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あたしは、猫。 作者:山本 風碧

第四章 優しく残酷な魔法

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28 下町の王子様

「――ねぇ、リュシアンはどうしてるの?」
 何度聞いても答は変わらないって知ってても、つい聞いてしまう。
「だーかーらー。知る訳ないって言ってるでしょ」
 シャルルがどこで用意したのか小さなメガネを鼻に引っかけて何かを熱心に読んでいる。どうやら新聞みたい。ごわごわの紙は外から差し込む強い光で眩しく光り、シャルルの小さな手の影だけが真っ黒な影を落としている。
 焼かれた地面の上を通って来た風が窓から流れ込み、新聞の端をぱたぱたとはためかせる。あぁ、暑い。でも、風があるだけまだマシだった。
 あたしは、ごろんと仰向けになると、お腹の熱を風に流しながら再び聞く。
「ホントにホントに、ほんっとうにクビにしちゃったの?」
 ついつい念を押してしまう。だってあんまりにあっさりしすぎてて怪しいんだもの。だいたい、シャルルがリュシアンとあたしで、あたしを取るってのが納得いかない。こんな何の役に立ちもしない、今は観賞用にもならない猫なのに。比べたらリュシアンの方がよっぽどシャルルの役に立ってるし、その上、見てる分にも綺麗だ。
「そうよぅ。あなただって当たり前って言ってたじゃない」
「それはそうだけど」
 あの後目が覚めたら部屋からリュシアンの物が全て消えていて。なんでか知らないけど扉が壊れていて。仰天してシャルルに聞いたら、リュシアンをクビにしちゃったって。
 そりゃ、あたしだって怒ってたから、当然よって言ってたんだけど……。
 だってすごく怖かったんだから。途中で気を失っちゃうくらい。思い出そうとしても前の王の時と同じで、記憶がごちゃごちゃして、……床に押さえつけられた後のことはほとんど消えてしまっていた。雷が鳴ったような気がするけど、それ以外はどうしても出て来ない。だから一体何が怖かったのかよく分からなかったけれど、怖かったものは怖かった。だから怒った。
 でもあれからもうひと月ほど。例のごとく怒りが徐々に治まるにつれて、急に心配になって来たのだった。だって、シャルルに聞いたら、貯金も給金も全部あの一粒の薬につぎ込んじゃったって。リュシアン、元の貧乏に戻っちゃって、きっと困ってる。も、もしかしたら飢え死にしちゃってるかも!
「なあに? 許してあげちゃうの? そんなに簡単に?」
 呆れたような声に目をやると、にやにや笑いながらシャルルがあたしを見ていて、反射的に言葉が出る。
「そ、そんな訳ないでしょ! 一生許してなんかあげないんだから!」
 あ、一生って言っちゃった。嘘よ、嘘! 一年……じゃなくて、一ヶ月の間違い!
 慌てて姿勢を正し、そう否定しようとしたとたん、被せるようにシャルルが言う。
「そうよねぇ。あんな最低な男、振っちゃって正解よぅ」
 思わず言いかけた言葉を飲み込む。
「そ、そうよ! あ、あんな、サイテーなオトコ、いなくなって清々するわ!」
 あ、あたしの馬鹿! 自分で言ってて泣きたくなる。しゃべればしゃべるほど、どんどん深みにはまって行く気がして、それ以上何も言わないように前足で自分の口をぐっと押さえる。
 シャルルはぐほっと妙な咳払いをしながら、手元の紙に目線を戻すと、硝子の皿に乗った色とりどりの氷砂糖を次々に口へと放り込む。なくなる前にとあたしも慌ててそれに手を伸ばした。
 甘い。ほっぺが落ちそう。しばしその余韻に浸るとティーカップの中のハーブティを少し舐めた。その味は、あの夜初めて知ったリュシアンの唇の味だった。
 思い出すと、なんでだろう、すごくドキドキした。目を瞑ると耳には同時にリュシアンの声も蘇る。――『アリス、君が好きだ』
 あたしの頭の中では、それを以前のあたしの大好きだったリュシアンが言ってくれる。綺麗な澄んだ目をしたリュシアンがそう言ってくれる。そうしてあたしをぎゅっと抱きしめて、あんな風に唇に唇を合わせる。想像すると、甘酸っぱい味が口の中に広がった。
 ……ああ、それだったらどんなに素敵かしら。
「えー、ああ、ゴホン。なになに? ああ、これ……リュシアンじゃない」
 その大きな声に夢ごこちな気分が突如ぱちんと破れた。ムッとしながらもシャルルが読んでる物を覗き込む。
 それは新聞のゴシップ欄だった。確かに小さいけれどリュシアンらしき似顔絵がぽつんと載っている。
「街で人気の粉屋さん……?」
 何、その変な記事。呆れつつも興味をひかれて記事を読んでみた。


