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あたしは、猫。 作者:山本 風碧

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喧嘩をするとき

 ベッドの上でアリスがぼんやりと髪を梳いている。腰まである長い銀色の髪が蝋燭の光を受けて所々金色に光る。彼女は大抵髪をまとめているので、こうして下ろしたところを見ることが出来るのは寝室の中だけ。無防備な彼女を見ることが出来るのは、僕だけの特権だった。
 先ほど湯を使ってきたせいで、ふんわりと色づいた頬がかわいらしい。まるで子供の肌のよう。目線を下ろすと彼女の頬と同じような色が彼女の体を柔らかく包んでいる。彼女が着ているその華やかな寝間着はこの間シャルルが旅先から送ってきた荷物に入っていた異国土産――今は随分西の方に居るようだ――だったけれど、それは〈リュシアンへ〉と書いてある包みに入っていた。なんでかなと思っていたけれど、彼女がそれを身に着けてからその理由がよく分かった。ちなみに〈アリスへ〉と書いてある包みの中身は僕はまだ知らない。
「リュシアン」
「なんだい?」
「……なんでもない」
 冬に入ってからアリスは急に元気をなくしたような気がする。寒いのが嫌いだって昔の彼女は言っていたけれど、魔法の猫じゃなくなった今でもそうなのかもしれない。
 その上、こんな風に何かを言いかけてやめることが何度あったことか。戸惑った表情に不安になる。なんだか、まるで別れ話を切り出されるんじゃないかって(もちろん、そんなことあるわけないって思うけど)でも、そういう雰囲気でとっても嫌だ。
「そう?」
 こういうときにはっきり言ってくれと言えない自分にうんざりする。でもこんな風に彼女が言いよどむ時って、結局待つしかないってことを僕は知っていた。変にいじると別のとんでもないことが出てきてしまうのだ。僕はそれはそれで面白いなと思うけれど、彼女にしてみれば不本意なわけで。うん、やっぱり今はまだ待つのが無難な気がする。
 僕はアリスの手を掴んで、腕の中に囲う。柔らかい肌に口づけると胸がじわっと熱くなる。なんだろう。どうしてだろう。もうこんな夜は何度も過ごしたというのに、どれだけでも求めてしまう。いつまでも慣れなくて自分が情けない。
 こんな風に余裕が無い僕をシャルルは知っているのかもしれない。彼女の寝間着はリボン一つを解いたら随分簡単に肌から離れた。そうして触れた彼女の肌は湯を使ってきたというのにもう冷たかった。僕の熱が彼女の肌に馴染むと、ほんの少し安心した。彼女もそうだといいと思う。
 だけど、これは現実逃避なんじゃないかって訴える声が聞こえる。本当はもっと解決しなければいけない問題がたくさんあるんじゃないかって。それらを忘れたいだけなんじゃないかって。
 爵位のこと、支度金のこと、僕の父さんのこと、それから――アリスの母さんのこと。
 考えて考えて、本当は不安で溜まらない。アリスを手放さなければならなくなったらって。シャルルに言えば怒られそうだ。そんな逃げ腰でどうするのって。
「あったかい」
 アリスが僕の手を握る。冷たい手に一瞬体が強ばると、そんな僕にアリスは驚いたみたいだった。手を浮かそうとした彼女の手を逆に握りしめると、彼女はほっと息をついた。
「あたし、リュシアンとこうしてる時が、いちばん、しあわせ」
 彼女は独り言のように呟く。
「そうだね」
 僕は同意する。だけど、やっぱり心の隅で声がする。『本当に? 本当にそれでいいのか?』
 不安が膨らむ。それを消し去りたくて夢中になる。やがて、腕の中でアリスが眠り、部屋に沈黙が降りたときには、心の中の声と戦い疲れて、僕はくたくただった。

