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あたしは、猫。 作者:山本 風碧

第四章 優しく残酷な魔法

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30 手がかりは一つ

 ぐうぐうとうるさいお腹を忌々しく思いながら、前足の下の枕を爪で引っ掻く。細かい目が引き攣れ、小さく破けた隙間から白い綿が覗く。あぁ、綿飴みたい。そう思うと余計に切なくなる。
「変よ、絶対」
 あたしは綿飴を睨みながら呟く。変――それは、シャルルとジョアンのこと。
 今日の夕食がいつもより手抜きだったのだ。パンとカボチャのスープと川魚のソテーとデザートのプリン。いつもより二品ほど少ない。
 それに〈あの〉シャルルがおかわりをしなかった。おかしいと思って観察すると、今にも首がしまりそうなくらいに体が膨れていた。昼に見た時にはそんなじゃ無かったんだから、どこかで絶対何か食べて来たんだと思う。ジョアンが出かけてたから、きっと一緒に。
 シャルルはあんななりだから、出かける時は絶対に誰かと一緒なのだ。前に一人で出かけてどこかの猫に食べられかけたらしい。聞けば今は魔法を使うのにもいろいろ準備がいるらしく、即座に使う事は不可能なんだって。前みたいに変身して追い払うなんて事も出来ないし、下手したら命に関わるそう。
 でも一体どこに行ったのかしら。あたしだけのけ者なんて……しかも、あれだけ膨れてるんだもの。きっと美味しいものをたらふく食べて来たんだわ!
 怒りが増すと余計にお腹が空き、あたしは我慢できずに部屋を飛び出す。そして階段を下りるとこっそり厨房へ忍び込んだ。道具はいつも通り全て整然と片付けられ、釜からは火も落とされていた。
 あたしは何か食べ物をと闇に慣れて来た目で辺りを物色する。テーブルの上を見上げると、それらしき影。伸び上がってテーブルの上の籠を引き寄せる。甘いパンの香りがして、ほっとした。ああ、これで腹ぺこで寝なくてすむわ。
 そういえば……今日のパンは、なんだかすごく美味しかったのよね……。
 ガサリと紙袋からパンを取り出そうとすると、なんだか懐かしい香りが鼻に流れ込む。
 ん? あれ? この匂い。
 忘れかけていた記憶を無理矢理引きずり出す。これって――リュシアンの家の匂い?


