3:夕空の下で
それから優希は一度も圭たちに話かけることはなく、時は黄昏時まで過ぎ去った。
授業終了のチャイムがスピーカーから校内に鳴り響く。その鐘の音を背にして、圭と深雪は放課後の屋上へと訪れた。
今は、日が西から僅かに顔を覗かせているだけなので、屋上一帯は鮮やかな茜色に照らされていた。
圭は屋上を見渡し、ここに呼び出した張本人の姿を捜すが、見当たらない。
「呼び出しておいて先に来てないのかよ……」
「こっち」
頭上から凛とした声が降った。見上げると、入り口の上にある吸水棟から──スカートも抑えずに麻生優希が飛び降りた。
見えてしまった下着に圭が顔を赤くしている間に、麻生優希は優雅に屋上の地面に着地した。背後から深雪に頭をしばかれ、お陰で飛び降りたことに対するツッコミを圭は逃してしまう。ちなみに色は汚れなき純白だった。
叩かれる原因を作った本人はまったく気にした風もなく、平然としている。
さきほどの光景を思い出そうとする頭を押し留め、後頭部の辺りをさすりながら、優希に尋ねた。
「それで、放課後に屋上に呼び出してなんのようだ?」
その言葉に優希は僅かばかり美しい柳眉をひそめる。
「私を覚えてないの?」
「やっぱり面識があったのか。すこし見覚えがあるだけど、それくらいしか分からない」
そう、と優希は軽く息を吐いた。
「あんな闇夜の中だったから当然か。それに夜魔に気を取られていれば、はっきり覚えていないのも無理ないし」
「……夜魔?」
圭のとなりで深雪が聞き慣れない単語に首を傾げる。
「あの化け物のこと」
──化け物。
この世で化け物なんて形容詞するものは、そうそうあるものではない。女子高生に至っては、くだらない雑談でたまに言うくらいの単語だ。こんな場で言う言葉ではない。
だが、三日前。圭と深雪は化け物としか形容しがたいものと遭遇した。
圭が驚愕に目を見開く。
「まさかお前……あの時の……?」
「やっと思い出した?」
何故今まで思い出せなかったのだろうか。彼女は、あのとき化け物──夜魔と戦っていた少女だった。
「……なんで、こんな所に?」
出来るだけ冷静になりながら、恐る恐る尋ねる。
「私は、あなたの監視兼連絡役でここに派遣された」
彼女も青年が言っていた"組織"のメンバーなのだろう。なるほど、連絡先を一切伝えなかった理由がわかった。だが、
「監視……?」
小説や架空の物くらいでしか聞かないような単語に不穏な空気を感じ、眉間に僅かばかり皺を寄せる。
優希が圭の言葉に頷く。
「そうよ。そんな力を持っている人間が、それをどう悪用するかわからないから──」
「圭くんはそんなことしないッ!」
話を遮るように激昂した優希が身を乗り出した。今にも優希に掴みかかりそうな勢いの深雪を圭が腕を身体に差し入れて押し止める。
優希は声を荒げる深雪に一瞬驚いたように目を丸くしたが、すぐに驚きを表情から消した。
しばらくの間優希の表情を見つめていた圭が慎重に口を開く。
「……聞きたいことがある」
「抵触に触れなけれない辺りなら答える」
その返答に、圭は今まで気になっていたことを口にした。
「俺やお前のこの力って、いったいなんなんだ? それにあの化け物、夜魔だったか。あれとか……それに"組織"とは何をしているんだ?」
「一度に複数の質問は止めて貰いたいんだけど。まあいい。まずはひとつ目、この力は──そうね、夜魔に対する対抗器官による能力、とでも言うわね」
指を一つ立て、優希が語り始めた。
「対抗器官?」
「そう。現代兵器で倒すのに苦労する夜魔に効果的な攻撃をくわえる力。どうしてあなたやわたし達の力に一貫性がないのかは不明。次に夜魔について」
