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あたしは、猫。 作者:山本 風碧

第三章 魔法薬のレシピ

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21 強く願い続ければ


 強く願い続ければ、いつか、彼女が人間になる――
 心のどこかでそんな甘い夢を見ていたのかもしれない。目に映る少女の姿が現実だと、そう思い込みたかったのかもしれない。
 でもそれは夢でしかなかった。所詮夢だったのだ。僕はそれを思い知らされた。

 昨晩、アリスは熱で朦朧としながらも僕に身を委ねていた。見た事が無いくらいに幸せそうな顔をして。だから僕は、こんなことは卑怯だと思いながらも口づけをどうしても止められなかった。アリスが欲しくてたまらなかった。でも――
 変身が解けるなんて思わなかった。そんなに時間は経っていなかった。……神が見ているのだと、そう思った。
 稲光が僕の背中を焼いた。轟音が僕を怒鳴りつけるかのようだった。口づけの途中で、僕の腕の中で、猫の姿に戻るアリス。夜な夜な見ていた夢は現実となる。熱く滑らかだったその口づけは、ざらりとした感触に変わり、手の中の柔らかなふくらみは消え、なめらかだった白い肌を銀の長い毛が覆う。昂っていた想いに冷水を浴びせられた。あまりの現実に吐き気さえした。
 ――アリスは猫だ。
 分かっていたつもりだった。姿が違えど、彼女の事が好きだ、そう思っていた。でもその『好き』の種類が違っていた。猫のアリスに求める愛情と、少女のアリスに求める愛情は、温度が全く異なっていた。まざまざと知った。自分の甘さと、愚かしさとを。
 今、目の前で涙を落とすその猫は、その存在自体が僕に厳しい現実を突きつける。憎かった。いくら望んでも手に入らない彼女が。
 変わらずに愛しいのに、手に入らない事を知りながらこれ以上一緒にいれば……いっそ壊してしまいたくなりそうだった。彼女も、自分も。いつの間にか僕はギリギリの所に立っていた。
 ……忘れよう。この旅が終わったら、城を出て、全て忘れてしまおう。
 本当は今すぐに全て投げ出してしまいたい気分だった。でも……けじめはつけないといけない。僕が急にいなくなれば迷惑がかかる。その上アリスが使えないとなるとシャルルは困るだろう。シャルルにはなんだかんだで世話になったから、……せめて実だけでも持って帰らないと。あと僅かな旅の間なら我慢できる、我慢しよう、そう思った。
 目線を上げると目的地の高い山が目に入る。この国の東の果てにある山脈。その向こうには渺々たる海原が広がるという。冷めた色の岩肌は山の険しさを物語り、山頂にかかる厚い雲はその高さを際立たせていた。
 あの実を手に入れて、城の皆に礼を言って。――アリスと別れよう。
 最初から生きて行く世界が違ったのに、僕はどこをどう間違ったんだろう。あの時アリスを助けなければ? 飼い主を捜せば良かったのか? それとも城主を引き受けなければ? 今となってはどこが分岐点だったのかも分からなかった。
 馬車は揺れる。呆然としたままのアリスと絶望した僕を乗せて。
 会話は無く、ただその車輪の音だけが僕たちの間に残っている全てのものを壊すかのようにガタガタと響いていた。

 *

「おや? またかい」
 麓の店で食事を調達しながら道を尋ねると、そんな返事が返って来た。
 ――また?
 怪訝に思って聞くと、店主はあごをさすりつつ、僕をじっと観察する。
「今朝だったねえ。同じように道を聞いた一行がいてね。何しに行くんだい、猟師には見えないが?」
 エクリプスの存在は広くは知られていない。実自体は普段は安いもので、猟師が狩りのついでの小遣い稼ぎにとって来て、魔法具屋が買い取るそうだ。だけど、今回の価格の高騰に頭を悩ませた、僕みたいなヤツが他にもいてもおかしくない。
 店主が不思議そうにするのを曖昧にごまかし、食事を受け取って馬車へと戻る。
 座席の上には気力を失ったアリスがぐったりと身を伏せていた。昨日の今日だ。まだ本調子ではないのかもしれない。
 僕は何も言わずに彼女の前にパンとチーズを置く。そして自分は傍にあった木の根元に腰掛けると同じものを口にした。
 頭上の木の枝では鳥がさえずる。目の前には、街では見る事の出来ない心が洗われるような風景が広がり、空気も木々の良い香りを含んでいる。手の中では焼きたてのパンとあぶったチーズが微かに湯気を立てる。もうアリスにそれを盗られる心配も無い。ゆっくりと景色を眺めながら、その味を噛み締める事だって出来た。それなのに、鳥の声も、風景も、空気も、パンも、チーズも、何もかも驚くほど味気なかった。
 昨日までの日々が嘘のようだ。この半年にも満たないその月日を心の中から消してしまえればどれだけ楽だろう。旅が終わればアリスがいない日々が始まる。おだやかな、でもこの食事のように味気ない日々が。
 馬車に戻ると、アリスはパンもチーズもどちらも全く口にしていなかった。当然そんな事は今までに無い事で、僕はさっき言った事を悔いた。……彼女に非は全くないというのに。
 それでも、あれ以外の言葉は選べなかった。気を緩めると、好きだと、君が欲しいと、取り返しのつかない事を言ってしまいそうだった。
 僕はパンとチーズをそのままに、馬車を降り、荷物を背負う。目の前の細いけもの道をじっと見つめると『山に入ったらもちろん馬車は使えないわよぅ? 若いし、歩けるわよね! それから道は険しいから、十分気を付けてね!』そんなシャルルの言葉が耳に蘇る。
 後ろを少し振り向いてアリスを見ると、彼女は相変わらず静かに横たわり、付いてくる気配はない。その事に安心して、僕はうっそうと木の茂った暗いその道に足を踏み入れた。


