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第1章「出会い」
――泉、“大人”の死に捧ぐ微笑。
 昇降口で上履きからスニーカーに履き替えた時、ポケットに突っ込んだ手が何かに触れる。
 ――――メモだ。

「やべっ……!」

 福住先生に貰ったメモ。そしてその紙に書かれた用事の存在を、今の今まですっかり忘れていた。先生の書いた丸っこい字を辿ると、今更ながらあることに気づく。

「なんだ、入院先の病院って山木さんだったのか」

 山木(やまき)記念病院。隣町の山の上に立っている、昔から何かと縁のある病院だ。
 今は「この辺り唯一の」病院ではなくなってしまったが、よく考えたら未だにこの辺りで一番大きい病院な気がする。
 学校からは自転車で三十分程度。家から学校へも逆方向に同じくらいかかるので、今ここから病院へ向かえば明日家から行くよりも得だ。

 昇降口の壁に掛かった時計を見る。六時前。
 とすると、面会が締め切られる八時までにはもちろん間に合うし、家に帰るのもそう遅くはならないはずだ。

「じゃ、今日のうちに行っておいたほうがよさそうだな」

 そうと決まれば、善は急げだ。俺は自転車の停めてある月極駐輪場へと、校門からの道を朝と反対方向へ小走りで駆け出した。


 途中、スーパーで申し訳程度の見舞い品を調達し、山の上の病院に着いたときには完全に日が暮れていた。思ったより時間がかかってしまったようだ。病院には既にあまり人気がない。


「布施さん……、ですか? うーん、最近の患者さんにはいらっしゃいませんね……」

 図らず、受付のお姉さんを困らせてしまった。おかしいな、いくらあの福住先生といえど、生徒の名前を間違えるとは考えがたい。

「今日から入院するとかなんとからしくて。高校生の男子なんですけど……」

「えーと……。本日から入院される方は皆さんご年配の方ですね……。……本日高校生の方がいらっしゃったという記録も見当たりません」

「そうですか。……こちらで勘違いがあったみたいです。どうも、ご迷惑おかけしました」

 面倒だけど、また出直そう。こんな大事なことをうっかり間違えるおとぼけティーチャーには反省してもらわなくちゃならないな。


 病院の玄関を出たところで、ふと、夕方の出来事のもう一方の後処理を思い出した。

「保護者に電話、か……」

 あまり気が進まないが、仕方ない。三佳さんの機嫌を損ねないよう事のあらましを手短に伝えて、それでもってすぐ電話を切ろう。



 ……電話? ……携帯?   ……カバン?

「――――しまった!」

 あんなことがあったもんですっかり忘れていたが、カバンはまだ教室に置きっぱなしだ。
 明日は土曜日で午前中は学校は開放されているとはいっても、朝一で登校する運動部員たちより更に早く学校に行かなければ、連中にカバンの中の「あれ」を見られない保証は無い。
 くそ、なんだって「あれ」が入ってる時に限ってカバンを忘れたりなんかしたんだ俺は……!

 幸い、ここから直接家に帰るのも学校に寄っていくのも、かかる時間はほとんど変わらない。
 誰かしら先生が残って仕事をしていたりするかもしれないし、ダメ元で行ってみよう。


 駐輪場に停めていくのも面倒だったので、学校の目の前まで自転車で来てしまった。
 明かりは……ここからじゃ点いてる部屋は見当たらない。その代わり――――

 門が、開いている。
 ……悪い予感がする。だが、そのことを警察に通報するにも電話がいる。
 もっとも、確証も無いのにそんなことをしてしまって余計な時間を取られたりなんていうのは、はっきり言ってごめんだ。

「……きっと、警備員がうっかり閉め忘れたんだろう」

 開けられていた正門から敷地内に侵入する。
 不気味さをも感じさせる夜の学校。長居はしたくない。さっさと用事を済ませるべく、不自然に開け放たれた昇降口で靴を履き替え、教室へ向かう。


 廊下は、ここが日中賑わっていたのと同じ場所とは思えないほど静まり返っている。
 「まるで全てが死に絶えた――」とかなんとかいうオーバーな形容にも、今なら同調できるかもしれない。
 底知れぬ暗闇に俺の足音が響き、そしてそのまま吸い込まれていった。


