20:金魚すくい絵巻
目的の学校の近くに来ると、辺りは人混みでごった返していた。
平日なのによくこれだけ集まるものだ、と関心を通り越して少々呆れてしまう。祭り好きにもほどがある。まあ、この雑多な人混みは、気に乗じて近場の公園で屋台を開いている輩も影響しているのだろう。一朝一夕では準備は出来ないはずなので、予め準備していたのかもしれない。赤瀬達には分からないが、この光景は毎年の伝統か何かなんだろう。
最早何も知らない人間には今日が何かの記念日かと誤解しかねない勢いだ。
とにかく歩行者天国とはいかないまでも、これ以上車で近づくのは困難なので、駐車できそうな所へと移動する。
数十メートル離れたコインパーキングに見慣れた車影を見つけて、溝呂木は車体をその真横に滑らせて停車させた。
ふたりがセダンから降りると、愛車の赤いスポーツカーのボンネットに腰掛けてタバコをふかす堂島真由美に声をかけた。
それをん、と一瞥してタバコを少し血色の悪い唇から離すと、肺に溜まった紫煙を吐き出す。
「早死にするぞ、ヘビースモーカー。医者が肺ガンとは世も末だ」
「うっさい。医者だってタバコも吸うし、酒だって飲むのよ。聖人君子じゃあるまいし。ストレス溜まるんだから」
不機嫌そうに赤瀬を睨んで、吸い殻と化したタバコを携帯灰皿に押し込む。中には既に二桁に届く数の吸い殻が溜まっていた。
「あれ、ふたりは?」
また新しいタバコを胸ポケットから取り出して、火をつけると再び口にくわえた真由美に溝呂木が不思議そうに聞いた。
「ああ、ふたりならあそこに放り込んどいたわよ」
あたし人混み苦手なのよねー、と呑気にいいながらタバコを満喫している。
ふたり彼女の言葉にあからさまに顔しかめる。赤瀬はともかく溝呂木は苦笑いだ。
「あのふたりを……」
「学校に放り込んだ、か」
──心配だ。
それは、既に確信に近い予感だった。
*
この学校で初めて体験する学園祭の想像を超えた盛況ぶりに、圭は少々唖然としていた。
上から眺めていた時と比べて人口が増加した校庭は、少し歩けば肩をぶつけながらでないと歩けないというほど混雑していた。あまりの人気の多さと、屋台の熱気に、さらには今日は天気も良好。真冬の寒さを初夏のような温度にまで押し上げている。普段は意識しない地球温暖化を実感した気がする。
あまりの出来事に呆けている圭とは裏腹に、小柄なはずの深雪は元気一杯と言った様相で圭の腕を引く。
「ぼうっとしてないで、早く行こうよっ」
「っと、ちょっと待てって! そんな引っ張るなよ──っ」
圭の言葉など聞く耳持たず。深雪はマイペースに進んでいく。ただ、その横顔は今まで見た中でも極上の笑みを浮かべていて、結局止めることも出来ずに甘んじて引きずられることにした。
圭では苦労しそうな人混みを深雪は腕を引いたまま、易々と踏破して、屋台にたどり着く。
この屋台は他クラス、部活が出店しているものだ。そのクラスだけで処理できるのなら、複数の店を構えて構わないことになっている。
ただ、余程人数、もしくは参加者を確保していないと出来ないのは明らかで、ほとんどが圭のクラスのように出店は一店舗だけにしてある。理由としては、クラスメイトのほとんどは部活の出し物もあるので、掛け持ちするしかないからだった。時間に労力と人数の問題である。
深雪がたどり着いた屋台は祭りと言えば定番の金魚すくいだった。……学園祭で見つかるものではない気がするが、追求はしないことにする。
「圭くん圭くん! ほら金魚すくいやってみようっ」
「いや、でもすくったって、金魚なんて飼えないぞ」
「えー、すくえたら返せばいいよっ。それにこうゆうの一度でいいから、圭くんと一緒にやってみたいの」
むぅ、としばし唸る。返してしまうなら、金銭を払ってまですくう意味もなくなるのではないか。第一、援助資金はかなりあっても無闇に使うのも、勿体無い気がする。
──と、じっと潤んだ瞳で上目遣いに見詰めてくる深雪に、こんなみみっちいことで悩んでることに後ろめたさを感じって内心後ずさる。そもそもこの状況、周りから見れば女を泣かす人でなしに見えるかもしれない。
金魚すくい一回一〇〇円。
……まあ、たかがこの程度で渋るまでもないだろう。最近ただでさえ持ち金が増えているし。
それに確か深雪とは長い付き合いだが、こうゆうお祭り騒ぎに行ったことはなかった。だから深雪は圭と"お祭りみたい"なことをしたいのかもしれない。
「ふぅ、わかったよ。やろう」
圭が困ったように肩をすくませる。すると次の瞬間には、"ちょっと泣きそうだった顔"が朗らかな笑顔に変わっていた。
「うんっ、圭くんならそう言うと思ってたよ」
さっきの顔はどこへやら、深雪はにこにこと晴れやかに笑っていた。
やられた、と思うのにさほど時間はいらず、それでもまあいいか、と開き直る。たまにはこんなのも悪くない。
