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あたしは、猫。 作者:山本 風碧

第二部 第一章 消えた魔法の猫

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11 夜の闖入者


 麦の収穫が近づき、昼間は仕事に忙殺されて、帰ってから泥のように眠る日々が続いた。
 僕が家路についた時には、アリスはいつも眠っていた。夜遅いから特に気にしなかったけれども、そんな日々が一週間続いた頃。僕はアリスの寝顔しか見れない日が、いつの間に当たり前になっている事に急に気が付いて焦った。
 今までならば、そういう日が続くとアリスは僕の帰りを待って夜でも起きていることがあったのに、それはこのところ全くなかったのだ。
 マリーに聞けば、昼間はごく普通に過ごしているという事で気にしなかった。イーヴと遊んだり、庭を弄ったり。笑顔も見せるし、普通より元気がいいくらいだという事だったし。食欲もあるし、弱っているという事も無さそう。
 ――ただ、僕と話をしないだけだ。僕にその元気な顔を見せないだけだった。
『逃げられちゃまずいってわけか』
 何気なくドゥが言った言葉が改めて胸を抉った。アリスが離れて行っている気がしてならなかった。どうしてか分からないけれど、そんな気がしてしょうがなかったのだ。
 彼女と話をしたくても、寝顔しか見れない。本当にすやすやと寝入っていて、狸寝入りをしているわけでもない。以前なら、口づけ一つで目を覚ましたお姫様は、まるで〈王子様のキス〉でなければ目を覚まさないと訴えるかのように、固く目を閉じたまま。おとぎ話の眠り姫のように深い眠りに落ち、目覚めないアリスに、僕は途方に暮れた。
 一度強引に揺り起こそうとしたけれど、なぜか見張っていたマリーにこっぴどく怒られた。男の都合で女の生活をかき乱すなと。僕がアリスを抱きたがっていると、誤解しているようだった。……まぁ、ここしばらく彼女の肌を拝めていない。だから、完全には間違っては無いけれど、もちろんそれ以上に話がしたかった。


 アリスが中央を占領するベッドの端にひっそりと潜り込むと、背中に僅かな息づかいと熱を感じた。
 彼女が猫だと思い込んで、避け続けていたあの日々を思い出すと、なんだか懐かしくもあり、情けなくもある。相変わらず沸き上がる劣情を苦笑いで上書きしようとして失敗する。
 ああ、触れたいな。抱きしめたい。
 抱き枕のように抱くだけならば許してもらえるかもしれないけれど……どうやらそれだけで済むとは思えなかった。ここ数日溜め込んだものも手伝って、少しでも触れればたがが外れそうだった。長年連れ添った老夫婦の様にただ隣に眠るには、僕はまだまだ若すぎた。
 そんなこんなで、全く眠気がやって来ない。無理矢理に眠ろうとしても駄目だった。
 さすがに眠っている彼女に手を出すほど落ちぶれたくもない。アリスも許さないだろうし、マリーに見つかれば……女の敵だと殺されそうだ。
 かといって別室で休んで、彼女を一人にするのは心配で無理だった。
 羊を数えてじっと堪えていると、どこからかガリガリと爪を研ぐ音がする。
 ――あいつか。
 僕はまた扉の修理に頭を悩ませる。確か、猫の爪に強いような素材が開発されたという話を思い出し、壁の張り替えを考えた。
 そうしているうちに、ガリガリという音が少し離れた場所でまた響いた。かと思うと、突然人のうめき声が聞こえた気がした。
 僕は眉をひそめた。
 なんだ――?
 声がするのは左翼側からだった。妙に大きく響く音は、きっと玄関のホールで音が共鳴するから。つまりは中央の部屋――書斎だ。直感で分かり、僕はそっとベッドから抜け出した。


