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あたしは、猫。 作者:山本 風碧

第四章 優しく残酷な魔法

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26 悪夢の再現

 部屋には未だにアリスの叫び声が木霊しているような気がした。
 ……なんだって? 彼女の言葉の意味が分からず、自分が置かれている状況も分からず、答えを求めて凄まじい轟音のした方向へ目を向ける。
 ミシリという音とともに、シャルルの声が微かに聞こえて来た。
「危なかったわぁ……間に合ったわね? ……よ、かったぁ……」
 黒こげの扉がミシミシと音を立てながらこちらに向かって倒れて来た。そして慌てて飛び退く僕の鼻先をかすめて、扉が床とぶつかりドオンとすごい音を立てると、絨毯の埃がぶわっと舞い、見開いた目に刺さる。
 …………なんなんだ、この悪夢の再現は。
 腕の中には猫に戻ったアリス。それはついこの間、旅の途中で起こった出来事に似すぎていた。
 ああ、僕はまた不良品を掴まされたんだろうか……。
 全身の血が流れ出て床に沈んで行くような気分だった。寝不足も手伝って目眩がする。
 そして目眩が治まる頃には、アリスへの想いで煮えたぎっていた頭が、それが妄執だったと分かるくらいに冷えていた。
 絨毯には涙の跡と思われる丸く黒い染みがいくつも出来ていた。愕然とした。
 ……僕は一体、何をしようとした? 僕がしようとした事は――
「やっと目が覚めたみたいねぇ……あーあ……こんな方法は絶対に取りたくなかったって言うのに」シャルルがふらふらしながら扉を乗り越えてやって来る。そしてアリスを撫でようとして動きを止める。その腕はチョークの粉で真っ白だった。
 扉の向こうを見ると、廊下いっぱいに描かれた大きな魔法陣が暗い廊下にぼうっと浮き上がる。急ごしらえであるはずなのに、一種の芸術品に思えた。もしかして今の雷は――
「シャルルの仕業か……」
 シャルルはそれに答える事も無く、深いため息をつくとその場に倒れ込む。よく見ると頬が痩け、毛並みの艶も失われ、息も絶え絶え。あんまりなその様子に焦った。
 ……なんで死にかけてるんだ?
「シャルル!」
「な、何か食べるものをちょうだい……」
 僕は慌てて周りを見回した。ベッドの横の棚に置いておいたケーキを掴むとシャルルの目の前に置く。後でアリスにあげようと思って買って来ていたのだ。
 シャルルはそれにかぶりついたかと思うと一飲みにする。ケーキの欠片が喉を通過する頃には、元気を取り戻していた。さっきの姿が幻かと思うくらいあっという間だった。一体どういう体質なんだ。
「ああ、久々に死ぬかと思ったわ……」
「シャルル……一体」
「前に体力を使うって言ったでしょう。見て分からない? 私のこの体であの魔法陣を仕上げるのがどれだけ大変か」
「そ、そういうこと……なのか……」
 呆然と呟く。もっと難しい理由かと思っていた。
 確かに、この魔法陣は半径が僕の身長くらいで、その中にはいろいろな記号や、古い文字がたくさん並んでいる。前に見たものよりも大きいし、複雑だった。
「でも…………鍵を開けるだけとか……そういう穏やかなものは無かったのか?」
 僕はまだ呆然と尋ねる。扉は焼け、床も焦げて、大惨事になってしまっている。下手したら大火事だ。
 何か、色々聞かなければいけない事がある気がしたが、今の僕にそんな権利があるとも思えなかったし、あったとしても混乱して何から聞いていいか分からなかった。
「この魔法じゃないと意味が無いの。確かめる必要があったのよぅ……アリスのこと」
 シャルルはそう言うと、僕にアリスをベッドに寝かせるように指示をする。僕は黙ってそれに従った。そして毛布を彼女に被せると、手招きするシャルルに付いて部屋を出る。


