠に続く闇のような──。
しかし、圭にはそれがなんであるのか、と悩めるほど頭ははっきりしていなかった。
白濁とした意識の中、圭はようやく自分のいる場所がおかしいと認識する。
確か自分は河原にいて夜魔と、その後に現れた──。
必死に思い出そうとするが、脳がなかなか目覚めてくれない。
なんとなく圭がわかったのは、自分が柔らかくて大きいものの上に寝っころがり、まどろんでいるということ。頭の下にも何かが別に置かれていて、首が楽だった。まるで枕のように感じる。
なんとなく、圭は自分が上質のベッドに寝かされているのではないか、と思う。淡いベールような光は、はっきりとしない意識に拍車をかけて、それでいて気分が高揚してくる。
手足に力が入らず、圭はそのベッドかもしれない場所から起き上がれない。
鈍重な思考回路のせいで、一瞬か数分かの区別もつけられない圭の視界を何かが遮った。
光の影になってそれが何かはわからない──はずだが、この灯りは壁など上部以外に設置されているのだろうか。それの"顔"が誰であるか、圭は寝起きの頭で理解した。
両手を圭の両脇の辺りについて、虚ろな、それでいて官能的に濡れた鳶色の瞳。頬や肌は僅かに紅潮していて、圭は背筋が痺れるような感覚を得る。
結んでいたゴムが外れていて、肩甲骨まで伸びた髪が重力に従って圭の方に落ちてくる。血と泥や汗で汚れていたはずの髪は、何故か綺麗になっていた。それに香水のような甘い香りが鼻孔をくすぐってくる。
いつもとは違う雰囲気の"彼女"。それはとても扇状的だった。
「……圭」
桃色吐息を吐き出しながら、麻生優希が艶っぽく圭の名前を囁く。彼女の唇から、こんな艶っぽい言葉が紡がれ、しかもそれが自分の名前だったことで、背徳感に似た感情が圭の中に生まれる。
彼女の吐息が圭に届き、圭は頭に直接蜜を流し込んで脳髄を蜂蜜漬けにされたような、甘ったるい感覚に襲われる。この魅力的な香りは、やはり優希から発せられていた。
口内に溜まっていた生唾を飲み込む。
──欲しい。
このまま、彼女を自分のものにしたくなった。柔らかく暖かな彼女を抱きしめて、肌を重ね、甘い香りに溺れたい。
胸の内にある衝動が騒ぎ出す。ほとんど意識せずに彼女の腰に腕を回した。引き寄せようと思った時、優希が圭よりも先に動いた。
ふたりの唇が重なる。
潤った優希のものと、少しパサついた圭の唇。
圭は彼女の唇を感じて、理性が氷のように溶けていくのを感じた。
「ん、ふぅ……あ……」
お互いに舌を絡めあって、相手の中を堪能し、感じていく。時に優希は圭の唇をついばみ、自分の粘液を塗布して潤わせ、また舌を挿入した。
ピストンされる舌が唾液が淫靡な音を奏で、ふたつの呼吸が同調する。
そして圭は、なんとなく、これは夢なのだと思った。
優希の唇を感じ、唾液の味と体温や息遣いさえ身近に体感しても、これが現実とは思えない。
優希が自分にこんなことをしてくるなんて、圭には到底考えられなかった。それに、前深雪にされた時と、状況が似通っている気がする。だからこれは対象を優希に変えた淫夢に違いない。
"夢じゃないわよ"
そんな時、圭の鼓膜──頭に直接響く女性の声。
"それは夢じゃなくて現実。紛れもなく相手も本物の彼女。口付けもその娘の意志"
その声の主は分からない。言葉もなかなか理解できない。
"男なら女の願いを聞きいれなさい。第一、夢なら遠慮する必要なんてないじゃない"
でも、これは彼女の自意識がそうしたいと言ってるからの行為なのだろうか。よく分からない。しかし、これが予想通り夢であるかもしれない。
結局の所、どうでもいい。今は彼女を身体の奥底から感じたい。
"誰か"が"どこか"でほくそ笑んだ。だがそれは、優希と貪りあう圭の耳には届かなかった。
優希の両肩を掴んで力を入れて身体の位置を逆転させる。優希を組みしいて、今度は圭が上から覆い被さった。
名残惜しく唇を離すと、ふたりの間に細い透明な橋が繋がる。
今まで閉じていた優希の瞼が開いて、物欲しげに圭を見つめてくる。その視線だけで、たがも何もかもを捨てて彼女を壊したくなってしまう。
