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あたしは、猫。 作者:山本 風碧

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雨が降っている

 その日は、朝から妙な天気だった。空は広く晴れ渡っているというのに、僕の髪は今朝はいくら梳かしても跳ねが直らず、微かに憂鬱さが抜けないまま馬車に揺られていた。
 もうすぐ冬になる。ブーツの隙間からすきま風が忍び込み、僕の足を凍えさせて行く。
 遠くに僅かに広がるどんよりと重そうな雲からは、今日あたり雪が落ちて来るかもしれない。山が白くなるのも間もなくだろう。

 今朝、アリスはベッドから出ようとする僕をギリギリまで引き止めた。いつもは眠ってる間に抜け出すのに、彼女は珍しく目を覚ました。昨日しっかりと仲直りもしないまま寝てしまったのが気になっていたのかもしれない。

『怒ってる?』
『怒ってないよ』
『じゃあ、呆れてる?』
『呆れても無い』
『き、き、キライになったり、とか』
『なるわけない』

 そんな感じで、離れたがらなくて困った。今日は打ち合わせがあるからと、君の考えてくれたパンについてだよとなだめると、ようやく諦めてくれたけれど。
 足元に纏わりつく猫のような、そんな彼女を思い出して、僕はふっと口元を綻ばせた。帰ったら、うん。抱きしめていっぱい撫でてあげたい。

 オーランシュに着くころには空は暗くなり、雨が降り出していた。あまりに突然で驚く。冷たいものの、雪でないことにほっとしつつ、まず僕は父の様子を見て、マリーとマルメロの実を挟んで新作のパンの打ち合わせ。そしてその件でパン屋さんに言づてを頼むと、その後、酒場に向かった。雨のせいもあって、辺りはすでに薄暗かった。あまり時間が無い。早く帰らないと。
「いらっしゃい」
 店の主人に軽く挨拶をすると、壁の掲示板に目をやる。目的のものは案外あっさりと見つかった。仕事を探しているというのは本当だったようだ。
「――ドゥ、トロワ、か」
 小さく呟いた時、後ろから聞き覚えのある声がした。
「俺たちをおさがしかい? 侯爵殿」
「! あ、ああ……」
 思わず飛び上がりそうになった。ぎょっとしながら振り向くと、昼間から飲んだくれているでこぼこの二人組が目に入り、すぐさま回れ右をする。
 やっぱり他を当たろう。そう思ったけれど、
「来ると思ってたんだ。ちょっと付き合いなよ。――嬢ちゃんのことだろ?」
 その言葉に足を止める。もう一度振り向くと、太った男――たしかこっちがドゥだったような――が手招きをしていた。
「クビになったってどういうこと? 権限が無くなったってことは、爵位については、全然進まなかったのか?」
 僕はこの際と一気に尋ねる。王からの返事は未だに来ない。この二人がクビになったということも考えると、例の切り札が使えなくなっている可能性があった。
「その前にさ。――嬢ちゃんはどうやって人に戻ったんだ?」
「あぁ」
 僕は手元のジュースを一口、口に含む。一滴の酒も入っていないはずなのに、ほろ酔い二人の酒の臭いに酔いそうになる。
 すぐにでも答えを聞きたかったけれど、彼らは譲らない。仕方なく、僕は彼女の家のこと、心の傷のことを手短に話した。
「ああ、それで。そりゃ……随分と可哀想だ。あの時も不安定そうだと思ったんだよなー」
 ドゥは悲しげに眉を寄せ、
「それにしても、猫から戻った人間の話は初めて聞いたな。前例がないはずだ」
 トロワはやはり淡々と言った。僕は彼の言葉に軽く眉を上げる。
「やっぱり前例はないんだ」
「――女王がよ、〈魔法の猫〉について調べててさ。そう言ってたぜ」
「お、女王様が?」
 驚く僕にトロワは頷く。
「ああ、"国一番"の権力者だ」
「え、でも。普通王様が一番偉いんだろう?」
「んなことも知らねーで侯爵やってんのか。前王に王子がいなくて、あのひとは婿なんだよ」
 ドゥが呆れた調子で口出しした。僕は記憶を探る。……ああ、そういえば、そんなことをどこかで聞いたような。
「小娘を騙して国を乗っ取ったつもりが、いつの間にか逆に傀儡にされてやんの」
 ドゥはゲラゲラ笑う。いいのか、そこまで馬鹿にしても。僕は少し心配になってそっと周りを見回したけれど、誰も彼も酔っぱらっていて(昼間からなんなんだ)ドゥの大きな声などまるで気にしていない。
 トロワは意外に優雅な仕草でワインを口に流し込むと、にやりと笑った。
「小物だったな……だが、その小物ぶりが俺たちは割と好きだったんだが」
「だよなー。どっか抜けてるところがよ。女王は逆にまったく隙がねえからな。自分の夫をよ、軟禁するかよ、普通」
「軟禁?」
「猫を飼っていることがばれて、拘束中だ。娘――ほら例のローズ姫だよ――と些細なことで喧嘩になって、例の趣味を言いつけられてさ。女王がついに切れたんだ。……間抜けだろ? まだ軟禁されてるだけですんでるけどよ。女王は魔法の猫を調べ始めて……で、今は例の店の裏組織を探らせてる」
「例のって」
「知ってるだろ?」
 さすがにドゥは声をひそめ、僕は頷く。――つまりは人身売買の組織のことか。
「早いな」
 それは賞賛に値するくらいに。だけど。
「調査には貴族が非協力的だからさー――ほら、あいつらも困るんだろうよ――これでも随分遅かったんだぜ? でもこの調子じゃ辿り着かれるのも時間の問題だよな。証拠があれば一発だろ。だから首を切られて感謝してるんだ、俺らは」
 そう言ってドゥは微かに笑ったあと、急に顔を引き締めた。
「……ともかくさあ、女ってこええんだよ……」
「お前の嫁は特にだな」
「…………」
 茶化されたドゥは肩をすくめ、僕にも同意を求めたけれど、僕は何も言えずにいた。
 予想もしなかった最悪の事態が訪れていた。
 思わず胸のポケットを押さえる。
 つまり、僕がこの手紙を使える可能性はなくなったということ。これは――女王が欲しがっている証拠には十分だ。使えば、王は言い逃れが出来なくなり、そして、組織は壊滅するに違いない。
 だけど――王がそんな風に失脚してしまえば……僕は同時に爵位を得ることが出来なくなってしまう。すなわち――アリスを手に入れることが出来なくなってしまうということ。
「――い、おい? にいさん?」
「あ」
 はっとして顔を上げると、ドゥが心配そうに顔を覗き込んでいた。
「顔が真っ青だぞ」
 トロワがハンカチを差し出す。
「あ、ありがとう……何でも無い」
「ならいいが」
 僕は借りたハンカチでこめかみの汗を拭うと、ジュースを一気に飲み干した。
「――で、そういや、なんで求人板みてたんだよ?」
「仕事なら引き受けるぞ、絶賛失業中だからな。侯爵なら少しは割のいい仕事も持ってるだろう?」
「……」
 〈侯爵〉〈割のいい〉、その言葉に躊躇って、僕が答えを出せずにいると、彼らは顔を見合わせて目配せする。
「――まあ、いいや、いつでも連絡しろよ、な?」
「じゃあな」
 彼らはそんな言葉と、テーブルに一枚の紙切れを残してそそくさと席を離れた。