二本目の指を立て、いざ説明しようとして、優希は忌々しそうに怒りを瞳に灯させた。
「……夜魔は見た目の通り。人を喰らう最悪の化け物。死亡した人間と獣がなんらかの形で融合した変異生物。日が沈みだした夕方から早朝まで夜に活動をするから、付いた名前が夜魔。……私にも分かるのはこの位ね」
そして三本目の指を立てた。
「"組織"……夜魔を狩る日本政府直々の国家機関と言った感じよ。これ以上はさすがに機密事項漏洩に繋がるから言えない。"組織"にはいるなら別だけど」
すこしばかり長い説明がようやく終了した。これまでの話を聞いて、圭の頭の中は完全に混乱していた。聞くにあたって、それなりの覚悟はしていたつもりなのだが。いきなり人体の対抗器官だとか、人と獣の変異生物、組織が国家機関だとか、むちゃくちゃ過ぎた。荒唐無稽にもほどがある。
優希が嘘を言っている可能性を考えてみたが即座に否定する。彼女には嘘をつく理由や、メリットもない。それに実際、化け物に遭遇して、夜魔の死骸を回収したヘリに乗った者達にも出会った。自衛隊が使用しているような輸送ヘリが簡単に手には入るわけがなく、国家機関と言われて否定する材料もない。
思考をまとめていると、いきなり深雪が圭の腕をとった。
「そんな国家だとかに圭くんは関わりません! ほら、行こう圭くん」
「お、おい深雪!」
動揺する圭の声には耳も貸さず、深雪は優希に背を向けて、屋上の鉄扉を開けて圭を引っ張る。なされるがままに引っ張られる圭の背中に、小さい呟きがかかった。
「あなたは……夜魔に何を奪われたの?」
「え──」
圭が振り返ってなにかを答える前に、鉄扉が自重でバタンと音を立てて閉じた。
*
鞄を片手に、深雪と圭は帰宅路を歩いていた。
圭が不機嫌そうに前をいく深雪に、多少苛立ちまじりに声をかける。
「なんであんな強引なことするんだよ」
前を行く少女が、くるりと半回転して膝にかかるスカートを花のようにふわりと浮かせ、両手で鞄を持った深雪が振り返る。
「だって、圭くんに危ないことして欲しくなかったんだもん」
目を時々気まずそうに圭からそらしながら、白い息とともに深雪が言葉を吐いた。純粋に圭を思っての行為なため、圭も怒るに怒れない。
「……だからって、あれはないだろ」
「ごめん……」
しゅんと深雪が猫のようにうなだれる。圭はそんな深雪を見て、ひとつ息を吐いた。
「まあ、過ぎたことはしょうがない。……それより今日、深雪の家に行っても平気か?」
圭のたった一言で深雪の顔が見る間に明るくなった。
「ううん、全然平気だよ! 圭くんは何か食べたい物ある?」
さっきまで様子が嘘のように深雪は表情を生き生きとさせていた。それも人生の絶頂のような顔で、早速夕飯の話だ。変わり身が早いなぁと苦笑しつつも、圭は夕飯のリクエストについて考えを巡らせる。
「んー、別になんでもいいぞ。こっちはタダ飯喰らいな訳だからな」
早々に思考を放棄した圭に、深雪が不平を訴えるように頬を膨らませた。
「なんでもいい、は作る側からしたら一番困るんだよ。それにいつも言ってるけど、わたしが作りたくて作るんだから、遠慮なんてしなくていいよ」
そうは言われても日頃から深雪に迷惑をかけている圭からしてみると、一家の食卓を圭が決めるのは気が引ける。例え、食すのが圭と深雪だけにしても。
「じゃあ、カレーで頼む」
考えた末、家庭の定番メニューと言う答えに至った。
楽しそうに笑みを浮かべながら『りょーかい』と圭に返事をする。
「それじゃあ、材料買ってくるね。先に家に行っててね!」
そう言って、深雪は商店街の方へと寒空のした駆けていった。去り行く深雪の背中が見えなくなると、軽くため息をつく。
