第四審 あたしのヒーロー
小さい頃のあたしは泣き虫だった。
身体も小さくて気弱で、いつもオドオドしていた。
些細なことを男の子たちにからかわれる度に泣いていた。
そういうところがまた、からかいの原因を作っていたようにも思う。
あれは一年生の夏休み前。あたしはピアニカを忘れてくるという大失態をしてしまった。
もしかしたら学校に置きっぱなしかも、というわずかな望みにかけてロッカーや荷物の中を幾度となく探してみるけれどもちろんあるはずがない。
ピアニカがなければ音楽の時間中ずっと恥ずかしさに耐えなくてはいけないだろう。男の子達にも何を言われるのかわからない。
想像しただけで絶望的だ。
今思えば何でもないようなことでも、あの時のあたしにとっては死刑宣告のようなものだった。
そんなあたしの前に差し出された、ひとつのピアニカ。
琥珀色の綺麗な髪、色素の薄いガラス玉のような瞳。
矢野嵐があたしの前に立っていた。
特に仲が良かったわけじゃない。その頃の嵐はすでにクラスの中心的存在で、いつもにぎやかな輪の中にいたし、あたしは少し外れたところからみんなを見ているタイプだった。
自分とは正反対の存在。憧れもあったし、無縁のような気もしていた。
「やのあらし」と記入されたピアニカ。
なぜ、あたしに貸してくれようとしているのか。嵐はピアニカ無しでどうするつもりなのか。
いろんなことが頭によぎったけれど、自分のことしか考えられなかったあたしはそれを受け取ってしまった。
「さっき洗ったばっかだから、汚くねーよ」
ぶっきらぼうに話す嵐。ピアニカのパイプは水で濡れて水滴が付いていた。
「あ……ありがとう……」
情けない気持ちと感謝の気持ちが高まって、嵐の顔をみることができない。
小さな声でお礼を言うのが精一杯だった。
クラスみんながピアニカを吹いている間、嵐は一人背すじを伸ばしまっすぐに前を見ていた。
あたしは、自分の使っているピアニカに書かれた名前を隠すのに必死だった。
そんな自分が情けないくて悔しい。
強くなりたい。強くなりたい。嵐みたいになりたい。
嵐と仲良くなったのはそれからだ。
仲良くなったというよりも、あたしが嵐の後をついて回っていたというのが正しいかもしれない。
嵐もあたしを気にかけてくれて、何かと世話を焼いてくれた。
お調子者だけど、強くて優しくて、いつもあたしを助けてくれた嵐。
嵐はあたしのヒーローだったんだ。
それからずっと同じクラス。
嵐と一緒なら、なんでもできるような気がしてた。
毎日が楽しくて、今日は昨日の続きだと信じていた。
あの日までは。
忘れられないあの日。7月9日。
5年生になったあたしたちは、グループにわかれて校内新聞を作るというテーマに取り組んでいた。
度々衝突してはケンカになり、そのたびに書き直すという作業を繰り返してやっと完成したのは発表日の前日。
どのグループにも負けない素晴らしいものができたと、みんなが納得する出来栄えだった。
最後にグループのみんなで『明日は頑張ろう』と気合を入れて解散した。
嵐もいつもと変わらない様子で、緊張して上手く発表できなかったらどうしようなんて言いながらおどけていた。
これが最後になるなんて思わなかった。
「明日、楽しみだね」
帰り際そう言ったあたしに『おう、また明日な』と手を振った嵐。
でも、嵐は次の日から学校に来なかった。
こんな大事な日に休みなんて可哀想だな。病気かな? せっかく一生懸命みんなで作ったのに……。
そんなことを考えていた。
でも次の日もその次の日も来ない。
先生も嵐のことを話題にも出さない。
何かがおかしい。
嵐が来なくなって一週間。我慢できなくなったあたしは、嵐のマンションまで行くことにした。
ものすごく重い病気だったりしたらどうしよう……。
小さなマンションの一室。
そこに嵐の姿はなかった。
表札は外され、物音ひとつしない。カーテンや家の中の荷物、家具も全てなくなっていた。
引越ししたんだ、とすぐにわかった。
なんで? どうして? 急に引越しするなんて……。どうして教えてくれなかったの?
どこに行ったの?
嵐はあの日、自分が引越しすること知ってたの?
『また明日』と手を振る姿が頭に焼き付いて離れない。
その急な引越しが普通じゃないことは、子供ながらに薄々感じていた。
でもそれが何なのか、小学生だったあたしには見当もつかなくて怖かった。
嵐は大丈夫かな? 今何してるのかな? ちゃんと笑えてるかな?
――嵐。
あたしは、嵐のことが好きでした。
初恋でした。
今、幸せですか?
ちょこっとだけ、お気持ち聞かせていただけたら嬉しいです。
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