30:クリスマスイブ前夜
あれから、数日が経過していた。
現在二三日。クリスマスイブを目前に控えた土曜日の昼下がりの出来事である。
*
麻生優希は──まあ簡単に言うならば拗ねていた。
本人には拗ねていた自覚はないが、眉根を寄せた仏教面で言われても説得力は皆無である。
「で、なんで拗ねてるわけ?」
「………拗ねてなんてな、」
「いーや、拗ねてる。一八○度どこから見ても拗ねてるようにしか見えない」
SDFTの姉御、堂島真由美に指摘されてようやく優希は自分が拗ねているのかもしれないと言うことを渋々認めた。
というわけでここは真由美の城である医務室だった。こっちは軽い怪我の人間などを看る所で、重症患者は別室に搬送されることになっている。優希達も数えきれないほど世話になった。特に修行で生傷が絶えない圭はよく世話になっている。その圭が今回優希をこんな状態にした張本人だと思っているわけだが。
一二畳より少し大きいくらいのスペースで、ずぼらな真由美が管理していても医務室は綺麗に整っている。真っ白い壁には汚れが見当たらず、リノリウムの床は鈍く蛍光灯を反射していた。赤チンなどの薬品の匂いが鼻につく。
真由美が腰をかけている事務用椅子の前にあるデスクには、大量のファイルが散乱していた。書類と一緒に消毒薬を染み込ませた綿やガーゼ、絆創膏などが入った容器が置いてある。使用頻度が極めて高いために棚から出すのがめんどくさいのだろう。
カーテンで仕切れるようになっているベッドが三つほど並べられており、そのひとつに優希が腰をかけていた。
優希は真由美の拗ねてる発言に少し居心地が悪くなったのか、ベッドに置かれていた枕を掴んで抱き寄せた。顔下半分が白いカバーに隠れる。
「相変わらず何か抱いてるの好きよね」
「………」
こくこく。
すると真由美はにやりと邪悪に笑う。
「……なんなら山里辺りにも同じことすりゃいいのに」
「────────────っ!!」
優希の顔は真由美の狙い通りに真っ赤に染まった。絶句して完全に顔を隠してしまう優希にわかりやすいなあ、と真由美は内心で漏らす。この年になってここまで初なのはいっそ異常とも思える。
本人は多分、というより絶対に自覚がないだろう。自分なりに感情を理解していても、それが恋であると気づいてはいない。否、気づけないのか。
まったく、と真由美が溜め息を吐いた。
「分かり易すぎだって……。なんだ、拗ねてるのはもしかして最近山里が構ってくれないから?」
優希は答えずに目を枕から見せ、しばらく迷ってから恥ずかしそうに肯定した。
一度動揺させると本当に素直な娘である。
ここ最近学園祭のせいで遅れた分を取り返すように圭は修行に励んでいる。冬休みに突入してからは特に熱心で、今も朝から自主トレをして、昼頃に来た赤瀬と特訓に明け暮れていた。
圭は喧嘩などを多少人より多く経験していたからか身体の基礎はだいたい出来ていたので、今はさらに基礎を固めに重点を起きつつ、能力を生かした有効的な戦闘方法を学んでいるらしい。身体は一朝一夕で作れるものではないが、圭の努力と赤瀬の指導などで着実に力をつけていた。
その弊害として、優希は圭との接触がほとんどないのだ。学校があった時も疲れて寝ていたらしい。
つまり、修行のせいで構ってくれない圭に拗ねているわけだった。
真由美は少々呆れるが、確かにある程度好意を持っている異性に構ってもらえないと言うのは、純情な優希には大問題なのかもしれない。
気づけば、じーっと優希が真由美を見つめていた。なんだか責められているような気分になった真由美が身を仰け反らせる。
やはり自分が聞き出してしまったのだから、アドバイスもするべきだろうか。
数秒悩んでから、あ、と声を出した。
「クリスマスがあるじゃない」
目の前に金の卵があることを思い出す。
「クリスマス……クリスマス……」
「そうそう。優希も知ってるでしょ。クリスマスよ」
長い人差し指を優希の前に突き出す。
「クリスマスが、何?」
真由美の言いたいことがよく分からないのか、優希が怪訝そうな目つきになる。
「……そうだった」
優希は家族のクリスマスしかしらないのだ。そうゆうクリスマスは知らない。
「優希、あんたの知ってるクリスマスを言ってみな」
「家族が一緒にケーキを食べてプレゼントを貰うイベント」
なんでそんなことを聞くのか分からないといいたげな表情。
やっぱりそうか、と悪い予感が当たった。溝呂木はたまに変なことを教える以外の教育をしなかったのか。
呆れながらも年長者としての責任感に押されて話し始めた。
「いい? クリスマスって言うのは、確かに優希の言ってるので正しい。でもあたしが言ってるのはそれが家族じゃなく……」
と、わざと強調して、
「好き合ってる男女同士の一大イベントよ」
「すっ、好きな……男女っ!?」
素っ頓狂な声が上がった。
若干誇張されているものの、大して違いはないと思うのでわざわざ訂正はしない。と言うか面倒くさがって省略しただけだが。
「な、なんでそれが私と圭なの……?」
「んー、何、じゃああんたは山里とクリスマスを過ごしたくないわけ?」
目を細めて意地悪く真由美が言うと、枕を抱き寄せる腕に力がこもる。
「だって……そんな、好きとか……好きとか……」
もごもごと意味をなさない言葉を並べる。頬は熟した果実のように赤く紅潮している。
ちょっと直球過ぎたかな?
