41:殺人鬼VS剣之神
──捉えた。
傷ついた腕を抑えてよろめく男を、圭は走ってブレる視界の中に収めた。
点々と闇夜を切り裂く街灯に照らされた、何か決定的なものがなくなった空気をまとった男。
ボロボロのコートに磨り減った靴底。手入れのされていない汗で汚れた頭髪、煤けた風貌。世捨て人、などと気取った表現は似合わない。かつて喧嘩の場数を踏んだ圭の開発された嗅覚が反応する。あれは狂気した人格破綻者であると。
「───そこのイカレ野郎っ、止まれぇッ!」
怒声をその背中に叩きつけた。
男の背が震えて背後を振り返る。そこには振り上げた拳を解放する圭の姿があった。
圭の握り締められた拳が、男の頬に突き刺さる。
「ぐぎゃっ」
鶏の喉を絞めたような間抜けな悲鳴。
速度を乗せた乱暴な一撃に、踏ん張りのない男はいとも簡単に地面を転がった。
「うご……っ!」
危機に反応して男が立ち上がろうとして地面に膝を反射的にたてるが、四つん這いの間抜けな体制で顔を覆って呻く。不意の一撃は相当効いたらしい。
肝心の圭としては、軸足をまともに固定出来ず体重も乗せ切れなかったことに内心腹を立てていた。満足な一撃だったなら、今ので確実に脳震盪に出来たはずだ。しかも怒り任せに殴ったせいで握った拳が痛い。だが、この程度死者の痛みに比べればどうとでもなる。
「クソッ……なんだよ、お前……っ」
電柱に手を突いて男がふらふらと立ち上がる。血走った目から、疑問二割殺意八割の眼孔が圭に向けられた。
それを圭は軽く受け流──す必要もなく、感情を押し殺した最終確認を放った。
「おい、お前は殺人鬼か?」
「ッアァ? この童貞小僧……こっちはテメェが誰か聞いて……」
「答えろ。お前は殺人鬼か?」
「──ああっ? おれは殺人鬼じゃない! 奪還者だっ! おれの運を奪った奴らを殺してるだけだああああああッ!!」
「そうか、殺人鬼」
人違いでただの怪我人を殴り倒した可能性は消えた。こいつは正真正銘生粋の人格破綻野郎だ。決定的な思い違いをして自分を絶対正義と思っている、異常者。
勘違いに気づかずに、決定的な行動をしてしまう。まるで両親を勘違いで卑下していた自分のようだった。だけど、殺人鬼と自分は重ならない。それは、己の存在ベクトルとはまったく違うから。
自分の間違いを、間違いと認めず周りを貶めることなんて、絶対にしない。
手を後ろにまわして、コートの内側にあるベルトに手を伸ばす。簡易のタクティカルベルトのようなものが、ベルトに付けられている。ホルスターには幾つかの鉄の棒が差し込まれていた。その数本を指で挟んで抜き出し、握り込む。背中で一瞬蒼い光が瞬き、一本の刃渡り一二センチかそこらの、投擲用とは違う短剣が創り出された。
昔は威嚇の為にと相手に見せびらかしながら変化させていたが、今となってはそんな迂闊なことは出来ない。これは公になってはいけないモノだ。例え相手が精神異常者だとしても。だから、服の下に隠していても違和感のない短剣しか武器は創れない。どっちにしろこの鉄塊ではまともな剣を創れる程の質量はなかった。あくまで圭のは補助の投擲用である。
圭が短剣を取り出したのを見て、殺人鬼も懐に手を入れてナイフを取り出した。アーミーナイフ、バタフライナイフのように小型で刃を収納できる持ち運びが簡単な代物ではない。大型のシースナイフ──ザバイバルナイフと言うやつだ。肉厚の刃は圭の短剣の倍近い長さがあった。なんとか二○センチに届くか、届かないかくらいの代物。
日本の銃刀法を軽く無視している。が、そんなこと気にしないのだろう。殺人鬼は自分のルールで行動している。だから、そのナイフに拭い去れない血の痕が付着していても気にしない。人の脂や血で切れ味が悪くなっても突き刺さす。どうしても斬りたいなら、刃を削る。今までも、そうして人を殺し続けた。
「お前ぇっ、銃刀法無視してんなよおおおおおっ!」
自分の手の中にあるものは許容して、圭を否定し殺人鬼は突撃した。
見た目浮浪者の殺人鬼が、シースナイフを乱暴に振るった。街灯の光を受けて一筋の線を作りながら、凶器は圭を強襲する。
「ちっ……」
圭は短剣の腹に手を添えて、甲高い金属音を鳴らしてシースナイフを受け止めた。ぎちぎちと小競り合う刃が悲鳴を洩らす。
「ぐぅぅうおオ……っ!」
殺人鬼が唸り声を発してナイフに力を込めた。荒凪などには遠く及ばないまでも、成人男性の平均をえた力がかかってくる。圭は知らないが、この男は今ドラッグでいくらか力が増していた。さらに身体能力自体そう高くはないが、常人よりは多少なりとも優れているようだった。
力押しでは獲物の刃渡りなどで不利と判断して、刃を受け流して一度跳んで後退する。
