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あたしは、猫。 作者:山本 風碧

第二部 第一章 消えた魔法の猫

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10 猫に焼きもち

 城に到着したのは夕暮れと同時だった。月明かりだけが照らす闇の中にそびえ立つ城は、古さも手伝っておどろおどろしい雰囲気が増す。馬車から降りると門の隣の鐘を撞いた。するとマリーが通用口から顔を出し、大門を開けるのを手伝ってくれる。
 馬車を片付け、馬を馬小屋に連れて行くと、ドゥとは玄関で分かれた。彼は「後で食事に呼んでくれよな。豪勢なのをよろしくな」とマリーに向かって念を押して、よっこらしょと言いながら左側の階段を上っていった。仕事上、たまに泊まりに来る彼らは、一応客用の左翼に案内する事にしていた。マリーの部屋も一応左翼にあって、右翼全体が僕とアリスのプライベートな空間――つまりアリスにとっては縄張りのようなものだった。
 右翼には食堂や居間も含まれる。この間アリスが怒ったのは、そのプライベートにヨランドが突然入ってきたからだろう。ドゥやトロワと違って、きっとまだ耐性が全然出来ていなかったのだ。次は――出来るだけ次は作りたくはないけれど、もしあるのならば――気をつけなければいけない。
 城に戻ってもアリスは迎えに出て来なかった。いつもは鐘が鳴ると率先して現れて「おかえりなさい」って飛びついて来るのに。
「アリスは? まだ怒ってる?」
 空っぽの腕の中を寂しく思いながら、僕はマリーにアリスの事を尋ねた。もし怒っているのなら仲介を頼もうと思ったのだ。
「お嬢様は疲れて眠っていらっしゃいます」
 そう言う彼女も妙に疲れた顔をしている。
「何かあったの?」
 尋ねると、
「猫の看病をお嬢様なりに一生懸命されたようでねぇ……」
 マリーはため息をつきながら、厨房へ案内する。
 いつもマリーに整理整頓されている厨房は、まるで泥棒にでも入られたような様子だった。散乱した調理具、食器や食料を見て、僕は目を丸くした。
「止めておいてもらいたかったんだがね。私がお医者さまを呼びに行っている間に、お腹を空かせた猫にねだられて……。随分頑張られたみたいだよ。これでも随分片付いたんだ。ああ、夕食は遅れるが、我慢しておくれ」
 僕はテーブルの中央にあった、焦げた〝何か〟を観察する。アリスの作品だ。平たい皿の上に、乾いて真っ黒に焦げたものがこびりついている。いくら見てもこれが何なのかが分からない。――な、なんだか、退化してないか? 前料理を頑張っていたときは一応何を作ろうとしたかは分かったと思うんだけど。
 じっと凝視しているとマリーは物体の名称を教えてくれた。
「パン粥、らしいよ。急いで作ろうとされたらしくて、焦げちまったんだよ」
「……粥、か」
 その名に、彼女がよほど看病したかったのがありありと伝わった。前に彼女が風邪を引いた時に粥を食べさせてあげた事を覚えていたのかもしれない。
 ……でもこれでは僕は迂闊に倒れられない。出てきたのがこれでも……アリスが作った物なら、何がなんでも食べるつもりだから。それにしても……
 僕は首を傾げた。
「なんで急に可愛がるとか、そんな気になったんだろう。飼うっていってた時も、そこまで世話を頑張るって感じじゃなかった気がするんだけど」
 確か昨日頭を撫でてた時も、なんというか……生き物を扱ってるってより、ぬいぐるみと遊んでいるような様子だったし。
 考え込む僕の前で、マリーはため息をついた。
「名前を付けたとたんに愛着がわいたんだろうねぇ。気持ちは分からないでも無いけどね」
「名前? つけたの?」
 というか、まだ付けてなかったのか。アリスらしいと言えばらしいけど。
「確か、〝イーヴ〟とか名付けられて、可愛がっていらしたよ」
 マリーはそう言うと窺うように僕を見た。何を問いたいのかすぐに気が付いて頷いた。
「ちょっと様子見て来る」
「起こすつもりかい?」
 不満げな声に、僕は首を振る。
「無理に起こしたりはしないよ。顔を見るだけだ」
 マリーはどうも僕を誤解している気がする。小さくため息をつくと寝室に向かうべく、玄関から両翼に張り出した右側の階段を上った。


