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第三十一審 脳内ジャック。
 寝る前のおやすみの電話。まだ耳に彼の声が残っている内に、ベッドの中へ潜り込む。
 一日の最後を締めくくる、幸せな瞬間。
 好きな人が、自分を好きになってくれるなんて奇跡だ。
 毎日が、夢のように過ぎていく。

 だからあたしは忘れていた。
 新学期が始まれば、敵は山のようにいることに。
 もちろん総大将はちゆみちゃんで、あたしは敵地に送り込まれた雑草兵だ。
 無双乱舞もBASARA技も使えないあたしは、身を潜めて裏道を探すぐらいしかできやしない。


「おはよう、須統くん。夏休みは全然会えないから寂しかったぁー」
 お久しぶりの水田さんは、髪の毛が夏休み前より明るくなっていてほんの少し日焼けをしていた。
「そーそー、須統君メールの返事もあんまり返してくれないしー」
「電話してもいっつも留守電だよねー」

 へぇー……。
 須統君ったら、モッテモテでございますのね。
 登校早々女の子達に囲まれた嵐は、まんざらでもなさそうな顔で愛想笑いを振りまいた。
「あぁ、ごめん。バイトと子守りが忙しくって」
 ほぅ……『子守り』というのはあたしのことかね? 須統君。

「ウチの可愛い千里をたぶらかす、悪い狼さんのご登場だね」
「背中に『立花千里専用』って書いて貼ってやろうかしら」
 机に頬杖を付きながらモヤモヤした気持ちで嵐を睨んでいたあたしの背後に、小松兄妹が忍び寄る。

「……別に、気にしてないもん」
「いいのよ、千里。須統君を懲らしめたくなったら、いつでも言って。何でもするから。……宗佑が。」
「……俺かよ!」
 嵐はいつも女の子に囲まれている。だけどこれは今に始まったことじゃない。
『いつものこと』で済ませていられたことが、段々と許せなくなっているあたしが居る。
 だって、あの手のひらも、柔らかな髪の毛も、愛想笑いをしながら調子のいいことを繰り出す唇も、全部全部、あたしだけのものにしておきたい。
 だけど、そんな心の狭い自分は嫌なんだ。誰にも見せたくない。嵐にだって、知られたくない。

「あ……篠原君だ」
 朝練を終えたらしい篠原君が、教室へ入ってこようとするのが目に入った。
 相変わらず爽やかな笑顔で、クラスメイトと挨拶を交わしている。
「おー篠原! おはよー」
 宗佑の声に気付いた篠原君は、これまた爽やかに小さく手を振った。
 皇族のような優雅なお手振り。なんとなく御利益がありそうな気がして、手を振り返してしまう。
「おはよう。宗佑、立花さん」
 自分の机に荷物を置くと、篠原君はこっちへやって来た。
「あの……小松さんは?」
 ぐるりと教室を見渡して、またあたし達に視線を戻しながらゆっくりと聞く。
「夏帆? ……あれっ? さっきまでここに居たのに」
「おかしいなー。マジでさっきまで居たんだけどねー」
 ほんの数分前まで『闇討ちなら任しときな』的な穏やかでない発言をしていたのに、忽然と姿を消している。あなた忍者ですか、夏帆さん。
「あっ、いいんだ別に用があるとかじゃないし。……多分、俺に会いたくないんだと思う。ごめんね、邪魔して」
 夏帆が消えたと騒ぐあたしと宗佑を制するように、篠原君は慌ててそう言うと教室を出て行ってしまった。
 
 あれー? あれれれれー? これってもしかしてアレですか?
「夏帆と篠原君、何かあった?」
「さぁ? 俺は何にも聞いてないけど、どうせ篠原が告白でもしたんじゃない?」

 マジっすか?

「うそっ! 何がどうなってそうなったの!? いつ!? どこで!? 何時何分!? 地球が何回廻った時!?」
「痛い痛い痛い、ちょ……首締まるって。千里、落ち着いて」
「あっ、ごめん。大丈夫?」
 無意識に掴んでいた宗佑の制服の襟から手を離すと、宗佑は空気を求めて大きく息を吸う。
「告白したかどうかは知らない。でもあの夏祭りの夜に何かあったのは間違いないな。夏帆が何も言わないから、俺も聞いてないけど」
「……夏帆、なんで何も言ってくれないんだろ」
 あたしは何でも夏帆に話してるのにさ。頼りにならないのかなー。

「色々あるんだよ、あいつなりに。今は一人で考えたいんじゃない? 俺は、夏帆が自分から言うまでは何も聞かない」
「宗佑は……大人だね。というか、なんかもう人生悟ってるよね」
 何も言ってくれない夏帆にまで変なヤキモチを焼くあたしは、やっぱり心の狭い人間だ。

「大丈夫、大丈夫。千里は夏帆の親友なんだから、その時がくれば話してくれるよ。その時はさ、力になってやってよ」
 励ますかのように、宗佑が頭をポンポンと叩く。
 どうして、あたしの考えてることは宗佑には筒抜けなんだろう。
 こんな風に、嵐とも以心伝心できたらあたし達はもっと近くにいけるのだろうか?


