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きっと僕らは光と闇を抱えて、
作:日向ひすい



四章 苦悩






「あっ、コナン君。ちゃんと夏休みの宿題やっておくのよ」

 出かけ際の蘭にそう念を押された。それには生返事で答えておく。
 「行ってきまーす」と言う元気な声が探偵事務所に響いて、やがて静かになった。
 帝丹小も含め、どの学校も夏休みに入り授業はもう無い筈なのだが、何でも蘭は部活に行くらしい。
 誰も居なくなった空っぽの部屋でコナンは盛大にため息をつく。

 ――今日もコナン君……か。

 その余韻を残しながら水をごくっと一口頂く。乾いてくっ付いた喉に流れた水は冷たくて心地が良い。その心地良さに浸っていた時、机上の携帯電話がはたと目に止まったのである。
 コナンは暫く携帯と睨めっこをした後、その上に指を滑らせた――

「ほなバレへんかったんか?お前の正体」

 受話器から聞こえる関西弁丸出しの声は真剣味や緊張感など微塵の欠片も無い。
 「今日の飯はなんなんや?」とか。「オレは出来れば鯖がええんやけど、どない?」とか。「鯖はやっぱり鯖味噌やんなあ?」とか。
 そんなどうでも良い(鯖は特に関係ない)事を話すような呑気な語調。
 それは真剣に話しているコナン側としては、青筋を立てるには十分過ぎる理由だった。オレの質問にまじめに答えろ。と、小さな自尊心が疼く。が、彼に相談を持ち掛けたのは自分な手前、怒鳴ることは出来ない。
 苛立つ気持ちをため息に変えて、コナンは冷静に返答する。

「分かんねえんだよ、それが。あの時、蘭は確かにオレの事”新一”って呼んだんだ」

「けど、朝起きてみたら姉ちゃんはケロッとしてたっちゅーわけか」

「ああ……」

 ぱりっと言う乾いた音が耳に残る。そのくせそれは重たくて、コナンは小さく息をついた。
 気が付けば、あの時――あの雷雨の夜から一週間が過ぎた事となる。
 雨の季節は終わりを告げ、灼熱の太陽が支配する季節となった。アスファルトの照り返しに汗を流し、蝉の大合唱に耳を塞ぐ。そんな夏らしい夏の始まりである。
 だが、周りが一変したにも関わらず蘭は相変わらず”コナン”として自分に接してきた。蘭の視線、言葉、態度。そのどれもがいつも通りコナンに向けられるものなのだ。まるで、あの夜の事は無かったかのように。
 それを、バレていないんだ、と解釈して胸を撫で下ろして良いものか。コナンはこの一週間迷い、そして戸惑い続けた。だが正解がどうしても導けない。いつもは頭脳明晰のコナンも、自分の事となるとさっぱりで。
 そこで、服部平次に相談して今に至る訳である。

 ……が。
 明らかに人選ミス。

「そうかあ……うーん。 ほな、姉ちゃんに直接聞いてみたらええんとちゃうか?」

 すっと肩から力が抜けた。もちろん悪い意味である。
 受話器の先に、オメーはバカかっ、と大声で怒鳴りつけたくなる。いや、実際怒鳴った。

「そんな事してバレてなかったらどうすんだよ!?それまた面倒な事になっちまうじゃねーか!」

「そん時はお得意の演技力で誤魔化してやな…」

「誤魔化しが通用するかよ」

 バレてなかったら。そんな馬鹿なとは思うが、蘭のあの態度だ。有り得なくはない。もしそうだった場合、蘭に余計な疑惑を抱かせてしまう恐れがある。ケース・バイ・ケースと都合良くはいかない。
 だからこそ、コナンは平次に相談したのだ。だから。
 蝉が五月蝿い。もはや騒音の域に達するのではとコナンは思った。
 だから、教えてくれよ。服部。お前ならどうする?

「工藤……」

 怒鳴ったからだろうか。それとも……。急に平次の声が真面目な色を帯びた。さっきまでの呑気な語調では無い。
 この探偵特有の声を望んでいたくせに、いざとなるとコナンは身を竦めてしまった。

 ――待ってるんや…おまえの口から直接、話聞かせてもらうんをな。

 何時か平次に言われた言葉が蘇る。あの時も新一は正体がバレそうになっていた。平次はそんな新一を心配し、文化祭まで姿を現してくれたのだ。その後の滑稽な変装には目を瞑らざるおえないのだが。
 しかし、しっかりと核心を射るところはさすが西の名探偵である。
 待ってるんや。今の平次はあの時と同じ据わった声と、電話の為見えないけれど、きっと同じ真剣な瞳をしているのだろう。

「工藤」

 平次が再度ゆっくりとコナンの名前を呼んだ。

「オレには何とも言えへんな」

 少し間が空く。平次が空咳をした。

「姉ちゃんがお前の正体に気づいてないのか、それとも気づいてへん振りをしてるのか。分からへん。これは二人の問題やからオレは口出しでけへんのや」

 すっと風が頬を掠めた。窓が開いているのかも知れない。
 気づいてない”フリ”。はっきりと言い切った平次の言葉にコナンの胸は疼いた。

「けどな工藤。オレにも確かに言える事が一つだけある」

「え」

「元に戻ったんには必ず原因があるんや」

 心当たりあらへんか。と続いた。コナンは少し間を置いて答える。

「……あるには、あるんだけど──」

「けど、認めたくないんやな」

 内心をズバリ当てられ、コナンは身を固くした。
 何故急に”工藤新一”に戻ったのか。その原因に心当たりはある。確信もある。が、認められない。それが真実だとは思えない。

 ――なんでだ? どうしてこんな事したんだよ。オメーだって……

 コナンは軽く目を閉じ、自分の推理を思考から追い出した。

「ま、近々そっちに行ったるわ」

 平次がまたがらりと口調を変えて言った。

「え? こっち来るのか?」

「なんや、来て欲しないんかい」

「いや、そうじゃなくて───」

「親友としては心配やからな。安心しぃ。オレがバッチリ考えといてやる。楽しみにしとってや。ほな、な」

「ちょっ、何を───」

 楽しみにしとくんだよ。と、言い切る前に機械音が耳に響いた。コナンはしばし自分の手の中にある携帯電話を見つめた後、無表情で通話を断ち切った。

「誰が親友だよ……」

 もしかしたら自分は余計な問題(トラブル)を持ち込んでしまったのかも知れない。服部平次と言う名の問題を。
 小さくため息をつく。けれど、その行為とは裏腹にコナンの心は少し軽くなっていた。
 爽やかな夏の風がコナンの鼻先を優しくくすぐった。



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