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あたしは、猫。 作者:山本 風碧

第四章 優しく残酷な魔法

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29 ある一人の魔法使い


「お姫様の呪いを解くのは――――いつだって、王子様の愛なのよぅ」
 呆然とする僕の前でシャルルは歌うようにそう語り始める。
 どういう事だ? 僕は衝撃を飲み込めず、ただ目を見開いてシャルルのその顔を見つめる。
「一体どうやって? って顔してるわねぇ。あなたも覚悟したみたいだし……そろそろ私も腹を決めなきゃね。魔法の猫について知ってる話を全部話してあげるわ。知れば、私が依頼してる仕事の意味が少しは分かるはずよぅ。ああ……まず何から話せばいいのかしらね」
 天井を見つめたかと思うと、彼は小さく咳払いをした。そのつぶらな瞳はいつもの彼の雰囲気とは全く別の色をたたえていた。
「……今世に蔓延っている魔法薬に込められている魔法はね、『望む姿になる魔法』なの。この魔法はね、本当はあってはならない魔法だったの」
「あってはならない?」
「長い話になるわ。――――昔ね。ある一人の魔法使いがいたの。彼は自分がなんだって出来ると信じ込んでいたわ。そして彼には奥さんがいて、彼女は、彼の魔法を心底尊敬する、彼の良き理解者だった。彼も彼女も、信じてたのよぅ。彼の魔法が世の中を良くするものだって。彼に間違いなどあるはずが無いって。
 魔法使いは古くから伝わる魔法書を紐解いて、改編して……新しい魔法を次々と編み出した。彼の編み出した魔法は高く評価され、彼は地位と名誉と財産を手に入れた。そしてそれと同時に彼は奥さんとの時間よりも魔法に費やす時間の方を多く取るようになってしまった。
 奥さんは寂しがったわ。それで些細な事でも喧嘩をするようになってしまった。彼女は彼に言ったわ。『もっと私のことを見て』って。でも魔法使いは自分の研究を邪魔されると思って、彼女を疎んじた。そして――そのとき研究していた『不完全な変身の魔法』を軽い気持ちで奥さんにかけたのよ」
「……シャルル? それって……」
 もしかして――――いや、でもまさか
 ふと、応接間に飾ってあった大きな絵を思い出す。誰なんだろうってずっと思っていた。あの絵に描かれていた穏やかな笑みを浮かべた女性は――――
「彼女は変身したわ。……彼の好きだった猫にね」
「…………」
「彼は元に戻らない彼女を見て、死ぬほど反省したわ。そして地位も名誉も捨てて彼女のためだけに魔法を研究し続けた。寝る間も惜しんで食べるものも食べないで。そうして彼は一つの魔法と、一つの魔法薬を作り上げた。あと少しでそれは完成するはずだった。でも――――その前に、彼女はいなくなった。猫の寿命に彼の研究は間に合わなかった」
 彼は目を瞑った。その姿は目に見えない何かに向かって祈っているようにも見えた。
「彼はその時誓ったわ。自分の大切な人にはもう魔法をかけたりしないって。……というより、怖くてもうかけられなくなってしまってたのね。何度かやってみようとしたけれど、手が震えてチョークさえ持てない。どうでもいいって思ってる相手なら動く腕も、気にかけてる相手の前には石のように固まってしまった。失敗が怖くて堪らなかった」
「シャルル……」
 それが……アリスに魔法を使わない、本当の理由なのか。前に直接魔法をかけられないのかと尋ねた時『今の私じゃね』と彼は言った。あの時の影のある表情がよぎる。……その意味は体の事だけではなく……心の問題なのか。
 そんな想いで見つめるけれど、シャルルは僕の視線に応える事も無い。仕方なくジョアンを見ると、彼は珍しく少しだけ真剣な表情を浮かべて微かに頷いた。
 シャルルは大きく息をついて話を続ける。
「…… 不完全な変身魔法は秘密のはずだったのに、彼が奥さんの事に必死になっている間にどこからか世に広まって。いつの間にか魔法で猫に姿を変えられた人が増えていた。彼は責任を感じて、彼らを元に戻そうと、研究成果の『望む姿になれる』魔法を広めようとした。簡単に使えるようにと開発した魔法薬も一緒に。それを使えば、無理に猫にされてしまった人はすぐに元に戻れるはずだった。でもそれは悪用されてしまったの。知っての通り王と人身売買の組織によってね」
 彼はほぅと息をつくと、カップに入った紅茶をすする。つぶらな瞳は僕をすり抜けて、どこか遠くを見つめていた。
「新しい便利な技術というのは時の流れに乗って、放っておいても広がってしまう。彼がいくら出回った魔法書を回収しても、それは密やかに闇の世界を回り続けた。そして多くの魔法使いは当たり前のようにその魔法を習得していった。猫への変身魔法と元に戻す魔法はどちらも魔法薬に詰め込まれて、普通の人が簡単に使えるようになってしまった。そうして技術は歪んだ形で広がって、魔法使い一人ではもう手に負えなくなってしまった。
 ――そして、魔法が広がるに従って、元に戻れない猫が現れた。彼らは人である記憶も人としての理性も全て捨ててしまっていた。そして一部の人間に都合の良い人形として利用されるようになった。それが……今の『魔法の猫』。彼はひどく落ち込んだわ。自分の魔法のせいで、そんな悲しいことが起こってしまったのだもの。せめてもの罪滅ぼしにと、彼は長い時間をかけて魔法の猫について調べたの。でも……結局原因は分からなかった。何の手がかりも見つからなかった。だって彼らは『人である過去を捨てて』いたから。
 いつしか長い年月が経ち、魔法使いはもう諦めかけていた。生きていても仕方が無い、早く奥さんのもとに逝ってしまおうって考えていた。でも、そんなとき、偶然彼の元に魔法の猫がやって来て、彼は気が変わったの。その猫には可能性があった。彼女は人である事に執着しているみたいだった。その執着が彼女の心を人の心に戻していた。その想いだけが火が灯ったように暖かかった。――だから彼は賭けてみようと思ったのよ。彼女が唯一執着してる、彼女の大好きな一人の少年にね。……あらぁ? 何? もしかして泣いてるの、リュシアンったら」
「だって、それ……」
 あまりの事に胸が痛くて言葉が続かない。
「なあに? 『どこかの魔法使い』の昔話でしょ。なに感情移入しちゃってるのよぅ」
 ふん、とシャルルは鼻息で机の上のゴミを飛ばす。
 僕はジョアンの差し出したハンカチで鼻をかんで、泣いてるのを誤摩化した。
 ずっと誤解していた。シャルルが……僕に厳しく、優しい理由。アリスを大事にする、理由。
 思えば、最初から他人だとは思えないような態度だった。彼は、アリスに奥さんを重ねていたんだろう。そして、おそらく僕には昔の自分を。きっと認めはしないだろうけど。
 シャルルは繰り返した。
「お姫様の呪いを解くのは、いつだって王子様の愛なのよ。呪いが解けないのは愛が足りないせい。その魔法使いはきっと愛が足りなかったのね。王子様にはなれなかった。でも……リュシアン、あなたはまだ間に合う」
 シャルルは僕をしっかりと見つめた。そして初めて僕に向かって懇願した。
「『彼』のためにもアリスを救ってあげて欲しいのよ」