遠回しに言うつもりだったが、思いっきりど真ん中ストレートを投げてしまったらしい。カウンセラーでもあるのに言葉が制御できないのは問題だ。ど真ん中を空振り三振する優希もどうかとは思う。
抱きかかえられてるせいで無数の皺をが生まれた純白の枕から、繊維が千切れるような音が聞こえた。
そして次の瞬間、枕が圧力に耐えかねて真っ二つの姿に千切れ、腸の代わりに絹綿をさらけ出していた。
「ジーグブリー……!? 」
どうやったら布を締め千切れるのかと言うツッコミは敢えて口にはださないでおく。
目を丸くしている真由美をよそに、優希の顔は未だ真っ赤のまま硬直していた。真っ二つになった枕を依然抱き続けている優希を見て、前に冗談で言った言葉を思い出せずにはいられない真由美だった。
このままでは複雑骨折で少年がひとり担ぎこまれるのは明白である。
「ちょ、ちょっと落ち着きなさいっての。それと聞いておくけど優希は山里と仲良くしたくないわけ?」
埒があかないので優希が反応しそうな単語は当たり障りのない言葉で誤魔化す。それが幸をそうしてか、優希の頬から赤みが少し抜ける。
「仲良く……」
「そう、仲良く。クリスマスは人と人の親交を深める大事なイベントなのよ」
もっともそれは日本だけの話なわけだが、ここは日本なので問題ない。人と人の親交とやらは主に十代の若者連中にとってだけというのも敢えて口にしなかった。まあ優希は十代だし嘘も方便というやつだ。
言葉の意味を考えているのか小さく唸っている優希にすかさずたたみかける。
「ほれ、圭の休憩時間ってそろそろじゃなかったっけ? 早く行かないと誘う機会がなくなるよ」
「……誘う?」
「そうそう。次の日の予定を聞き出して、一緒にクリスマスを過ごそうって誘うのよ」
「私がなんで……」
「待ってるだけじゃ山里も誘ってくれないと思うけど?」
「そうじゃなくて……」
しばらくそんな風に押し問答を繰り返して、ようやく優希が観念して真由美の案を承諾した。
言われて嫌々大人しく従っている──ような演技をしながらも、優希の顔は耳まで赤いままだった。
*
「──よし、ひとまず休憩」
赤瀬洋司の一言で山里圭の身体から力が抜けた。まさに鶴の一声。
トレーニングルームのチタン製の床に乳酸が溜まった筋肉を弛緩させてへたり込んだ。
身体から滝のように吹き出た汗が特訓用のSDFTの制服に染み込み、肌に張り付く。一応空調が入っているこの部屋にいても身体が冷える。せっかく暖まった筋肉を冷やしてしまうのは惜しいが、今はそんなことを考えていられない程疲れていた。それでも特訓を始めた頃よりはマシになった方だ。最初は休憩と言われるまで立ち続けることさえ出来なかったのだから。
とにかく赤瀬のトレーニングはハードと言うしかない。だが圭はそれに文句を言うつもりはなかった。死ぬ気でやらない限り短期間の身体能力上昇など望めないことくらい分かっている。逆にここまでしてくれることに感謝したいくらいだ。
そして、同時に確かな手応えも感じていた。
学園祭での夜魔との戦い。
目の前にあの巨体があっても、不思議と恐怖はなかった。いや、恐怖は確かにあった。ただ、赤瀬と比べればマシだと思っただけ。そう思ったら身体は日々の訓練通りに動いた。その結果、夜魔を撃退した。
いける。そう思った。
──しかし夜魔を倒すなんてあくまで異能者の前提条件。ようやくスタート地点に立てただけだ。過信して特訓を怠ってはならない。
と、赤瀬に釘を刺された。口に出していないのになんで分かるのだろう。
今更ながら不思議に思っている圭を無精髭を生やした赤瀬が見下ろした。
「何時までもへばってないで水分補給に行ってこい」
「は、はい……行ってきます……っ」
足を踏ん張って立ち上がる。自分の身体とは思えないほど重く鈍重。まさかこの部屋だけ重力が通常の一○倍になっているのではないだろうな。
圭は自分に比べて対して汗をかいていない超人赤瀬の横をすり抜けて、千鳥足で部屋を出ていく。