 ベッドの上に置いたパン、その隣には少し皺のよったリュシアンの似顔絵。あたしは、二つを見比べるようにじっと睨む。
 そして一気にパンにかぶりついた。甘い麦の味。今までに食べた事の無いような、しっとりもちもちの上品な味のパン。
 一体どういう事? これ、多分、新聞に載ってた例のパンよね。だってリュシアンの家の匂いがついた袋なんて、まず他のパン屋さんでは使わないでしょ? それならそうとなんで言わないのかしら。噂のパンだから、美食家のシャルルが気にしたとしても、一言もリュシアンのことを言わないなんて……不自然過ぎる。
 なんとなくそこに企みの匂いを感じて、不満が競り上がった。
 あたしに隠れてこっそり、何をやろうとしてるのかしら。シャルルも、ジョアンも。
 ふとこの間からのシャルルの言葉が胸をよぎる。あたしにあれだけ諦めろとか、忘れちゃえとか言ってるくせに、自分はちゃっかりリュシアンと会ってるかもしれないのだ。
 ま、まさか……シャルルったら、あたしからリュシアンを奪おうなんて……考えてないでしょうね?
 ふとひらめいた考えに背筋がぞくっとする。
 見てるだけじゃ我慢できなくなったとか? あたしとリュシアンが喧嘩したのをいい事に、こっそり接近しだしたんじゃないでしょうね? だ、駄目よ! そんなの! リュシアンは、あたしのものなんだから!
 でも、あたしには会わないでシャルルには会うなんて……リュシアン……あたしの事忘れちゃったのかしら。あんなに好きだって言ってくれてたのに、あんな風に抱きしめてくれたのに、あたしが嫌いだって言っちゃったから。
 あたしと違って諦めのいいリュシアンだもの。すっぱりと忘れちゃってシャルルに――ううん、それは無いと思うけれど、他の女の子に乗り換えちゃってるかもしれない。
 オーランシュの町並みを思い出す。以前のリュシアンだったらあの町並みによく馴染んでて目立たなかったけれど、今のリュシアンは違う。ほぼ一年の城での生活で、外見も身のこなしも随分洗練されてしまった。あの埃っぽいところにあんな綺麗な男の子がいれば、そりゃあ目立つに決まってる。王子様と言われるのも納得できる。そう考えて急激に不安になった。
 じっと待ってたらリュシアンが謝ってくれる、それで全部水に流そうって思っていた。
 でも……そんな日が来なかったら? ほんとは手放したくなんか無いのに、こうしてる間にリュシアンが別の女の子のところへ行ってしまったら?
 どうしよう。あたしはただでさえ猫。最初っから他の女の子には全く敵わないのに。意地なんか……捨てなきゃいけないのに。手遅れになる前に、彼の前にすべてを投げ出して、もう一度あたしを好きになってって、お願いしよう。――媚びて、諂って、どんな手段を使ってでも手に入れたい。手に入れないときっと生きて行けない。
 なぜか急激にそんな切実な想いが沸き上がって来て、息が詰まる。
 なに? なんなの? この気分は……。リュシアンの事を考えていたはずなのに、途中から何か別の感情が交じり、心がどすんと重みを増した。体が震える。城を飛び出してリュシアンの元に駆けつけたくなる。でも何か心の中の小さな塊があたしを足止めする。「そんなの、らしくない」ってそっと囁く。今にも壊れそうな、ちっぽけなプライドを暖かく柔らかいものがふんわりと包んで、あたしを元の自分に戻してくれる。
 そうよ、あたしがそんな事をしたら、あのときのリュシアンを認める事になってしまう。それは、彼のためにもいい事ではない。そこを曲げたら……本当に欲しいものは手に入らなくなってしまう。
 危うく自分を見失いそうになっていたのに気がつき、ほっと息をつく。
 そして不思議な気分で前足で胸を押さえた。
 さっきの胸の重みと……この暖かいものは一体何? 頑張って正体をつかもうとしてみるけれど、結局何も分からず、あたしは諦める。お腹が満たされたためか、それとも頭を使いすぎたせいか、眠くなってしまったのだ。
 あくびを噛み締めながらリュシアンの似顔絵を睨む。
 いいわ。とりあえず、明日にでも様子を見に行ってみよう。悶々と考えるのも疲れちゃうし。でも、影からそっと見るだけよ? まだ、許してなんか……無いんだから……ね。
 自分に言い聞かせるとともに急激に瞼が重くなる。リュシアンの似顔絵があたしに向かって微笑むと、つられて微笑みそうになる。
 ああ、今日は……リュシアンの夢を見そうだわ。だめね、あたしやっぱりリュシアンに会いたいみたい。早く仲直りできたら、いいのに……。
 そう思いながら、あたしはゆっくりと夢の世界へと足を踏み入れた。


 *


 父が乾いた咳をしていた。
 今朝、真夏だというのに明け方急に冷え込んだので風邪を引いてしまったのかもしれない。
 パンを店に並べた後、その背中に向かって尋ねる。
「大丈夫?」
「ああ。気にせんでいい」
 声もかすれていた。よく見ると目が充血し顔色が悪く、急に心細くなる。父も歳だ。少しの無理でも体に負担をかける事には違いない。
「今日は店は早めに閉めよう。午後も、……僕、家にいるから」
 調査が少し遅れるかもしれないが、この際仕方が無かった。家には僕の他に父を見れる人間がいない。
「大丈夫だって。お前が何をやっとるか知らんが、大事な事なんだろう?」
「…………」
「わしのことはいい。お前はお前の事をしっかりやってればいいんだからな」
 父はそう言うと再び咳き込む。
 やはり不安だった。でも、父の頑固さは自分と同じだと分かっていた。変にここで構えばつむじを曲げかねない。
「……分かった。でも僕が出かけても、無理せずゆっくり休んでおいてくれよ?」
 こんなとき家に人がいればいいのにな、と考えかけて頭を振る。
 普段は全く気にもしないし、考えても仕方が無いが、こういう時は思い浮かべずにいられない。……母親の事を。
 父が無理をして来たのは、すべてそのせいなのだ。仕事も家事も育児もすべて一人でやって。
 僕の母親は僕を生んでまもなく亡くなった。思い出すらも無い。その温もりも知らないで育った。だから僕にとって父が全てだった。
 アリスの事はもちろん大事だけれど、父をないがしろには出来ない。どちらかを選ぶ事など出来ないのだ。
 そう思ったとたん、ふと何かが心に引っかかる。あれ? そういえば、なんでアリスは……
 考え込もうとしたところ、遮るように表から高い声が響く。
『すみませーん。もうパン売ってますかぁ?』
「あ、もうそんな時間か」
 扉から漏れる光の強さを見て、僕は慌ててエプロンを手に取ると店へ向かう。
 そうするうちに、一瞬ひらめいた事が何なのか、忘れてしまっていた。


