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鬼庭左月 作者:
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「旧き日本を壊し、新しき日本を作った男」

 第一章「仙台裏真田」

東北地方の中枢都市である仙台市の中心部を、広瀬川を挟んで見下ろしている山がある。

 「青葉山」

 欧州の覇王として君臨し、天下取りの野望に燃えた仙台藩祖、伊達家十七世、藤次郎正宗の居城「青葉城」の城址がある。
 現在は、護国神社や歴史資料館が建ち、苔生した石塁と復元された隅櫓が往時を忍ばせる。その一隅に仙台市外を眺望できる一角があり、正宗公騎馬像が、変わり果てた所領を見据えている。
 その青葉城から仙台市街の反対方向に進むと、龍の口沢渓谷にかかる橋があり、さらに行くと八木山がある。動物園や遊園地がある、緑豊かな住宅街・・・・・・。その片隅に、広大な敷地に古い三階建ての大衆食堂と割烹がある。

 「鬼庭家」

 一月前に閉店したが、店主の鬼庭良直が十八歳で父の幸元から跡を継いで以来、その死を迎えるまでの四十七年間、大繁盛した。厨房の料理人は、店主を含めて十名、配達員六名を雇用し、良直は、長者番付の常連として名を馳せた。
 が、跡を継いだ年に改築・増築して以来、一切改装していないため、外壁は罅割れ、かつては白い建物であっただろうと思わせる塗料の一部が、かろうじて壁面にへばり付いている。

 「ケチ直」と言えば、近隣の誰もが知っているほどの吝嗇家であった。

 二十四歳で結婚し、翌年に長男が誕生するまでは、洋服や車に人一倍気を遣う伊達男であったが、産婦人科で息子に対面して以来、別人かと思われる程に徹底した吝嗇家になった。

 この「ケチ直」は、真田左衛門佐幸村として後世に勇名を馳せた真田信繁の子孫であるという。

 話は慶長二十年、すなわち一六一五年に起きた大阪夏の陣に遡る。

 この合戦で、東軍の先方を勤めていた伊達軍の中に、一際目を引く黒鐘の紋の旗印をなびかせた美丈夫の武将がいた。

 「片倉小十郎重長(重綱)」

 「鬼の小十郎」と恐れられ、この時も敵将と組み打ちを演じるほど、勇猛果敢な武者振りを示した。その舞台となった道明寺血戦において、後藤又兵衛をはじめとする西軍の名だたる武将を討ち取っている。
 その大阪夏の陣の最中、幸村から重長の元に、使者と共に娘が送られてきた。時に十七歳、その気品と美貌は目を見張るものがあり、さすが「日本一の兵」と呼ばれた男の娘と、片倉隊を感嘆させた。名を「徳子」といい、後に重長の後妻となり、「阿梅の方」と呼ばれた。
 重長と阿梅の方の間には子ができず、重長と先妻の孫に当たる景長を養子として、片倉家は続いていく。

 が、重長と阿梅の方の間には子がいた。

 「真田幸長」と名づけられ、その存在は、堅く秘せられた。

 後に、姉の阿梅の方を頼って来た幸村の次男大八と共に片倉家が庇護した。大八は、大阪夏の陣の残党狩りを強める徳川将軍家を憚り、真田の姓を捨て、片倉守信と名乗っている。その子信成の代で真田姓に復し、仙台真田家として幕末まで続いていく。これに対し、幸長の子孫は、代々「裏真田」と通称され、正史から除外されるなど、仙台藩士でさえ、知るものの無い食客の身分として生きながらえて行った。

