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あたしは、猫。 作者:山本 風碧

第三章 魔法薬のレシピ

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20 信じられない言葉


 ぽつん ぽつん 

 雨だれがどこかを打つ小さな音がする。
 ――ん。リュシアンの匂いがする。なんだか久しぶりかも。
 泡が水面に浮かぶように、意識がふわっと戻る。誘われるように自然と瞼が持ち上がった。
 どうやらもう朝みたい。毛布の中から顔を出すと窓から見える外が明るい。
 あたしは大きくあくびをすると、毛布を抜け出して、背中を反らし伸びをする。体が少しだけだるい。
 あれれ? なんだか、とってもとってもいい夢を見たような……。でも、なんで? すごくいい夢だった気がするのに、リュシアンの苦しそうな顔が瞼の裏をちらついた。
 思い出そうとすると、なんだか胸がぎゅっと苦しくなって、驚く。
 なに、この感覚。お腹がすいたのかしら? でも、苦しいのはお腹じゃなくって、胸の辺りだった。
 不思議に思い胸を前足で押さえつつ、周りを見回す。目に映る天井の模様には全く見覚えがない。壁紙はピンクと白の薔薇の模様が入っている。カーテンも薄いピンクで、……なんだか妙にかわいらしい部屋。一体どういう趣味かしら?
 えっと……ここはどこ?
 ようやく頭がはっきりして来て、昨日リュシアンを追いかけて馬車に乗り込んだ事を思い出した。
 ああ、そっか。動けなくなっちゃって見つかっちゃったんだ。あーあ。きっと怒ってるわよね。
 苦々しい思いを噛み潰すと目線でリュシアンを探した。
 大きなベッドにはあたし一人。でも枕にはリュシアンの匂いが微かに付いている。ってことは、多分昨日は前みたいに一緒に寝てくれたんだと思う。
 ベッドにいないってことは、床? そう思ってベッドから飛び降りると、後ろ足の長い爪が毛足の長い絨毯に絡まった。念のためベッドの下も覗き込んだけれど、やはり影も形もない。
 ……いないわ。変ね。うーん……。
 外も探そうと部屋のドアを開けようとしたけれど、鍵がかかっているみたいで扉が開かない。仕方なく窓から外に出てみると、地面が遠くて驚く。部屋は二階だった。
 雨に洗われた屋根に上ると、雲に顔を半分くらい隠された太陽があたしの顔をうっすらと照らす。雲は厚く、そう簡単には天気が回復する事はなさそうだった。
 外では大量のシーツを洗濯をする女の人。薪を割る男の人。雨の合間を惜しむように、たくさんの人がいそいそと働いていた。その様子を見て気が付く。
 ああ、ここは宿屋なのね。でもよく泊めてもらえたわよね。あたしがいたのに。
 毛が長いペットは嫌がられる。だから同伴で快く泊めてもらえる宿なんて、薄給のリュシアンが泊まれるはずがないんだけど、一体どんな手を使ったのかしら?
 本人に事情を聞こうと外を見回すけれど、やはりリュシアンらしき人影は見えない。
 暫くきょろきょろしていたら、ぐぅとお腹が鳴って焦る。
「……大変! 早くリュシアンを見つけなきゃ、飢え死にしちゃう!」
 いてもたってもいられずに、あたしは大慌てで屋根を駆け下りた。


