十二章 後悔とその先に
「ごめんな、蘭ちゃん!」
目の高さで掌をぱしんと合わせて拝むような姿勢で和葉が蘭に謝った。
前の座席でさっきからコナンと話し込んでいる平次を一度睨んでから和葉は続ける。
「平次のアホが急に旅行の事言い出すから、事前に連絡出来ひんかってん」
迷惑やったよね。心配そうに上目遣いで話す和葉。が、反して内心は欣快に堪えない様子だ。尻尾を振る子犬の様に顔が生き生きとしている。
やはり平次や蘭と遊びに行けるのがどうしようもなく嬉しいのだろう。彼女自身それを申し訳なく思っているのか、複雑な表情を浮かべている。
そんな和葉の言葉に蘭は慌てて頭を振った。
「そんな事、ないよ。ちょっと驚いたけど和葉ちゃんに会えて嬉しかったし」
正直、蘭の驚き様はちょっとどころではない。昨日など和葉と平次の声に急かされながら、大きな鞄へと数日分の日用品を詰め込む自分の行動に大きな疑問を幾度となく抱いたものだ。
急な展開に頭がついていかず、意識がはっきりしないまま、気が付いたらこの新幹線へと飛び乗っていた。と、言うより乗らされていた。昨日からの経緯を簡潔に示すと、この様になる。
しかし、戸惑ったと言っても、後者に述べた事もまた事実。東京と大阪と言う距離のせいでなかなか会うことが出来ない親友の顔が見れたのは願ってもいない事だ。
それに。
「それに、アイツと居ても何話して良いのか分かんないし……」
和葉と久し振りに会えて気が緩んでしまったのか。はたまた、胸に想いが溜まりすぎて思わず本音が出たのか。言葉がほろりと零れた。
発した瞬間、蘭の顔は露骨にしまったという表情に変化した。案の定和葉は、えっ、と好奇心やら何やらで顔を輝かせる。
「もしかして、帰って来たん!?」
和葉がずいっと蘭に迫った。蘭は勢いに押されるように後ろへと仰け反る。
「だ、誰が?」
「もう。惚けたってアカンよ」
にっこりと和葉が笑う。決まってるやろ、とその顔が物語っていた。
「帰ってきて……ないよ」
少し躊躇いながら答える。その口元がきつく結ばれた。和葉の表情は期待の輝きを無くし、代わりに困惑を浮かべる。
「新一の事、だよね。帰ってきてない」
蘭は動揺を悟られないように、当然だと断定的な口調で言った。
「ホンマに?」
「うん」
静かに語る蘭の横顔はどきりとする程綺麗で、寂しげで、悲しそうで。事情をよく知らない和葉は何も言えなくなり、そうなんやと一言呟いただけでシートにもたれ掛かるしかなかった。
沈黙。蘭はふっと一息つくと、不自然な微笑を顔に貼り付けて和葉に向かい合う。
「聞かないんだね」
「何を?」
「アイツって誰、とか……」
「聞かへんよ」
迷わずそう答えた和葉は視線を宙に泳がせた。
「なんで? 気にならないの」
「そら、めっちゃ気になってる」
「じゃあ、なんで?」
「そやかて蘭ちゃんその人のこと聞いて欲しないんやろ?」
「え?」
「さっきの蘭ちゃん、めっちゃ悲しそうな顔すんねんもん。触れないでって顔に書いてあったし。せっかく久し振りに会うたのに、そんなん嫌や。せやから、蘭ちゃんが言いたないんやったらアタシは何にも聞かんよ」
「和葉ちゃん……」
和葉の思いやりに、胸がいっぱいになった。目の奥がほんのりと熱くなる。それなのに、なぜか胸の一番深いところは冷めていて。蘭は込み上げる自分でもよく分からない感情を抑え込んで、小さい声で、ありがとうと言った。
ありがとう。それから、ごめんね。和葉ちゃんは明るくて、優しくて、すごく良い子で……そういう周りの人の眩しい光と反対側に浮き上がる自分の影が最近すごく、辛い。
新一の事をなかなか受け入れられない自分の弱さ。脆さ。
コナン君は新一なの?
確かに、何度もそうじゃないかと疑った。確かめようとしたこともある。でも、それは「コナン君が新一だったら」という単なる願望の裏返しでしかなくて――。
なぜ優しい言葉をかけてあげられないのだろう。お帰りなさい、ずっと待ってたよ。なぜその一言が出て来ない。偽ることを止め、激しい葛藤の末に正体をさらけ出してくれた彼の誠意に、どうして応えられないのか。
好きなのに、大切なのに、どうしても受け止められない。昨日から会話はもちろん、目を合わす事すら出来ない。
胸が焦げる程に待ち望んでいた幼馴染みとの再会の筈なのに、すぐ近くに居ると分かったのに、今の方がずっとずっと新一が遠い。それはわたしが拒んだから。
こんなんじゃダメだって分かってるのに。なぜ、なぜ、なぜ……
蘭の思考が負の方向に流れているのは、表情を見れば誰の目からも明らかで。見かねた和葉は重い空気を断ち切るように、跳ねるような声で言った。
「なあ、蘭ちゃん。お腹空かへん?」
にっこりと眩しい程の笑顔を向ける和葉に、一瞬遅れてそうだねと微笑み返す。そんな蘭の様子に安心したのか和葉は整った口元になだらかな弧を描いた。
がさごそビニル袋を漁る和葉を横目に、蘭はごめんねともう一度心の内で謝った。
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