 僕は涙ながらに頷いた後、気を抜くと再び潤みそうな目を押さえていた。そうして、ようやく涙が落ち着いた頃、ふと気が付いた。話は分かった。でも――
「でも……どうやって?」
 驚きが去ったあとによくよく考えると、今の話には肝心な事が抜けていた。
 ――アリスはどうやったら人間に戻れるのか。
「それが分かれば苦労はしないわぁ」
 一転してのんびりと言うシャルルに僕はがっくりと肩を落とす。
 そりゃ、そうか。分かってたらいくらシャルルでもさっさとやってるはずだった。つまり、話は振り出しに戻ったということで……。
「ただね。魔法の猫はみんな『過去を捨てている』のよ。それって鍵になると思わない? だから過去を調べようと思ったのよぅ。雷の鳴ったある日、アリスに何かがあった。人でいたくないと思うようなひどい事がね」
「……人で、いたくないような、こと……」
 その言葉が胸に突き刺さった。そして、アリスが猫に戻った状況を思い出して、青くなる。
 一度目は王、二度目と三度目は僕。全部……男が絡んでいた。自分がやった事を考えると、答はとてつもなく悲惨な状況しか示さない気がした。まさか――
 僕の表情をみて、シャルルは渋い顔をして頷く。
「リュシアン。覚悟してた方がいいわよぅ? これからあなたが調べる事の中には、あなたが絶対に知りたくないような事が含まれてるかもしれないの。アリスは黒い大きな影が見えるって言っていたわ。
 私ねぇ、彼女の好きっていう感情が、あなたとの関係を進めることに全く繋がらないのが、前からずっと気になってて。知らないっていうのとは違ってるような気がするの。アリスだってお年頃なんだから、心が求めれば、本能で少しは体も求めるはずなのよぅ。それが自然なのに、まるで別物みたいに切り離されてるんだもの。だから、もしかしたら彼女、そういうこと思い出したくないのかしらって……全部憶測でしか無いけれどねぇ」
 それは、例えば、例えば、……アリスが誰か別の男に――そんな考えが頭をよぎり、真っ黒な感情の塊が腹の底から突き上げ、息が詰まる。黒い大きな影。それは――
 もしそうなら。そんな事……知りたくもない。アリスに思い出させたくなど、無い。
「……調べなければ……駄目なのか?」
 シャルルは悲しそうに頷く。
「アリスは多分、心の傷から逃げるために、猫の姿になってるんだと思うのよぅ。いろいろ彼女から聞いたあと調べてみたわ。アリスの場合は、雷に誘発されてその嫌な思い出が蘇って、それから逃れるために猫に戻ってる。そうして心が壊れるのを守ってる。こういう場合は、まず自覚させなければいけないらしいの。何が怖いのかを知らなければならない。病気と同じ。原因も分からないのに治療は出来ないでしょう?」
「知るって……他の方法は無いのか? そんなのアリスが、辛いだけだろう?」
 そんな聞くだけで辛いような事を、アリスに強いなければならないって? ――あの、アリスに?
「僕は……アリスが泣くところは見たくない。今のままじゃ……駄目なのか?」
 駄目だという答は出ている気がした。多分その壁を壊さなければ何も変わらない。――それでも、確認せずにはいられない。
 彼女の涙を思い出す。僕が泣かせた。あまりに似合わなくて、ひどく痛々しかった。
 いつも暢気にしてるアリス。彼女はそれでいい。僕はいくら辛くてもいい。彼女にはいつも笑顔でいて欲しい。
 シャルルは首を横に振る。
「前に言ったでしょ。アリスの事が羨ましいかって。確かにアリスは暢気に見えるでしょう。感情が長続きしないわ。それは悲しい事も悔しい事も、すぐに忘れちゃうから。この間アリスがまだ怒ってるって手紙に書いたけど……彼女、もうあの事を忘れかけてるわ。びっくりするくらい簡単にあなたのことも許そうとしてる。おかしいでしょう? 歪でしょう? 
 辛い事から逃げて逃げてたどり着いたのがあの猫の姿なのよぅ。確かにそれで辛い想いをしないようになる。でもね。それって、本当に幸せな事かしら? 本当に意味のある人生を生きられるのかしら? 怒りや悲しみだって人であるための大事な感情なのよ。それを失ったままで人には戻れない。彼女が失った過去と人の心を完全に取り戻せば、きっと彼女は元の姿に戻れる。私はそう思う。その可能性に賭けたいのよぅ。
 ――思い出したらアリスはきっと泣くわ。でも、その時にあなたが傍で支えてあげれば、きっと悲しみは和らぐはず。傷は消えないかもしれない。でも今より悪くなる事は無いのよぅ」
 僕は何も言えずただ大きく息を吐く。重苦しい気分を吹き飛ばしたかった。怖かった。アリスの抱える過去が。僕に……本当に受け止められるのだろうか。

