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あたしは、猫。 作者:山本 風碧

第二章 花嫁がやって来た

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6 限りなく恋に近い想い

 ――ガシャーン

 扉の外でなにか大きな音がした気がしたけれど、僕はそれに気を向けるどころではなかった。
「あらあら。そうきたのぉ? オヤジも少しは頭を使うようになったのね」
 シャルルは呆然と手紙を取り落とす僕の足元へちょこまかと移動してくると、手紙にざっと目を通す。
「なになに? 人食いを倒した〈英雄〉に褒美をとらす、ですって? んまあ、えっらそうに。……この様子じゃ、あなた利用されてすぐにポイ、ねぇ。仮にも侯爵って名乗ってるのに、手紙であっさりこんな事申し込むなんて馬鹿にしてるとしか言いようが無いし。うーん……っていうか、こんな手紙送りつけてくるってことは、身分詐称はバレバレってことなのよねぇ。まあ想定内ではあるけれど。さあて、どうするべきかしら」
 シャルルがブツクサ言っていたが、その言葉は右の耳から入って左の耳へと抜けていく感じだった。
 ……僕が、お姫様の婿?
 頭の中はそのことでいっぱいだった。
 古いおとぎ話なんかではよくある話。貧乏な少年が何かの偶然でとんでもない幸運を手にするという。でもまさか、自分がそんなことになろうとは。
 僕がまだ呆然としていると、シャルルは僕を見上げ、小さな口から飛び出した歯を白く光らせてニヤリと笑う。
「いいじゃなぁい? 向こうが利用するつもりなら、こっちだって利用させてもらえばいいんだし。王家の婿となれば、ウチで払ってる給金の何百倍もの財産を手に入れられるわよぅ? いい話じゃない」
 働き過ぎで腰を悪くした父の姿が脳裏に浮かんだ。もし僕が金持ちになれば、父に楽をさせてあげられるかもしれない。もっといい家に住んで、暖かい服を着て、もっとおいしいものを食べて。
 今貰っている給金は、決して悪いものじゃない。今迄に比べると何倍もの金額だ。食うに困る事は無くなった。しかし、贅沢を出来るほどの額でもない。父と僕とアリスの食費を出してしまった後にはほとんどお金は残っていなくて、新しい服を買うとしても、少しずつ貯金をして半年後にやっと一着買うのが精一杯。新しい家なんて夢のまた夢。そんな生活をしていれば、王家の婿などという話はあまりに魅力的な話だった。
「今度視察がてら会いに来るって書いてあるじゃない。話だけでも聞いてみたら?」
 シャルルは迷う僕の背中を押すかのようにさらに続けて言う。
 とりあえず……話だけなら、いいか。会ってみて、こっちが断られる可能性の方が大きいんだし。
 僕はニタニタ気味悪く笑うシャルルを少々不審に思ったけれど、結局促されて手紙の返事を書く。そしてそれを届けてもらうため、呼び鈴を鳴らしアリスを呼んだけれど、彼女はいつまでたっても現れなかった。
 ……変だな? いつもなら、すぐに飛ぶようにやってきて、でも「急いでないわよ」ってそんなそぶりを見せるのに。
 気になって扉の外を見ると、そこには掃除道具が投げ出されたままになっていて、僕は彼女がさっきの話を聞いたのだと気がつく。
 大理石で出来た床の上に転がった薄汚れたバケツ。そこから溢れる水が、ちょうど猫のアリスのような形をしていた。
 傷ついたのかな……。そう思って胸が痛かったけれど、もともと、アリスは猫なんだ。アリスが求めるものは、お姫様と貧乏少年との結婚より、もっと非現実的だ。――早々に諦めてもらうしかなかった。
 瞼の裏には、アリスのふんわりとした笑顔が焼き付いたままだった。思い浮かべると甘い甘い菓子を食べたような幸せな気分になる。……この城に初めて来た時以降、もう見る事はないけれど。
 その気分は、限りなく恋に近かった。胸の痛みに誘われて、ふと昔の思い出が蘇る。雨にぼやけた景色、空色のリボンとお日様色の髪、それから――僕が守れなかった笑顔。
 僕は頭を振ってそれらを追い払う。そして足下のモップを手に取ると、水で描かれた猫の絵をそっと拭き取った。


