19:輪廻円環無限地獄
一方その頃、SDFTの基地がある駅の隣に設置された駐車場。通常のと比べて二、三倍ほど巨大である。
ここは自動車で出勤するSDFT隊員の為にあるような場所で、並んだほとんどのが隊員の自家用車だった。ただその広大な土地のため、一般の車も結構な数が駐車していた。
冬の少々肌寒い真昼、そこに年齢がばらばらな数人の男女が立っている。一見大家族にも見えるかもしれないが、実際は誰一人として顔が似ていないのがわかるだろう。第一ひとりに至っては、顔が隠れて確認することさえできない。それにこんな所でたむろっている時点で、ここの事情を知っている者は堅気の人間ではないのがわかるだろう。もっとも、そんな人間はSDFTの人間か政府の一部重鎮だけなのだが。
その中のひとり、薄手のコートにスラックスを着たサラリーマン風の青年が、ため息と共につぶやいた。
「やっと学園祭を見に行けるよ。仕事を急いだ甲斐があったね」
飄々とした細身の体躯なのに頼りなさを感じさせない青年──溝呂木龍一の言葉に女性が疲れを滲ませた声根で返す。
「おかげさまであたしまで疲れたけどね……」
彼女、堂島真由美の抗議に肩で乱雑に切りそろえた髪が同意するように揺れた。常時装着の白い白衣は今は羽織っておらず、変わりに赤い皮ジャンを羽織っていた。
「文句を言うな……前線の俺達の方が疲れたぞ。優希が抜けた穴は大きいんだ」
無精髭を生やした顎を撫でながら、赤瀬洋司が疲労を感じさせる口調で反論した。
うしろでバンダナを頭に巻いた少年が賛同するように、
「オレも疲れたー……」
荒凪健一がボヤくと、これまた目深にフードを被った幸水絢人が鼻で笑ったように頭をかしげた。
「いつも威勢がいいわりには体力がないんだな」
『なんだとーっ!』と電子音声でバカにする絢人に荒凪が食ってかかる。しかし物事に鈍感な荒凪は、絢人の声(と言っても電子音声だが)に見える疲労の色に気づかない。
最近までは絢人が別地へ遠征に行っていたため、あまりお目にかからなかったが、ふたりが顔を合わせると喧嘩するのは皆知っているので特には気を止めない。しかし一度場を納めるために溝呂木が手を叩く。
「まあまあ、今日で苦労も実るんだから──さあ、優希ちゃん達の初めての学園祭を見に行こう」
「まったく……お節介のように思うがな」
溝呂木が黒塗りのセダンに乗り込むと、助手席に赤瀬が身体を滑り込ませる。それに続いて荒凪と絢人が乗り込もうとして、
「ああ、ふたりはこっちよこっち」
赤色のスポーツカーに乗り込んだ真由美が窓から腕を出して手招きをすると、親指で後部座席を指差す。
まだ乗れるのになんでだろうと思いつつも、それに従いスポーツカーに乗り込む。既にエンジンには火が入っていて、小刻みに振動していた。扉を勢いよく閉めて──ふと、溝呂木と赤瀬が何か言っているのに気づいた。他人行儀な顔をしていて、赤瀬はともかく溝呂木がそんな顔をするのは意外だ。ここからでは何を言っているのか分からず、口の動きしか見えない。あいにくと荒凪と絢人は読唇術など使えなかった。
ただ、もし使えたのなら、こう言っているのがわかっただろう。
──御愁傷様、と。
瞬間、ガクンと身体に圧力がかかり、ふたりの背中が座席に叩きつけられた。
「うおっ」
気づけば数瞬前は止まっていた背景がありえない速さで背後へと消え去っていく。地面と摩擦して磨り減るゴムタイヤの音に荒凪の頬が引きつる。
「あ、あのー……堂島サン? 早すぎ──」
皆まで言えずにスポーツカーがドリフトをキメて右折し、シートベルトを締めていない荒凪はこめかみを窓に打ちつけて鈍い音を放つ。
「ギャァアアアスッ」
「耳元で叫ぶなバカ!」
同じくシートベルトを締めていない絢人が荒凪にしなだれかかるような形になって叫び返す。再び体制を立て直した時に発進してからようやく──と言ってもまだ一分も経過していないのが恐ろしいが──真由美が口を開いた。
「危ないからしっかり掴まってなよ」
『遅いわッ』
ツッコミが見事にアンサンブル。
それでも真由美の耳には二人の魂の叫びは聞こえていなかった。変わりに不気味な笑いが木霊する。
「ふふふふっ、久々に人乗せて……燃えるわねえ。あたしのエボ3が火を噴くわよーっ!」
心底、車に心酔したような嬌声であった。
──あの二人の顔はこれかっ!
