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あたしは、猫。 作者:山本 風碧

第二章 騙られた神の名

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22 初めての礼拝、そして懺悔

 今日の神父アルマン・ペローは、この間のような破れかぶれの恰好ではなく、こざっぱりとした白い貫頭衣を纏っていた。ほんとにほんとに、本人かしら? じっと見つめていると、足音もなく彼は近づいた。
「やあ、よく来ましたね」
 当たり前のように声をかけて来た神父にあたしは、びっくりして尋ねた。
「覚えてるの、あたしのこと」
「一度お話を聞いた方は忘れませんよ。どうぞゆっくりしていって下さい」
 神父は微笑むと、次の列に腰掛けている老婦人に「その後、お加減はどうですか」と声をかけた。
 そんな風に神父が一人一人に挨拶をしている間、隣に並んだマリーがそわそわと辺りを見回す。やはり聖人の像がない事が気になって仕方がないようだった。あたしもだ。ごく普通のつくりの教会なのに、聖人の像だけがない。それだけで何か異教めいて見えたのだった。
 次々に神父が穏やかな挨拶をしている。皆が皆神父を見るとほっとした表情を浮かべた。それ一つを見ても、救いを求めてここに来ているのがわかる。
 やがて礼拝が始まり、厳かな歌が流れはじめた。知らない歌だ。あたしは渡された紙に書かれた歌詞を不安定な音程に乗せようと努力したが、壊れたクラリネットみたいな音程の外れた音しか出ない。周囲の人にくすくすと笑われて途中でマリーに止められた。
 歌が終わると、次は短いお祈りがあった。マリーに教えられるまま両手を組むと目を閉じる。お祈りの言葉はリュシアンが寝る前に呟いているのと変わらず、ほっとする。どうやら異教じゃないみたい。
 神父は続けて聖典の一説の朗読を行うと、関連するお説教をはじめた。
「――この一説には神を信じたもの、信じなかったものの行く末が書かれています。神を信じ、行いを正した者は無事に割れた海を渡り切りました。ですが、疑いつつ、己の力を過信しつづけた者たちは海に呑まれたのです。強く正しく神を信じれば、父なる神は必ず助けて下さるのです。決してお見捨てにはなりません」
 聖典は読み解いてもらうと、なんだかおとぎ話のようなお話だと思えた。詰まった文字を見るだけで頭が痛くなって来ていたけれど、噛み砕いてもらえれば分かり易いのだなと思う。
 生まれて初めて聞く話に目を輝かせていると、マリーが笑う。
「今のは本当に有名なお話なんですよ。お嬢様は一度も礼拝に行った事が無いんですか?」
 少しだけ尋ね難そうなのは、あたしが猫になる前の事に触れているからだろうと思う。
 あたしの周りの人達は、あたしの過去に触れる時、いつも精一杯気を使ってくれる。もう大丈夫だから――早くそう言ってあげたいなと思いながら、あたしは頷くと、ぽつりとこぼした。
「うーん、多分。小さい時は覚えてないけど、多分そんな余裕無かったの。教会とか、結婚式の時にしか行かないってあたし思ってたもん」
 はっきりと覚えているのはお母さまの結婚式だ。
 あのお父様は大半の貴族と同じように教会の権力は大事にしていたけれど、実際はちっとも信心深くなかった。だから礼拝は省略してしまっていたのだ。それにお母さまが倣い、あたしも倣った。というより、礼拝という物の存在を知りえなかったのだ。

 やがて説教が終わり、賛美歌が歌われ、献金が済むとパラパラと人々が帰り始める。
 だが、半分ほどがその場に残って、脇にあったドアの前に並びはじめた。
「なにしてるのかしら?」
 あたしが首を傾げると、マリーが言った。
「懺悔ですね」
「ざんげ?」
 そういえば神父も言っていた。『懺悔がしたいのですか?』と。
 マリーが補足した。
「告解とも言いますけど。本来は神に罪の告白をする――となってますが、今は悩み相談みたいな感じになってましてね」
 興味を持ったあたしが列の後ろに並ぶと、マリーが「ご無理はしないで下さいよ」と付いてくる。だが止めようとはしなかった。

