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あたしは、猫。 作者:山本 風碧

第二章 花嫁がやって来た

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5 城主カラバ侯爵殿

 アリスが僕に城主代理という、とんでもなくおいしい仕事を持って来てくれて、早一ヶ月。ようやく僕も城主として様になって来た――と、思う。
 と言っても、まだまだシャルルには到底敵わない。彼はあんなネズミのなりからは想像できないくらいのやり手だったようだ。城の管理から領地の管理まで、まったく手を抜かず、実際、今期も広い領地から収穫した小麦でかなりの財を築いていた。
 僕もそれなりに頑張っている。――アリスの手を借りながら。
 彼女は昼間は人間の姿で城内を駆け回り、メイドとしてなかなかの活躍を見せている。掃除に洗濯、庭の手入れ、それに加えて、僕の仕事の細々とした雑務まで。
 最初は失敗こそしたけれど、このごろはそのメイドとしての仕事ぶりも随分板について来ていた。
 しかし――僕は、実のところ、困っていた。
 こんな恵まれた生活をしているのに、どうしてかと言うと――

 *

 一日の執務に疲れ果てた僕は、あてがわれた贅沢な部屋のベッドで横になり、眠りにつこうとしていた。信じられないくらいふかふかのベッドに枕。羽のように軽い布団。それらは僕の安眠を約束してくれるはずだった。――そのはずなんだけれど。
「リュシアン」
 部屋に響いた高い透明な声。
 僕はため息をつきつつ、部屋の入り口を見やる。僕の背丈の二倍はありそうなその重厚な作りの扉から、一人の可憐な少女が顔を覗かせる。
 銀色の髪に緑色の宝石のような瞳をもつ人形のような少女。しかし、その実態は、――猫。
 ――まただ。
「アリス」
 僕はもう一度ため息をつくと、咎めるように彼女を見つめる。
「自分の部屋で寝てくれないか。……何度言ったら分かるんだよ……」
「だって、寒いんだもの」
 アリスはメイド服から普段着の白いワンピースに着替えていた。僕の言う事なんか気にせずに、その白い裾を揺らしながらベッドに近づくと、羽の布団の端を持ち上げ、僕の隣に滑り込んでくる。
 ふわり、となんだか甘い香りが漂う。多分夕食の後に食べた、ケーキの匂い。
 アリスは猫のくせに何でも食べる。雑食だった。もちろん普通の女の子のようにクリームたっぷりのケーキだって大好物だ。夕食のときも、僕の分のケーキに早くから目を付けていて、僕が食事を食べ終わる頃には彼女にそれは平らげられていた。
 それでも太らないところが凄い。そのワンピースの短い袖から見える腕は華奢で、真っ白で、真珠のように艶やかだった。多分、腕だけではなく、その服の内側に隠れる肌は全部そうなんだろう。そんな風に考えて、慌てて頭を振る。その想像は――危険だ。
「リュシアンが駄目なら、シャルルのところに行こうかしら。それか、ジョアンのところでも……」
「駄目だよ」
「どうして」
 きょとんとするアリスに僕は言い聞かせる。
「シャルルはまだ良くても、ジョアンは駄目」
 ジョアンというのは、この城に昔からずっと仕えてるただ一人の使用人。中年の痩せぎすの貧相な男だ。見かけを裏切って、彼の本業は料理人である。表情が無く、顔色も無く、存在感も無い。はっきり言って不気味だが、彼の作る料理はかなりおいしい。腕を買われてるのは一口で分かった。あの味では、シャルルが痩せるはずも無かった。
「どうして」
 アリスは納得いかないようだった。再びそう口にする。
「シャルルはネズミだけど、ジョアンは人間だろう?」
 言って分かってもらえるとは思えなかった。案の定、アリスはまだ不思議そうな顔をしている。大体、猫にそんなこと言っても仕方が無い。感覚が違うんだから。
 ――僕のこんな葛藤、アリスに理解しろなんて、到底無理なんだ。
「……分かったよ。好きにすればいい」
 問うような視線に耐えられずに、僕は早々に白旗をあげた。そうだ。少しの間の我慢なんだから。他に行かれるよりは、ここに居てもらった方がいい。
「言われなくても好きにするわ」
 アリスはふんと鼻を鳴らすと、僕に寄り添うようにして体を丸める。その仕草は猫そのものだった。
 その温もりや柔らかさが届かないように移動すると彼女は不満そうに僕を睨んでまた寄り添う。それを繰り返してベッドの隅までやって来ると、僕はとうとう移動を諦めて大きく深呼吸をした。そして目を閉じて、無駄だと知りながらゆっくりと羊を数えた。
 百まで数えても眠気はやって来ず、諦めて今度は猫でも数えようと、薄目を開ける。隣の美少女は、銀色に輝く美しい猫に変わっていた。
 ――やっぱり、アリスは猫なんだよな……。
 僕のたった一つの悩み。それは隣でスヤスヤ眠る、この美少女な猫、アリスだった。

