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第19話 天井桟敷の人々

 小劇場の向かいにシェリルを停め、雑居ビルの2階にある入口に鎌子と向かう。
 寒冷地育ちで暑さにめっぽう弱いりもんを冷蔵庫に入れて、今日は鎌子をポケットに入れて連れてきた。
 オレンジ色の夕陽の射し込む中、案内板の掲げられたビル脇の狭い階段を上る。
 両側の壁には劇団のポスターやチラシが所狭しと貼られていた。

 薄暗い階段を上りながら、鎌子が言う。
「牧本と二人きりで出かけるのは、初めてぞえ」
「そうだっけ?」
「カマキリは秋になると産卵期だから、そろそろ牧本の子種を仕込む時期ぞえ」
「そしたら俺食われるんだろ?」
「ジョークぞえ」
「お前の冗談は、解り難い」
 そんな戯言を交わしながら階段を上がると、切れかけた白熱灯が受付のある狭い踊り場を照らしていた。

 演劇を観に来たのは初めてだった。
 木製の扉を開けて劇場の中に入ると、前方のステージに向かって階段状の客席が作られていた。客席といっても映画館のようにクッションのきいたシートがある訳ではなく、階段がそのまま座席になっている。
 100人も入れば満員になるくらいの狭い劇場だったが、既に8割ほど客席は埋まっていた。

「思ったより本格的だな」
 舞台の上の照明やセットを見渡しながら、俺と鎌子は一番奥の桟敷席に座る。
「牧本、緊張してるぞえ?」
「まあ…どことなく」
 紫衣との初対面が演劇の舞台なんて、思ってもみなかった。
「…紫衣は、きっと俺の知らない多くの世界を知っているんだな」
「そう。世界は広いぞえ」
 公演時間が近づき埋まりつつある劇場の客席が、自然と臨場感と熱気に包まれていった。

  *

 客席が暗転し、舞台のライトが灯る。
 この芝居には主に3人の女優が登場した。
 恋人を事故で失った女性とその友人、そして主役の女性に歪んだ思いを寄せる謎の女が中心となって芝居は進んでいく。

 心象風景や時間軸を遡った場面が入り混じる難解なストーリーは一般的に好まれる内容では無かったが、巧みな照明や生の役者の台詞廻しの迫力に圧倒される。
 観る前には大げさでいかにも演技臭いものをイメージしていたが、実際の臨場感は全く違っていた。

 桟敷席で芝居に見入る俺に、隣の鎌子が小声で囁きかけてくる。
「牧本、誰が紫衣か分かったぞえ?」
「……ああ」
 俺が視線で示したのは、主役に歪んだ愛情を傾ける背の高い金髪の女。
 決して台詞は多くないけれど、時折観客席に向ける冷徹でどこか偏執さを含んだ眼差しは、ひときわその存在感を際立たせていた。

 振り乱した金髪の前髪から覗く、吸い込まれそうな黒い瞳。
 リチウムの小説の登場人物と同じ、硬質な冷酷さと燃え盛る情愛を表裏に備えた人物像。
 あれは…紫衣そのものだったんだ。

  *

 芝居が終わり客席が明るくなっても、俺は茫然と舞台を見つめていた。
 痺れを切らした鎌子が、服の裾を引っ張る。
「終わったぞえ、牧本」
「あ…ああ」
 ぼんやりと立ち上がると、鎌子は俺の顔を覗き込んで言う。
「牧本って、実は演劇好きなんじゃないか?ぞえ」
「……」

 芝居は紫衣の演じる女の死で、幕を閉じた。
 俺にあんな脚本が書けるのだろうか?
 そんなことばかり考えながら出口から階段を降りかけた時、背後で突然大声が聞こえた。
「マキ!牧本たばね!」
 突然人混みの中で自分の名前を呼ばれ、驚いて振り返る。
 関係者が混み合う控え室から顔を覗かせ、金髪の女が手を振っていた。

「……紫衣?」
「マキ!」
 紫衣は舞台衣装のまま駆け寄ってくる。
 さっきまでの猟奇的な役柄とうって変わった様子に周囲の人々がどよめくが、そんなことなどお構いなく紫衣は陽気に話しかけてくる。

「君!何さっさと帰ろうとしてんのさ!」
「え…ていうか…どうして俺だって分かったんだ?」
 動揺する俺を尻目に、腕組みした紫衣は口の端を上げて笑う。

「ははん、すぐ分かったよ。舞台に居る時から」
「…あの客の中で?」
「舞台からって意外と観客の様子がよく見えるのよ。すぐ天井桟敷の坊主頭がマキだって分かったよ」
「……マジすか」
 唖然とする俺を見ながら、紫衣は暢気に笑い続けていた。



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