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あたしは、猫。 作者:山本 風碧

第三章 魔法薬のレシピ

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22 彼といる世界は温かい

 昨日の大雨のせいで道はひどくぬかるんでいた。水たまりに足を取られ、何度も転ぶ。
 自慢の銀の毛はもう土色に染まり、所々絡まりそこに土がこびりついている。足についた傷に泥水が染みる。むき出しの木の枝に何度も引っ掻かれたのだ。
 むっとした空気が頬を撫で、雨の匂いが強くなる。道沿いにある草達は既に雨に備えて葉を閉じていた。天気が急激に崩れてくるのが分かった。ああ、また髭がぴりぴりする……こんな時だっていうのに――そう思ったとたん足の進みが急に衰える。
 雷鳴を聞くと頭がしくしく痛む。そしてひどい時は急に意識が飛んだようになる。
 この頃、ここぞと言う重要な時に雷がよく鳴っている気がした。この間の事件、――あの夜もそうだった。
 王があたしに近づいて来て、雷が鳴って。気がついたら猫に戻って捕まっていた。
 あの空白の時間が恐ろしい。あたしがあたしじゃなくなってる気がして。
 山道の先を見つめる。道と空が交わる場所にはどんよりと重い雲が見えていた。

 でこぼこ二人組はすごい勢いで山道を駆け上がっていた。あんな仕事ができなさそうな顔をしているのに、実のところは鍛えられた玄人のようだった。それは当然なのかも。王の汚い仕事を全部引き受けてるみたいだし。
 あたしは追いつかれないようにするのが精一杯だった。少し気を抜くとあっという間に間を詰められる。人が通れない山肌を駆け上がって近道をしているというのにその有様だ。
 気ばかりが焦って足が動かない。
 早く、早くリュシアンに追いついて、そして危険を伝えてあげないと!
 太った男の持ったシャベルが心底怖かった。あれは十分な凶器になる。あんなので殴られたら……おそらく命は無い。
 そんなのは嫌だった。あんな風に喧嘩別れしたままなんて。
 ぜいぜいと息が喉から漏れる。口の中がからからだった。さすがに限界を感じて立ち止まり、空をあおぐ。今にも雨粒が落ちてきそうだった。
 視線を動かすと木々の切れ間から頂上が見え、うっすらと白く光る木が見えた。そこだけが別の世界のような幻想的な色をしていた。
 直感で分かった。――多分あれが目的だわ!
 どうやらここはまだ山の五合目といったところ。まだ半分。めげそうだった。でも、とにかく頑張らないと。あれを目指していけばきっとリュシアンに追いつけるはずなんだから。
 あたしは喉を鳴らして、口の中の僅かな水分を空気とともに飲み込む。
 そして上を見上げると再度山道を駆け出した。


 どれくらい走ったのかしら……。
 景色は入れ替わり、土と木々の姿は減り、険しい岩肌が目立って来ていた。もうあたりは真っ暗だった。湿気はますます増え、体毛が湿って肌に張り付く。視界は暗さに加え先ほどから出て来た霧でほとんど無かった。これ以上進むと危ない。それはあたしでも分かるくらいだった。
 どうしよう……これじゃ動きがとれないわ。 
 吸う息は冷たく喉に張り付き、吐く息は熱く、外に出るなり外気に溶けて白い雲となる。あたしは大きな岩の影に踞り、そしてそこに生えていた丸い大きな葉に溜まった僅かな水滴を舐める。
 後ろからはもう足音は聞こえない。さすがに休んでいるのだと思う。
 それにしても……もうそろそろ追いつけてもいいはずなのに。
 これだけ全速力で走っているのに追いつけないのが腑に落ちない。リュシアンってそんなに足が速かったのかしら? 確かに粉屋で働いていたから体力はある方だろうけれど。
 も、もしかして……追い抜いちゃったりしてないわよね? 暗くなって来たから、見落としたのかもしれない。
 あたしは道を見下ろした。飲み込まれそうな闇があるだけで、何も見えない。
 急に怖くなって来る。
 ……どうしよう……こんなところで一人になりたくないのに。
 天気の崩れが急に気になった。それと同時に不安がどんどん膨らんで、あたしを押しつぶそうとしていた。
 か、雷が落ちたら……どうしよう。
 そう思うと不安がとたんに倍にふくれあがる。歯が震えでカチカチと鳴った。
「リュシアン……」
 怖くて思わず呟く。そしてようやく思い出す。

『君が嫌いだ』

 そうだった……嫌いって、言われてた。あたし、追いついても、撥ね付けられるかもしれないんだ。あの腕の中に今すぐにでも飛び込みたいのに。
 そう気づくと今の状況がひどく惨めに思えた。
 あたしってやっぱり馬鹿だ。何も考えずに飛び出して。追いかけても無駄なのに。余計に嫌われちゃうかもしれないのに。あたし……いつか振り向いてもらえるって、そう思ってる? どこかでそう期待してるの?
 確かに、あたしは人間に変身できるようになって、ちょっとだけ期待したかもしれない。でも、言ってたじゃない、リュシアンだって。『君の想いには絶対に応えられない』って。――『絶対』よ?
 それなのに、なんでこんなに一生懸命になってるんだろう。なんの見返りも貰えないのに。
 リュシアンと出会う前の自分を思い出す。今の自分と比べると滑稽だった。
 こんなに泥だらけになって、汗びっしょりになって。クールに生きて行きたいってそう思ってたはずなのに、……あのころのあたしは一体どこへ行ってしまったんだろう。
 そう思っても止められなかった。リュシアンといる世界は温かかった。――あたしはそれを手放したくなかった。


