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魔女裁判と軍師の盟約 作者:志水了
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第二十話


 飛び込んできたのは、精霊のようだった。緑の薄い膜がついた腕で悪魔に飛びかかる。そして、悪魔の腕をベルンハルトから離そうとしてくれているようだ。
 今まで余裕だった悪魔の顔から、笑みが消えた。精霊を睨みつけると、腕を大きく振りかぶる。
「はっ!」
「うわっ!」
 ぐらり、と身体が頼りなく揺れたかと思うと、大きく宙を飛んでいった。ベルンハルトはなすすべも無く飛び、壁へ激突する。
 背中に衝撃が伝わり、そして息が詰まった。ずるずると地面に落ちながら、あちこちに広がっている痛みをこらえるために、深呼吸を繰り返す。
ぼやけた視界から見えたのは、精霊も吹き飛ばされ、イーリスがひとりで悪魔と対峙しているものだった。悪魔から一方的に契約を切られ、呆然としていたニーナはようやく自失状態から立ち直ったらしく、悪魔に追い縋ろうとしている。
「じゃまだ」
 悪魔は後ろで止めようとするニーナに小さくそう呟いたかと思うと、ニーナをひと息でなぎ払った。ニーナは軽々と宙を飛び、そして地面を転がっていく。
 悪魔と対峙していたイーリスの手から、淡い光が浮き上がる。吹き飛ばされた精霊もすぐに戻るべく、空間を浮遊していた。
 イーリスに対抗するように、悪魔の手からも黒い霞が浮き上がる。イーリスの掌だけでなく、身体からも緑の光が靄のように漂い始めていた。
 彼女の身体に漂っていた光は、掌に収束を始めた。その掌を悪魔に向け、何かを叫ぶ。緑の光が、悪魔に向かって銃弾のように飛んでいった。光は、靄の浮き上がった悪魔の手に受け止められる。けれども一部分で受け止められなかったようで、びしりと悪魔の腕に亀裂のようなものが浮かび上がった。
 悪魔は表情を歪めると、少しだけ、イーリスから距離を取った。緑の光を受けて、腕を包んでいた黒い靄が消えているのが分かる。
 その間に、イーリスのところに精霊が戻ってきた。精霊はイーリスに寄り添うように立ち、じっと悪魔を見つめている。
 そこには悪魔とニーナ達にはない、絆のようなものがあるのは確かだった。確かな信頼関係があるのは、悪魔と精霊という種族の違いなのだろうか。
 悪魔はそれを無表情に見つめたかと思うと、ふと空を見上げていた。空には相変わらず黒く分厚い雲が広がっている。
「それは、だめ!」
 空を見上げている悪魔に何を察したのだろう、ニーナが悪魔に向かって叫んだ。イーリス達は咄嗟に構えの姿勢を取る。
 何がくるのか、ベルンハルトが息を呑んだとき、黒い雲から閃光が走った。
「ッ!」
 今までの比でない、大きな轟音が響きわたる。まるで処刑場を二つに割るような音に、ベルンハルトは思わず耳を覆っていた。目の前は閃光によって完全に白く染まっており、何も見えない。
 まさか、今の落雷も悪魔が起こしたものなのだろうか。だとすると、イーリスはどうなったのだろう。不安が胸の中に膨らんでいくなか、ベルンハルトは腰を上げた。
 少しずつ白に染まっていた光が戻ってくる。戻ってきた視界に映ったのは、地面に倒れ伏したイーリス達の姿だった。
「イーリス嬢! くそっ!」
 肩が痛みでうまく動かないので、身体のバランスが取れず、うまく動けない。なるべく近くに寄って見る限りでは、外傷はなさそうである。精霊がイーリスを庇うようにして倒れているので、イーリスは直撃を受けていないのかもしれない。
 悪魔はゆらり、と足を踏み出していた。イーリスの前に立ち、唇を舐める。彼女の魂を奪うつもりなのだろうか。なるべく速く足を動かすが、追いつけそうにはなかった。うまく身体が動かない悔しさに唇を噛みしめる。