 カバンは俺の机の上に横たわっていた。夕方と同じように、後ろのドアから中の様子を窺った後、誰もいないことを確認してから教室に入る。

 帰りのホームルームが終わってから、ずっとここに置きっぱなしにされていたのだろうか?
 何か盗られているものがないか、一応確認。

 筆記用具、よし。
 携帯電話(ケータイ)、よし。
 昼飯のゴミ、よし。
 「あれ」、よし。

 ……よかった、全部揃ってる。
 確認は5秒で済んだ。我ながら素晴らしく整頓されたカバンだ。うん。



「――――あはっ。やっぱりそれ、取りに来たんだ」

「ッ――――!!!!」

 ありえない誰かの来訪に、即座に振り向く。
 人影が見える。暗い廊下、ドアの陰に。
 咄嗟に身構える。こんな時間に校舎に居るヤツが普通なわけがない。

「なぁに? それは。――――先に喧嘩を売ってきたのはそっちでしょう?」

「……なんのことだ」

 薄ぼんやりと見えたその姿は、何の変哲もない小柄な女子生徒だった。
 ……何の変哲もない、というのは語弊があるかもしれない。シルエットだけ見れば、小学生と間違えてもおかしくはないくらいの身の丈。
 白いブラウス。赤と黒のチェックのスカート。

 ――――嫌な予感が、胸を刺す。



 そうして、月明かりが照らす。
 白い肌。入り込む風に揺られる黒髪。
 輪郭。(かんばせ)。深く沈んだ眼。団子鼻。赤みがかった頬。

「お前、昼間の……!」

 夜の校舎に居残るなんていう奇特な趣味を持っていたらしいクラスメイトは、こちらににっこりとした笑顔を向けて、挨拶を返してくる。

「こんばんは、名執くん。――――ねえ。私の名前、覚えてくれた?」

「……へ?」

 この異常な光景での、突然の日常じみた質問に戸惑う。

「……はぁ、やっぱりか」

 イジケた顔を浮かべる少女。

「あ、ああ。悪い……」

 両手を後ろで組み、「残念だなー」と呟き口を尖らせている。
 かと思えば、突然俺の顔を凝視してくる。

「わたし、あなたの斜め前の席の、高峰」

 そうして、名乗る。残念だけど聞いたことのない名前だ。
「高峰、ね。悪い、今覚えた。それで」

「その必要はないよ、名執くん」

 風が吹き込む。

「だって――――」



    「あなたは、ここで死ぬんだから」



 刹那、高峰が何かを手にし物凄い勢いでこちらに駆け寄ってくる。
 あれは、掃除ロッカーに立てかけてあった――――軽音部のギター!


 いつのまにか俺の目の前まで迫って来ていた高峰がその得物(エモノ)をぶん回す。

「――――ッ!」

 目測を誤った。ヤツが持っているのはベースギターで、俺の想定していたよりかなりサイズが大きい。
 なんとか紙一重でそれをかわす。

「っ……!! 落ち着け、高峰!」

 形の良い唇が、歪に(ゆが)む。
 昼と別人のような、捩れた三日月のような笑み。

「“従者(リテイナー)”を、一日で、二人も“処理()”されて、落ち着いてなんて、いられると、思う!?」

 なおも手に持ったベースギターを振り回す高峰。
 口走っている内容は全く理解できない。クスリでもやってるんじゃないか、こいつ!

「ね……、私の為に、おとなしく死んでよ、“掃除屋(リムーバー)”――――!!」

 そう言って、高峰が横に振り回していたベースギターを垂直に振り下ろす、

 と――――



 ――――形容しがたい音を立てて、そのボディーが凄まじい勢いではじけ飛んだ。


「――――え?」

 床に叩きつけられたベースギター。ひしゃげたネック以外は原型を留めていない。

 それは、明らかに小柄な女の子の成せる業ではなかった。

「あーあ。壊れちゃったぁ」

     ――――こいつは人じゃない。

 はち切れた弦が、本体の破壊から少し時間を置いて俺の頬を掠める。微量の出血。
 だがそれは――――目の前の少女を(テキ)とみなす、開戦の合図に相応しかった。

 まず、視界が揺らぐ。目の前の誰かの姿が滲んでよく見えなくなる。
 次に、思考が乱れる。恐怖心が無理やり(ぬぐ)い去られ、頭の中を空白に似た何かが占めていく。

 最後に、俺が途絶える。




    ――――状況確認。

 目の前の女子生徒(テキ)は、現在自ら壊してしまったベースギターの代わりとなる武器を探して、独り言を呟きながら辺りを見回している。
 誰が見てもわかる。完全に隙だらけだ。