 今日はオーランシュにある一風変わった粉屋さんを紹介します。
 こちらの粉屋さんは、毎日夜明け前から営業中。その日挽いたばかりの粉をその場で提供します。しかも麦はなんとあのユペール産! しかも今年収穫されたばかりのもの。混じりのない高級な麦だけを使った、しっとりと上品な味。
 そして近所のパン屋と協力して作るパンは、ふっくらと柔らかく、まるで王宮仕様の高級な味がします。
 その上店の若主人のリュシアンさん(十八)は、下町育ちらしからぬ、どこか高貴な雰囲気を醸し出されていて、彼の笑顔見たさに店に足を運ぶ女性も多いとか。すでに『下町の王子様』と噂になっているようです。
 店はパンが売り切れるまでの営業ですので、注意してくださいね!


 最初はふぅん、と関心しながら読んでたあたしだけど、最後の方になるにつれ、どんどん頭に血が上るのが分かった。
 なによ、この記事! 粉とかパンとかじゃなくって、リュシアンを紹介したかったんじゃないの? 何が下町の王子様よ! っていうか、これ書いた記者はきっと女だわ!
「……多分、そうね……」
 シャルルが呆れたように答える。あれ? 口に出てた?
「何怒ってるのよぅ? リュシアンの事なんてどうでもいいじゃない。上手くやってるみたいだし、もう忘れちゃいなさいよぅ」
 あたしは無言で、その記事を爪で糸のようになるまで念入りに引き裂いた。続けてリュシアンの似顔絵に手を掛けようとして躊躇い、結局シャルルの目を盗んでこっそりとお腹の下に潜り込ませる。
 何よ。リュシアン……あたしが居なくってもちゃんと生きて行けるんじゃない。あたしの助けなんか、最初っからいらなかったんじゃない。
 無性に悔しかった。そして、なんだか無性に悲しかった。――君なんか居なくても、僕はちゃんと生きていけるんだよ。そう言われてる気がした。


 *


「ありがとうございましたー」
 最後のパンを売り切ると、僕は笑顔のままでこっそりとため息をつく。頭に被った白い帽子を脱ぎ、シンプルな白いエプロンを外す。残った粉を籠に纏め、帽子とエプロンをそこに被せた。一旦家に戻ろうと籠を抱え、足で家の扉を押し開いた。
 まだ日は昇りきらず、パンを売り始めてから一刻も経っていなかった。