「優希……」
それを押しとどめて、ゆっくりと彼女の衣服に手をかける。顔をさらにリンゴのように染めるが、嫌がる様子はない。
圭は、優希の上半身を隠している衣服をはだけた。そこには純白のスポーツブラと健康的な美しさを主張する肉体があった。
未だに目覚めない──いや、優希の姿に眩んでしまってはっきりしない頭でも、こうもはっきりと見る彼女の裸体に緊張して鼓動が早鐘を打つ。
じんわりと汗を浮かべた、しなやかな肢体。深雪には劣るが、けして小さいわけではない胸。鎖骨から臍までの美しいライン。小さい生傷がいくつも見つかるが、それすらも美しい。
まだ誰にも触れることを許さず純潔を保ち、未成熟な果実を連想させる。それに今から触れるのかと思うと、たまらなく興奮した。
視線を優希の顔に戻せば、じっと圭を見つめていて、
「圭……優しく、して……?」
恥じらいながら紡がれた言葉に、緊張も何もかもが消し飛んだ。
スポーツブラを上にズラして退け、双丘を露わにする。形の整ったそれを両手で包み込む。弾力があり、手や指を押し返してくるそれを刺激されて、優希が熱っぽい喘ぎを漏らした。感じてくれていることに圭の気分はさらに高揚し、頂点を指で弾き、舌を首筋に這わせる。
ぴくん、と身体が小さく跳ねて、切なげな声が上がる。もう優希の些細な仕草ひとつで圭は興奮の度合いを強めていく。いずれ血管が切れてしまうかもしれないと思うほど。
胸のさくらんぼを口に含み、赤ん坊みたいに吸い付くと、優希は目を見開き甲高い矯声を上げた。
身悶える優希に嗜虐心を煽られながら、胸から指でなぞり、絹のようにきめ細かい肌の感触を堪能しながら、徐々に落としていく。肌を滑る指先に、優希がくすぐったく、あるいは快感に身を捩らせる。
脇腹を通過して臍に到達すると、腹部を一撫でして、ここにも舌を這わせた。
優希は目の端に涙を溜めて、快楽を身体中で感じていた。
荒い呼吸で優希がこっちにきて、と訴えてきたので元の位置に戻ると、圭の衣服に手をかけた。
何か言う間もなすすべもなく、圭は上半身を隠していた服をわきの下までたくし上げられる。男らしい鍛えられた逞しい肉体が優希の眼前に晒された。
今度は圭が指を這わせられる。くっ、と息をもらすのをこらえるが、どうしても我慢することができない。
小さい舌に、胸板を舐められた。
上目遣いで優希が圭を見つめると、鎖骨や鳩尾、首筋に肋骨、筋肉の繊維に沿って舌が滑る。これにたまらず声を上げた。快感で手足が震えて、優希の上に崩れ落ちそうになってしまう。
そんな圭の様子に、優希は嬉しそうに顔をほころばせた。
漂う色香と頬を染めた優希の微笑み。もう何もかも投げ捨てても、彼女とひとつになりたい──。もっと彼女と一緒に快楽を共にしていたい。
そう思った瞬間、
──首から滑り落ちた赤い毛糸のマフラーが、目に入った。
「…………っ!」
ぶかっこうで、きじはあらくて、とてもほめられたできじゃないけれど、けいにとっては、しはんされているどのまふらーよりも、だいじな、ぼうかんぐ。
─────────────────────────────────。
スパーク。
能力を発動する時の、独特の爽快感。いつもは小脳から首や腕を通って手に向かう少ない範囲のみだけだが、今はその爽快感が身体中に走り抜けた。
体内に沈澱した汚物を排出しようとしているかのように、その感覚は益々稼働速度を上昇させていき、臨界。
目の奥に稲妻が落ちて視界が白熱し、何も認識出来なくなる。
数秒後、白く焼け付いた視界を取り戻す。
頭が異様に軽い。立ち込めていた靄も稲妻で吹き飛び、意識も数秒前とは比べものにならないほど清々しく繊細。今までは頭の中にセメントを詰められていたとするなら、今は中身がすべてヘリウムになってしまったようだ。
目の前には依然として、蕩けた瞳で見つめてくる優希の姿がある。