     ――――まったく、武器ならいくらでもあるというのに。

 今まで十分な間合いが取られていたからか、生命の危機(シのにおい)は感じなかった。
 しかし、いくら恐るるに足らない敵とはいえ、このまま逃げ続けていても (らち)が明かない。

     ――――ならば、取るべき行動は一つ。



 ああ、わかってる。

 ――――“攻め”だ。

「へ?」

 目の前の少女(テキ)の脇腹を、思い切り蹴飛ばす。そのまま 蹌踉(よろ)めいていき、壁に背中が付いて止まる。

「いっ、たぁ……。……今のでちょっとアタマにきちゃったかも」


     ――――戯言を言っている暇があるなら、
            俺が既に放った武器をどうにかしたらどうだ?

 「ッ……!!」

 俺が高峰(テキ)めがけて投げつけた机。目の前まで迫っていたそれを利き腕(みぎて)でなんとか振り払う高峰(テキ)

 だけど――――それじゃ間に合わない。

 俺が机を投げた直後彼女(テキ)の死角めがけて投げた(スチール)製の定規が、がら空きになった細い左腕に喰い込む。

「くっ……!このっ……!!」

 傷口から過剰に溢れ出す血液。高峰(テキ)は完全に冷静さを欠いている。

 なら、あと一撃で――――



「上出来っ! ――――85点!」


「「――――え?」」

 朦朧とした意識の中でふらつく俺と壁に背を付けよろめく高峰(テキ)が、同時に驚嘆の声を上げる。
 その、ありえない“第三者”に向けて――――。



 ブラウス姿の少女が、中庭に繋がる窓から飛び込んでくる。
 その手には――――大振りの拳銃。


 ……いや、あれはまさか――――

 少女は長い髪を(なび)かせながら、着地したそのままの勢いで壁までを一気に駆け、立ち尽くした高峰を捕らえ、その手に持った拳銃を高峰の胸に密着させる。

 まるですれ違いざまにナイフで刺したかのよう。

 ――――その連想は、高峰がもう助からないことを暗喩していた。

立松(たてまつ) (いずみ)っ……!」

「残念ね、高峰さん。――――“掃除屋(リムーバー)”は私でした」


 そう耳元で囁いたと思えば、高峰が声を上げるより早く、


 ――――既にその弾鉄(ひきがね)を引いていた。

 瞬間、「バシュウ」という、ガスボンベに穴が開いたような激しい音。
 場景が歪む。おそらくそれは、蜃気楼。
 銃口と高峰の胸との間から熱風が漏れ、“掃除屋”と名乗った少女の小柄な体がその衝撃で少し後退する。
 少女の長い髪、そして身に付けたブラウスとスカートが揺れ、
 まもなく風が収まった。

 熱風を密着状態で「撃ち付けられた」高峰の体が崩れ落ち、(くろ)い巨大な拳銃――――いや。ドライヤーを持った少女に倒れかかった。


 半分だけ開かれた窓から、微かに風が入り込む。

 見慣れた教室。見慣れぬ情景。黎い拳銃(ドライヤー)を握る少女。

「――――名執、由利也クン」

 少女が俺の名を呼ぶ。
 窓から入り込む湿った風が、中庭の満開の桜の花びらを運んでくる。

「お前は、一体何者なんだ……?」

 月明かりが映し出す、少女の雅めいた(かお)がゆっくりと動く。

「私は立松 泉(イズミ)。この学校で、御覧の通りの仕事をしているの」

 そう言って、イズミは自らの足元に横たわる少女(たかみね)に視線を移す。 

「御覧の通りって…………なんだよ。高峰(そいつ)は……殺したのか?」

 ふふ、と妖しい笑みを浮かべる立松 イズミ。
 昼間とは別人のような、新月の空に浮かぶ星座に似た笑みを。

「殺してはいないわ。これは人を殺す道具じゃない。“大人(ライヤー)”を沈黙させるための武器よ」

 手に持った拳銃(ドライヤー)を弄り、まるで弾薬装填(リロード)のような動作をしてみせる。
 ドライヤーから、それとは不釣合いな弾倉(マガジン)のような物が排出される。