 いつも通り日が昇りきる前にパンは売り切れた。僕は店の片付けを済ませると、ギラギラ照りつける日差しの中、荷馬車を使って隣町まで出かける。
 オーランシュの街を西に向かうと、深い森を抜け、川を渡り、隣の領地トゥール州の街バルザックへ入る。
 このバルザックという街は、街自体が大きく、上流階級が多く住むがために、彼ら専用の高級店が立ち並ぶ商業地が開けていた。食料衣類生活雑貨のたいていはこの街でそろってしまうが、特徴的なのが魔法関連店の多さで、例の魔法薬はこの街まで買いに来ていた。そして今は潰れてしまった、例の猫の店もここにあった。
 きっとアリスもあの店で売られていたのだろう。そして貴族に飼われていたというわけで。
 そう思ったから一番にここに調査に来た。閉まっている店も一応訪ねてみた。アリスを誰に売ったのか調べれば話が早いと思ったのだ。しかし、当然店は無人で、話を聞く事は出来なかった。
 人身売買の組織に乗り込めればいいのだろうけれど、さすがにこの間の騒ぎもある。今は鳴りを潜めているようで、シャルルがいくら探ってもさっぱり尻尾をつかめなかったのだ。他のやり方を探すしか無かった。
 それで、いろいろアリスの言動を思い出しながら街の人間に聞き込みをした。アリスは飼い主に関して何も語らなかったから、他の事から推測するしかなかった。手がかりは一つ。それは僕につけられた偽名『カラバ侯爵』。もしかしたら知っている人間の名を借りたのかもしれないと思ったのだ。
 それでカラバ侯爵という人物がいるかどうか調べたけれど、残念ながらそういう人物はいなかった。でも街で聞き込むうちに「カルバン侯爵?」と聞き違える人がいたのだ。
 まさかと思いつつ、そのカルバン侯爵について聞くと、その家で迷い猫を探しているという。昔新聞に広告も出ていたそうだ。特徴を聞くと、銀色の長い毛をした緑色の瞳の猫。ほぼ、間違いないと思われた。あとはそれがアリスか確かめて、もしそうなら探るのだ。――彼女がどこから連れて来られたのかを。


 カルバン侯爵というのはこのトゥール州の領主だった。そのためシャルルの城には敵わないが、当然屋敷も大きかった。黒い鉄の格子に囲まれた庭には色とりどりの花が植えられ、薔薇のアーチの向こうに見える中庭の噴水が日の光を反射してその庭を宝石のように飾っている。何人もの庭師が樹木を刈り込んでいて、緑色の彫刻が次々に作られていた。重厚な作りの門の前には門番が二人。脇に止められた馬車では馭者が馬の手入れをしている。城の立派さでは勝っていても、使用人の数ではシャルルの大敗だ。
 そんな風に建物の影から様子を伺いつつ、用意して来た荷をそっと見やる。
 ――〈これ〉でうまく行けばいいけれど。
 今思うとおそらくあの新聞記事はきっと僕の手駒を増やすためのシャルルの陰謀だろう。不自然なくらいに良い時期だった。裏で何か手回しがあったと考えた方が納得いく。相変わらず頭がよく回るようだ。少しは僕も見習わなければならない。
 それと、あと一つの武器は……。
 考えると憂鬱になる。ここまで来て今更だ。自分の持っている駒は数少ないのだ。有効利用するしか無い。そう思おうとするけれど、どうしても気が乗らない。
 というか、本当に武器になるのだろうか? 僕の勘違いではなくて? 勘違いだったら相当恥ずかしい。それに、アリスにバレたらいろんな意味で危険だ。……まぁ、バレる事はまず無いと思うけど。
 僕はそんな考えを振り払うように深呼吸をした。今はもう考えても仕方が無い。なるようになれ、だ。駄目だったら他の方法を考えるまで。

 ――よし。行こう。
 覚悟を決め、拳をぎゅっと握りしめる。髪を整え、服の皺を伸ばす。そして目の前に立ちはだかる大きな門へと足を進めた。
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