「もう出てこいよ」
圭がうしろに振り返って言うと、物陰からひとりの少女が現れた。学校を出た辺りからずっと人の視線を感じていた。逆恨みを買うようなこともしていて、この手のことに多少なりとも慣れている圭だからこそ気づけたのだろう。
「彼女の家で夕飯ね」
「彼女? まさか、そんなんじゃないよ」
肩を竦めて圭は物陰から現れた少女──麻生優希に視線を向けた。
「尾行までされるとは思わなかった」
「校内だけだとも言っていないけど」
「そうだな。この三日間ずっとか?」
「また質問?」
「いいから答えろ。こっちは三日間のプライバシーに関わる」
いいえ、と優希は否定した。そのときに白い息が口から漏れ、あまり表情を表さない彼女も人間なんだな、と当たり前のことを自覚させられる。
「今日からよ。わたしが始めて尾行を、ね。"組織"も人員不足でわざわざ人を割く余裕がないの。安心した?」
「ああ、思春期の日常を盗み見されなくてすんだよ」
「見られて困るようなことでもしてた?」
表情はあまり大差ないのに、声質にはからかうような色が伺えた。
「誰だって日常生活を見られて平気なわけないだろ」
「わかってるわよ。それにわたしは家の中まで覗かないから安心して」
「それを安心と言うのはどうかと思うが、一応ありがとう」
皮肉気に圭が軽口を叩くと、しばらく誰もしゃべらなくなった。一度沈黙が下りると会話はなかなか再開しない。この場合、会話をする必要もないのかもしれないが。
時折吹く風は寒く、手や耳、首周りが冷えて、圭は身を震わせる。手はポケットに入れることで凌げるが、耳とかはどうしようもない。
そして優希の言葉で再び会話が再会される。
「あの彼女は……」
「彼女じゃない。朝倉深雪だ」
「……朝倉はあなたの力を知っているみたいだったけど、軽蔑とかはされていないの?」
すこし間だけ圭が言葉を詰まらせる。
「知ってる。それでも、唯一俺を受け入れてくれた奴だ」
改めて口にすると深雪の存在が自らの中で大きいものだと実感する。いつも自分を支えてくれる彼女がいなければ、圭はとっくに狂っていただろう。それこそ何をしでかすかわからない。だから、こんな危険人物を監視する優希を、圭はすこしばかり正しいと思っていた。プライバシーが侵害されるのは不快極まりないが。
優希は圭から目をそらすと、またあの問いを口にする。
「ねえ、あなたはなにを奪われたの?」
「またそれか。奪われたって、なんのことだよ?」
一体全体わからないと言ったように、言葉を吐いた圭を驚いたように優希が見やった。
「奪われて、ない?」
「だから何をだよ」
圭がキョトンとしていると、優希は圭にギリギリ届くか届かないかの声で呟く。
「奪われてないなんて、おかしい」
「は? なにか言ったか」
圭が聞き返すと、優希が踵を返して重い足取りで歩き始めた。
「あ、おい! 尾行はいいのか!?」
わざわざ尾行を肯定するよう事を言うのはどうかと思ったが、とっさに思いついたのがこれだった。しかし優希は圭の問いには答えずに、角を曲がってその姿を消した。
「なんだよ、いきなり」
奪われたとか、奪われてないだとか。
優希の言葉に心残りがあるものの、そろそろあったかい家に入りたくなった。それにだいぶん話し込んでしまった。圭が先に家にいないと深雪は落ち込んでしまうかもしれない。圭は深雪の悲しむ姿は見たくなかったから、急いで朝倉宅へ向かい走り始めた。
受け入れてくれた深雪を待つために。自分を受け入れてくれた唯一無二の人を待つために。
──そうさ、自分を捨てたあいつらとは違うのだから。 |