 扉を開けると、今度はひそひそと人の声が聞こえた。曲面を描いた壁に共鳴したそれは、重さと不気味さを纏って僕の耳に届いた。
 ぎょっとしたけれど、辛うじて声を飲み込んで、音がしないように扉を完全には閉めずに、足を部屋の外に一歩進めた。
 ひっそりとした廊下にはぱっと見た感じでは人の気配はない。手すりから顔を出し、階下も覗き込むけれど、小さな燭台に照らされた薄暗い玄関には誰も居なかった。
 ひやりとしたものを背に感じる。火種を探してポケットをまさぐる。燭台は階段のすぐ上。火を灯そうかとしばし逡巡して、結局止めた。火が着けば、目印になる。強くなろうと努力はしていても、元々農夫の息子の僕には現時点では戦力が殆ど無い。ならば、こちらに気づかれない方が安全だと踏んだのだ。
 今日は珍しくドゥとトロワのどちらも城にいない。マリー――おそらく彼女がこの城の中で一番頼りになる――に手を借りる事も考えつつ、足音を立てないようにと、靴を脱ぐ。一応武器になりそうなものを探し、壁沿いに置いてあった空の銅製の花瓶を手にした。
 壁沿いに書斎の入り口に近づく。

『ああ、やっぱり鍵が無いと無理か。……窓も駄目だったし、鍵はあいつが持ってるのか? それとも女の方?』

 書斎の前には人影はなかった。だが、どこからか密やかな低い声が聞こえる。しわがれた、男の声に思えた。

『アレはもうここにしかないって言ってたしな……なんとか手に入れないと』

 アレって? そう思いながら目を凝らす。声の主は未だ見つからない。いくら凝視しても、暗い闇があるばかりだった。
 深夜、燭台の火は玄関以外には灯していないが、それでも人影があれば分かるくらいの僅かな光はあった。しかし、何も見えない。何も見つけられなかった。
 賊の類いなら、それはそれで怖いけれど……。
 急に所々苔の生えた石の壁や飾られた骨董品の数々などに代表される、城の古さやおどろおどろしさが気になりだした。普段気にしなくても、こんな風に恐怖に心が染まると妙に視界に入って来る。
 も――もしかして亡霊か?
 得体の知れないものにぞっとして、僕は思わず一歩後ずさった。しかし、その方向が決定的にまずかった。
「うっ、――わ!」
 空に浮く感覚に焦った時には、僕は一段階段を踏み外していた。慌てて前屈みになったけれど、崩れたバランスは直せなかった。
 思わず頭を庇って横倒しになり、数段転がり落ちる。
「――……った……」
 ずどどどとすごい音がしたけれど、とっさに体を丸めたおかげで膝と背中を打っただけですんだ。
 なだらかなカーブを描いた階段を、勢いに逆らわずに中央の踊り場まで転がり落ちたところで、左翼側から「リュシアン様? どうかなさいましたか!?」とマリーの声がした。
 その声に勇気をもらって跳ねるように起き上がった。
「――大丈夫、でも書斎に誰かいる!」
 大声で返事をして階段を上る。あれだけの音を立ててしまえば、声の主が気づかないわけがない。逃げられると思ったのだ。
 声の主が言った言葉が引っかかっていた。
 今、『アレ』に相当するものは一つしか思い浮かばなかった。この城で一番盗まれる可能性が高いのはアリスだ。だが、アリスは書斎には居ない。ここにあるもの、そして次に狙われるのは――
 昔見た王とローズ姫の卑しい笑みがまなうらに蘇る。思わず胸のポケットを探ると、硬い感触。まだ効力を残した魔法の鍵。これを僕が持ってる限りは盗まれる事は無いけれど、盗もうとしたことがまず許せなかった。
 書斎にはシャルルの残した魔術書が多く残されている。残して行った――つまりシャルルは僕を信用して預けたという事だ。それならば、僕は彼の意志も継ぐ。――二度と彼の研究を悪用されてたまるものか!
 書斎の前に駆けつける。今度は怯えず迷わずに、頭上にある燭台に火を灯す。
「ど、どうなさったのです? 泥棒ですか?」
 駆けつけたマリーを振り返ると、彼女は寝間着姿で棍棒――一体どこに隠していたのだろう――を振り上げていた。
 頼もしい助っ人にも僕は肩を落とし、目の前を指差した。
 そこには人がいた形跡どころか、何の形跡も残されていなかった。
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