 さて、その真田幸長が6歳を迎えたある日、重長に呼び出された。重長は、幸長を我が子として扱わず、その姓が示す通り、真田左衛門佐幸村の嫡孫として遇した。

「幸長殿。息災か。」
「はい。御蔭様にて息災でございます。」
「さて、そこもとについて、主家より忍びが放たれ、殿の知るところとなった。いや、正確に申さば、忍びが帰参せぬ事をもって、疑いが濃くなったということであるらしい。」
「左様でございますか。」
「ふむ。しかし、伊達家が誇る黒脛巾組くろはばきぐみの精鋭十名が姿を消したは、尋常にあらず。幸長殿はご存知か。」
「さて、私は存じませぬが、上月の爺なら、あるいは存じておるかも知れませぬ。」
「上月か・・・・・・。あの気味の悪い爺に会うのは気が進まぬが、まあ良い。ここに呼んでくだされ。」
「すでに私の後ろに控えております。」
「むむ。相変わらず、不気味な男よ。上月、話は聞いて居ったか。」
「はい。」
「そのほう、この件につき存じておることがあれば申せ。」
「は・・・・・・。幸長の殿のお許しがあれば。」
「爺、許す故、包み隠さず申し上げよ。」
「黒脛巾組と申す忍びの者ども、幸長殿の寓居に侵入を図りました故、成敗いたしましてござりまする。」
「そうか。しかしながら、幸長殿には上月の他に配下も居らず、どのように成敗した。」
「私独りにて。」
「そちは何者じゃ。見れば老いたる小兵のもの。とても黒脛巾組と相対することは無理かと思うが。いや、待て。そうか。そちも忍びじゃな。思い返さば、思い当たる節がある。瞬きする間に、急に老けて見えたり若返ったり、いないはずと思ったところに居ったり・・・・・・。かつて聞きたる五車の術やら申す忍びの術であろう。これ程のことを成す以上、只者ではあるまい。名を名乗れ。」
「上月佐助と申しまする。」
「何、佐助とな。甲賀の忍び猿飛び佐助は、幸村殿と共に果てたと聞くが、存命であったのか。」
「いえ、それは甲賀の三雲佐助賢春のことでございましょう。私は、伊賀の下柘植しもつげにて生を受け、木猿と呼ばれたもの。幸村の殿からは猿飛びと呼ばれておりました。」
「何と、そちが高名な猿飛びか。そうか、生きて居ったか。」
「幸村の殿の命にて、阿梅の方様をお守りしておりましたが、お方様より、幸長様をお守りするよう申し付けられ、此度の始末と相成りました。」
「左様か。そちがのう。道明寺では、我が武勇を喧伝されたが、あれは負け戦であった。緒戦こそ後藤を討ち取り気勢を上げたが、真田の赤備えの鉄砲に追い立てられ、後ろも見ずに逃げ帰ったわ。そちも加わって居ったか。」
「はい。小十郎殿を討ち取らんと走り出しましたが、幸村の殿に引き止められ、大魚を逸しましてございます。」
「引き止められねば、首を取れたかね。」
「造作も要り申さず。」
「そうか。命を拾ったのう。あの日、幸村殿は、ゆるりと馬首を返し、関東勢百万と候え、男は一人も無く候と嘲笑われた。脳天が痺れるほどに悔しく、いまだに夢を見る。そうか、助けてもらっていたのか。」
「すでに豊臣家も御運の末と悟られ、死花を咲かせんと願っておられました故、あたら勇猛の将を手にかけずとも良いと申されました。家康を死出の道連れにすれば、それで良しと仰せられておいででした。」
「左様か。我知らず、幸村殿に借りを作っておったのじゃのう・・・・・・。されば、その借り、今こそ返さん。正宗殿から幸長殿を匿って進ぜよう。が、この小十郎の下では露見するは必定。かと言って、これほど荷厄介な幸長殿を託せるは、唯一人。書状を参らせる故、早々に支度をし、下愛子へ向かわれよ。」
「なるほど。綱元殿でござりまするな。」
「今は了庵と号されている隠居ながら、伊達家の重臣であり、正宗殿とて迂闊に嫌疑をかけること能ぬ人物である。安心して参られよ。ただし、この白石城の周りは黒脛巾組が取り巻いていよう。脱出は困難ぞ。」
「心得ておりまする。」
「殺すのか。」
「止むを得ますまい。」
「存分に働くが良い。我が白石城下での不埒なる振る舞い、言語道断。忍びの者どもを放つなど、例え主家とは言え、許されぬ所業である。これにて不況を買えば、この城を枕に討ち死にするばかりである。幸村殿に生かされた恩義に報いようぞ。」
「流石は幸村の殿が認めたる武将、鬼の小十郎様ですな。」
「褒めずとも良いわ。早々に支度をせい。」
「はっ。承知仕りました。」
「幸長殿、無事を祈っておるぞ。」
「父上、有り難き幸せに存じまする。」

 白石城、追手門より、片倉小十郎重長の軍勢が美々しく軍装を整え、何と棺桶を先頭に出て来る様は、領民と領民に紛れて白石城を取り巻いていた黒脛巾組の忍びたちを驚倒させた。
 これは、佐助と重長が語り合い、不可能に思われた脱出劇を遂行する芝居の一幕であった。

「何事か。」

 黒脛巾組を率いる棟梁、太宰金七が呟く。

「これは、我等忍びの手に合わず、正宗殿に報告じゃ。」

 知らせを受けた正宗、苦笑しつつ使者を立てた。その使者が小十郎重長に言う。

「何故に軍勢を率いて主家の城を目指される。返答や如何に。」
「何たる愚問。我が城内に黒脛巾組を放ち、我が首を狙いたるは殿の方じゃ。何故に忍びを放ちたるか、返答を賜りたい。御返答次第では、この重長、道明寺合戦の鬼の小十郎に立ち返り、敵わぬまでも存分に槍を振るわせて頂く。いくさ人の意地をお目にかけ申そう。」