 *

「あ~あ」
 あたしはため息をつく。鈍い痛みを訴えるお腹をゆっくりさする。
 どうやら月のものみたい。だとすると一週間ほどはリュシアンと一緒に眠れない。それが寂しくって、それに、まず来てしまったことががっかりだった。
 あたし、いっそのこと子供が出来ればいいのかもって思ってた。
 この間シャルルから届いた荷物に入っていた手紙を読んで、思った。ああ、赤ちゃんがいればいいって。そうしたら寂しくないって。
 シャルルはあたし宛の手紙の中で「子供はまだなの? 早く見たいのに!」と書いていた。当たり前のようなその気軽さに、ああ、そっかと思った。子供が出来たらさすがにうちの両親もリュシアンのお父さんも何も言えないんじゃないかなって思って、あたしがその案を提案したら、リュシアンは真面目な顔ではっきりと「子供が出来ないようにきちんとしよう」って言った。――結婚より先に子供はまずいって。リュシアンのお父さんと同じ堅苦しい顔できっぱりと言い切った。そして、誰に教わったのか(すごく気になるんだけど、お父さんかしら? まさかね)……本当にきちんとし出した。
 リュシアンはなぜか妙に頑だった。彼は相変わらず信心深いし、譲れない部分なのかもしれない。でもそれを言うなら、出来ないようにすること自体、建前上聖典では禁止してるし――じゃあ、態度を変えたのが急だったから、誰かが何か言ったのかも。
 リュシアンは……赤ちゃん欲しくないのかな。あたし、リュシアンの赤ちゃん、産みたいな。
 ――こんなことを考えるなんて、想像もしなかったけど。
 リュシアンがお仕事に行ってる間、あたしはずっとお城に閉じ篭りっきりで、寂しくてしょうがない。この頃は、近所(っていっても馬車でちょっと行ったところの)の人が様子を見に来てくれたりもするけれど、リュシアンが知らない人が来ても門を開けちゃ駄目だって言ってたし、結局は居留守を決め込んでる。
 まだうちの両親があたしを取り戻しにくる気配はないみたいだけど――多分リュシアンから奪うものを奪った後にするんじゃないかってあたしは予想してる――彼は打ち解けた領民に頼んで領地に入り込む人間がいないか毎日調べているみたいだった。それでも不安みたいで、彼は腕の立つ使用人を雇いたいって言っていたけれど、なかなか信用できるいい人が見つからないらしくて、領地でお仕事するとき以外――例えば、遠くの領地に出かけたりと、たまに遠出する時はマリーに留守番を頼んだりしている。
 マリーがいない時は、あたしは寂しいお城で一人、掃除をしたり洗濯をしたり。お料理も練習して、少しは食べられるものも作れるようになってきた。そうやって毎日忙しいけれど、リュシアンが居る時と居ない時の差がとにかく辛かった。
 あたしはとにかく、この中途半端な状態をなんとかしたくてたまらなかった。
『これからどうするの』
 一番聞きたいことはそれ。それが全てかもしれない。だけど、他にもリュシアンに聞きたいことがたくさんあった。どうして子供が欲しくないのかとか、どうして駆け落ちじゃいけないのとか、そう聞いてる自分はひどく我が儘に見えるだろうなって想像がつく。それに、一度口を開いたら、堰を切ったように、色んな余計なことまで出てきそうだった。
 例えば、例のバルザックで見かけた女の子は一体誰なのとか、お父さんが恋人がいるって言ってたとか、それからそれから、どうしてリュシアンは一度もあたしの部屋に来てくれないのかとか、いつもあたしが押し掛けて本当は迷惑なんじゃないかとか。そ、それに、本当に女の子と付き合ったこと無いのなら、なんで扱いに慣れてるのとか、どこで知ったのとか……あたしが初めてだったのとか……あぁ、考えただけでも頭に血が上る!!
 もし聞いちゃったらすごくみっともないことになるに決まってた。
 毎日口を開こうとするけれど、そういう理由で駄目だった。あたしって、すっごく我が儘で疑り深くて、焼き餅焼きなんだと思う。そんな自分が嫌だなって思う。それに、今みたいに一方的なのは恥ずかしくて悲しかった。好き好き言ってるのがあたしばっかりみたいで。この頃余裕が出てきたリュシアンに、平気な顔でなだめられたらって想像すると、それだけでなんだか居たたまれなかった。
 ふいに手の甲に水が落ちる。
「あ、」
 慌てて目元を拭った。どうも精神的に不安定なのかもしれない。この時期は特にイライラしがちだし。
「……掃除、してたんだわ」
 そう呟いてはたきを握り直すと目の前の本棚の埃を払う。そんな中、妙に難しそうな本が目についた。小さな違和感を感じ、あたしはなんとなくそれを手に取った。

