31:名前を呼ぼう
優希はSDFT地下基地の通路を早足で駆けていた。
──やった。
やったやったやったやったやったやったやったっ!
自分でも驚くほどに胸が弾む。身体が軽い。何の飾り気もない風景が輝いて見える。世界が自分のためにあるように思えた。この身体がまるで自分のものではないような気がする。
とにかく嬉しくて嬉しくて胸が張り裂けてしまいそうだった。この気持ちがなんなのかよくわからないけれど、とても心地がよかった。朝日で干したふかふかの羽毛布団に包まれているみたいだ。
明日が楽しみで楽しみでしょうがない。早く明日が来ないかと思ってしまう。まるで子供に戻ってしまったような自分に優希は驚いてしまうが、別段それを止めようとは思わなかった。
あ、と優希が声を上げてあることに気づいた。
「プレゼント、何にしよう」
クリスマスならプレゼントがないといけない。浮かれてすっかり忘れていた。
でも何をプレゼントすればいいだろう?
良い案が浮かばなかったので、また真由美にでも相談しようと踵を返そうとして、止めた。
「自分で決めなきゃ、駄目だよね」
うん。プレゼントは贈る人の気持ちなのだから、それを他人に聞くなんて駄目だ。それはあくまで最終手段でなければ。
じゃあ、どうしよう。と頭をひねってみるが、これまた上手くいかない。だいたい圭が欲しいものってなんだろう?
根本的なところで詰まってしまった。……きっと深雪なら簡単に分かることなのに。
そう考えると途端に悲しくなった。やっぱり自分は圭のことなんて何も知らないのだと痛感させられた。
でも、とつぶやいて優希は拳を握る。
「拗ねてなんて、いられない」
時間は、ないんだから。
真由美の時は否定していたことを、優希は簡単に受け入れていた。今はこんな意地なんていらない。こんな余計なことより今はプレゼントだ。
いっそ連想ゲームのように考えてみよう。
今は冬。
冬は寒い。寒いの反対は熱い。暖まりたい。なら厚着をする。手袋とマフラーを付ければさらに冷気を遮断することができる。
「マフラー……」
マフラー。そう言えば圭がマフラーを付けてるところなんて見たことがない。しばらくは寒気は持続するし、うん。これはなかなか良いではないか。冬にはぴったりだ。
さっそくデパートかどこかで圭に似合いそうなのを見繕ってこよう。あまり行ったことはないけど、きっとなんとかなる。そんな気がした。
しかし、優希は再び足を止めた。
過去の記憶の片鱗が微かにうずく。確かこういう時は手作りのものがいいのだと、聞いた気がする。あれはいったい誰に言われたのだろう。
──……ああ、お母さんにか。
確か、嬉しそうに話してくれた気がする。
今思うとそれは両親の恥ずかしくなるようなノロケ話なのだけど、それは優希の記憶に強く根を張っていた。
なんでもお母さんが初めてのクリスマスに手作りのプレゼントをお父さんに渡して──とこの先は恥ずかしそうにしていて話して貰えなかったが、とりあえずふたりは楽しそうだった。それだけは確実。
だったら、自分もそうしよう。
時間は一日とちょっとしかない。けれど、できる。今の自分になら絶対にできる。
己に言い聞かせると、優希は勢いよく駆け出した。
この時、優希の頭の中には夜魔に関する一切の感情がなくなっていた。正確には忘れていた。
だから、自分がここにいるのは夜に備えてのことだったことも忘れている。今日は荒凪達のローテーションだが、それをサポートしたいと今日の狩りに参加表明をしたのに。
でも、そのことで彼女に悪意を込めて中傷する人間はここにはいなかった。
だって、今の優希はとても生き生きと輝いていたのだから。
*
時間は既に午後五時を周っていた。冬場の今なら、外はもう真っ暗闇だ。
「今日はここまでッ! 終わりにするぞ」
「は、はい……ありがとうございました……」