 ばたばたと乱暴な足音が近づいて来て、ふと顔を上げる。店の主人が僕を見てにっこりと引きつった笑いを浮かべると、恐ろしい額の書かれた伝票を机に置き、これ見よがしにグラスに水を注いで行った。そろそろ出て行けという事らしい。
 窓から差し込む光の角度が緩やかになっていた。照らされた床は既にオレンジ色。もう夕食の時間だった。
 それに気づいたのか、店員を呼んで追加注文しようとするシャルルの口を無理矢理押さえて、僕たちは外へ出る。

 道には僕とジョアンの形をした長い影が落ちていた。少しだけ熱のとれた生温い風が前髪をふわりと揺らす。見上げると大きな白い雲が空を二つに分けていた。
 腕を開き、胸いっぱいに息を吸う。そして不安を息とともに吐き出す。
 ――受け止めよう。たとえ、それがどんな事でも。
 僕が、アリスを支える。それが出来る男だけが……彼女を手に入れられるのだから。
 ジョアンの手のひらの上で、シャルルは手を胸の前で組み、うるうると瞳を潤ませて僕を見上げる。
「リュシアン。お願いね? あなただけが頼りなんだから」
 本当はそんな台詞はアリスに言ってもらいたい。もし……おまけにキスでもついてくれば、どんな事でも乗り越えられそうだ。
 ――アリスに会いたいな。でも、シャルルが言うように、彼女が簡単に僕を許そうとしてくれてるのなら、かえってまだ会うことは出来ない。許されてしまったら、僕はきっと生温い一時の幸せに甘えてしまう。
 瞼の裏にアリスのふんわりとした笑みが浮かんだ。今度会う時には……あの笑顔を手に入れよう。そのために明日からまた頑張ろう。そう思いながら、僕は頷く。

「……僕が迎えに行くまで、アリスを頼む」
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