「ついてないついてないついてないついてないついてない早く殺して逃げねえと……」
男は夢現のようにつぶやき、ふらりと身体を揺らして再び疾駆し、シースナイフを振りかざす。
赤瀬に比べれば、何もかも次元違いに遅い。しかし、やはり常人を凌駕した速度であった。
その一撃一撃を短剣でいなしながら、圭はいささか驚愕する。通り魔なんて、所詮不意を狙っていたぶり殺す殺人快楽者だとばかり思っていたが、この動きに評価を少々改める必要があるかもしれない。
乱暴で荒削り。形もナイフによる効果的な戦闘法なんて習っていない。我流のナイフ捌き。それは悪事を働き、逃走する派手に手に入れた殺人スキルだった。だからこの動きに対して驚嘆はするものの、認めはしない。所詮それは欲に溺れた邪道。このナイフにより、不条理に殺されて糧にされた人間がいるのだ。
また小競り合いが始まると、圭は殺人鬼の腹を蹴り飛ばして間合いを開いた。
「クソッたれが……」
腹部をさすって地獄の底から湧き出る沼気のような、黒い感情が喉から流れた。
──強い。
認めたくはないが、殺人鬼は強かった。
あくまで常人の域をでないが、人外なんて存在はそもそも論外であり、それを文字通り除外すれば男の技術には畏敬の念すら感じるだろう。
だが、邪道であり外道のナイフ。そんなモノ、憎悪しか浮かばない。
そして、男は不幸であった。自分の人並み外れた身体能力に気付けなかったのだから。もし知っていれば、健全な目標を作れたかも知れない。
だが、この場にそれを理解するものはいなかった。
今度は、先手を打たれっぱなしの圭が主導権を得ようと仕掛けた。
短剣を逆手に構えてアッパーを利用した切り上げ。風を切って腹部から胸にかけて傷を与えようと肉薄する刃を、男は恨めしそうに睨みながら跳び避けた。短剣を切り上げた姿勢で隙を作った圭に、ここだとばかりに殺人鬼は地面を蹴る。
だが、この隙は危険を冒して圭が自ら作ったものだった。躱されるのは承知で放ったもの。次の行動に移るための思考ラグはないに等しい──
懐に飛び込もうとする殺人鬼に、短剣を鉄杭がごとく振り下ろす。
「はっ」
一息と共に放たれる狙いすました一撃に反応した殺人鬼は、さすがと言うべきか。罠を避けたことでしてやったりと殺人鬼は嗤う。
命の危機の中で鍛えられた反応速度は、素直に尊敬するに値する。
そうでなければ、意味がない。
この第三撃が。
腕を振るった反動を使って左足を始点に、身体を螺子り──円を描いた回し蹴りが発動する。
「な、ん……っ」
油断で弛緩していた殺人鬼は、驚愕に目を見開く。その顔面を靴底が容赦なく貫いた。
鈍い音が足裏から伝わってくる。
ひゅ、と空気を洩らして殺人鬼は地面に倒れ伏した。
白目を向いて折れた鼻から血を流す。蹴りの衝撃で脳震盪に陥ったのだろう。動く気配はなく、ようやく圭はほっと息をついて短剣を鉄塊に戻してホルスターに収めた。
久しぶりの刃物を絡ませた体術は上手くできるか不安ではあったが、案外なんとかなるものだ。逆に身体が鍛えられていて、昔よりキレがよく最初の拳と違って簡単に決められた。
最近は夜魔との戦闘ばかりで、対人戦なんてまったくやっていなかった。赤瀬との特訓は夜魔戦を考慮してのものだから、剣による攻撃を主眼に置いている。夜魔にはもちろん打撃なんて通じない──出来ても絢人くらいのものである──ので、ここ最近めっきり使っていなかった。
路地裏の喧嘩は相手は人間であり、夜魔のように殺してはならない。なので自然と打撃技が身に付いていたのだ。
昔取った杵柄と言うか、覚えていて損はなかったと圭は安堵の息を吐く。相手が人間の場合、短剣で致命傷を与えるなんてできないから本当に助かった。
電話を取り出し、死体と殺人鬼が倒れている位置をGPS機能で添付して連絡をすると、圭は携帯を閉まって男に背を向ける。
と、もう一回醜態を晒す男に振り返った。相当上手く決まったのか、一向に目覚める気配はない。たまに胸が上下しなげれば、死んでしまったのかと誤解しそうなほどである。
数多くの人間を刺殺に斬殺した不幸で哀れな男を見下ろして、なんとなく言葉で先刻しておきたかった。
「ここがあんたの終着駅だ、殺人鬼。……自分が終着させた人間の痛みは、味わえたかよ」
最後は吐き捨てるような含みを持っているようだった。
後はもう一瞥もくれずに歩き出す。胸には、被害者への黙祷と事件を解決したことによる満足感が満たしていた。
さて、明日一日。奈美との約束の時間までどうしようか──と、夢見が悪くなるようなことを振り払って、暢気なことを考えだしていた。
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