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きっと僕らは光と闇を抱えて、
作:日向ひすい



三章 気づいてないのか?






 先ほどまでとは打って変わって穏やかな息遣いが部屋を満たす。
 それでもお互いに張り詰めた空気だけは拭い取れはしない。重い沈黙が二人を取り巻き、身動きする隙を与えてくれないのだ。
 その沈黙を振り払うように新一は伏せていた顔を上げ、蘭に向き合う。

「あ、あのさ……」

 新一の声にびくっと反応した蘭だが、細い肩を震わしただけで顔は伏せたままである。
 自分を見つめているであろう真剣な目。見えずとも感じるその逞しいほどの存在感は小学生では有り得ない。目の前の人物はコナンとは違うんだということを生々しく感じさせた。
 何とも言えない表情の新一に蘭の動きも鈍った。
 聞きたいことは沢山ある。確かめなければならないことも。なのに、そのどれもが喉元でせき止められ口まで上がってこない。
 苦しい……
 自分を取り巻く現実を受け止めるのを拒否するかのごとく、蘭の思考はぼうっとしていた。

「……蘭」

 自分を呼ぶその声は記憶に残るものと一寸の狂いも無く一致していて。
 それに耐えきれなくなった蘭は新一に背を向け走り出し、自分の部屋へと駆け込んだ。新一もそれを止めることは出来なかった。


 蘭の居なくなった部屋は妙に、しん、としていて全て暗闇に飲み込まれているようだ。

 ―――バレた。

 その三文字は新一の頭何度もこだまし、胸を抉る。こんな日が来てしまった時の対処を全く考えていなかった自分の傲慢さと、愚かさに酷く嫌気が差す。
 途方に暮れるということを痛感した。どうすればいいのか分からず、何よりも蘭を更に傷付けてしまったことに罪悪感が疼く。

 そして、困ったことに疼いたのは罪悪感だけではないようだ。

「…、…っ……!」

 小さな呻きと共に再度激痛の波が押し寄せる。”工藤新一”でいられる制限時間(タイムリミット)が近付いてきている証拠だ。
 一日に二回もこの痛みを味わうことになろうとは。しかも新一はまだ蘭に何も伝えていない。経緯も、言い訳も、自分の想いさえも……

「…ち……くしょう…っ」

 次の瞬間―――。
 静けさの中に小さな少年が一人、横たわっていた。まるでさっきまでの出来事は全て虚無であったかのように。
 けれど、汗ばんだ肌と体の疲労感が真実を物語っていて。
 同時にそれは
「後、ほんの少しだけでも」という新一の儚い願いが無惨にも破棄されたことを意味した。

 戻っちまったか……

 己の手をじっと見て、その大きさが一回り小さくなったことに思わずため息が零れる。
 本当なら直ぐにでも蘭の部屋に行って状況を説明すべきなのだろう。でも何と言えばいいのか。今まで散々誤魔化してきた事実をどうして簡単に説明出来ようか。
 全てを打ち明けるその時を想像してみるも、脳裏をよぎるのは蘭の泣き顔だけだった。

 心の落胆に合わせ、コナンの瞼はだんだん重くなってくる。頭では眠っては駄目だと信号が出ているが生理現象には逆らえない。コナンは不覚にもそのまま眠気の渦に呑まれてしまった。
 そうして長かった一日は幕を閉じたのであった。


 静かな朝だった。
 目が覚めてから窓の外に視線を走らせると、雷雨の痕跡など一切残らず、柔らかな陽が照っている。
 昨日あんなことがあったと言うのに、すっかり熟睡してしまった自分にコナンは苦笑した。
 微かに聞こえる小鳥の声に混じり、台所の方から包丁とまな板のぶつかり合う音が機械的に響いてきた。それは紛れもなく朝食の準備の音だ。
 蘭が起きている。それはコナンの気を重くさせ、頭を抱えさせる。
 だが、何時までもここに居るわけにもいかない。今日こそは真実を打ち明けなければ。
 昨日に引き続き、浮かんでは消え、浮かんでは消えて行く蘭の泣き顔を深呼吸で一つずつ消す。
 「きっと大丈夫だ」と自分に言い聞かせ、コナンはゆっくりと幼馴染みの元へと向かった――

「あっ、おはようコナン君。風邪は大丈夫?」

 ………は?

「顔色は昨日より良いよね。熱も下がったのかな?さすが博士の薬ね」

 意を決して話し掛けたコナンに返ってきたのは、いつもと変わらない蘭の笑顔。
 拍子抜けして呆然と立ち尽くすコナンに蘭は尚も庇護の言葉を掛ける。

「これ、着替えだからね」

「……へ?」

「あ、そうそう。学校には休むって連絡しておいたから、今日はまだ寝てていいよ」

「……え?」

 着替え? 学校? 一体、何を言ってるんだ。今、聞くべきはそんな事ではないだろう。
 一瞬新手の嫌がらせかと考えたが、蘭の笑顔は生き生きとしていて全く不快感を滲ませてはいなかった。
 当然、コナンの顔には無数の疑問符が浮かぶわけで。

「あ……のさ」

「なーに?」

 蘭がくるりとこちら向いた。冷や汗がコナンの背中を濡らす。

「蘭……」

 姉ちゃん、と言葉を付け加えてはみたものの、コナンの内心は戸惑いに満ちていた。
 まさか、あの騒動で蘭は何も気付かなかったと言うのか。暗闇ではあったけれど、確かに一瞬だけ自分の顔ははっきりと浮かび上がった筈。
 それなのに自分の呼び名は未だに”コナン君”で。

 ――もしかして…バレてないのか?

 いや、そんな筈は。と、愚かな考えを一応は却下してみるもそれでは今の現状は説明出来ない。
 夢でも見間違えでも無く蘭は笑っている。しつこいようだが、笑っているのだ。
 頭をフル回転させて色々と考えを巡らせた末、最終的にこの日コナンが唯一蘭に伝えた事は、

「…………。がっ、学校遅れちゃうよ…」

 だけであった。ドタバタと学校へと向かう蘭を尻目に、コナンは何故だか訳も分からぬ敗北感に駆られたのだった。



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