舌が絡まりそうになりながらもなんとか言葉を発して頭を下げると、ふらふらと夢遊病患者のような足取りでトレーニングルームを後にした。
休憩時間をオーバーしたせいか、いつも以上にしごかれた。正直慣れたとはいえ、明日は筋肉痛を覚悟するしかない。
無装飾の機能性だけを追及した廊下に出ると、首と肩を回して身体をほぐす。打ち身や擦過傷が痛み、喉の奥から小さな悲鳴を洩らした。
傷は例え小さな物でも侮ってはならないと忠告されているので、素直に医務室へと向かった。
今頃、荒凪や絢人は戦場に向かっているころだろう。もしかするとまだ待機しているかも知れないが。
なんというか、顔見知りが戦っているかもしれない時にのんびりと医務室に行こうとしているのはなんだか居心地が悪い。気にしても仕方ないと圭自身も分かってはいるのだけど、どうしても割り切れない部分がある。無論、顔も知らない人がどうなってもいいと言うわけではないが、知り合いを優先して心配してしまうのは当然だろう。
まあ荒凪はともかく、絢人がいるなら心配する必要はないだろうけどな。と呟く。
荒凪は大雑把な性格でひたすら大剣で斬り込んでいく人間だ。気さくな良い奴なのは確かだけど、細かい所に無頓着な面がある。相手の後の手を考えていないから、思わぬ反撃にあってしまう。
けれど、絢人はその正反対。まさに対局に位置していた。常に情報を細分化して計算し、戦況を分析しながら戦う。知略に優れ隙を見せない。相手の反撃を軽く去なせる能力もある。
反面、絢人は決定打をなかなか決めれない能力らしく、荒凪とのコンビは非常に相性がいい。それは会って間もない圭にも見て取れた。陽と陰のようにお互いがバランスを取り合っているのだ。
絢人はよく分からない奴だけど、信用はできると思った。
……まあ、人を心配するより、手加減している赤瀬に圧倒される自分を鑑みるべきなのだが。
医務室の前につくと、扉を二回ノックして返事が帰ってくるとノブを回して中に入った。
この部屋特有の薬品臭にも慣れてしまったので、たいして違和感はない。が、それはそれで悲しい。
「どうも……」
挨拶もそこそこ、丸椅子に腰を落とす。
溜め息を吐いて堂島真由美は気だるい仕草で薬品の蓋を開きながら愚痴った。
「ったく、山里はよく怪我するわねぇ。今に医務室最多訪問回数を塗り替えるんじゃないの。薬はあんたの為だけにあるんじゃないのよ? あ、ちなみに最多訪問者は二番隊の赤谷さんね」
「いや、知りませんって。……そんなの数えるくらいなら真面目に仕事をギャフゥッ」
後半は赤チンが染み込んだ綿を容赦なく傷口に塗られた故の奇声である。
「も、もうちょっと優しく……」
「減らず口が叩けるなら結構結構」
圭の言葉に聞く耳持たず、乱暴な治療は続く。もちろんピンセットが動く度に悲鳴が洩れる。
「ほれ、上脱ぎな。湿布貼ったげるから」
「湿布臭くなるから良いですよ……」
「あっそ。じゃあもういいか」
そこをムリヤリ押し切るのが医者ではないだろうか。疑問に思うものの、湿布の匂いだけはどうしても駄目なので、これ幸いと文句は出ない。
簡単に感謝の言葉を述べて圭は立ち上がる。所々に絆創膏を貼った姿が痛々しい。
背を向けて医務室を去ろうとした時、真由美から声がかかった。
「ああ、そうだ山里。聞きたいことがあるんだけど」
「なんですか?」
「明日予定はある?」
途端に優希と深雪のことが脳裏をよぎる。
「いや、ありますけど……」
なんだ。もしかしたら明日、SDFT絡みで重要なことでもあるのだろうか。と内心冷や汗をかく。
ダブルブッキングをキャンセルする都合の良い言い訳にはなるけれど、何かの性にして逃げたくはない。
そんな風に考えていた圭だったが、にやりと笑った真由美の台詞は予想とはまったく違っていた。
「ふ〜ん。それはいったい"誰"との約束かしらね」
「……はい?」
なんで個人の約束だと分かってるんだ?