「あの兄さん大丈夫だったかね」
 ふんふんと鼻を鳴らすあたしの耳に、ふとそんな会話が飛び込んだ。
 宿屋の台所だ。良い匂いにつられてついつい寄り道をしてしまっていた。
「ああ、新婚旅行で、嫁さんが風邪でっていう? 可哀想だね。酷く可愛い嫁さんだったんだろう? 待ちに待ってただろうにな。それでやけ酒か。飲んだ事もなかったんじゃないか? あれは」
「見事につぶれてたなあ。あれだけ飲めば、まあ当然と言えば当然だがなぁ」
「部屋には戻れないって深刻な顔して。優しい男だねぇ」
「……そうかい? っていうより、ありゃ、拒まれたんじゃないか?」
「まあ、寝込んでるんじゃなあ。気の毒に」
 男達は顔を見合わせてしんみりした様子でため息をついていた。
 何か食べものをくれないかしらって見上げてみたけれど、彼らはこちらに気づきもせず、酒の空き壜を外に並べながら、別の会話を始めてしまう。
 すでにあたしの興味は食べ物にしかなかった。あのテーブルの上のチーズ。中がクリームみたいにとろけそうな色をしていた。うん……アレが欲しいわ!
 身を乗り出したところ、風に乗った酒の匂いがつんと鼻を突き刺して、思わずのけぞる。
「うわ! お酒くさ……」
 匂いで酔ってしまいそうで、あたしは慌ててその場を離れた。

 食べ物が目の前から消えると少しだけ冷静さが戻って来た。
 ……やっぱり早くリュシアンを探さないと。
 台所から盗って来る事も出来たけど、そんな事バレたらリュシアン、きっと怒るだろうし。ただでさえきっと怒ってるんだから、これ以上怒らせるのは嫌だった。
「本当にどこに行っちゃったのかしら」
 宿の裏の路地を駆け抜け、通りに出た。そして目の前に急に現れた建物を見て思い当たる。
「――ああ、そうだ。聖堂だわ! きっと朝のお祈りに行ってるのよ!」
 信心深いリュシアンだもの。間違いない。そう思ってあたしは通りの向かい側の聖堂に向かって駆け出した。
 そして、僅かに開いた扉から中に飛び込んだあたしの目に映ったのは――踞るようにして必死で祈っているリュシアンの姿だった。


 正面の窓から、色硝子越しの鮮やかな光が、リュシアンの大きな背中に降り注いでいた。
 彼は目の前にある大きな石像に向き合い、床に頭をすりつけるようにしていた。その石像は女性の姿をしていたけれど、逆光のためどんな顔をしているか分からない。
「リュシアン」
 あたしは声をかけてから、直後すごくいけない事をしたような気分になる。
 リュシアンがびくりと震え、彼が纏っていた厳粛な雰囲気が一気に壊れたのだ。
 彼は無言でゆっくりと立ち上がった。しかしこちらを振り向くことはなく、そのまま石像の方を向いている。
 なんだか、変だわ。その背中が何もかもを拒絶しているように見えた。
「どうして……付いて来たりしたんだ」
 その声に、あたしは、目を見開いた。
 ……え? 今の、リュシアンの声だった?
 あまりにも冷たい声に、あたしはそこにいるのがリュシアンじゃないような、人違いをしてしまったような、そんな気分になった。微かなお酒の匂いがあたしの鼻へと届き、余計にそう思う。リュシアンがお酒を飲むところなんか見た事がなかったから。
 そろりと近づいて彼を見上げたけれど、彼の瞳はその前髪に隠され、どんな色をしているか分からない。頬はこわばり、いつもはふんわりと笑みを浮かべているはずの唇は、人形のようにあらゆる表情を消し去り、冷たく固まっていた。
「城には一人で帰れるよね?」
「一人でって、帰れるって……りゅ、リュシアン?」
 戸惑うあたしの横を風が通り過ぎたかと思うと、リュシアンがあたしを見る事もなく隣を横切って聖堂の出口へ向かっていた。
 え……? な、なんで?
 あたしはその他人のような態度にあっけにとられ、彼を追うのを忘れた。大きな音を立て重い扉が閉まり、その音で我に返る。
 うそ、ほんとに置いて行った!
「リュシアン!」
 扉を開けようとするけれど、重くてうまく行かず、結局裏口へと回るはめになる。
 うそ。うそよ。なんで? なんでそんなに怒ってるの? あたし、そんなに悪い事しちゃった?
 必死でリュシアンを追いかけながらも、あたしは混乱で頭が爆発しそうだった。