「ライ、ヤー……?」

 弾倉を排出したドライヤーからは、先程の熱風の名残が漏れ続けている。

「そ、“大人(ライヤー)”。この高峰 真美さんのような、ね」

 横たわる高峰を見る。彼女は動かず、ただ腕から血を流すのみ。

「この学校には“大人(ライヤー)”が居るわ。それを排除するのが、私たち(・・)の役目」

「さて」

 立松が俺の顔を見つめ、またも笑みを浮かべる。俺はまだ、呆然と立ち尽くしたままだ。

「……あまり時間は無いけど、この場で1つだけ質問に答えてあげる」

 澄ました顔の立松が、俺の顔を覗き込んで、「ね、早く」、なんて言っている。
 酷だ。聞きたいことなんて山ほどあるっていうのに。仕方ないから山を崩し、絞る。


「今のは……一体何だったんだ?」

 ただのクラスメイトだと思っていた高峰が常人とは思えない力で俺を殺しにかかり、颯爽と現れた「気になっている」クラスメイトがそれを何かで黙らせた。
 すんなりと受け入れられる光景だとは、到底言いがたい。

「――――知りたい?」

「え?」

 悪戯な笑みを浮かべる立松。本当に、これが昼間可愛らしく顔を赤くしていた立松 泉なのか?

「知る覚悟はあるか、って聞いているの。貴方、私に関わる覚悟はある?」

 “大人(ライヤー)”とかいう、人間を超えた力を持つ何かの存在を知る覚悟。
 根拠はないけど、関わってしまったら最後。二度と平穏で何も無い俺の(・・)生活は戻ってこない気がする。

「ねぇ、どうなの?」

 そんなことより俺は――――

 月明かりに照らされている、白く透き通った、火照りを帯びた頬。
  人形のように繊細な綺麗さで、それでいて意志の強さを感じさせる顔立ち。
   俺の脳髄を揺すぶる、甘美でありながら凛とした声。
    話の内容以上に、俺を惑わす、アンバランスな魅力。

 ――――この少女のことを、知りたくて仕方がない。

「……覚悟は、ある」

 立松は一瞬だけ驚いたような顔をし、すぐにまた元の余裕を含んだ笑みを浮かべた。

「決まりね。それじゃ、名執由利也クン」

「あ、ああ」

「明日の十三時、駅前の喫茶店『アル・フィーネ』で待ってるから」

 今日一番の笑顔で告げる立松 泉。
 俺はまたしてもその笑顔に見惚れて、言葉を発することすらできなかった。




 家までの道のりを、自転車で辿る。
 湿った風が、上着越しに肌に触れる感触が少し不快だ。

『それじゃ、早くこの場を離れた方がいいわ。そろそろ警察が到着する頃だから』

『警、察……?』

『そ。事後処理ね。見つかったら厄介なことになるから、早く帰りなさい』

 本当に警察が来るのかと、学校周辺では辺りを見回しながら運転したため、危うく闇夜に完全に紛れ込んだ真っ黒のセダンにぶつかりそうになり、クラクションを鳴らされる羽目になった。
 パトカーなんて、結局どこにも見当たらなかった。



 目覚まし時計を約束の時間より二時間程前にセットし、枕元に置く。
 ようやく就寝の準備が出来たというわけだ。

 今日は――――とても長い一日だった。
 何が起こったか、すでに曖昧になりつつある。
 まだ少しだけ、体の節々と頭の奥がキリキリと痛む。
 無理をしすぎたかな、今日は。

 早く眠りに就いて、体の休息と記憶の整理を行わないと。
 それは、()が明日も生きていくために必要不可欠なことだ。
 もう、眠ろう。

  おやすみ。明日も、きっと良い日になる。
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