 ――こんなにうまく行くなんて一体誰が思うだろう。
 僕は昼食用に取っておいたパンをポケットから取り出して口に運ぶ。噛み締めるとしっとりと甘く、麦の香りが柔らかく鼻孔を抜ける。
 このパンに使っているのは、シャルルの城で使っていた麦で、その近辺、ユペール地方で採れる麦だった。つまりシャルルの土地で採れる、僕がここ一年ずっと管理していた麦。シャルルの方針で、自治州内での食料の自給自足を目的として栽培されていたのを、今回特別に卸してもらったのだ。
 麦はもともと北部の気候と相性がいい。その品質はよく知っていたし、ジョアンの焼くパンもとてもおいしかった。試しに顔見知りのパン屋に頼んで、ユペールの麦を挽いた粉で焼いてみたところ、これが随分美味しかった。ジョアンは優秀な料理人だが、パンに関してはさすがにパン屋の方が腕がいいのは当たり前で。
 これは売れると、すぐに思った。
 下町に住んでる人間は大抵、古い麦を使った固くて乾いたパンを食べている。格段に味が違えば、確実に客がつくと思った。しかも、一度いい味を知ると、元にはなかなか戻れない。それは自分の身でよく知っていた。客がつけば、少々高くても買ってもらえるはずだった。
 僕は夜が開ける前から粉を挽き、挽きたての粉を家の前に簡単に構えた店に並べると、前日の売れ残りの粉で作ってもらったパンを引き取りに行き、それをまた店に並べる。
 最初はパン屋で直接売ってもらっていたのだけど、やはり少々高いせいか売れ残りが出て、パン屋のおかみさんが「あんたが売った方がたくさん売れるよ」と強く勧めるので、試しに見よう見まねで売ってみたら……本当に売れた。初めて完売した。
 汚いなりをしていたころには見向きもしなかった女の子達が目を輝かせてパンを買いに来た。内心はかなり複雑だったけれど、笑顔で対応した。客商売は……なかなか大変だと思いながら。
 ぼちぼちと仕事を始めて半月ほど経った後、突然記者が取材をしたいと尋ねてきた。売り上げが上がるかもしれないとすぐに引き受けた。新聞に記事が掲載された日、あまりのその効果に仰天した。一日百個限定のパンは開店と同時にあっという間に売り切れ、翌日からパンを三百まで増やしてもらった。
 パン屋のおかみさんは狂喜乱舞してもっともっとと事業の拡大を勧めて来たけど、僕に必要なのは、お金ではなく……時間だった。パンが瞬く間に売れるので、僕は午後の時間のほとんどをシャルルからの依頼をこなす時間に充てる事が出来たのだった。
 そして、そのシャルルからの依頼というのは――――