ふたりは成人男性が両手を開いたくらいの大きさの底が浅い水槽の前に屈み、圭が財布からエプロンを付けた生徒に二〇〇円を手渡す。
「へ、あ、わたしの分は自分で払うよっ」
自分の分まで支払われるのは予想外だったらしく、慌てて財布を取り出そうとする。
「いいって、別にこれくらい。ほら」
生徒から渡されたポイを深雪に投げてよこす。
でも、とさっきまで金魚すくいを薦めていた人物とは思えないほど恐縮している。他人に世話をやいたりしても、その逆は苦手なのが朝倉深雪という娘だった。
「だからいいって。日頃の恩返しだと思ってさ」
「うーん……わかった。じゃあ、圭くんの行為に甘えちゃうね」
ようやく吹っ切ってくれたらしく、水槽を遊覧運行中の椀を手にとって、ポイを構えた。
それを見届けて、圭も水槽の中に揺らめく金魚に向き直った。
*
結果、
山里圭 獲得金魚○。
朝倉深雪 獲得金魚一○。
「そ、そんなバカな……」
呆然と自分が使った十数個の残骸を見つめていた。
「あ、ははは、気を落とすことないよ圭くん。圭くんはよくやったよ……うん」
加えて深雪の使用ポイは手にしたひとつだけ。
誰が見てもわかる歴然たる差だった。
この状況をひとまず説明するなら、開始数秒で早々にポイの紙を破いてしまい、リトライしていくうちに躍起になって、このような惨状が出来上がってしまったわけだ。
深雪はせっかく圭のおごりなんだからと、慎重に行動した結果、彼女は彼女で一〇匹もすくってしまったと。
「……俺って、不器用だったんだな」
「……今更、だよね」
がくりとうなだれる圭へのトドメの一撃だった。
「でも一○匹もすくったって、どうせ返すんだし」
意地汚い負け惜しみなのは言うまでもなく。
「う〜ん、もったいないけど、最初から飼わない約束だもんね」
少々名残惜しそうに呟きながら、すいませーん、と店番の生徒に声をかける。
生徒──知らない顔なので上級生なんだろう──が椀を受け取り、そのまま水槽に戻すのかと思えば、何匹いるか数えだした。
「ひい、ふう、みい……。あ、一〇匹いるね。返すなら景品と交換できるけど」
「景品っ?」
はて、と首を傾げる。金魚すくいで景品なんて何処のローカルルールだ。
まあ、元から返すつもりだったし、貰えるものなら断ることもないだろう。
「じゃあ──交換お願いします」
*
ふたりは賑わった校庭を歩いている。
深雪の手がぶら下げている物体には生きた生物がせまい水中を揺らめいていた。時折ビニールの外壁に当たるのは徒歩の振動以外に、これが袋の中を狭いと訴えているからかもしれない。と思って、後々気持ち悪くなるかもしれないので、圭は考察を強制終了した。
コイ目・コイ科・コイ亜科。
……簡単に言えば景品たるそれはフナであった。黄色っぽい光沢を放つのは、キンブナと呼ばれ、主に関東地方・東北地方・北海道に分布する。
「まさか、フナが貰えるなんてね」
まさに何処のローカルルールだ。
「……あそこを出店してるのフィッシング同好会みたいだ」
先程貰った新聞部発行のパンフレットを片手に圭が呻く。
この近くにある小川の水深が他より深い所は、釣り人の憩いの場であるので、大方自分達で釣り上げたんだろう。
「……さて、結局魚を貰ったけどどうするんだ。飼えないのに」
それとも小川に放すのか。貰ったのは深雪なので、彼女に判断を問う。
ん、と深雪は首を傾けて、
「もう、ダメだね圭くんは。飼うか、ダメなら捨てるかの考えしかないんだから。ちょっとその考えは酷いと思うよ」
失敬なと顔をしかめる。それは確かに簡潔な選択肢しか言ってないが、結果的にはこのどちらかになるのだから、他の余分なモノを省いてみただけだ。
深雪に小馬鹿にされた圭は少し拗ねたように口を開く。
「なら、どうするんだよ」
「そんなの決まってるよ」
フナの入った水袋を眼前まで持ち上げて微笑み、
「──食べるの」
中のフナが震えた気がした。
──そっちの方が酷いだろ!
内心ビクビクしつつ、口には出さず突っ込む。情け容赦ない娘である。
ああ、フナがこっちに懇願してるように見える。そんなにこっちを見つめないでくれ。深雪食べる=圭の食事なのである。フナが食卓に上がった時、食べることが出来なくなってしまう。
だけど、
「別に景品で貰ったのを食べるのはなんか……」
ちょっとは抵抗してみる。やっぱり生きて動く姿を見た後に食べると生々しいと言うか何というか。
それでも深雪の答えは変わらない。
「だって食費だって大変なんだから、少しは節約しなくちゃ」
ヒモ男の胸に言葉と言う最強の剣が突き刺さる。
それに、と前置きをして、
「弱い生き物は、人間の役に立つしか出来ないんだよ」
彼女の言葉の裏に隠された歪んだ感情に圭は微塵も気づかない。 |