「そこまでだ」
 その時、カロッサ大佐の声が処刑場に響きわたった。今までどこにいたのだろうか、彼は手にライフル銃を持ち、こちらに近づいてくる。
 カロッサ大佐の手からは、ぽたり、ぽたりと血が滴っていた。今まで戦いには参加していなかったはずなのに、なぜ。そう思いながらカロッサ大佐が歩いてくる方向に目をやる。処刑場の壁に隠れて見えないが、僅かに人の頭のようなものが見える。
 そういえば、王族達の姿が見えない。最後にずるずると護衛が王族を引っ張っていく姿は見たのだが、それきりだ。
 まさか、あの頭は王族なのだろうか。
 カロッサ大佐は、ライフルの銃口を下に下げた状態で、軽く手を上げていた。悪魔を攻撃する意図はないとのことだろう。
 悪魔とカロッサ大佐が対峙する。悪魔は彼の出方を窺うかのように、じっと大佐を見つめていた。
「私は攻撃する意志は無い。良い話を持ってきたんだ」
「……どんな話だ?」
 カロッサ大佐の話に、悪魔は訝しげな表情を浮かべた。大佐はそれに気を害した風もなく、友好的な笑みを浮かべて語りかける。
「私にはこの国の上層部を転覆させる計画があるんだ。是非あなたに協力してもらいたい。協力さえしてもらえれば、あなたのやりたいことを取りはからおう」
 大佐は、自らが考えている計画をかいつまんで語り出した。悪魔はそれを静かに聞いている。何か考えているようだった。
「たとえば?」
「そうだな、今あなたは何かが欲しいのだろう? 何を欲しいのかまでは分からないが」
 カロッサ大佐はちらりと悪魔の手元に目を向けていた。どこまで状況を読みとっているのかは分からない。だが悪魔のことをきっちりと分かっていることは確かだった。
「ああ。悪魔は魂を求める生き物なんだ。俺は魂が欲しい。もしお前の計画とやらに協力したら、魂をくれるか?」
「魂?」
 カロッサ大佐は、少しだけ首を傾けた。魂が何なのか、分からないのだろう。悪魔はうっすら微笑むと、ひゅん、と軽く宙を飛んでカロッサ大佐の近くに寄った。今は黒く染まっていない手で、大佐の心臓付近を軽く叩く。
「ここにある。目に見えないものだ。その人間の本質たるものさ。ここを抉って、俺たちは魂を取り出して、いただく」
 手を離した悪魔は、言葉に合わせて抉るような仕草を見せた。なるほど、と小さく呟く。
「それが欲しいという訳か。なかなか難しい要望だな。だが、用意してみせよう」
「そうか」
 悪魔は少しだけ嬉しそうに笑う。計画に取り込まれるほど、魂というものは魅力的なのだろうか。
 ふんわり笑った悪魔は、また手を伸ばした。
「ならば、先に寄越せ」
 その口から、不穏な言葉が紡がれる。その次の瞬間、また目の前が閃光で真っ白に染まった。

 *

 雷鳴が響き渡る。耳をつんざくような音が轟いた。
 反射的に目を瞑り、耳を塞ぐ。そうしながらも、まさかという驚きの気持ちで一杯だった。
 まさか、カロッサ大佐が襲われるとは思わなかったのだ。彼はいつだってベルンハルト達に優雅に交渉し、そして言葉を裏付ける緻密な行動をしていた。そんな彼でも、悪魔を味方に付けることはできないというのだろうか。
 少しして塞がれていた視界と聴覚が戻ってくる。視界が元に戻ってきて、うっすらと薄くて白い視界に入ってきたのは、雷の直撃を受けた大佐の姿だった。
 身体の一部が焦げていて、そこから煙が上がっている。焦げた姿が見えたからだろうか、鼻に焦げ臭い匂いが漂ってきた。
「……どうして……」
 悪魔は無表情のまま、大佐を見下ろしていた。二人の姿に、思わずつぶやきが口からこぼれでる。
 小さい声のつもりだったが、悪魔には届いたらしい。悪魔はゆるりと顔を上げる。
