第1話 創作男と毬藻
巷では三連休らしいが、俺はベッドに入ってうたた寝を繰り返しながらぼんやりと一日を過ごした。
もぞもぞと起きだして煙草に火をつけ、窓の外を眺める。白い煙の向こうに雨の雫が流線型の跡を残し窓をつたう。
三次選考で落選した小説の、編集部からの書評がゴミ箱の中に捨てられていた。
ストーリー … B+
キャラクター … B+
設定 … B
オリジナリティ … B+
文章力 … A
総合 … B+
評価はA、B+、B、B-、Cの5段階。三次選考ともなれば、総合判定でAに達しなければ落選となる。
判で押したように毎回似たような書評が送られてくるが、賞には一度も辿り着いたことがない。「あと一息」を延々と繰り返して、早や数年が経っていた。
煙草の煙とともに大きな溜息が口から漏れる。
窓を叩く雨の音だけが、湿った部屋の中に響く。一日中、同じ雨が降っていた。
「元気ないですね~?」
背後からの間延びした声に振り返ると、りもんが相変わらず人懐っこそうな笑顔を浮かべて立っていた。
「マキさん、大丈夫ですか~?」
「…ああ。梅雨時は気が滅入る」
「本当~?」
ちょっと意地悪そうにそう言うと、りもんはゴミ箱から書評を拾い上げる。
「実はこれが原因ですね~」
「目ざとい奴だな」
りもんは仰々しく咳払いをして、選評シートを読み上げる。
「『多くを語らずに主人公の心情を読み手に考えさせる文章力と描写力は高い。だがストーリーの展開とカタルシスに欠ける。捻りの効いた次回作に期待』、だそうですよ~」
「もう聞き飽きた」
苛立たしげに煙草を揉み消すと、ひとすじの絹のような細い煙が灰皿から微かに立ちのぼる。
「…『カタルシス』って、何ですか~?」
「さあな」
不貞腐れて再びベッドに潜り込む。辛辣とも賛辞ともいえない微妙な書評が俺にもたらしたのは、精神の浄化ではなく漠然としたストレスだけだった。
*
「こんなのぉ気にせずぅ~♪元気出ぁして~♪」
りもんは書評を再びゴミ箱に投げ捨て、緑色のミニスカートをひらひらと靡かせ歌い始めた。
緑色の髪の毛に緑色の大きな瞳。秋葉原が似合いそうな緑色のコスプレ衣装には、ご丁寧に緑色の触角まで生えている。
『りもん』は、俺の飼っているマリモだ。
マリモが何故擬人化して目の前に居るのか?
それは酷い妄想癖のある俺にとって、さして問題ではない。
元々は知り合いから北海道土産で貰ったもので、もう1年以上世話をしている。
マリモというのは文字通り『毬藻』なので、時々小さな水槽から取り出して手の平で丸めてあげなければいけない。そうすると、なんとなく元気になったように見える。
俺はいつしかこの緑色でふわふわした小さなマリモに、『りもん』と名前を付けていた。
もし俺以外の世界の全ての人がエキストラだったとしたら、毬藻の一人や二人が擬人化して目の前に現れても何ら不思議じゃないだろう?
むしろそう考えた方が、少しは気も安らぐというものだ。
「くじけず前向ぅいて~♪七転八倒ぉ~♪」
「それ違うぞ」
「陽気にぃ~笑ってぇ~♪」
大きな眼を瞬かせくるくると回りながら踊るりもんを見て、苦笑いする。
会社が休みの日には、一人暮らしのアパートに篭ってひたすら小説を書いている。
一日中脳内でのプロット作成と、パソコンに向かっての執筆。時には布団に入ってもキーボードを叩き続けている。高校の時からずっとそんなことばかり繰り返してきた。
そんな人間が陽気な筈が無かろう。
子供の頃は『空想癖』で済んでいたものが、年齢を重ねていく度に『妄想狂』に変わっていった。気付くと残されたのは、吸殻で溢れ返った灰皿とフォルダに格納された300を超えるオリジナル小説、そして毎回『次回作に期待』という編集部からの書評だけだった。
*
俺の名前は、牧本束。『束』と書いて『たばね』と読む。
何故親がこんな名前を付けたのか、未だに分からない。友達も居なくて自分の行く末すら見えない俺に、いったい何を束ねろというのだろう?
相変わらず暢気に唄い続けるりもんの頭をそっと撫でてやると、りもんは子猫のように目を細めて『にゃにゃ~』と照れた。
バタバタと窓を叩く雨に振り返り、灰色の窓の外を眺める。
目覚める度に思うことがある。
グレゴール・ザムザは巨大な毒虫に変身していたが、果たして俺は何に変身しているのだろう、と。
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