 あたしは馬車の座席の隅を陣取って座り、リュシアンをじっと睨んでいた。
 リュシアンはそんなあたしに目もくれず、黙々と荷物を馬車に積む。まるであたしがそこにいないかのような態度だった。相変わらずその表情は無く、まるで中身がジョアンと入れ替わったようで、あたしは不安になる。そのくらいに昨日までのリュシアンとは人が違っていた。
 ……一体あたしが寝てる間に何があったの。
 なんだか怖くて聞けなかった。あたしが付いて来た事にそんなに怒るとは思えなかったけど、もしそうだったら。火に油を注ぐのも嫌だった。
 とにかく今はリュシアンに付いて行かないと。だって、ここがどこかも分からないのに、置いて行かれては困るんだもの。

 リュシアンは荷物を積み込み終わると御者に出発を告げ、馬車を走らせた。
 自分の胸の音がやけに大きく聞こえていた。その無表情が面の様で怖くてたまらなかった。
 リュシアンに怒られた事は何回もあったけど、こんな怒られ方はした事が無かった。それに、その怒りがどこに向いているのか分からないのが、不安で仕方が無かった。
 相変わらずリュシアンはあたしを空気のように扱い、何気ない言葉を投げかけても返事をせず、ただぼんやりと外の風景を眺めるだけで、その表情はぴくりとも動かない。
 しばらくそうやってご機嫌を伺ってたけど、続けるうちにむくむくと怒りが湧いて来た。
 だって、いくら何でも、こんな態度、気に入らないわ。
「ねえ」
 声をかけてもリュシアンは振り向きもしない。あたしは彼の膝の上に乗る。そしてその体に乗り上がった。それでもリュシアンはあたしの目を見ようとしなかった。
「リュシアン!」
 思わず爪が尖り、一瞬リュシアンが苦痛に眉をひそめた。
「……痛い。どいてくれ」
 冷たい声にあたしは泣きたくなる。
「なんで。突然どうしたっていうのよ! 文句があるなら言いなさいよ!」
「文句なんか無い」
 リュシアンはそこでようやくあたしを見た。その瞳の色。いつも日の光の中で波打つ泉のようにきらきらと輝いてるその瞳は、今は重苦しい雲がかかったかのように濁っていた。
 その色に胸を突かれる。ただ事ではなかった。
「あたし……何かしたの?」
 リュシアンは一瞬苦しそうに目を瞑る。そして今にも雨が降り出しそうな空を見上げた。
「何もしてない」
 溜息のような声だった。
「でも、ごめん。……アリス。君の顔を見ていたくない」
 ――え? なんて言ったの、今。
 あまりの事に、言葉が理解できなかった。どこか別の国の言葉だと、そう思った。
 呆然とするあたしに彼はさらに言う。
「僕は……この旅から帰ったら……城を出るよ。元の粉屋に戻る」
「な、なんで」
 訳が分からなかった。
「だって、お父さんは」
「君が心配する事じゃない」
 突き放すようなその声でくすぶっていた怒りに一気に火がついた。
「どうして。どうしてそんな事言うの! 昨日まで普通にしてたじゃない。ほんとはあたしが何かしたんでしょ! はっきり言えばいいじゃない!」
 直後暗い光がその瞳の中を走ったかと思うと、リュシアンの口から信じられない言葉が飛び出した。
「僕は……君が嫌いだ。その瞳も、その声も、――――その姿全部が憎い!」
 あたしを見るその目が、その瞳が赤く見えた。
「………………憎い……」
 リュシアンは膝の上で頭を抱えるようにして震えていた。

 あたしは頬に前足を持って行くと、髭を思いっきり引っ張った。きっと悪い夢を見てるんだ、そう思った。でも――
「いたい……」
 ――その悪夢が、覚めることはなかった。
 引っ張った髭の痛みなのか胸の痛みなのか分からない。とにかく息が出来ないくらい苦しい。あたしは無意識に呼吸を止めていた。
 やがて胸の辺りから鋭い痛みが突き上げ嗚咽が漏れる。涙がひと雫、馬車の座席へぽとりと微かな音を立てて、落ちた。
crapL.gifres.gif
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