通りであんな何か言いたげな顔をしているわけだ。
きっと前、真由美の車に乗ったことでもあったのだろう。正直ふたりは殺意を抱いてしまったが、高速で左右に振り回されている状況ではあっという間に四散してしまった。
天井脇についた持ち手に掴まりながら、絢人が悲鳴に近い声を上げる。
「く……っ! まさか真由美が車に乗ると人が変わるとはっ」
「うぇ……キ、キモチ悪っ……」
「なっ、馬鹿凪! 吐くならこっちに寄るな!」
口を押さえて顔を青くする荒凪から絢人が後退る。
「ふたりともォッ!」
『は、はいぃ!?』
真由美の怒声にふたりが肩を震わせた。
バックミラー越しに瞳がきらめく。
「私の名前を言ってみろォッ!」
『ど、堂島真由美です!』
もう条件反射だった。
「私の頭文字を言ってみろォッ!」
一瞬の空白。
ふたりの脳裏に稲妻がほとばしった。
『い、頭文字D!』
「そしてドリフトのDィィィイイッ!」
テールランプの軌跡を残して急激な連続ドリフト。言葉にならない悲鳴を上げながら、ポリタンクのようにふたりは後部座席を転げ回った。
*
八○キロ近い速度で走るセダンの視界から残像を残して、数秒で消え去ったスポーツカーを見送って、ふたりは溜め息を吐いた。
「……今日はいつにも増して愉しそうだったな」
「この間、ブレーキのカムシャフト変更がどうとか言ってたからね……。最近仕事で車に乗れなかったから溜まってたんじゃないかな」
早い話が、ふたりは生贄なわけだった。
こうゆう役目を押し付けるのは気が引けたが、あの車に乗せられるのだけは御免なわけで。地獄と言っても差し支えないデッド・オア・アライブな世界に突入してしまう。
……死なないことだけを祈っていよう。
そのまま数分間車を走らせ、しばらく車内に走行音しか響かなくなる。
向山市に入り、流れていく郊外の住宅街の風景にしばらく目を向ける。
時たま目に映る親子を見て、なんとも言えない感情が赤瀬の中に渦巻く。赤信号に差し掛かり、セダンが走行を制止させ、断続的な排気音を発しながら生物の鼓動のように車体が振動する。
ちょうど窓の外には少し広めの公園が広がっていた。休日ではないので人はまばらだが、そのせいで余計に強調されて赤瀬の瞳に写るものがあった。
小学校低学年であるだろう少年が本人なりに勢いよくボールを投げ、中年の男性が軽々とパシッと小気味いい音を響かせてグローブで受け止める。男性が何かを言って──この距離では何を言っているかは分からないが、なんだか楽しそうに──茶色く汚れた軟球を投げ返す。ただ少し力を入れすぎたせいか、受け止めきれずに少年の手からボールがこぼれ、それを掴みあげてまた投げ返し──
「………」
窓硝子に自分の顔が反射している。うっすら写る無精髭を無節操に生やした自分。気づけば自分の目がまるで死体のように濁っていた。
ふと、何年も前に放棄した意味のない思考がよみがえる。
──自分は、いい父親、夫であっただろうか──
分かっている。意味のない思考だ。今更考えたところで取り返すこともできないし、挽回することもできない。その相手はとうの昔に死んでいる。無惨に、残虐に、徹底的に。
もう彼女の柔らかい笑顔も、息子の笑い声も聞くことはできない。当時は絶対に忘れまいと思っていたふたりの表情や仕草も、脳裏から磨り減って今ではほとんど思い出せなかった。
悲しみもすり減り、削れ、今では哀愁のようなやるせない気持ちが残るばかり。
ただ、
あの惨状だけは、寸分の狂いもなく墓まで持っていくことになるのだろう。
瞼を閉じると、未だ目に浮かぶ。眠りに落ちると三日に一度は夢に見る。まるでDVDに記録した精巧な映画のように、それだけは狂いもせず弄わせない。
怒りや復讐心など、もはやない。復讐と言う意味では、直接手を下した夜魔はあの惨状の中で殺した。復讐ではなく、恐怖で殺した。
だから復讐などとうの昔に済ませている。そのせいで内にため込んだ行き場のない怒気は、気づけば霧散していて、ただ無味乾燥な日々を過ごすのみになっていた。このまま日々を生き続ければ、いずれは無念無想の賢者──いや、廃人になってしまいそうだ。
信号が青に変わり、停止していたセダンが発進する。
慣性で背中がシートに押し付けられ、先程まで目の前にあった公園は最早振り返っても、ほとんどそれと分からないだろう。もちろんあの親子も影も形も見えなくなった。
暗泥の底に沈んでいた意識が浮上し、ふう、と溜め息混じりに息を吐く。少し熱っぽかった身体も、長年の鍛錬のせいかか、冷静になるにつれて平均へあっさり体温を落としてくれた。
「昔のこと、思い出しでもしてたのかい」
視線は正面を向いたまま、いつもの声音で溝呂木尋ねる。
一瞬彼に視線を向け、また窓に戻した時には口の端に自嘲的な笑みを浮かべていた。
「そんなところだ。情けないな、最強とはやし立てられる奴が過去にこだわっているなんて」