 ペタペタという足音の後を大人しく付いて行く。やがてシャルルは書斎の前で立ち止まると、中に入るように促した。
 書斎は真っ暗だった。僕は机の上の燭台に灯をともす。じっと音がして炎がシャルルの顔を照らした。彼は僕をしっかりと睨んでいて、その鋭さに体がびくりと強ばる。
「さあて、と。うちの可愛いメイドに手を出したんだから、問答無用であなたクビよ」
 鋭い言葉に僕はうなだれる。当然だった。それに、もういくら金を稼いでも、使い道はない。アリスはきっと僕を許さない。
「まあ、でも一応言い訳でも聞こうかしらぁ?」
 声に無数の刺が含まれていた。しばしの沈黙。シャルルはなぜかいくらでも待つ気のようだった。聞いてからとことん罵るつもりなのかもしれない。
「アリスは僕の事が好きなんだと思っていた。同じくらい求めてくれてると思っていたんだ。でも違った。僕がこれだけ彼女のために必死でも伝わらなかった」
 何を言っても言い訳だ。許されようとも思っていない。そう思いつつもつい恨みがましい事が口から漏れてしまう。
「……まだ勘違いしてるの? あなたは『自分のために』あの実を手に入れたのよぅ」
「僕のため?」
 ただぼんやりと繰り返した。そんなわけ、ない。
 そんな僕を呆れたように睨むと、彼は大きくため息をつく。そして僕の頭をその小さな指で指した。
「頭を使いなさい。アリスを抱きたがったのはあなたでしょう。半年分の給料をつぎ込んで、『アリスのため』に魔法薬を手に入れて? なにがアリスのためよ。あなたがした事は、一時の慰めに、『自分のために』彼女を抱こうとした。それだけよ。少しもアリスのためにはならないじゃない」
 きっぱりと言われた。何も反論できなかった。言われてみると、あまりにも、その通りだった。
 こみ上げるものを押さえつけるため、ぎゅっと拳を握りしめる。
 だって、それだけが絶望という穴に落ちてしまいそうな僕をつなぎ止める細い糸だった。それ以外には僕とアリスが結ばれる方法は無いのだから。
 それが駄目なら、僕は一体どうすればいい。この行き場のない想いはどこにぶつければいいんだ。……少女の彼女は死んだと思えと? そして今まで通りに、『家族』として生きて行けと? それが、アリスのためだとシャルルは言うのだろうか。
 自分のやって来た事をすべて否定されて、どうやっても立ち直れない気がしていた。僕は心の中の暗い穴を覗き込む。細い糸は今にも切れそうだった。
 そんな僕に少しだけ丸くなった声でシャルルが言い聞かせる。
「あなたのした事は、王と何ら変わりがない事よぅ? お金でアリスを買おうとした。あなたはあなたの神に背こうとしていた」
 神、という言葉がささくれ立った神経を逆撫でする。
「神なんか……いない」
 木が燃えたあのときにそう思った。いくら祈ろうと、神は僕の願いを叶えてくれなかった。僕に彼は手を差し伸べてくれなかった。だから牙を剥こうと思った。
「いるわ。あれだけ祈っていても、あなたの信仰は空っぽね。形だけで本当は信じていない」
「君に何が分かる」
「分かるわよぅ。本当に神を信じるものは、いざという時に強くなれるものだもの。強く生きるために人は神を信じるのだもの。肝心な時に捨ててしまう信仰なんか偽物よぅ。信仰とは自らを生かすもの。縛り付けるだけのものではないわ」
 頭の上にシャルルの言葉が降り積もって行く。どこか違う国の言葉を聞いているようだった。
「僕には……分からないよ」
 僕にとって神とは畏怖の対象でしかない。僕を縛るものでしかなかった。その影を畏れ、従順である事だけを気にして小さくなって生きて来たのだ。
 シャルルの言っている事は理解できないけれど……でも、彼がこれだけ自由で揺るがないのは真に神を信じているからのように思えた。――そして、それはとても楽な生き方に見えた。
「ふん、そんなに簡単に分かってたまるもんですか。とにかく、心を入れ替えることね! さあて、これ以上は言ってもしょうがないし、私のお説教はここまで。……じゃあ聞くわ」
 お説教? その温かい響きに僕は思わず俯いていた頭を起こす。
 僕と目が合うと、シャルルはその丸い瞳を強く輝かせて言った。
「あなた……アリスを救う覚悟はあるのかしら?」
 ――――覚悟?
 彼の口からその言葉を聞いたのはいつの事だっただろう。一瞬過去に思いを馳せ、回答が遅れる。
「答え次第では今すぐ警官隊を呼ぶわよぅ。猫にいたずらしてましたって。それともさっきの雷をあなたに落としてあげようかしら」
 頷く前にそう脅された。ってことは、最初から選択肢はないじゃないか。
「救うって?」
 そんな方法がその辺に転がってるんなら、教えてほしいに決まってる。
 胡散臭く思いながらシャルルを見つめた。彼は机から飛び降りたかと思うと、一番下にあった、僕がいくら開けようとしても開かなかった引き出しを軽々と開け、その中をゴソゴソと漁ると古い紙の束を取り出す。それは黄ばんで上端が湿気を吸い黴びていた。随分昔に書かれたもののようだった。
 彼はカビをその息で吹き飛ばすと頁をめくりながら僕を見上げる。
「アリスが猫に戻った理由を知りたくないかしら?」
「魔法薬が不良品だからだろう?」
 僕はぐったりして答える。今となっては思い出したくもない。馬鹿な欲望に取り付かれて金貨一枚が泡と消えたのだ。給料日だというのに今月の生活費さえもう残っていない。しかし、アリスのためにはかえって良かったとも思える。
「馬鹿ねぇ。まだ分からないの? 確かにね、売られてる魔法薬なんて私の作ったものに比べたらぜーんぜん信用ならないわよぅ。でもいくら不良品だとしてもね、何度もあんな絶妙な間で元に戻るわけが無いでしょう」
「な、何度もって、なんで知って……」
 旅の途中の夜がぽんと頭に浮かんだ。まさか付いて来てたとか? 一部始終見られてた? シャルルならあり得る。
「……え? 私が言ってるのは、王に捕まった時の事よぅ?」
 しまった――
 一瞬血の気が引き、一気に逆流して頭へと上り詰める。
「何? まさか前にこんな事があったって言うのぅ!」
 墓穴を掘り固まる僕の前で、なぜか目を輝かせてシャルルが叫ぶ。
「聞いてないわよぅ! 洗いざらい吐いてちょうだい!」
 有無を言わせない迫力でシャルルは僕に詰め寄った。
「じょ、冗談じゃない」
 慌てて後ずさる僕の前で、シャルルはにやりと笑う。その手には白いチョーク。今にも机に何かを描き始めそうだった。
「あなたに拒む権利があると思ってるのぅ! 無理矢理その口に話させてあげましょうか? しかも、とーっても詳細に!」
 ヒッヒッヒと下品に笑うと、チョークを手に迫る。
「……なんでそんなに悪趣味なんだよ……」
 思わず口を抑えたが、彼の手がテーブルに何か模様を描き始めると、まだそれが完成していないにも拘らず、自然と口が開くような気がした。僕はそのあまりの気味悪さに渋々口を割る。