部屋を出ても相変わらず身体は重い。胃袋には石が詰まっているようで、今何か食べたら戻してしまいそうだ。
やっとのことで自販機にたどり着くと、ちょうど目の前の角から優希が現れた。ここで会うとは思わなかったのか、優希はあからさまに驚いている。
圭はダルい身体に鞭打って優希に手を挙げて見せた。
「お、麻生……奇遇だな。お前も何か買いにきたのか?」
優希がなんのことか分からなそうに目瞬くと自販機の存在に気づいく。
「え……と、うん。そう、だけど」
本当は圭に会いに来たのだが、恥ずかしくて言えるわけもない。
歯切れの悪い優希に圭は特に不信感は抱かず──と言うかこれが優希の話し方だと思っている──そっか、と頷いた。
「……じゃあ、先に使わせてもらっていいか?」
「あ、うん。いいけど」
と優希が答えると圭はポケットから財布を取り出そうと手を入れる。
「………あ」
ない。
そういえば財布は私服に入れたままだったことに気づいた。
「……どうかしたの?」
不思議そうに優希が尋ねる。
「いや、財布がなくて……」
たった一二○円がないなんて屈辱だ。
水飲み場に行くしかなさそうだが、ここからは距離が離れていて少々面倒くさい。もちろん赤瀬をさらに待たせることになる。
うーん、と頭を悩ませていると横から白い手が伸びてきて自販機に小銭が投入された。
驚いて振り向くと小銭入れを片手に持った優希の姿があった。
「……どれ?」
圭の目を見て尋ねる。
「い、いや、いいよ……自分のだけ買えって」
本音では欲しいわけだが、男のプライドがそれを許さない。甲斐性なしなんてレッテルが張られた日には目も当てられない。
「どれ?」
しかし尚も優希は食い下がる。
「いや、いい……」
「どれ?」
「だから……」
「どれ?」
「………」
沈黙。
「………スポーツドリンク」
根性なし決定。
満足したように優希が笑ってスポーツドリンクのボタンを押し、出てきたペットボトルを屈んで取り出す。
「はい」
「……ありがとう」
控えめに謝辞を述べてスポーツドリンクを受け取った。
なんだかいつもと立場が逆転している気がする。
圭が自販機の横に備え付けられた長椅子に腰掛けると、人ひとり分離れた場所に優希も腰を下ろす。
キャップを外したペットボトルに口を付けて一気に煽る。音を立ててドリンクが喉を流れていく。渇いた喉が潤い、汗を流して水分を求めていた身体に染み渡っていく爽快感。
「──ぷはぁっ」
口を離して息を吐いた時には五○○ccのペットボトルの中身は空になっていた。
隣で優希が目をぱちくりと瞬いて呆然としている。
「……一発芸?」
「醤油一気飲みとか違うから」
思わずつっこむ。
それで優希が何も飲んでいないことに気づいた。
「あれ、麻生なんか飲まないのか?」
「え? ああ、うん……」
しまった、と言った風に目を逸らして曖昧に答える。優希に圭は嫌な予感を感じた。まさかの可能性が浮かび、僅かに目を見開いた。
「まさか……あれが全財産かっ!?」
「……それ失礼だから、圭」
呆れるように今度は優希がツッコミをいれた。
「……もちろん冗談だからな?」
「私にもそれくらい分かるし冗談じゃなかったら殴ってる」
優希に殴られたら頬骨くらい簡単に折れてしまう気がする。……気をつけよう。
「でもなんで何も飲まないんだ?」
優希に視線を移して聞けば、彼女は恥ずかしそうに顔を俯けた。訳が分からない圭は首を傾げる。
「その……」
少しの間を挟んで優希がか細い声を上げた。
「明日、何の日か知ってる?」
その質問に圭は今日が何日か思い出して浮かんだ答えを告げる。
「二四日……クリスマスイブだろ? それがどうかしたのか?」
ちょっと考えれば圭にだって分かることだ。
ん、と小さく頷いて、心なしか震える声で続きを口にした。
「圭は……明日、開いてる?」
「え?」
「用とか、あるの?」
「な、なあ麻生……それって……」
どういう意味だ?
