ブックリスト登録機能を使うには ログインユーザー登録が必要です。
第29話 ギミック世界のワンダラー(その7)

 ベランダの柵から身を乗り出し、目の前に広がるひたすら続く漆黒の闇を見つめる。
 さっきまでのセミの鳴き声も、降り注ぐ夏の陽光も、空気の流れすら感じない。完全な静寂に覆われた暗闇の空間が、ただひたすら目の前には広がっていた。
「…は、は。…嘘だろ?」
 箱に伸ばしかけた俺の手を、シェリルが掴む。
「まあまあ、そない慌てなって。せっかく世界が変わったんやし」
「やっぱり何も見えないです~。これだけ真っ暗なのも壮観ですね~」
「お前等な…そんな暢気なことを言ってる場合か」
 どこか陽気なりもんとシェリルを尻目に、俺は慌てて部屋の中に駈け戻る。
 家の中の様子を確かめようと部屋のドアノブを掴み勢いよく扉を開けた瞬間、俺の体は闇の中に投げ出されそうになる。

「危ないぞえ、牧本」
 落ちそうになる俺の体を背後から鎌子が掴んでいた。踏み出した足の先、そこに在る筈の廊下すら無くなっていた。
「う……嘘だろ?」
「ドアの外にも、何も無いみたいぞえ」
 かろうじて鎌子に部屋の中に引っ張りあげられ、俺はへなへなとその場に腰をつく。駆け寄ってきたりもんとシェリルが、押し合いながら扉の向こうの光景を眺める。
「これって、マキさんの部屋だけが独立してるみたいですね~」
「部屋が宙に浮かんでるんやな」
「あ…はは、そんな…馬鹿な」

 茫然とする俺の体を後ろから抱きかかえたまま、鎌子が無表情のまま平然と言う。
「牧本、きっとこれは『方舟』ぞえ」
「は…方舟?」
「そういえばこの部屋、少しずつ動いてますよ~」
「あ、ホンマや。微妙に振動してるわ」
 そう言われれば、ロープウェーやゴンドラに乗った時のような僅かな揺れを感じる。視覚的な基準がないので解り難いが、確かにこの部屋は動いている。

「何でこんなことに…」
 あまりに無茶な展開に気が抜けてしゃがみこむ俺の手を、シェリルが掴んで引き起こす。
「腰抜かしとる場合やあらへんやろ?物事には原因と結果が付きもんなんやから」
「原因と…結果?」
 茫然としている俺の体をりもんとシェリルが両側から抱え、再びベランダに連れて行く。
「マキさん、世界が変わったんですよ~。箱をかぶって」
 大きな緑色の瞳を瞬かせ、りもんが小さく首を傾げ俺の顔を覗き込む。
「そりゃ確かに変わったけど……あ!」
 その時、ようやく俺は紫衣の言葉を思い出す。

 "ここから見える世界、これまでと全く違うのよ"

 俺は箱をかぶったままベランダの柵を握り、真っ黒な空を見上げた。
 目の前の何も無い闇の世界。世界を変えること。そしてあの時、箱の覗き穴から微かに見えた紫衣の瞳―。
「そう…か」
 ようやく紫衣の言葉の意味が分かった気がする。
 紫衣の言葉は本当だった。あいつは世界を変える術を知っていて、俺にそれを教えたんだ。

 世界なんて、いつも揺らいでばかりだ。
 今日と同じ世界が明日も続いているなんて方が、実は奇跡なのかもしれない。
 人間だって同じじゃないだろうか?
 昨日と同じ自分で居られる自信なんて、誰にも無いのだから。

 大きく息を吸って、俺は静かに目を閉じる。
 真っ暗な闇の世界の中は何の物音もしない。
 目蓋の奥に微かに現れたあいつは、いつもと同じ斜な表情で笑っていた。

 この世界のどこかに、紫衣が居る。
 そしてあいつは何も言わず…ただ…待っていたんだ。
「ずっと俺の傍に…居たんだ」
 小さくそう呟き、俺は柵を握る手に力を入れた。



+注意+
・特に記載なき場合、掲載されている小説はすべてフィクションであり実在の人物・団体等とは一切関係ありません。
・特に記載なき場合、掲載されている小説の著作権は作者にあります(一部作品除く)
・作者以外の方による小説の引用を超える無断転載は禁止しており、行った場合、著作権法の違反となります。

この小説はリンクフリーです。ご自由にリンク(紹介)してください。
この小説はケータイ対応です。ケータイかパソコンかを自動で判別し、適切なページを表示します。
小説の読了時間は毎分500文字を読むと想定した場合の時間です。目安にして下さい。