「そんなことはないよ。過去があればこそ現在があるんだから」
運転中のためか軽く頭を振って溝呂木が否定する。
「それに縛られるのと、こだわるのでは違うでしょう」
確かに、このふたつには決定的な違いがある。
過去に縛られた人間は現在と未来を省みずに、思い出にこだわり、それにしがみつく者。向上心などなく、ひたすら過去を追い求めるだけ。悲しい過去なら悲観に暮れ、楽しい過去でも、やはり涙する。それは二度と手に入らないものだから。
例え何か行動を起こしたとしても、それが見ているのは、所詮過去だけだ。
でもこだわる人間は、過去を悔やみ、嘆き、尊び、しかしそこでは止まらない。まだ自分と言うものは現在も存在を確立していて、先の見えない不条理な未来があることを知っている。
だから過去を経験として二度と同じ過ちを繰り返さないよう試行錯誤を繰り返す。現在では止まらず未来へと走る。
現在で立ち止まる者と、
未来へ向かっていく者。
表面上似ているようで、本質はまったくの両極端。
でも、
──俺は、未来に歩んでいるのか。
自分ではこだわっていると言ったが、本当にそうだろうか。どちらかと言えば、縛られているように思う。ただ過去を見て起こす行動理念がすでに欠如していて、表に出てこないだけで。
実のところ、赤瀬には目的と言うものがなくなっていた。
夜魔を倒すのは最早義務と言うか惰性で行っているようなものだし、人命を助けるのはその延長線上にあるだけだった。昔は妻子を助けられなかった償いと思い、それこそ鬼のようにのめり込んだが、今それに意義を見いだせない。償いなんかしても無意味だと思ってしまったから。代償なんて死んで無限地獄にでも落ちた方が、よっぽど償いになるだろう。
故に目的は皆無。胸には何か大切なモノを捨ててしまったような空虚しか存在してはいなかった。
目的も何もなくなった世界はまるで作りモノめいた箱庭に放りこまれているようで、そんな思考を働かせる自分が何故だか滑稽だった。実はあの時自分はすでに死んでいて、この世界こそが地獄なのではないか──と幾度思ったことか。
いっそ夜魔に殺されでもしたら、ここから解放されるのではないかと本気で思ったこともある。どうせ目的もない世界に悔いなど──
「………っ」
とっさに浮かんだのは押しかけ弟子の少年のことだ。
──生きてたらあのこと同い年でしょ、殺された息子さん。
似ているわけではない。顔とか容姿も他人が見れば共通点なども限りなく少なかった。赤瀬から見ても共通点なんて無理やりこじつけないかぎり見当たらない。
だが──無意識に重ねているのかもしれない。何せ息子が死んだ当時は小学校高学年──もし成長していたら、ああなっていたかもしれないのだから。
そんな理由で教えているのではない、と言っても、ではなぜ、と言われたら返す言葉は見つからなかった。
少なくともいつもがさつに見える女医に見える程度には、自分は意識しているのか。
結局、自分は過去と言う名の鉄鎖に絡め執られている罪人に過ぎないのだ。
自己の再確認に、思わず気が滅入る。結局あまり意味のあるかどうか分からない自己討論になってしまった。
「さて、こんな暗い話題は終わりでいいでしょう」
溝呂木が殊更明るい声を車内にこだまさせる。
「今からは学園祭だよ。あの子たちの初舞台なんだから、楽しんでいかないと」
演劇をするわけではないけどね、と冗談めかしに口ずさむ。
「確か優希ちゃんは喫茶店だったよね。専用の衣装を着てやるみたいだから楽しみだねえ」
溝呂木の横顔に視線を向け、明らかに本心で言っている様子に内心呆れつつ、せっかくなので話に乗った。
「そうだな……。ん、そういえば今日はいつまで時間が開いているんだ?」
何か思い出したように言う赤瀬に溝呂木が腕時計を確認する。
「うーん、三時くらいまでかな。それ以降はさすがにムリ」
そうか、と赤瀬と呟き、
「じゃあ、麻生の晴れ姿とやらは見れないな」
セダンが対向車線に突っ込む所だった。
「危ないな、気をつけろ。仮にも公務員が接触事故起こすなんて洒落にならんぞ」
「な、ななななんのこと? 言ってる意味がよく分からないケド」
内心の動揺なるだけ隠している──ように思いながら──尋ね返と、それに赤瀬はこともな気に返す。
「いや、ただ単に優希の店番はちょうど四時から終わりまでだから、無理だな、と」
「う、嘘ばっかりっ! 上司に虚言を言い伝えるなんて、公務員として失格だよ……?」
「この間圭が言っていたから、間違いではないだろう」
この間の訓練ん時に頼んでもないのに話されてな、とは赤瀬の弁。
溝呂木は親友に谷底へ突き落とされたような絶望にまみれた表情になっていた。
「そ、そんなぁ……」
世の中、常に不条理なものである。
改めて実感させられた実年齢四○歳見た目二○歳後半、溝呂木龍一の冬の日であった。
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