「昔、もう人間にとっては本当に、ずっとずっと昔のことか。同じような事が起きてな。随分な目にあってからは、この手の話題は信じられんようになったからな」
 それは、ベルンハルトが図書館で見つけた、王族と魔女の伝説のことだろうか。あの時はおとぎ話だと思っていたのだが、目の前に人でないものがいる今、何が起きてもおかしくないと思えるようになっていた。
「それに、俺は誰かに使われるのは性に合わん。好きにやらせてもらうよ」
 彼は僅かに表情を変えながらそう言うと、ゆっくりと屈んだ。そして右腕を大佐に向ける。
 腕が大佐に届くか届かないかのところで、ずぶり、と手が胸を突き抜ける嫌な音が響いた。耳をふさぎたくなるような嫌な音に、ベルンハルトは身体が固まって動けない。足の方から這いずるような、そんな恐怖が襲ってくる。
 悪魔が胸から手を抜いた。そこには何か握られているようだった。心臓かと思ったが、そうでは無い。見えたり消えたりする赤い霞のようなものだ。あれが、魂なのだろうか。
 悪魔はそれを見つめると、ぱかりと口を開いた。すう、と赤い霞が吸い込まれていく。赤い霞が全て吸い込まれたところで、口を閉じ、ゆっくりと起きあがった。
「さて」
 悪魔の視線がぐるりと動いて、大佐の近くに向けられた。そこには、ヴォルフが横になったまま倒れているのだ。処置を終えた今、意識は無いだろう。
「させるか!」
 焦りを覚えて、強ばっていた身体が今、ようやく動いた。ヴォルフの前に立ちふさがる。再び悪魔と対峙したが、今までよりも圧迫感が増したように感じられる。腹部の、ベルンハルトが与えた傷は治っていなかったが、腕の傷は少しだけ治っているように見えた。
 歩いていた男は一度立ち止まって、そして瞬間で飛んでくる。勢いよく飛び込んできた腕をベルンハルトは横に動いて避けた。そのまま片足で踏み留まり、悪魔の腹部に回し蹴りを食らわせた。
「ぐっ……」
 悪魔は腕以外、人間と変わらない身体のようである。確かな手応えと同時に、悪魔がうめき声を上げる声が聞こえてくる。
 少しよろめいた悪魔だったが、すぐに体勢を立て直したようだった。瞬間的に大きくなった手が、ベルンハルトの身体を地面に叩きつける。
 避ける間もなく、顔から地面に突っ込んでいったので、瞼の裏にちかちかと星が散った。
 身体を打った衝撃で痺れて、身体が起きあがらない。その横を優雅に、悪魔が歩いていく。
「く……そ、待ち……やがれ……」
 どうせならベルンハルトの魂を狙えば良いものをと歯噛みした。悪魔にとってヴォルフの魂が良いものなのだろうか。
 必死に顔を上げようとするベルンハルトの横を今度は軽やかな足音が通り過ぎていった。誰だ、と思うが、すぐにそれがニーナのものであることに気が付く。
「止まりなさい」
 ベルンハルトがいる向こう、ヴォルフが倒れているあたりで、ニーナと悪魔の声が聞こえてきた。
 何とか顔を上げると、ニーナが悪魔の後ろから、何か濃紺のリボンにも見えるようなもので悪魔を捕らえているのが見える。リボンも時々ゆらゆらと揺らいでいるので、おそらく本物では無いのだろう。
「まだ邪魔をするか。大した能力も無いくせに」
「そうよ。あんたのような厄災を呼んでしまった以上、あんたを止めるのは私の役目なの。悪魔を喚ぶ力を持つ、魔女としてね」
「はっ、笑わせる」
 ニーナの言葉を鼻で笑った悪魔は、勢いをつけてニーナのリボンを引きちぎった。さらにニーナの身体を右手で振り払い、ニーナはヴォルフの向こうに投げ出される。
 そして、悪魔がヴォルフの前で足を止めた。元々重傷だったヴォルフだ。悪魔に身体を転がされても目覚めることは無い。
「ヴォルフ! くそっ!」
 叫びながら起きあがろうとするが、身体がぎしぎしと痛んで一歩を進められない。