「あーもう、なんでジュース一杯であんなに金をとられなければいけないんだ……」
 ドゥとトロワは勘定を僕任せにして行った。去り際に急いでいたような気がしたのはそのせいらしい。今度会ったら取り返してやろうと思いながら、家路を急ぐ。
 少しのつもりの寄り道だったのに、随分遅くなってしまった。まさか会えると思っていなかったし。まあ、収穫は……あったと思いたい。
 再び胸のポケットを握りしめる。
「どうしようかな」
 そう呟きつつも、答えは既に出ていた。僕の中の神は道を既に示していた。険しく辛い道を行けと訴えていた。すぐ隣にはなだらかな、易しい道が見える。昔は迷わず行っただろう道――さっきまでは、むしろそちらしか見えていなかった――は、今、行き止まりに見えた。頂上まで続いていそうな道は、一本だけ、白く輝いて見えた。
 シャルルの言葉を思い出す。彼は分かっていたのだろうか。手紙の使い道は一つではないと。あえてそちらを示さなかったのだろうか。僕がそう問えば、頭を使えと、いつもみたいに言うのだろうか。
 ――彼は今どこにいるのだろう。たくさん相談したいことがあるのに。
 しばらく目を瞑って、シャルルを思い出した。人間の姿ではなく、鼠の姿しか思い浮かばなかったけれど。

 いつしか馬車に揺られて眠っていたようだった。ふいに馬車が大きく揺れて目が覚めた。
 新鮮な空気を吸いたくて窓を開けると、暗闇の中、雨が白い線を引いていた。手の甲に降込んだ水滴が落ち、冷たさに体が震えた。西からやって来る重い雲が時折白く輝き、低く鈍い音が聞こえて来る。その光の鋭さに、地を割る音に、背筋が冷え、一瞬で目が覚めた。
 暗い城の中、ベッドの中で怯えている少女が一瞬で目に浮かぶ。
「アリス」
 馭者に言って馬を急がせる。もしかしたら、今朝離れたがらなかったのは、天気が不安だったのかもしれない。彼女は勘がいいから。嵐が来ると知っていたら、城を出なかったのに。それか今日は仕事に一緒に連れてくれば良かった。
 ――――どうか、雷が落ちませんように。
 祈りながらどうにか辿り着いた城の門を開けた瞬間、雷光が庭を照らす。小さな白い固まりが目に焼き付く。それは玄関の前で、土砂降りの雨に打たれていた。あまりの小ささに、僕には一匹の猫にしか見えなかった。――猫に戻ったかと思った。
「アリス!」
 僕の声にそれは弾かれたように立ち上がり、直後、冷たくやわらかい固まりが僕に飛びついてきた。
「おかえりなさい!」
「なんでこんなところで!」
 思わず怒鳴る。なんで、こんなにびしょぬれになって――
「待ちきれなかったの、リュシアン遅かったから、帰って来なかったらどうしようって――でも、ああ、ほんとによかったぁ」
 声は震えていた。真っ白な顔で満面の笑みを浮かべるアリスに、僕は「ごめん」としか言えなかった。すぐに彼女を抱き上げると、浴室に連れて行く。途中、廊下にあらゆるものが散乱しているのを飛び越えながらようやく到着すると、そこは昨日僕が使ったあとのまま、しんと冷えていた。いつもは沸かされている湯は水のままだった。
「あ――、ごめんなさい、忘れてた。あ、そう言えば、ごはんも作ってないかも!」
 彼女はそう言って申し訳なさそうにするけれど、――それどころじゃなかったんだろう?
 なんだか泣きたくなりながら、竃に火を入れて、すぐに部屋に戻る。彼女のワンピースを脱がせると、毛布にくるんで、髪を丁寧に拭いた。暖炉にも火を入れて、そうしたあとで僕も服を脱ぐ。毛布に一緒に包まると、氷のように冷たい体を力一杯抱きしめた。
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