 僕が変な汗をかきながらもなんとか話し終わると、シャルルは先ほどの輝いた顔が嘘のように、ひどく難しそうな顔をして考え込んでしまった。まるで鼠の置物がそこにおいてあるかのようにぴくりとも動かない。
 次第に僕はその妙な沈黙が辛くなって来る。手持ち無沙汰で俯くと、服にアリスの長い髪の毛が付いているのを見つける。銀色のそれをそっとつまみ上げ、ぼんやりと眺めた。
 そういえば……ふと、さっきアリスが叫んでいた言葉を思い出す。
 あれは一体――、考えようとしたけれど、頭が全然働かなかった。疲れすぎてどこか焼き切れてしまったようだった。
「雷と……男、ねぇ」
 その呟きに僕は半ば足を突っ込みかけていた夢の世界から抜け出す。見るとシャルルがひどく気の毒そうな顔をして僕を見つめている。
「リュシアン、あなた、アリスがもし……」
「何?」
「いえ……何でもないわ」
 シャルルはそう言うと、誤摩化すように乾いた咳払いをし、笑顔で悠然と言う。
「さてと。どうもあなたの頭は使い物にならないし、私もちょっと考える事が出来ちゃったから、もうここまでにしましょう。……それじゃあ、リュシアン? アリスが起きる前にさっさと出て行ってね!」
「……!」
 そ、そうだった……。クビになったんだった。あまりに和やかに時が流れていたのでその話は無しになったのかと思いかけていた。慌てて言い募る。
 クビは仕方ない。でも――
「僕は……アリスに謝りたい」
 許しては貰えないだろうけど、これっきりには出来なかった。そんなに簡単には諦められなかった。
「だめよぅ。それはちょっと虫が良すぎるんじゃない? アリスの身にもなってみなさいよぅ。自分を襲った男とまともに話なんか出来るわけないでしょ。傷が深くなるだけじゃない」
 ぐっと詰まる。事実だけど、そんな風に表現されると、やはり落ち込む。
「しばらくは会わせてあげないわよぅ。アリスが自分から会いたいって言うまで、あなたは家に戻ってて」
 汚名返上の機会も与えてもらえないのか。となると、そんな日は来ないかもしれない。
「ちょっと距離を置きなさい。その方があなた達のためよぅ」
「……分かった」
 今はそう言うしかなかった。

 荷物をまとめるために部屋に戻ろうとして、シャルルに止められる。
「んもぅ、ぼんやりして! 部屋はアリスが寝てるでしょ。荷物はこっちでまとめておくから、とりあえず身一つで出て行ってちょうだい」
 冷たくそう言われ外へ出ると、雨が音もなく降っていた。
 傘さえも持たず、とぼとぼと玄関を出る。門を出るころには、髪も服も生温い雨でぐっしょりと湿り、体に纏わりついていた。振り返って雨に濡れる城を見上げる。実家の数倍大きくて、数倍立派なその佇まいを見ていると、ここに初めて来た時の事を思い出す。様子のおかしかったアリスを追ってやって来てみれば、そこは人食いの城で。どうしたものかと躊躇してると中から可憐な少女が出て来て。それがアリスだと知った時の衝撃は未だ忘れられない。今思うとあれが別世界への入り口だった。
 僕はここへ来る前と同じ、ただの薄汚れた貧乏な男に戻ってしまった。アリスを手放して、魔法は解けてしまったようだった。それもこれも、全部愚かな自分が招いた事。
 雨が涙と混じりながら頬を伝い落ちて行く。
 貴族としての地位、高い給金、上品な部屋、きらびやかな服、おいしい食事。ぼんやりと夢見ていた全てが詰まった生活だった。でも、そんなものはもういらなかった。
 今更調子が良過ぎるだろうか。そう思いつつも僕は祈らずには居られない。

「他には何も望まないから――アリスだけは僕に下さい」

 ぬかるんだ地面に跪く。そして天を見上げ、神の名を呼んだ。
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