 悪魔がゆっくりと腕を振り上げた。そして振り下ろされる前、ヴォルフの近くに伏せていたニーナが必死の形相で動くのが見えた。
 ずぶり、と漆黒に染まった悪魔の右手が、胸に突き刺さる。
 必死の形相で動き、ヴォルフの身体に覆いかぶさった、ニーナの胸に。
「なっ……」
 酷薄な、歪んだ笑みを浮かべていた悪魔の横顔が、驚きに染まるのが見えた。驚いたまま、悪魔はゆっくりと胸から右手を引き抜く。ニーナの身体がびくりと大きく痙攣した。
 胸から、泉のように鮮血が溢れ出てくる。それはじわじわと地面に広がっていった。そのまま広がっていくように見えた血の泉から、唐突に黒の霞が立ち上る。その霞は悪魔を囲むように円形に広がり、霞を追いかけるように、じわじわと血が広がっていった。
「ちっ!」
 悪魔を捕らえようとしているのだろうか、立ち上がったベルンハルトをニーナがちらりと見つめ、何かを言い掛ける。だが言葉にはならず、ごふりと口の端から血が溢れ出た。
 悪魔は円形に広がる霞から抜け出ようとしていたが、足が動かないようだった。べったりと広がっていく血の泉に捕らわれたようである。
彼はひとつ舌打ちをすると、黒く染まった右手を胸の前に掲げた。すぐにその右手は黒い霞で覆われ、べったりと血に塗れていた手が見えなくなる。力を込めたのだろうか。
 しばらく悪魔を止める必要があるのだろうか。何かないかとベルンハルトは周りを見回した。すると、カロッサ大佐が持っていたライフル銃が、少し離れたところに転がっている。同じものを最初ベルンハルトも持っていたので、銃弾は持っていた。だが、確認をして、銃弾を装填しているだけの時間はあるだろうか。
 素早く思考を巡らせていた時、ベルンハルトの横を精霊が通り過ぎた。精霊は身体ごと悪魔にぶつかっていき、悪魔の右腕を封じようとする。悪魔はそれを薙ぎ払おうと、精霊の身体を受け止めつつ、左手を変化させようとしていた。
 イーリスが復活したのだろうか。ちらりと後ろに目を向ける。イーリスはまだ起きあがれないようだった。だが目はしっかりと開いていて、ベルンハルトをじっと見つめていた。
 その目に込められた色に、ベルンハルトは立ち上がり、素早くライフル銃に手を伸ばす。幸いにもライフル銃にはまだ銃弾が込められていたので、すぐに構え、照準を悪魔へと合わせた。
 照準越しに、悪魔と目線が合う。余裕の無い、怒りの形相。
その目を睨みつけながら、ベルンハルトは引き金に掛けた指に、力を込めた。
 肩に大きく衝撃が走り、痛みがぐるぐると巡ってくる。思わずうめき声を上げながら、さらに続けて発砲する。
 痛みで完全に銃身を抑えることができなかったため、いくつかの銃弾は弾道が逸れていった。だがそれでも悪魔に当てる事には成功したらしい。今まで精霊の動きを振り払うべく暴れていた身体が痙攣して、その動きが弱くなったのだ。
 その間にじわりとニーナから広がった血は、完全に悪魔の足元へと広がっていた。さらにその血からうっすらと浮かび上がっている黒い霞は悪魔の足首からじわじわと彼の身体を絡め取るように這い上がっていく。
「くそっ……、やられたな……」
 悪魔が心底憎そうな表情を浮かべながら、呪詛のように言葉を吐いた。足首からじわじわと這い上がっていった黒の霞が悪魔の身体を絡め取ると、今度は悪魔の足首からじわじわと血の中へと沈んでいく。まるで、血を媒介にして、悪魔をどこかの世界へと連れ去っているようにも見えた。
 悪魔は最後までじたばたともがいていたが、逃れることは叶わなかった。最後に、赤黒く染まった右腕だけを残して、消えていく。
 黒い霞も全て血の底へと消えていくと、後に残ったのは、赤黒い血の池だけだった。

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