圭は自分の顔が熱くなるのが分かった。胸の中心から燃え広がるように全身へと伝播するような、そんな恥ずかしさ。優希が俯いてくれていてよかった。でなかったら、こんな顔を見られていたのだから。
ガバッと優希がいきなり顔を上げる。ヤバい、見られた──そう思った瞬間、優希の頬も真っ赤になっていることに気づいた。
慌てて優希が頭を振るう。
「ち、違う! えと、えっと、ほ、ほら! この間圭に家の片付け手伝って貰ったから……家で、その、記念パーティーでもしようかなって……」
後半は尻すぼみになりながらも、大慌てで台詞を言い切った。
言葉と同時に身体に広がっていた恥ずかしさがなくなる。変わりに圭は羞恥心に襲われた。
「あ、ああ、そういうことか……うん。明日はちょうどいいよな。別にたいした予定もないし平気だぞ。プレゼントとかも持っていくよ!」
羞恥を誤魔化すように声を張り上げた。
さっきまでの気恥ずかしい感じではなく、今の恥ずかしさはまるで衆人観衆の前でとんでもない失態をしでかしてしまった時に似ている。
──バカだな。知り合ってまもない奴にそんな深い意味のある言葉をかけるわけないだろ。
なんだか、彼女の行為を自分の薄汚い欲で汚してしまった気がして、酷く後ろめたかった。
その後、明日の夜八時頃に優希宅を訪問することに決めて、ふたりは別れた。
だいぶ回復した足取りでトレーニングルームに戻っていく途中、明日の予定に思いを馳せる。
ちょうどこの間優希宅には訪れたことはあったが、状況も違う今改めて行くとなるとなんだかワクワクしてきた。
思えばクリスマスイブを深雪以外の女子と過ごすなんて初めて──
「あ、」
そういえば、
「しまったあっ!」
明日は深雪と過ごす約束だったじゃないか。学園祭の時にほったらかした罪滅ぼしに一日付き合うと。
なんてことだ。これでは優希に付き合えないではないか。
でもこれは学園祭の罪滅ぼしであるから、それまでキャンセルするなんてのは倫理的に許せない。
どうしよう、と思わず頭を抱えたくなる。深雪との予定をキャンセルできないと優希の願いなんて聞くことができない。
どうする? と思考を巡らせて──ふと、疑問に突き当たる。それは自分の考え方についてだった。
──待て。なんで、深雪を二の次に考えているんだ?
それが当然のように前提として思考していたことに圭は愕然とした。
深雪は掛け替えのない人。昔から圭を支えていてくれたし、世話だって焼いてくれた。今の自分があるのも彼女が側にいてくれたからに他ならない。もし深雪がいなかったら、性格はもっとひねてくれて救いようのない人間になっていただろうと、圭は本気で思ってしまう。否、確実にそうなっていただろうと嫌な自信まである。
なのに、
なのに、今自分は深雪との予定がなかったらと考えなかったか? あまつさえ彼女との約束が邪魔だと思わなかったか!?
「なんて、救いようのない……」
自分への情けないような憤りに歯を噛み締める。鈍い痛みが土台である歯茎から発せられる。最近噛み締め過ぎて、今にも歯が砕けるかもしれない。でも、いっそ砕けてしまえと思った。
普通なら、たった今誘ってきた優希のを断るべきだ。でも、それはできない。
あの優希がクリスマスなんてベタなイベントに誘ってきた。素直に嬉しい。学園祭の時は圭が色々とやっていたけど、今回は圭の干渉を受けずに何かのイベントをやろうと思った。
両親の復讐に身を燃やしていた優希が、日常に。
それはとても嬉しいこと。だから自分から台無しにするけとはできなかった。
つまり解決するには、ふたつを同時にこなすしかない。
二股な最低のダブルブッキング。
ふたりは今や同じくらいに大切な存在。だから、どちらも尊重して楽しませてみせる──。
ちなみに。
思考に老けっていた圭がトレーニングルームに戻ったころには自販機を求めて退出したころからかれこれ三○分も経過していた。
怒鳴られたのは、言うまでもない。
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