夢から覚めた心地の圭は、同時に先程まで自分を求めてくれていた優希の目が陰っていることに気づいた。"良くない何か"、とでも言うべきなのか言葉に苦しむが、圭は優希が操られているような違和感を感じ取った。
この優希は、"優希"であって"優希"ではない。悪い夢を見せられて酔わされている。
「優希……起きろ、優希っ」
小さい肩を掴んで揺さぶる。が、まだ正気を取り戻さない。
優希の身体から、甘い香りが漂ってくる。これは"何か"の誘惑ではなく、彼女自身の魅惑だった。
年頃の少女の──それも思い人があられもない姿を晒している。これだけで充分な魔力である。
熱い吐息が頬にかかり、背筋を震わせる。早くしなければ理性がどうにかなってしまいそうだ。
「優希っ、優希! 目を覚ませ……優希っ!!」
腹の底から彼女の名を叫ぶ。
瞬間、一際強く優希の身体が震えた。熱っぽさが引き、目から力が失われる。
「ん……」
数秒の経過後、彼女の瞳に力が戻った。それも色っぽいものではなく、いつもの凛としたもの。
圭の姿を確認すると不思議そう何度か目を瞬く。
「け、圭……?」
「……目、覚めたか?」
あ、うん。と反射的に優希が答えてしばらく沈黙。圭がそういえば顔の距離近いなどうしよう、とか変なことを気にし始めたころ、優希が肩に直接伝わる掌の感触に気づいた。
優希が自分の肩に目を落とし、自然と己の格好に気づき、身を硬直させた。
前に寝間着の合間から肌をかいま見たが、今は上半身裸。隠すべき胸の膨らみまで、遮るものはひとつとなかった。
「い……───ッ!!」
瞬間沸騰。
さっきの誘うような上気ではなく、羞恥で顔が真っ赤に染めた。
あまりの隠せなさに悲鳴も上げられず、圭から飛び退いて両胸を腕で遮り、真っ赤な顔を俯かせた。
なんとも言い難い静寂が立ち込め、気まずくどちらも言葉を発することができない。
こんな状況に陥ったことのない圭には、どんな対応をしていいのかわからなかった。見てないよ、は白々しいし、綺麗だったよ、と素直に誉めるのもどうかと思う。結論からすれば、圭から発言すれば泥沼にはまりそうだと言うこと。
そんな為しばらくこの静けさは続き、切り上げたのはやはり優希だった。
「圭……その、見た……?」
「……まあ、うん」
正直に答えると恥じらいながらそう、と呟いて、乱れた服を直した。髪をまとめていたゴムは見つからなかったのか、いつものポニーテールにはできないらしい。髪を下ろしている優希を見たのは学園祭の時家に出向いた時以来だったので、新鮮な気分だった。
そこではたと気づく。圭は先程までの行為の記憶を残していたが、もしかしたら優希も覚えているのか。もしそうなると圭がした、された事も知っていると言うことで。
初々しい空気が流れ、このおかしい場所についての疑問も一時的に喪失してしまった頃、
「あーあ、失敗か……最後まで観賞できると思ったのに。シトリの能力も対したことないわね」
残念、とため息をつく女性の声がした。
圭と優希が第三者の声に振り返る。
そこは壁際と言えばいいのか、黒い空間の仕切りに寄りかかった流れる黒髪をたえた美女が存在した。長髪は痛みがなく、枝毛一本ない最上級の代物。
漆黒のゴシックドレス。裾から覗く白磁のような肌。モノトーンから浮き出る猫を思わせる細められた紅い双鉾。口元に薄い笑みを浮かべている。
人ならざる美貌をもったあれは、まさに人外の美女。
ゼパルと名乗った男と共にいた──アスタロトと言う者だ。
「お前は……」
「こんばんは。誰か言わなくても良いわよね? せっかくその娘の汚れを落として致命傷の傷も治してあげたのに、最後まで楽しまなくていいのかしら」
悪戯に微笑む姿ひとつさえ、恐ろしく絵になっていた。
普段なら見とれる所だが、目の前のヒトガタは夜魔を優に超越した存在。こんなモノと出会うくらいなら、夜魔数十体と殺りあった方が遥かにマシだと身体の内で何かが唸った。