 *


 山の天気は変わりやすかった。さっきまで雨雲で空が真っ暗で、その上霧が出て視界がなくなった。危険を感じて少し休んでいたのだが、しばらくすると霧が晴れ、空の雲が一時切れた。そしてそこから月の光が降り注ぎ、辺りが急に明るくなる。
 一気にここまで上って来たけれど、さすがに近頃運動不足で息が切れた。これではシャルルにとやかく言う事は出来ない。
 辺りには岩が目立ち、土地も痩せて来ていた。それは山の頂上が近い事を示す。
 僕は頂上を見つめるとため息をつく。白い木が月の光を受けてぼんやりと光っていた。それは本当に月の精が宿っているかのように幻想的だった。多分、あれだな、月食の木と言うのは。あの実を採れば、旅は終わりを告げるのか。
 アリスは……パンを食べただろうか。熱は下がってたみたいだけど、ぶり返したりしてないだろうな……。
 思わず感傷的になり、そんな考えが浮かび上がる。慌てて頭を振った。
 忘れようとしているというのに。やっぱりそう簡単にはいかないようだった。

 ふと道の先に白い丸いものがぼうっと浮かび上がる。
 ……なんだ?
 目を凝らす。――まさか
「アリス?」
 思わず駆け寄った。
 岩の影に泥だらけで丸くなるそれは、間違いなくアリスだった。
 彼女は疲れ果てた様子で眠っていた。いつも綺麗に毛繕いしているその毛並みは乱れ、あちらこちらに泥がこびりつき、足などもとの色が分からないくらいに汚れて、その上小さい切り傷がたくさんあった。首の赤いリボンもほどけかけ、端はやはり泥の色に染まっている。どれだけ必死で追って来たかありありと分かった。いつの間にか抜きさった事にも気づかなかったのだろう。
 鼻の奥がつんと痛くなる。
 ――どうして。
 あれだけ言ったのに。あれだけひどい言葉で突き放したと言うのに。どうして君は僕を嫌ってくれないんだ。嫌われれば、諦められるかもしれないのに。
 前もそうだった。
『君はお気楽な猫なんだから』『君の想いには絶対に応えられない』
 数々のひどい言葉。それを何も無かったかのように平然と飛び越えて僕のところにやって来てしまう。
 伝わらない。どうしても伝わらない。それは、彼女が猫だから? それとも――
 まるで……アリスは「好きだ」と言う言葉しか受け入れようとしないかのようだった。僕の本音をその鋭い嗅覚で嗅ぎ取っているのかもしれなかった。
『ほんとはあたしのこと、好きなんでしょう?』
 そう言われている気がした。
 ごまかしはもう……効かない。本音で話さなければ、解決しないのかもしれなかった。
 でもそれは――彼女の存在自体を否定することでしかなかった。


 僕はアリスを抱えると道の先にあった岩の窪みに腰を下ろす。丁度人一人が雨風をしのげそうな場所。ここで夜を明かすつもりだった。
 アリスはぐっすり寝入っているようで、僕が抱えても全く目を開けなかった。
 ただただ、その体は暖かかった。
 じっと見つめていると、ふわりと、その穏やかな寝顔に少女の顔が重なる。
「こんなに好きなのに……どうして君は猫なんだ」
 堪えきれなかった。思わず言葉と涙が溢れる。あっと思った時にはそれはアリスの頬へと落ちていた。
 ぴくり、とその瞼が揺れ、その瞳が月明かりに光る。その目はずっと覚めていたかのように冴え冴えとしていた。
「…………あたしが猫だから。だから……駄目なの?」
 アリスはかすれた声で言った。その緑色の瞳に捉えられ逃げられない。僕は心を決めていた。
「――そうだよ。アリス」
「こんなに好きなのに?」
 それはさっきの僕の言葉なのか、それともアリスの言葉なのか。僕には分からなかったし、今はどちらでも同じ事だった。
「僕は傍にいるだけで満足しようって努力したよ。でも駄目だった。僕は結局どうしても君が欲しかった」
 一息でそう言うと、アリスの瞳が戸惑いで揺れる。
「で、でも、ほら、変身すれば……」
 僕が言おうとしている事が分かっていないのか、明るく答える彼女の言葉を遮る。――それじゃあ、駄目なんだ。
「僕は人だ。そして君は『猫』だ。変身しても、その本質は変わらない。人と獣が交わる……それはね、死でもって購う大罪なんだよ」
 アリスは瞠目する。その深い緑の瞳孔がさらに大きく丸くなった。
 過去に処刑された人々の名前が頭の中をよぎった。こっそりと手に入れた数々の裁判記録。僕はそこに何か救いを見いだしたかったのかもしれない。抜け道は無いのかと。しかし、結局は例外は無い。獣姦は神の名の下に、死罪。――人も獣も『両者』に等しく『死』を。導きだされたものは、ただそれだけだった。
「じゃあ、どうすれば……」
 アリスは僕の言葉に衝撃を受けつつも、そこに少しでも希望を見いだそうとしていた。そんなものはどこにも存在しないというのに。
 供に死を選ぶか。別れて生きるか。僕の中ではもうふたつしか道は残されていなかった。
 でも結局は選択肢などない。自分だけならまだしも、この身勝手な想いに彼女を巻き込む事は出来なかった。想いを遂げて……一緒に死んでくれなんて、言えなかった。

 やがて彼女は方法がどこにも無い事に気づいたようで、縋るように僕を見た。
 そう、君が猫である限り。僕が人である限り――
「……どうにも出来ない、だろう? だから……君とは何の約束も出来ない」
 僕はアリスの目をしっかりと見つめると言った。

「さよならだ」
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