 僕は下町のとある食堂でぼうっとジュースを飲んでいた。目の前にはさらにぼうっとしたジョアン。彼の足下には、確か先週も同じだけ買っていたはずの、一週間分とは思えない量の調味料や香草などが入った麻の袋がどんと置かれている。特に、菓子に使うのだろう、砂糖の量が十袋と異常だった。向かい合って座っているというのに間には全く会話はなく、彼は置物のようにじっとしている。
 昼食の時間を通り過ぎたこの場所は、今は僕たちの貸し切り状態だった。ピチャピチャという音だけがテーブルの中心から響き、スープの飛沫がたまに頬に飛んで来る。二つの視線の先では、シャルルが皿の中に顔を突っ込んでいた。
 僕は彼の食事が終わるのを痺れを切らして待っていた。シャルルが直接話があるからと呼び出したというのに、一体なんなんだろう。
 僕もジョアンもとっくに食事を終えていたが、彼だけが既に五人前の食事を一匹で平らげている。首輪からはみ出す肉が見ていて痛々しい。針で刺そうものならば、とたんにはち切れてしまうのではないか、そう思えて、見ているだけでハラハラする。店員はそれを見て危険を感じたのか、それともテーブルにネズミがいる事自体があり得ないのか……既に注文を取りにくるのを止めてしまった。
 散々食べた後「ふぅ……まあまあね」そんな感想を述べて、ようやくシャルルの食事が終わる。
「……じゃあ、始めましょうか」
 前歯に挟まった肉片を小指の爪で掻き取りながら、シャルルはこちらを見上げた。
 僕は一言だけまず聞く。
「アリスは元気?」
「元気よぅ。一応ね」
 それなら、いい。僕はほっとする。そしてあえてそれ以上は聞かない事にした。
 この間うっかり手紙で「僕の事何か言ってた?」って聞いたら「『一生許さない』って言ってたわよぅ。それから、『あんなサイテーなオトコ、いなくなって清々する』だったかしら? そんな事も言ってたかも」と、心を抉られるような事を返事に書かれてしまった。読み直すたびに胸が痛い。もうあれ以上の痛手は受けたくない。せっかくのやる気が損なわれてしまう。
「どうなの。そっちの方は。報告を始めてちょうだい」
 僕の胸の内を知っているのか、シャルルもあっさりと流す。頷いてポケットから紙を取り出す。それはシャルルからの依頼『アリスの過去について調べる事』の調査書だった。
「とりあえず、今のところ調べたのは、アリスの元の飼い主がどこに住んでるかまで。……カラバ侯爵であたってみたら、『カルバン侯爵』という人物に行き当たった。バルザックで聞き込んだら、その家で迷い猫を探してるそうだ。まず間違いないと思う」
「ふぅん。カルバン侯爵……ねぇ」
 なるほどなるほどと呟きながら、シャルルがフルーツの盛り合わせに手を付けようとしたので、僕は慌ててそれに手を伸ばす。もうお腹はいっぱいだったけど、シャルルに全部食べられて破裂してもらっては困る。
「知ってるのか?」
「噂ではね」
「アリスの飼い主を調べるのもいいけど……」
 僕はシャルルの依頼の意図がどうしても掴めなかったし、それよりももっと簡単な方法があるんじゃないかって――この間ふと思いついた事を尋ねずにはいられなかった。シャルルがオレンジに手を伸ばすのを遮り、そのつぶらな瞳を見つめた。
「シャルル。君が痩せれば……元の姿に戻れば。アリスを前みたいに変身させる事が出来るんじゃないのか?」
 魔法陣の話を聞いてから何となく考えていた。もし、そうなら――
「そうだったらどうするのぅ?」
「そうだったら……痩せてくれないか?」
「仲直りもしてないのに気が早い事ねぇ。まあ、いいけど。……で? 私が魔法を使えるようになったら、あなた、アリスが欲しくなる度に、私にお願いしに来るって訳ね?」
 その言葉に顔が赤らむ。あぁ、突き詰めるとそういう事になるのか。いや、それ以前に仲直りしてもらえるかも今は全く分からないけれど。
「毎回『今から頑張るので、お願いします』って言いに来るわけねぇ? うはぁ、そんな事されちゃったら聞き耳立てちゃうわ、きっと!」
 ウヒヒヒヒ、とシャルルは笑う。身も蓋もないその言い方に僕は言葉を失い、さらに赤くなる。なんだか性格がオヤジに傾いているような……いや、もともと中身はいい歳のオジさんのはずだけれど。そう思ってふと見ると、その小さな手には持参したのかいつものマイカップ。底には赤黒い液体が輪を作っている。いつの間にか酒が入ってるらしい。
 彼がどんとカップをテーブルに打ち付けると、ジョアンが何も言わずにそれにワインを注ぎ足した。
「……あなたたちが、ずーっと、死ぬまで私に依存して、干渉されて、それでいいのなら、頑張ってもいいわよぅ。痩せるために節制くらいいくらでもしてあげるわ!」
 その言葉とは裏腹に、シャルルは結局オレンジを僕の手から奪い取ると、すごい勢いでかぶりつき、瞬く間にそれは皮だけとなる。ぽいっと彼が皮を後ろに投げ飛ばすと、ジョアンが素早くそれを拾い、ゴミ箱へと入れた。
「でも、そんなの窮屈でしょう? それに、子供はどうするのよぅ。多分無理よぅ、例を聞かないもの。……私は、そんな何かに依存した上辺だけの幸せより、本当の幸せを手に入れて欲しいのよぅ。自分で掴み取って欲しいのよぅ!」
 どうやらシャルルは泣き上戸らしい。終いには突っ伏してオイオイと泣き出してしまった。まさか減量が嫌で泣いてるんじゃ無いだろうな……一瞬そんな考えが浮かんだけれど、いくら何でもなと、すぐに打ち消す。もし半分はそうでも、半分は違う理由だろう。……そう思いたい。
「……本当の幸せ、か」
 そのなんだか不思議な暖かい響きを、僕はぼんやりと繰り返す。
 シャルルは涙を拭き、上目遣いで僕をきっと睨んだかと思うと、直後ニヤッと頬を緩ませた。
「あなた達が本当の意味で幸せになるためには、『アリスを完全に元の人間の姿に戻す』、それしかないじゃない?」
「え――?」
 完全に……元の姿にって……。そんなこと可能なのか――?
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