圭は後ろに手を回しベルトを探るが、投擲短剣用の鉄塊は二つ三つしか残っていない。敵を自分の領域に入れる時、わざわざ武器も一緒に入れるわけがないと期待はしてなかったが、どうやら対して気を払っていないらしい。それかあっても無駄だと判断したのか。どっちにしろ、こんな少しでもないよりマシだろう。いざとなればベットのシーツを縦に捻ってそこから精製して剣でも作ってやる。
問題は優希だ。先の戦闘で剣鞭を作りそれを放棄している。もう一本作るほどの金属はあるのだろうか。
圭の心配を察知して、優希が小さく頷く。
「大丈夫。服の金具からかき集めれば、なんとかなる」
恥じらう乙女の表情はすでになく、真剣な顔は凛々しい美しさがあった。
優希は圭と違い鉄をかき集め、融合させ、ひとつと成すことができる。発動するための応用はききやすい。
「あら、戦う気? 喧嘩っ早いのね。まあ、こっちとしてもそのつもりだから楽だけど」
壁らしきモノから背を離し、無造作に腕を一振り。ワンアクションで黒単色の鞭を取り出していた。見た所優希のような剣鞭ではないが、革製品には見えない。何かしら特殊なものだろう。少なくとも剣鞭でさえ切断することは不可能と推測された。
「でも、戦うのは貴女だけよ。そっちの思春期少年は戦えないわ」
「なに……? こんな得体の知れない空間にぶち込んで二体一は無理、なんて勝手だな。怖いのか?」
「口には気をつけた方がいいわよ? 別にあたしは二体一でも構わないけど」
妖艶にアスタロトは笑う。
「貴方に出来るかしら?」
瞬間、血液が沸騰した。
「あが……ッ!?」
身体が熱い。焼けるように熱い煮られたように熱い炙られるように熱い熱い熱い熱い──。
燃える身体が燃える視界が弾ける頭がおかしくなるあの美女がまぶしい欲しい欲しい欲しいあの女が欲しい彼女の所有物になりたい頭がどうにかなってしまう。
我慢できない我慢したくないでも苦しいから動けない今すぐ駆け出したいのに動けない焼ける焼ける焼けるバターみたいに溶かされ固められる助けて助けて貴女に触れてもらえれば助かることができますでもでもおかしい頭がおかしい熱いよ狂ってしまう世界が歪む情欲の衝動が爆発する──。
「……圭!? 大丈夫? しっかりして、圭ッ!」
「────ガ、ハァッ」
優希の声で、圭は意識を手繰り寄せて正気を取り戻した。胸を押さえて熱い息を吐き、全身から汗を吹き出させる。心臓が早く鼓動を打ち、まだ身体が熱かった。
疲労のせいか枷をつけられた気分で、身体の自由が利かない。一キロを全力で走らされても、こんなに疲れはしないのではないかと思う。
「……圭に何をしたの?」
厳しい眼差しでアスタロトを睨む。それに美女は軽く肩をすくめてみせた。
「別に? その子があたしに発情しちゃっただけでしょ」
してやったり、そんな言葉が似合う笑み。
「発、情……?」
「そう、発情。獣欲にまみれた犬みたいにあたしを犯したい犯してほしい交わりたい。とか思ったんでしょう。ここにはいないんだけど、シトリって優男がいたじゃない? あいつは男女の服を脱がさせて、さっきみたいにベットイン! とかさせる事が出来るのよ。で、あたしの場合は男をすべて魅了することができる。……簡単に言えば、あたしに惚れない人間の男はいないってこと」
だから男はあたしと戦わない方がいいわよ、醜態を女の子の前で晒したくないならね。苦しむ圭を一瞥してアスタロトは笑った。
優希は目を細めて人外を睨むと、ベットから飛び降り、暗い虚空の地面に両足をつく。靴もちゃんと穿いたままだった。一度、敵に背を向けて圭をベットの上で横にする。
「優希……」
「心配しないで、圭は休んでて」
圭のベルトから残った鉄塊を抜き取り、身体をアスタロトに向ける。美女は変わらずそこにいた。
「あいつは私が倒すから」
衣服の不必要な金具と自分の鉄塊、そして圭の鉄塊を変化させる。水銀のような液体金属になった鉄は宙に浮き、優希の手の中に集まった。力を込めて握りしめると、放射光をほとばしらせてひとつの鞭が完成する。
──剣鞭、収集変化精製完了。
今、ふたりの女性が合間見える。
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