第四十七審 「あのね、大好き」 四部
沈みかけた太陽が、空の隅で燃えている。
開けっ放しのカーテンから差し込んだ茜色で、白い壁はオレンジに染まった。
太陽が、落ちていく。
「意味が……わからないんだけど」
返って来た嵐の言葉はとても静かで。
だけど、表情の消えたその顔の下に隠した激情は確かに、あたしを焼き尽くすほどに燃えていた。
「ごめんね……ごめんなさい」
声が震えた。
熱くなる目頭に対抗しようと、きつく唇を噛む。
泣く権利なんて、あたしにはないんだから。
「ごめんじゃなくて……どういうことなのか、なんでそうなったのか、ちゃんと説明しろよ」
あたしの腕を掴んだ嵐の手に力が入る。
ぎりぎりと、心まで締め付けるように。
何も答えようとしないあたしに、嵐は疑惑の目を向けた。
「無理矢理、されたのか? あいつに……」
「違う! 宗佑が悪いわけじゃない。あたしが、いけないんだよ」
嵐の言葉を遮って振り絞った声が、ますます嵐を傷付ける。
「なんで庇うんだよ」
怒りを吐き出すように、その口調が激しくなっていく。
「庇ってるわけじゃ……」
「じゃあ、それはお前が……ちぃが望んでしたことだって、そういうことなのかよ」
両腕を掴まれて、真正面から問い詰められると、もうどこにも逃げられない。
言わなきゃ、ちゃんと。
思ってること、全部。
「……逃げ出したく、なったの。嵐がちゆみちゃんや留学のことで悩んでるの知ってて、何もしない自分に嫌気がさして……何も相談してもらえないあたしは、何のためにいるんだろうって。誰かの不幸の上に成り立つ幸せなんてないって、ずっと思ってた。だけど、あたしがいることで、ちゆみちゃんや嵐の家族が不幸になっていくような気がして堪らなくて……」
大きく息をして、更に続けた。
「何も知らないふりをして、嵐の隣にいる自分が……嫌だった。だけど嵐の背中を押してあげることもできなくて……。どうしようもなく不安で、それで逃げたの。一瞬だけでもいいから、何かに縋りたかった。だけど……」
わかったんだよ。
やっぱり、嵐じゃないとダメなんだ。
「だったら、なんで俺に言わないんだ。なんであいつなんだよ!」
「最低だって、自分でもわかってる。言えないから……辛かった。でも、それは嵐も同じだったんだよね。今、わかったよ。嵐も一人で悩んで辛かったよね。何もできなくて……ごめんね」
好きだから、言えなかった。
好きだから、言って欲しかった。
側に居たかった。
だから、あたし達はすれ違う。
「じゃあ、どうすりゃ良かったんだよ。どうすればお前を不安にさせずに済んだ? これでも、俺なりに必死だった。空白だった五年間を埋めたくて、過去に囚われないように前を向きたくて……。ちゆみのことも、留学のこともちぃが気にすることじゃないだろ。俺が自分で蒔いた種だから、自分で後始末しただけだ。お前は何でも考えすぎなんだよ」
知ってるよ。
嵐が一生懸命、あたしを想ってくれてたこと。
「考えすぎ……なのかな。だけど、あたしがもっと強かったら自分の気持ちに真っ直ぐいられたと思う。こうやって何かあるたびに揺れてるあたしじゃ、ダメなんだよ。今は乗り切れても、きっとまた同じことの繰り返しだから……だか」
震える声を戒めながら『さよなら』を告げようとした言葉が途切れたのは、嵐の手の平があたしの口を塞いだから。
「その続きは言わせない。絶対」
前髪の隙間から覗く切れ長の瞳。背中に回された腕で強く引き寄せられた。
「留学はしない。ずっとちぃの側にいる。もう二度と、不安になんてさせない。何も心配しなくていいから」
あたしの胸を高鳴らせてやまないその声も、ガラス玉のような透き通った瞳も、太陽の光りを浴びて光るその琥珀色の髪の毛も。
「あいつとのキスは、俺が消してやる。だから……その続きも忘れろ」
いつだって、たくさんの気持ちをくれたことも。
ずっとちゃんと覚えておくから。
「ごめんね、嵐。好きになってくれて……ありがとう」
触れられるだけで、甘い眩暈が起きるこの身体を離して、アパートを飛び出した。
太陽は落ちたのに、まだ月はでていない。
何もない空とからっぽのあたし。
きつく噛んだ唇だけが、崩れ落ちそうな心と身体を支えているような気がした。
これでいいんだと言い聞かせながら、体中に力を入れる。
ここで泣いてちゃ、いままでと何も変わんないんだよ。踏ん張れ、あたし。
全部言えたかな。今まで思ってたこと。
嵐に伝わったかな。
……あぁ、そうだ。ひとつだけ言えなかったことがあった。
だけど、言えない。これだけは。
「あのね、大好き」
仰いだ先に広がる月のない夜空になら、言ってもいいですか?
ちょこっとだけ、お気持ち聞かせていただけたら嬉しいです。
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