 夜が空の色を濃紺から黒に変え、暖炉の火が縮むように消えて、深々と部屋が冷えていく。窓際の空気だけが凍り付いたような色に見えた。
 待てども待てどもアリスは現れず、僕は自分が実はいつも彼女を待っていたんだと今更ながらに気がついた。
 彼女はあの手紙の内容に傷ついただけでなく、ひょっとしたら、もっと早くから僕とシャルルのやり取りを聞いていたのかもしれない。僕が本気で迷惑がってるって……そう思ったのかもしれなかった。
 確かに困ってはいたけれど、それはアリスが嫌いとかそういうのじゃなくって。むしろ逆で。でも、アリスはそんな風に誤解してるかもしれない。
 長い長いため息をつく。
 前、僕が「嫌いだ」と言った時の、アリスの悲しそうな顔を思い出す。あれだって、アリスに悪気があったわけじゃなかったんだ。もっと言葉を選べば良かった。いつだってそうだ。言葉を発した後に後悔するんだ、僕は。
 でも……この気持ちに終止符を打つには、アリスが誤解してる方が好都合だった。離れていればきっとこれ以上アリスに対する想いは膨らまないだろう。
 僕は一人で寝ると妙に広いそのベッドで、ひっそりと横になる。もう端に身を寄せて眠る必要は無く、ベッドの中心に堂々と体を広げれば良かった。
 広く感じるその分だけ、寒さが身にしみる。いつも懐炉のように僕の隣を暖めていた、小さな少女の形をした猫は、気まぐれに飛び込んで来たかと思うと、僕の腕の中に収まる事無く擦り抜けていく。
 一体どこで眠っているんだろう。今日は今年一番なんじゃないかってくらいに寒かった。毛布を追加したくらいだ。温もりを求めてどこかに潜り込んでいるかもしれなかった。
 ……シャルルのところ? それとも、まさか、ジョアンのところ? ――少女のなりで行ってないだろうな?
 想像して胸がざわざわした嫌な気持ちになる。
 心配する資格なんか無かった。僕は飼い主でさえないのだ。彼女はある意味自由な野良猫。どこへ行こうと彼女の勝手だ。でも、その行き先がひどく気になった。
 アリスがいると眠れない、そう思っていたけれど……アリスがいないと余計に眠れなかった。
 ――その日から、アリスは僕の部屋へ現れなくなった。

 *

 この国には王子が二人、王女が三人いる。今回の相手の姫というのは、ローズ姫。美人だと噂の第三王女だった。
 訪問の日取りはあっという間に決定し、僕は急いで準備を整えなければならなかった。
 いつも通りにメイドの仕事を一時放棄して食事を終え、僕の分のデザートまで平らげ、ようやく給仕の仕事に戻ろうとエプロンを着けるアリス。彼女を引き止めて、僕は声をかける。
「アリス」
 彼女は夜に僕の部屋にやって来ないだけで、それ以外は今まで通りに僕に接してくれていた。ときどき悲しそうに僕を見つめているのに気がついたけれど、彼女が必死でそれを隠している様子だったので、気がつかない振りをしていた。
 それから――おそるおそるジョアンやシャルルに探りを入れてみたけれど、彼女は夜、あてがわれた部屋で普通に過ごしているらしい。それを聞いて、僕は自分の勝手さに幻滅しながらも安心していた。
 アリスは「なあに」と言いながら畏まったような表情を浮かべる。これから言われる事を知っているかのよう。彼女には似合わない硬い表情だった。
 その様子から見ても、もう知っているはずだった。でもアリスには直に伝えようと思っていた。大きく息を吐くと、その勢いにのせて言葉を放つ。
「今度、王様と、そのご息女のローズ姫が訪問されることになったよ」
 アリスの表情は僕が言葉を投げる前のまま、凍り付いていた。
「……王は、僕を婿に、と言われてる」
 そう言うとアリスは一瞬泣きそうな顔をして俯く。顔を上げた時にはその顔には笑みが浮かんでいた。
 しかし、
「よ、よか、良かったじゃない。これで貧乏脱出ね! あたし、頑張った甲斐があったわ!」
 声は裏返っていた。
 あぁ――また貧乏って言ってるよ。まあ本当の事だから、いいけど。
 アリスは動揺すると一言多くなる。あまりにも分かりやすい。
「アリスったら、無理しなくてもいいのよぅ?」
 傍で聞いていたシャルルが憐れむような顔で口を挟む。
「なに言ってんのよ。む、無理なんかしてないんだから! やっと恩返しが終わって、清々してるくらいなんだから!」
 清々してるって、そんなこと言ってしまったら、恩返しも何も無いだろう……。
 僕が小さくため息をついて見つめると、アリスもはっとして、苦虫を噛み潰したような顔をした。
 今は何を言っても無駄だろう。彼女が墓穴を掘り続けて、自己嫌悪でその穴の中に落ちてしまう前に退散する方が良さそうだった。
 僕はアリスを頼むとシャルルに目配せすると、席を立つ。
「……当日は、王様とお姫様に失礼の無いようにお願いするよ」
 アリスの顔は見ることが出来なかった。こんな時に気の利いた事を言えない自分に腹が立った。
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