 予想通りに部屋は寝静まっていた。大人三人ほどが眠れそうな大きなベッドの上。アリスは、中央で丸くなって気持ち良さそうに寝息を立てていた。
 いつものように布団を蹴飛ばしてしまっている。どちらかというと寒がりなのに、きっと寝相が悪いからだろう。横になった彼女の薄い桃色の寝間着は、腿の途中まで捲れていた。まるで子供のような無防備な寝顔との差異に苦笑いをするものの、直後彼女が腕に抱いている影が眠っている黒猫だと気づいて――それから彼女の寝間着を膝まで戻した。彼女の肌は猫にだって見せてやらない。
 ――アリス、ただいま。
 心の中で小さく囁いて、頬にキスをする。するとアリスの代わりに猫の耳がぴくりと反応した。アリスは深く眠っているようで全く反応無しだった。
 起こすつもりも無かったので、僕がベッドを離れようとすると、猫がのそりと起きだして、アリスの腕の中で大きく伸びをした。
 琥珀の目が見開かれる。暗い部屋の中では中心の瞳孔が大きく開かれ、前に見た時よりも可愛らしく思えた。
 それを見ていると、猫に妬くなんて馬鹿馬鹿しいように思えてきた。それにアリスの猫ならば、僕の猫でもある。
「イーヴ、ってアリスが名付けたんだってね。よろしく」
 親愛を示そうと、撫でるために手を伸ばすが、黒い前足でぴしりと払われた。
 なんだ、人がせっかく――――!?
 目を剥く僕の前で、イーヴは目を細め、ふんと笑うような声を出した。そして、眠っているアリスの胸(よりによって胸だ!)に顔をすりつけようとする。もちろん、直前で首根っこを捕まえて阻止する。
「ぎゃうぅっ」
 イーヴは憤慨した様子で牙を剥くと、僕の手に噛み付こうとする。
「――そうはいくかよ!」
 猫との喧嘩に多少慣れた僕は、イーヴの首の皮だけを掴んだまま、彼を自分の体から目一杯引き離してそのまま扉に向かった。イーヴは悔しがって尖った爪で攻撃して来るが、ギリギリのところで僕の肌には擦らなかった。
 そして部屋の外にボールのようにぽいと投げ捨てると、立ち向かって来るその鼻先で、慌てて扉を閉めた。
「フー」という苛立った声と、ガリガリと扉を引っ掻く音が暫く続き、僕は扉の修理の事で冷や汗をかきながらもじっと彼が諦めるのを待った。
 やがて廊下に静寂が訪れる。
 張りつめた空気が緩むのを感じて、そっと扉を開けると、廊下からは猫の姿は消えていた。

「――なんなんだよ。あれは」
 僕は大きく息を吐くと、額にかいた汗を腕で拭う。そして、ふと我に返った。猫と半ば本気で喧嘩した自分に気が付いて……がっくりと項垂れた。
 ベッドを見ると、アリスは騒動の中でも未だすやすやと夢の中だった。
 その平和な様を見ているとじわじわと疲れが肩にのしかかる。胡乱な目で枕元を見ると、僕の聖典の隣に古ぼけた大きな絵本。それは聖典と同じくらいに厳かな空気を纏っていた。
 マリーが言うには、これはアリスがカルバン侯爵家へやって来る前からの持ち物らしい。つまり――アリスと彼女の母との思い出の本のはずだった。
 イーヴ、その名はこの本の中盤に出て来るおとぎ話の主人公。何度か読んだから僕も覚えていた。まるで昔の僕みたいだと思ったから余計にかもしれない。普通の、どこにでもいるような貧乏少年の名だった。
 本棚の中でもひと際目立つ絵本は、今まで彼女の目に映っていたのだろうか。――これを彼女が手に取った事で、何か流れが変わりそうな気がした。
 その変化が、良いものであればいい。僕はそう願いながら本をそっと手に取り――祈りながら大事に本棚に戻した。
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