 *


 ぼんやりと座席の上を這う蟻を眺めていた。蟻はあたしの目の前のパンの周りをうろうろしたかと思うと、横目であたしを気にしながらパンにかぶりつく。
 思わずムッとして、蟻をギロリと睨む。そしてどうしても本能が勝ってしまう、そんな自分に呆れる。
 ……食べ物どころじゃないわよね、今の状況って。
 リュシアンはあたしを置いて山に登って行ってしまった。今のあたしには、付いて行く気力も体力も無かった。
 衝撃が過ぎるとどこか心が麻痺してしまうみたい。もともと感情が長続きしないのも手伝って、次第に冷静さを取り戻せた。それと同時にお腹もすいた。
 あーあ。このまま飢え死にできたらいいのに。
 そんなことが一瞬頭をよぎったけれど、目の前にパンがある状況ではそれも難しい。というか、そんなの無理。あたしには飢え死にという死に方は一番似合わないのかもしれない。
 蟻を払うと、パンを少しかじる。お腹が空いているはずなのに、全然おいしくなかった。それでも気を紛らわすように食べた。食べたら少しは元気になれる、そう信じたかった。
 無理矢理全部飲み込むと、ため息をつく。
 やっぱり元気は出なかった。胸の上に重しを置かれているようだった。

 憎い……、か。
 どうしてこんな事になったのかさっぱり分からなかった。昨日の夜、一体何があったのかしら。リュシアンは何もしてないって言ってたけど……あの態度はやっぱり変。きっとあたし、何かやっちゃったんだと思う。そうじゃないとあのリュシアンがあんな風に『顔も見たくない』って言うなんて考えられない。
 原因が分かれば、それを直して、元通りに戻れるんじゃないかってそう思った。この間シャルルの作戦で部屋で裸になったときも、リュシアンはすごく怒っていたけど、結局は仲直りできたんだもん。きっと何か誤解があるんだわ。
 あたしは一生懸命原因となりそうなことを思い浮かべる。
 寝ぼけてリュシアンを引っ掻いちゃったとか? 寝相が悪くてベットを占領しちゃったとか? それとも気づかないうちに夕食を彼の分まで食べちゃったとか?
 あたしは、目の前でさらにチーズを齧ろうとする蟻を睨む。そして、爪を立てて威嚇した。
 ――それ以上まとわりついたら、爪でいたぶってあげるわよ!
 蟻を爪で追いながら考える。……やっぱり、食べ物かしら? お腹が空いてる時に目の前で食べ物をかっさらわれたりしたら、そりゃ、憎いに決まってるもの。
 でも、リュシアンはあたしじゃないものね……。やっぱり分からない。どうしてどこが悪いってはっきり言ってくれないのかしら。言ってくれなきゃ直しようが無いって言うのに。
「はぁ」
 大きくため息をつくと、チーズを小さく爪で引き裂いた。そしてその欠片を一つずつ口に放り込む。やっぱり全然おいしくなかった。

 ふと小さな足音が遠くから聞こえ、あたしはそちらを見やった。
 あれ……?
 なんだか見覚えのあるでこぼこの二人組。あたしは思わず馬車の影へ身を潜める。

「あーあ。ったくあの人も本当に人使いが荒いんだから」
「そう言うな。あの人の小遣い稼ぎはいつもの事だ。というか、小金を稼ぐくらいしかやることがないんだ。最高権力者のはずなのに、奥さんにがっちり財布も権力も握られてるなんて、哀れじゃないか」
 ねっとりした野太い声と冷たく乾いた声にはやはり聞き覚えがあった。あれはたしか――
「でもさ、こんなところまで出張してさ、手当もつかないんだぜ? その上今回は力仕事だし」
「文句を言うな。旅行に来たとでも思えばいいだろう? それに今回は人数も多いし、そんなに重労働にもならないはずだ」
「あの人さあ、今度うまく行けば給金上げてくれるって言ってたけど、ホントかよ? 何年その言葉を信じて頑張ってるんだろ。そろそろ俺信じられなくなって来た」
「まあ仕方ないだろう。あの人はこの間の仕事が失敗に終わったのを、俺たちのせいだと思ってるからな」
「あああ! 思い出させるなよ! 俺、あれほど屈辱的な目にあったのは初めてだ! カエルだぞっカエル!」
「まあな。蛇もなかなか辛かった。あの時はとにかく水が冷たくて死ぬかと思ったな」
「あの野郎、ああ、カラバだったか。名前も忘れられねえ! 抜けてると思ってたら突然変な手を使いやがって。今度見かけたらただじゃおかねえからな」
「まあ、見かける事も無いだろうがね」
 ヒュンヒュンとなにかを振り回す音が聞こえる。影からちらりと様子をうかがった。
 それは……やっぱりあの王の従者二人。あたしを捕まえて王のところへ連れて行った、太った男とがりがりに痩せた男、その二人だった。
 太った男がしきりに手に持った大振りのシャベルを振り回していた。音はそこから出ていたらしい。
 ……なんで? なんでこいつらがこんなところに?
 嫌な予感がした。だって……カラバって……もしかして、リュシアンの事?
「ほら、早く追いつかないと、皆道具を待ってるぜ」
「ああ、重いな……やっぱり重労働じゃねえか」
「後の作業はあいつらに任せればいいだろう」
 道具? 作業? 一体何の事? そういえば……リュシアンは一体何をしにいったの?
 とにかく分かっている事は、リュシアンが奴らに見つかるとまずいと言う事だった。
 あたしは、考える間もなく傍の草むらへ飛び込むと、さっきリュシアンが向かったけもの道へと急ぐ。
 嫌いと言われた事など、すっかり頭から消え去っていた。
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