 前列に陣取ったご婦人たちが暇潰しに辺り構わずおしゃべりを続けている。赤裸々な話にマリーが時折あたしの耳を塞ぐ事もあった。
『――でねえ、あの人ったらまた浮気をして! 帰ってこないのを問いつめたら仕事が忙しいとか言っててさ。だけど、ちっとも稼ぎが増えないからおかしいと思ってたらこうだよ!』
 ひと際大きな体をした婦人が言うと、隣に居たやせた猫背の女性がカカカと笑う。
『首輪でもつけとかないと駄目さねえ』
 聖堂中に響き渡る声にあたしは思わず考え込む。
 ええと、仕事が忙しいって、リュシアンよく言ってるわよね……。帰って来ない事もよくあるし。
 とそこで、マリーが呆れた顔をした。
「リュシアン様に限ってはそんな事はないですからね」
「あ、あたしそんな事考えてないし……!」
「お顔に書いてありますから」
 ほらほら気にされないでくださいよ――とマリーが言って、あたしは頷くが、ご婦人たちはさらに続けた。
『でさあ、それがこの間なんか、女をいけしゃあしゃあと家に連れて帰ってきたんだよ! 仕事仲間とか言ってね!』
「…………」
 な、なんか、そういう事も前あったような? ほら、ヨランドとか言うあの売り子! 仕事遅くなったかと思ったら、連れて帰ってきて、で、大げんかしたの!
 あたしの眉がむうっと寄ったのをマリーは見逃さない。
「お嬢様。大丈夫ですから。あの方が今更浮気されるはずがないでしょう」
「そう? そ、そうよね」
 ――と頷きかけたところ、前のご婦人がさらに言った。
『あの人、最初の子を妊娠中にもやったんだよ。職場の女に手を出して』
『あー、うちもだよ! どこも同じだねえ』
『全くしょうがない男ばっかりで嫌になるよ』
 不幸を自慢のように語り始めるご婦人たちに、マリーはとうとう立ち上がる。どすどすと音を立てて婦人たちの輪に割り込むと頭一つ高い位置から忠告した。
「あの、ちょっとすみませんね。今、うちの主人、初めての子をご懐妊されていて不安定なんですよ。そういった下世話なお話はご遠慮願いませんかね。大体、聖堂でお話するようなねたじゃないだろう」
 下世話という言葉にムッとしたご婦人たちとマリーが火花を散らすが、マリーの山のような体から発せられる威圧感と、鋭い眼光には敵わなかった。
 そして後ろにちょこんと座っていたあたしを、頭からつま先まで――造花を丁寧に編み込んだ髪、落ち着いた色ではあるが、たっぷりと布を使った上質なローブ、レースの付け襟、艶のある革靴――をじろじろと見たあとに「これだからお貴族さまは」と顔に不機嫌さを貼付けると踵を返した。そして、大声で文句を言いながら集団は外へと向かう。
「あんな若い子が妊娠だってよ」
「いやだね。近頃はお貴族さままでここに来るようになっちゃって。金のあるヤツは街の聖堂に行けばいいのに」
「しかも神父さまも特別扱いされてたし。身分なんか関係無いって教えなのにさ。寄付金払えばいいって、図々しい人が多過ぎるんだよ」
 そこで、
「あんたたち――まだ言うかい!?」
 マリーが噛み付きそうな顔をして握りこぶしを構えると、彼女たちはびくりと飛び上がったあと、大急ぎで扉を閉めた。
「な、なんなの、あれ」
 謂れのない中傷に呆然としていると、前に居たおじいさんが「あんたらのおかげで、静かになって良かった。ありがとよ」と言ってあたしににこりと笑いかける。
「気にするこたあねえよ。あんたが若くて可愛いから、その浮気相手と重ねちまったんだろうよ」
「そうですよ。気にするだけ損ですからね」
 マリーがまだ怒ったままで頷いた。

 女性たちが一挙に去ったおかげもあって、懺悔の順番はすぐに回って来た。
 懺悔室と呼ばれるらしい部屋はとても狭かった。大きな木箱と言ってもいいくらい。あたしはマリーを部屋の前に残して、一人で部屋に入る。マリーには、気分が悪くなったらすぐに言うんですよ?と念を押された。
「まずその帳面に名前をお書きください」
 テーブルを介して向かい合った神父が促す。見るとテーブルの隅に古びた帳面とペンが置いてあった。ペンを取るとあたしはパラパラと帳面をめくった。
 ごわごわとした紙はめくりづらく、最終ページを探したあたしは苦戦を強いられる。
 あー、もう面倒くさ…………あれ?
 何か既視感を感じて、途中で手が止まる。
 なんだろうと思いつつ数ページ戻ると、そこには『イーヴ』と書かれていた。
「イーヴ?」
「どうかしましたか?」
 動きを止めたあたしに、神父が不思議そうに尋ねた。
「いいえ、なんでもないの。知った名前かと思ったんだけど……よくある名前だし」
 っていうか、その名はあたしが付けたんだわ。
 何を気にしているのだろうと、おかしくなりながらあたしは再びページをめくる。どうやら後ろからめくった方が早そうだわ。そう思って逆方向からめくったときだった。
「……え?」
 だが、再び手が止まる。目がある名前に釘付けになり、ペンを持った手がブルブルと震え出した。
 ガタンと目の前の神父が立ち上がる。
「どうかしましたか?」
 だがその声がすごく遠くで響いているように聞こえた。どくんどくんと胸が脈打ち、耳がどんどん遠くなる。同時に視界が狭まっていく。光が小さく縮んで闇に呑み込まれた。
 なにに自分が反応したのか自覚できないまま、あたしはその場に崩れ落ちていた。
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