 今でこそ、こんな風に冷静に対処も出来るようになったけど、最初アリスが人の姿のまま僕の部屋に現れた時にはどうしようかと思った。
 実のところ僕は女の子は苦手なのだ。どう扱っていいかまったく分からない。
 昔、近所に住んでいた女の子を何気ない言葉で酷く傷つけてしまったことがあった。女の子は繊細で壊れやすかった。だから、それ以来変に避けるようになってしまったのだ。しかし興味が無いわけではない。だから、困る。
 最初の夜は、僕は彼女の行動にまったく対応できず、文句を言う事も出来ずに、隣に潜り込むアリスに一人固まったまま一睡も出来なかった。
 その日は、薬の切れが悪かった。彼女が猫の姿に戻ったのは、窓から見える空が白く輝きだしてからだった。
 ほぼ毎日と言っていいほどアリスは僕の部屋に現れる。人の姿でいる時間は日によって違うけど、猫の姿に戻ってから現れる事は無かった。せめて、猫に戻ってから現れてくれれば邪念に取り憑かれる事も無いのに……。僕は恨めしい気持ちでアリスを見つめるけれど、彼女にそんな気持ちはまったく伝わる事はなかった。

 蝋燭の光にに照らされて明るく輝く銀色の毛並みを撫でながら、物思いに耽る。
 今までひたすら真面目に、真っ当に生きて行こうと努力して来たつもりだった。でもアリスがやって来て、その道が妙な方向へと向いてしまった気がする。
 アリスは、猫だ――僕は毎晩自分に言い聞かせる。
 それでも、このまま行くといつか超えてはいけない一線を超えてしまうのではないか――。
 ただひたすらに不安だった。