 *

 廊下をバタバタとアリスが逃げる。まるで猫のようにすばしっこくて、なかなか追いつけない。なんとか足を止めようと、叫ぶ。
「だ か ら ! 理由があるんだって!」
「聞かない」
「聞いてくれよ! あれはシャルルの……」
「じゃあ、なんであのいかがわしい本にあんな表紙がついてるわけ!? シャルルがコソコソするわけないじゃない――リュシアンのへんたい!」
 取りつく島が無い。完全に失敗した。アリスがあれに手を出すとは思わなかったし、今まで触れられた形跡がなかったから安心していた。
 ひと月ほど前、マリーに言われたことが気になって、シャルルの書斎に〈参考書〉が無いかって……僕は結構真剣に探した。そうしたら予想以上に出るわ出るわで呆れるほどの量だった。
 というわけで、一冊為になりそうな本を手に入れたはいいけれど、そのまま僕の部屋に置く分けに行かず……別の新しい本を買ってきて、表紙を失敬したのだ。アリスが絶対に読みそうにないものを選んだはずなのに……なんでなんだ。
 ようやく追いついて彼女の手首を掴むと、あっさり振り払われた。
「あ、あたしっ、今日から自分の部屋で寝るから!」
 ええ!?
「ま、待って――そんな、そこまで怒ること?」
「怒ること!」
「だって知らないと出来ないだろ、なんでも。それに、そもそも、子供のことをちゃんとしないとって、だから――」
 緑色の瞳でギロリと睨まれる。確かに、本の内容はそれだけではなくて、っていうか……まあ、それはほんの一部で、大半は別の〈為になること〉が書かれていた。そのおかげで、自分の間違いとか勘違いとか色んなことに気が付いたわけだけど。猫を参考にしてはいけなかったことが分かっただけでも十分すぎる収穫だった。これでアリスが怒ることも無いって、そう思っていた。
「僕は、ええと、ただ他の人に聞くわけにもいかないし……シャルルはいないしで」
 おどおどと、それでも正直に言うと、アリスは目を伏せたまま首を振った。
 一転、しゅんとした様子に焦る。
「アリス?」
「あたし、――リュシアンが子供のこと嫌がるのって……わかんない。いい方法だって思うのに」
「だから、それは」
 涙まじりの声に胸を突かれた。説明しようと口を開きかけたけど――
キミハ〈ハハオヤ〉ニナレルノカ? 
その言葉のもつ冷たさに、口が凍った。
「このままじゃ、あたしたち……いつまでも結婚出来ないのに。あたし、駆け落ちでいいって言ってるのに! あたし――リュシアンさえ居ればいいの!」
 僕は黙る。どうもアリスは随分溜め込んでる。このまま黙って聞いた方がいいような気がした。彼女が不安に思ってることはよく分かるし、そんな想いをさせてるのなら、全部受け止めないと。
「気になってることがあるんなら、この際言ってごらん?」
 そっと促すと、やがてアリスは気まずそうに切り出す。
「だから……リュシアンはほんとは別に女の人が居て、で、あたしは浮気相手なのかもとか……」
「…………はぁ?」
 なんだって? 今すごく話が飛躍したような気がしたんだけど。
「――あ、あたし、騙されてるのかもしれないってっ」
 そう言って彼女は急に床にしゃがみ込んだ。オロオロとかがみ込むと、彼女は膝に顔を埋めてしゃくり上げている。うわぁ、泣いちゃったよ!
「……あのね……アリス」
「ご、ごめんなさい、そんな訳無いってそう思ってたけど、けど、リュシアンが妙に慣れてたりとか、突然びっくりするようなことしちゃったりとか……気になってたんだもん。それから、前にお父さんがリュシアンに恋人いるって言ってたりとか、町中でメイドさんと話をしてたりとか、あの時は、見つめ合って、て、手とか握っちゃったりしたし! だから、きっとリュシアンは経験があって――あたし、前の恋人のこととか色々考えたくないのに考えちゃって! ああもう、絶対こんなこと言いたくなかったのに! ――リュシアンの馬鹿! へんたい!」
「あ、あぁ……」
 顔は見えないけれど、アリスの耳が真っ赤だった。それを見て僕も顔が赤らむのが分かる。ええと、これ、なんて恥ずかしい喧嘩だろう。って、――え? そういえば、なんか、昔〈アリスにばれたらただじゃすまない〉と思っていたことが……ばれてるような。ああ、それにしても。
 恋人なんかアリスの前に居なかったし、もちろんアリスが言うような経験も無い。慣れては無いと思うけれど、頭の中で――って、さすがに説明はしたくない。変態って言われるのがオチ……もう言われてるけど。
「ええと……全部誤解だと思う……」
 とりあえずそれだけ言うと、アリスは顔を伏せたまま僕にしがみついて来る。そして頬を胸に押し付けて、そのままそこで涙を拭っていた。
 その背をしばらく撫でていると、アリスの腕の力が急に緩んだ。彼女は頬を押し付けたまま、安心したように眠っていた。長い睫毛には一粒の雫。僕はかがみ込んでそれを唇で掬うと、ため息をつく。他愛ない喧嘩のはずなのに、どうしてもその言葉が胸に刺さって抜けそうになかった。
「――リュシアンさえ居ればいい、か」
 窓を見上げると、氷の色をした月がじっと僕たちを見つめていた。
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