真由美の笑みが色濃くなる。人をおちょくるような意地の悪い笑い。どこかの映画でペルシャ猫の毛並みを愛でながら黒幕が浮かべていそうなものだった。
「聖夜の日に男女が約束を交わす──。映画ではこのままベッドシーンに突入しそうよね?」
にやにや。
男女の部分でもう確信させられた。そして明日のことを思い出すと、なんだかハマってはならないピースがぴったりと入ってしまった。
「ま、まさか……優希がいきなり誘ってきたのは……っ!」
「さーて、なんのことかしらね」
「白々しい! そんな聖夜の日云々なんて話を吹き込んで……」
「ああ、これは言ってないから。あの娘純情だから事細かに解説したら失神しちゃうわよ」
なら安心。……とはいかないけど。
しかし個人意志で決めてくれたと思ったら、こんな所に黒幕がいたとは。それでも優希の変化が嬉しいことには変わりないけど、手のひらの上で踊らされた気がしてなんだか悔しい。
「……で、堂島さんは人をおちょくりたいだけなんですか?」
すっかり気分を悪くして圭が尋ねるが、真由美は手を振って『違う違う』と否定する。
「いや半分くらいはそうだけど」
半分もですか。
「それより、山里。あんた、プレゼントとかは決めた?」
「……プレゼント?」
言われて、気づいた。
──何にしよう。
クリスマスイブは明日なのに、何も考えてなかった。
圭の表情を読み取ってやっぱり、と溜め息をついた。
「ったく、それくらいすぐ決めとくでしょう」
そんなこと言われても困る。何せ数年来の付き合いである深雪のプレゼントさえ三日三晩悩む始末。数時間で決めろと言うのが無理な話だ。しかもダブルブッキング問題で予定をどう調整するべきか思案している時に。
……最後のは明らかに自分の責任である。
「そこであたしからアドバイスをしてやる」
足を組んで、目を細める。なかなか整った容姿のために、挑発的な態度は色気のある大人のそれを思わせる。
真由美のリップすら引かれていなさそうな唇がゆっくりと開く。
「あんたからあの娘へのプレゼント──」
ぴんと人差し指を立てて、
「名前を呼んであげなさい」
*
「名前、か……」
電車の中で揺られながら、小さく呟いた。自分でも聞き取り辛い声だったので、他の乗客にも聞こえてはいないだろう。
名前。
麻生優希。
麻生。
名前は呼んでいる。けど、それじゃない。圭が呼んでいるのはあくまで"名字"だ。
──優希。
優しいに希望と書いて優希。両親が彼女に与えた"名前"。
思い起こせば、まともに彼女の名前を呼んだことがない気がする。いつも麻生、麻生と。
今まで深い意味も考えずに呼んでいたが、名前を呼ぶと意識したら途端に胸が疼きだす。いざ言おうとすると、喉が詰まる。名前を呼ぶことがこんなに辛いことだとは思わなかった。
なんで名前のひとつも口に出来ないのだろう。不思議でしょうがないと思う反面、こんなことがプレゼントになるのだろうかと言う疑問。
名前を呼ぶ。そのことに意味を見いだせないものの、でもこんなに難しいことだったら意味はあるのかもしれない。
──優希。
うん、呼ぼう。麻生を優希と。優しい希望と"勇気"。こんなに良い名前を口にしない道理はない。
決心を固めて、圭はいつもよりふたつ手前の駅で降りる。
さて、今度は深雪のプレゼントだ。
|