 使者の復命を受け、正宗の命で、今や隠居の身となった茂庭綱元自ら使者に立った。

「小十郎、何を血迷っておる。この太平の世に亡霊が出たかと思うたぞ。」
「これは御隠居。七十を超える齢と存ずるが、御自らのご出馬、かたじけなく存ずる。」
「申すな。この了庵、隠居とは言え、まだうぬらに遅れをとるものではないぞ。試しに打ちかかって来られるか。」
「やめておき申そう。御尊父、鬼庭左月入道の生まれ変わりのようなお姿、とてもそれがしのような者が敵うはずもござるまい。」
「言うわ。はて、このような問答は無駄であろう。殿が申さるるに、公儀の命にて西方の残党を狩らねばならず、真田の次男大八を匿いたる噂により、形だけ詮索をしただけの事。事を荒立てずに城へ引き返せとのことじゃ。無論、大八以下、真田の旧臣もそのままで良いとの仰せじゃ。」
「左様か。そのような事ならば、何故に一言の知らせも無く黒脛巾組を放たれた。」
「幕府の目付けとして服部が来ておっての。報せる暇が無かったのじゃ。」
「左様でござったか。されば引き返し申そう。されど、せっかくここまで出て参った故、御老体の隠居所にて茶を一服所望したいが。」
「よかろう。されど、軍勢は返しなされ。」
「承知仕った。されば、某と供の者数名にてお供仕ろう。」
「その棺桶は如何に。」
「敗戦の用意でござったが、不要と成り申した。茶の一興にお持ちしたいが如何。」
「傾く者よ。勝手にせい。」

 下愛子の隠居所に入った二人は、茶室に入り、一服喫すると小十郎を睨みすえつつ綱元が小声で言う。

「重長よ、何の芝居じゃ。」
「恐れ入り奉ります。」
「棺桶じゃな。」
「御明察。」
「大八か。」
「さにあらず。」
「面倒な。」
「これは失礼を仕った。中身は我が子息であり、真田左衛門佐幸村の嫡孫。」
「何と。阿梅の方の御子か。これは容易ならざる事。なるほど。それ故の大芝居であったか。これは愉快じゃ。して名を何と申す。」
「真田幸長と申しまする。」
「いや、面白い。日本一の兵の孫で鬼の子か。してこの了庵は何をすれば良い。」
「出来ますれば、御養育賜りたい。」
「ふむ。この家中でそれが出来得るのは、この了庵だけじゃのう。よかろう。もはやこの世で遣り残した事も無い老体に、楽しみが増えたわ。しかと預かろう。」
「忝い。」
「たれかある。棺桶をこれへ。」

 棺桶から出てきた幸長、甲冑姿であった。黄金の六文銭の家紋をあしらった赤色の甲冑。小十郎重長の父として、最初で最後の贈り物であった。

「お初にお目にかかりまする。真田幸長と申しまする。」
「了庵じゃ。窮屈でござったろう。」
「いえ。」
「いや、これは驚いた。そなたの父も美しい顔立ちのため、他の武将に懸想されるほどであったが、何と美々しい若武者じゃ。」
「恐れ入りまする。」
「小十郎、安心して城に帰るが良い。この老骨の余生、幸長殿の為に使おう。」
「過分なお言葉、痛み入りまする。幸長殿、息災に過ごせよ。」
「はい。」

 これが、父、小十郎重長との今生の別れとなった。

 その頃、白石城下では、黒脛巾組が、一人、また一人と声も無く倒されていった。植木バサミを担いだ老人が通り過ぎる。上月佐助、猿飛び佐助である。数秒後に商人、修験者に扮した黒脛巾組が死んでいった。佐助の右手に毒を塗りこめた一尺に満たない忍び刀が握られていた。恐ろしく刀身が細い。刺されたほうも痛みを感じないほどの細さである。一刻の後には、全ての黒脛巾組が倒されていた。
 白石城下を遥かに離れた山頂にいる黒脛巾組棟梁、太宰金七の元に連絡が来ない。探索に出した側近も帰って来ない。漸く不審な状況に気付き、己が窮地に陥っている事を確信した。
「何者か。」
 分からない。が、前回放った十名。今回動員した二十名。合わせて三十名もの黒脛巾組が死んだ。
「どういうことだ。片倉家にそれほどの忍びがいるなどとは聞いた事も無い。不審な。」
 呟きつつ、恐怖が金七を支配した。胴から震えが来ている。自然足が速くなった。
「おのれ、何者かは知らぬが、いずれ復仇してくれる。」
 小声で悪態をつきつつも、風を巻くほどの速さで走っていた。要は逃げているのである。黒脛巾組は、武の集団ではない。術の集団でもなく、諜報機関であった。太宰金七が名を上げた秀吉の小田原城攻め。内部の情報収集と撹乱で大いに活躍はした。しかし、甲賀の戦闘集団、佐助のような伊賀の術者にかかれば何人でかかろうと生還できるものではなかった。