 *

 午後の執務室は、ガラス窓から斜めに入る光でポカポカと暖かい。
 僕は普通の二倍以上に大きな重厚な作りの机の前に座り、淡々と書類をめくる。シャルルの元の体格に合わせてあるという事で……どれだけ大きかったのか、想像すると目眩がしそうだった。
 部屋には、先ほどアリスが持って来てくれた紅茶の香りが漂い、サクサクとネズミが菓子をかじる音も響いていた。
 そんな執務の合間の休憩時間のこと。
「頼むから」僕は業を煮やしてシャルルに例の薬の効果をもうちょっと縮めて欲しいと頼んでいた。アリスがメイドとして昼間人の姿になるのは仕方が無いけれど、せめて夕刻までに薬が切れて、夜寝る前には猫に戻って貰えれば平和に過ごせると思いついたのだ。
 シャルルは腑に落ちない様子だった。
「せっかくおまけしてあげてるって言うのに。変な子ねえ」
「……おまけ? 何の」
 不穏なものを感じて僕はシャルルを見つめる。
「まさか、あなた、アリスの気持ちに気がついていないって言うの? 鈍いわねぇ。アリスはそのつもりなんだから、ちょうどいいじゃない」
 その返答に僕は顔を赤くする。
 あれだけ分かりやすい態度だ、アリスに好かれてるってくらいは……さすがに気づいているけれど、そのつもりって……どういうつもりだよ。
 僕は咳払いをして、照れをごまかす。第一に――そういう問題じゃない。
「……アリスは猫なんだけど」
「別にいいじゃなぁい、〈その時〉に人のなりをしてれば」
 机の上のシャルルは、上品にお茶を飲みながら僕を見上げる。小さな手に持つカップは彼の手にぴったり合うような特注品だ。
 僕が羽ペンにインクを付けて渡すと、シャルルはそれを重そうに抱え、それでも軽やかな足取りで踊るように書面にサインを綴っていく。仕事を何もしないと太る一方なので、サインだけは、シャルルの仕事だった。
「人ごとだと思って……面白がってるんだろう?」
「あらあ? バレちゃった? だって、……そう! そ、その顔がいいんだもの! 苦悩する少年の顔って素敵!」
 急にシャルルはそのつぶらな瞳を輝かせる。飛びつかれそうになり、僕は慌てて椅子を飛び退いた。
「シャルル!」
 机の上の自分のカップを倒してしまい、書面に茶色いシミが飛び散る。
「あああ! なにすんのよぅ! せっかく書いたのに!」
 シャルルは書面の上で地団駄を踏み、キーキーとまくしたてた。
 なにすんのよは、こっちの台詞だ。彼の思考回路が僕にはまったく分からない。シャルルに相談しても、どうやら無駄のようだった。
 駄目になった書類をくるくると器用に丸めて机の隣にあったゴミ箱に転がり落とすと、ふと思い出したようで、シャルルがぼそりと呟いた。
「そうそう、そういえば、あのゴウツク親父から手紙が来てたわね」
「……ごうつくおやじ?」
 いったい誰の事だろう。
「あら? アリスに聞いてないかしら? この間の騒動については」
 そういえば、アリスにはこの城に来る事となった詳しいいきさつはまだ聞いていなかった。なぜ人食いの城に興味を持ったのかは謎のままだ。
「ゴウツク親父って言うのは、アレよ、王の事。そう呼ぶのも腹立たしいんだけどね」
「王?」僕は呆れる。この国で王様をそんな風に言うのはきっとこのシャルルだけなのではないだろうか。
「あの親父はねえ、優しげな外見をしてるけれど、裏では相当な悪事を働いてるのよ。もともと王様になれるような血筋でも無かったのに、不思議と継承者がどんどんと消えてね。いつの間にか何も知らない幼いお姫様を騙して結婚して、その地位を手に入れちゃってたわ。さすがにその話、少しは知ってるでしょう?」
 それは風の噂で聞いたような、聞かないような話だった。王様、お姫様のことなんか雲の上のこと。庶民の僕には想像もつかない。僕が首を傾げると、シャルルは呆れた声を上げた。
「駄目ねえ、今の若い人は。自分の国の政治くらい興味を持ちなさいよ」
 って、シャルルはいったい何歳なんだ。それにネズミにそんなことを言われたくはない。大体、底辺にいるような人間は日々生きていく事の方が重要なんだ。政治に興味を持つ時間なんて無い。そんな事考えてる暇があれば、働いた方がいい。
「で? それとアリスがどう関係あるんだよ?」
 僕はムッとしながら尋ねる。
 シャルルは、その小さな人差し指をピンと立てると僕に言い聞かせる。
「それはねえ。アリスをここに来るように仕向けたのが、実は王なのよね。猫一匹なら、私が油断すると思ったのかしら。まんまと引っかかっちゃったんだけどね」
 アハハとシャルルは笑うと、首に嵌ったアリスの腕輪を持ち上げようとする。未だそれは彼の首に食い込んでいて、少しの隙間も無い。案の定、ぴくりとも動かなかった。
「……王は、私の城と財産を狙ってるのよ」
 シャルルはそう言いながら、一転して真剣な顔をする。
「なんで」
 以前ちらりと話を聞いたときから不思議だった。……王様が民の財産を?
「だって、ウチって実は王家よりもお金持ちなんですもの。前は痩せた土地だったから目もくれなかったけど、地道に耕して麦畑にしたとたんにこれよ。昔っから悪知恵ばかり働いちゃって。人が必死で働いて手に入れた財産を横取りしようなんて、気が知れないわ」
 シャルルは頭から湯気を出しながらそう言っていたが、ふと考え込んで黙る。そして少しの沈黙の後、呟いた。
「……まあ……多分それだけじゃないんでしょうけど」
 シャルルは壁にずらりと並ぶ書棚をちらりと見る。そこにはたくさんの本が並んでいて、ほとんどが埃を被っている。とにかく古い魔法書のようだった。その背表紙に書かれている文字は外国語なのか、僕にはまったく解読出来ない。
「それで、手紙の内容は?」
 僕は話が脱線してるのを元に戻す。
「ああ、そうそう。いつもは読まずに捨てちゃうんだけど。だって税金をもっとよこせとか、ろくなこと書いてないんだもの。だけどあれはあなた宛だからまだ開けてないの。読んでみる?」
 指し示された手紙を手に取ると、宛名は『城主カラバ侯爵殿』となっている。このカラバ侯爵というのは、アリスが勝手に僕に命名したものだ。
 この間荷物を取りに家に戻った時父に聞いたけれど、人食いがカラバ侯爵という人物によって退治され、ユペールの領主が変わったという噂が、早くも城下町には流れているらしい。おそらく王にもそのように伝わっているのだろう。
 手紙は見た事も無いような、美しい鳥の刺繍の入った絹の織物に包まれている。艶やかな緑色の絹布に金糸の刺繍が映え、酷く豪華だった。
 これ一つでひと月……いや、半年くらい食べていけそうだ。
 そんな風に気を取られていた僕は、手紙を開いてもその内容がまったく理解できなかった。まるで別世界の言葉のように思えたのだ。

「うそだろう」

 呆然と呟いて、再度今度は声に出してみる。
 上質な紙の上で鳥のように踊り、僕の目に飛び込んできたその言葉は――

「――娘の婿になる気は無いか――だって?」

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