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あたしは、猫。 作者:山本 風碧

第二章 騙られた神の名

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19 二つの大切な出会いの話

 アリスのお腹に僕の子供がいる。その事は嬉しいけれど、複雑だった。まず僕には父親になる覚悟なんか全くないし、それよりも、問題は“アリスが母親になれるのか”。そちらの方が重大事だった。
 部屋を出ると、マリーが深刻な顔でアリスと向き合っている。僕は彼女達にそっと近づいた。

「――産むに決まってるでしょ!」
 アリスは噛み付かんばかりの顔をしている。マリーに教えて貰ったのだろうか、どうやら自らの妊娠を知ったらしい。そしてその件で喧嘩になっているのだ。
「どうしてもですか」
「あたりまえよ!」
 僕は話を耳にすると忍び足を忘れた。マリーの言葉に仰天して、二人の会話に割り込んだ。
「マリー、何言ってるんだ?」
 彼女が他に選択肢があるようなことを言うのが信じられない。それは決して神が許さない行為。だが、上流階級の中では望まれない子供をひそやかに闇に返す事があると聞いた覚えがあった。マリーがそれを口にしているのが怖かった。
「私には……今のお嬢様が母親になれるとは思わない。産まれた子供が不幸になっちまう」
 マリーには似合わない、苦渋に満ちた声だった。
「そんなことないわ」
 アリスはむきになって反発するけれど、僕にはマリーの言いたい事はよく分かるので、アリスほど強く言い返す事は出来ず、小さく首をふるに留まった。
 マリーは少しの間躊躇った後、俯いたまま小さく呟いた。
「なにより、……今のままじゃ、その子は庶子になっちまうんだよ」
「そんな」
 アリスはその可能性に目を見開いた。マリーは縋るような目で僕を見る。彼女の心配が嫌というほど伝わってきた。
「まだお嬢様とリュシアン様はご夫婦ではないんだ。当然だろう。もしも産まれる前に結婚出来なければ……――」
「そうはさせないよ――それは絶対にない。ちゃんと物事は前に進んでる。マリー、大丈夫だ。アリスはきっといい母親になるよ」
「でも」
 僕はマリーに向かって力強く頷いてみせる。そうしたあと、自分を励ますかのようにもう一度頷いた。
「――大丈夫。僕が支える」
 アリスだっていつまでも子供じゃない。信じてくれ。そして突き放すのではなく、一緒に支えてくれ。想いを込めて見つめると、マリーはやがて仕方ないと言った風にため息をつく。そして今まで絶対に妥協しなかった部分をあらためて強調した。
「とにかく、子供が先なのは誰がなんと言おうとまずいんだよ。きちんとしな。話はそれからだよ」
「そうだね。きちんとする。出来る事からでも」
 窓から外を見ると、黒々とした影は小さく纏まって北東に伸びていた。太陽はそれほど傾かず、ほぼ中天にあるらしい。正午を少し過ぎた頃だろう。
 僕は午後の仕事の予定を明日に伸ばし、そして空けた時間に今するべき事をぎゅっと詰め込んだ。


 一人馬車を飛ばし、日暮れまでには目的地に到着した。
 大きく深呼吸をしてあばら屋の扉を開けると、夕日に照らされた年老いた背中が小さく跳ね、疲れた顔が僕を振り返る。その手元ではいつものように籠が編まれていた。
「どうした? 今日はここに来る予定じゃなかったろう」
「――父さんに話があって」
 まずはここを通らねば。色々解決してからなどと先延ばしにしていたけれど、今僕が何とか出来そうなのは唯一これだけだった。父の説得。そして少しでもアリスの不安を拭う事。
 父はいつものように顔をしかめて僕に背を向けた。話の内容が何かすぐに察してしまったらしい。
「あの子の事なら、話は聞かないからな」
 相変わらずの頑迷な態度にため息をつくと、僕は父が決して無視出来ない言葉を投げつけた。
「――子供が出来たんだ。僕とアリスの子供だよ」
「な、んだと? お前――」
 案の定、父はこちらを振り向く。言葉を失った父はみるみるうちに顔に血を集まらせ、溜め込んだ怒りをまき散らすように怒鳴った。
「なんて、なんてだらしない真似をしているんだ! 結婚もしてないのに……!」
「確かにまだ結婚はしてない。でも僕は、彼女を一生の伴侶だと思ってる。だから、順番は違っちゃったとは思うけど、後悔はしてない」
 父の青い瞳が、今は滾っているように見えた。気圧されないように静かにそれを見つめる。
「僕は彼女と僕自身に誓ってる。一生を彼女と添い遂げるって」
「だとしても、物事には手順というものがあるだろう。聖堂で、神父様の前で神に誓ってもない。誓約も、指輪の交換だって」
 父は話にならないと言った風に首を横に振った。
「聖堂で、では無いけれど、もちろん神にも誓ってるよ。そして毎日アリスの幸せを祈ってる」
「そういうのは、教えにある通りにやらなければ意味が無い」
 頑な父を見て僕は思い出す。僕だってずっとそう思っていたこと、少しでも教えを外れたらと小さくなって生きていたことを。
 その凝り固まった考え方を変えたきっかけは『あの言葉』――それは今でもしっかり心に刻みついていた。
「ねえ、父さん――心を尽くして祈るよりも、形式が大事かな? 聖堂で祈らなければ神は現れないのかな? だとしたら、そんな神は偽物だと僕は思う。昔、僕の尊敬する人が言ったんだ。『信仰とは自らを生かすもの。縛り付けるだけのものではない』って。僕もそう思う。僕らは少しでも強く生きられるように神を信じるんだ。神の作り出した〈形〉を信じて弱くなるんじゃ意味がないんだ。第一、僕らの神はちょっと手順を間違えたくらいで見捨てるような、狭量な御方じゃないはずだ――そうだろう?」
 父はしばらく初めて見るような目で僕を見ていたけれど、やがて、
「どこでそんな屁理屈を覚えた? ……罰当たりめ」
 と、弱々しく言った。
「罰なんて当たらない。僕は悪い事をしていないから。でも本当にあるのなら……罰くらい受けるよ。彼女のためならいくらでも」
「勝手にしろ――わしは知らん」
 父は再び後ろを向く。だけど、その背中には前までの拒絶は見えず、替わりにあるのは戸惑いだった。
「頼むよ、父さん。もちろん今すぐとは言わない。だけど、僕が彼女の両親を説得出来たら、その時は父さんも結婚を認めて欲しい」
「説得が出来るとは思えんし、わしには分からん。どうしてお前はそこまでする? あの子のどこがいい。そりゃ、確かに可愛いお嬢さんだとは思うが」
「僕にもよく分からないよ。可愛いけど、めちゃくちゃ我が儘だし、やる事なす事無鉄砲だし、子供で空気読めないし――」
 父はさすがに「大丈夫なのか?」と眉をひそめるけれど、僕は大丈夫と頷いた。
「でも、それでもどうしても好きなんだ。僕が守ってやらなきゃって思うんだ」
 背を向けたままだけど、僅かに耳を傾けた父に、少しだけほっとした。今まで話すきっかけさえ与えてもらえなかったけれど、僕と彼女の不思議な縁をようやく口に出来る。そして、どうして僕が彼女を守らなければならないのかも。

「――父さんは覚えてないかな。昔、僕がまだ小さい時に広場に居た、小さな女の子の事。それから、うちにやって来た銀色の猫の事」

 二つの大切な出会い。懐かしさにくすりと笑うと、僕は長い長い思い出話を始めた。それはまるで『むかしむかしあるところに』で始まるおとぎ話のようだった。
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