 青葉城。
 正宗の元に復命した太宰金七が庭先に平伏している。
「直答を許す。どういうことだ。」
「分かりませぬ。」
「金七、其の方ともあろう者が分からぬとな。」
「は。」
「何もか。」
「何も。配下の者共、皆あい果てましてござりまする。」
「何人じゃ。」
「前回十名、此度の二十名と合わせ、三十名全て。」
「何と。」
 正宗は、傍に正座していた服部石見守半蔵に言う。
「小十郎の仕業とは思えぬ。心当たりはござるか。」
「真田。」
「左衛門佐殿は果てられたが。」
「左様。されど、忍びは生きており申す。」
「真田の忍びか。」
「いえ。元は同輩。伊賀者でござる。」
「石見守、存じておるようじゃの。」
「はい。思い返せば、兄、三代目半蔵が夏の陣にて果てましたるも、あの者の仕業。」
「伊賀同心の御役目を解かれた事件じゃな。」
「左様。二百名の伊賀者を率いて夏の陣に赴きましたが、棟梁面をしたために反発を買い、失踪した事になっておりまするが、実のところ、その首を渡してしまっておりまする。」
「して、その者とは。」
「下柘植ノ木猿と申す者。世に猿飛びと称される忍びでござりまする。」
「ほう。」
「復仇すべく、家康公の御許しを得て下柘植を襲い、殲滅致しましたが、猿飛びは居らず。」
「生きておると申すか。」
「それどころか、家康公に毒を盛りましたのも恐らくは、かの者の復仇。真田と此度の仕事を考えますると、かの者以外には思い当たりませぬ。」
「して、この正宗は、如何すれば良い。」
「何も。これは、伊賀者同士の問題でござれば、某が引き受けさせていただきまする。」
「伊達家には関係無いという事か。」
「左様。秀忠公も御存知であり、猿飛びの追捕は、主命でござる。」
「されば勝手にするが良い。小十郎には、先代小十郎の景綱に命を助けられた恩もあり、手出しする訳にも行かぬ。領内に伊賀者を入れることもさし許す故、将軍にも良しなに申し上げてくれ。」
「承知仕りました。それでは、これにて失礼仕る。」
 正宗が呆然と控えている金七に目を移した数瞬の間に、四代目半蔵は消えていた。

 白石城下に入った半蔵の前に、音も無く人が降って来た。上月佐助である。
「若、御久しゅうござる。」
「猿飛び。」
「この首が欲しゅうござるか。」
「欲しい。」
「止めておきなされ。某のように生れ落ちたときから苦行に耐え、化生と成り果てた者に、若のような侍が勝てる道理はござらぬ。この場で若の御命を縮め参らせても宜しゅうござるが。」
「むむ。」
「何人でかかろうと同じでござる。屍が増えるだけでござろうよ。分別なされ。」
「おのれ。」
 怒りで胴を震わせながら、佐助を睨むが、どうした訳か総身から力が抜ける。遂には地面に臥してしまった。が、頭だけは冴えている。
「毒か。」
「痺れ薬でござる。精進を怠っておいでじゃ。この佐助から見ますれば、若は赤子も同然。申し上げるも憚りますが、初代半蔵殿ですら、今の佐助には及びますまい。二度目はござらぬ。この佐助の目のおよぶ所に伊賀者の姿を見た時こそ、若の最期の時と思し召せ。家康公同様、秀忠公の首も掻かせて頂くぞ。」
「畏れ多い事を」
「若、お忘れか。伊賀者とは、主無しでござる。己の術を売る者にして人外の化生。これは脅しではござらぬぞ。」
「されば、その首を売れ。」
「呆けた事を申される。さらばでござる。」
 走り去る佐助の背中を目で追いつつ、兄の復仇の不可能を悟った。
「あの化け物だけは、如何ともならぬ。兄上、お許し下され。」

 さて、了庵、茂庭綱元。幸長とは、全くの他人では無い。綱元の父「鬼庭左月入道良直」の妻が、後に「片倉景重」に再嫁して、小十郎重長の父「小十郎景綱」を生んでいる。つまり、綱元の義母が、幸長の曾祖母に当たる。
 了庵は、この悲運の御曹司に、心から同情し、その人柄と才を愛した。愛したが故に、徹底して鍛え抜いた。幸長も文武ともに衆に秀でた傑物に育っていった。











 
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