 だけど、本当に伝えたい人に伝わらないから、人間は言葉を習得したわけで。
 時にそれが、誰かを傷付けるために武装された道具になったとしても。


  昼休みになると嵐はふらっと教室を出て行く。多分、ちゆみちゃんのところに行ってるんだろう。きっと嵐が行かなきゃ、ちゆみちゃんはウチのクラスまで迎えにするはず。目の前で二人で居られるよりはずっとマシだ。
 短い休みには取り巻きの女の子達ががっちり脇を固めてるし、同じクラスなのにやたらと遠くに感じてしまう。

 結局、新学期一日目は嵐と会話もできずに放課後を迎えてしまった。
 ああだこうだと言いながら、クラスの子達が放課後の予定について帰り支度をしながら話している。

「ね、ね、今日カラオケ行かない? 氷室奈美恵の新曲出たし」
「あーごめん。彼氏と帰る約束しちゃってて」
「えー、亜美はラブラブでいいなぁー。やっぱ同じ学校ってポイント高いよねー。学校違うとどこで何してるやら」
「あたしそれ無理。信用できないもんアイツ。菜々子の彼氏はいい人そうじゃん。絶対浮気なんかしませんって感じだし」
「そーでもないんだって。それがさぁ……」


 同じ学校でも、どこで何してるかわからない彼氏もいますよー。
 
「千里ー、今日ヒマ? 宗佑がアイス食べたいってゴネてるんだけど、一緒に行く?」
 またもやふてくされ気味になってきた所に、タイミング良く夏帆からのお誘いが入る。
「行く行くー!! 駅前のとこ?」
『ごめーん、今日は彼氏と一緒に帰るから』なーんて言ってみたいわ。

「ごめん。ちぃは俺と一緒に帰るから」
 甘い甘い、蜜の香り。夏帆たちの元へ駆け寄ろうとしたあたしの腕を掴むその手。

 騒がしかった教室が、一瞬で静かになる。
 そのすぐ後で聞こえるざわめきと、囁き声。

「……千里は行くっていってるでし「あーなんか俺、急に腹が痛くなってきたわ。こりゃアイスは無理だな。今日は真っ直ぐかーえろ」
 まだ夏帆が言い終わらないうちに、宗佑がその背中を押して無理矢理連れて出て行く。
 
 突き刺さる視線が痛い。

 明日辺り、ちゆみちゃんみたく中庭に呼び出されて叱責をうけるんじゃないだろうか。
 想像しただけで胃が痛い。嵐のバカたれ。


「……なんであーゆーことみんなの前で言うかな? もう絶対噂になってるよ」
「別に問題ないだろ」
 嵐に手を引かれながら、駐輪場へ向かう途中。
「あたしには問題あるの。それに、ちゆみちゃんの耳にも入るよ……きっと」
「ちゆみはもう知ってる。だけど、あいつにはそんなの関係ないらしい」
 ……さいですか。ずいぶんと逞しいお姫様で。
 ねぇ、いつ話したの? いつ会ったの? 夏休みの間? それとも、今日の昼休み?

「……アイス、食べたかったのに」
 本当に言いたいことを言えない、デタラメな言葉は、時に人を傷付ける。

 駐輪場の錆びた柱が、乾いた音を立てた。
「何? そんなにアイツと一緒に行きたかったわけ?」
 荒々しく突き立てた嵐の腕が、あたしの前を塞ぐ。
「アイツって……宗佑のこと?」
「仲良しだもんな、『宗佑』とは。今朝も頭撫でてもらってヘラヘラしてたもんなー?」

 ヘラヘラなんか、してないし。
 嵐のこと、考えてただけなのに。

「……宗佑は、そんなんじゃないもん。保護者代わりなだけだもん。女の子に囲まれてヘラヘラしてるのは嵐でしょ?」
「お前ねー『保護者』とか本気で言ってんの? 男なんざヤることしか考えてねーの。お前の『保護者』も同じだよ」
 心の底から嘲笑うような言い方。こういう時の嵐は、本当に冷たい目をしている。
「嵐と一緒にしないでよ。宗佑は違うもん」
「俺の前でそいつの名前を口にすんな!!」

 嵐の激しい口調と共に、再び柱が乾いた音を立てた。

 あたしの前で、ちゆみちゃんの話するくせに。
 だけど、これだけは言えない。言っちゃいけない。
 それが、二人のルール。

 だから、あたしは何も返せなくなる。


「~~っ!!」
 嵐の顔に、深い後悔の色が滲んだ。
 柱を掴むその手に、力が入る。少し日に焼けた逞しい腕。こんな時でも、嵐の腕は綺麗だなぁなんて思ってしまうあたしは、完全に脳内をやられてると思う。

「…………嫌なんだ。他の男が、ちぃに触るのは嫌だ。ちぃが他の男の名前を呼ぶのも嫌だ。くだらねーヤキモチだってわかってるし、関わるななんて言わない。自分を棚に上げて最低だってことも……わかってるよ。……ごめん」

 あぁ、そうか。自分の中の醜い部分と闘ってるのはあたしだけじゃなかった。
 だけど不思議だ。自分のヤキモチはみっともなくて嫌なのに、ヤキモチを焼いてもらえると少し嬉しい。

 人間は、気持ちを伝える為に言葉を編み出したわけで。
 いつもはすました顔したあの人も、この人も。実は色んなことを考えている。 
 だけど、言葉に出さなきゃ意味が無い。


「……どうして、嵐が泣きそうな顔してるの?」

 泣きたいのは、あたしの方だよ。
 あたしも、言えたらいいのに。

「……泣いてねーよ」
 だけど、まだ言えない。

 言ってしまえば、この恋はダメになるような気がする。


「須統君は、ちぃちゃんのことが好きで好きで堪らないんですねー」 

『好き』という言葉を口にする度に、あたし達の距離は近くなる。


「気が狂いそうなほど、お前のことが好きだけど?」

 くだらないヤキモチも、ちっぽけな見栄も、全部掬い取って飲み込んでしまえばいい。




「あーなんかアイス食いたくなってきた。これは『いますぐアイスを食べないと死んでしまう病』だな」
 自転車のペダルを漕ぐ嵐の髪が、風に吹かれてサラサラと揺れる。
「甘い物嫌いなくせにー」
「ラムレーズンは別格」
「あたしレーズン嫌ーい」
「お前にはやらねーよ」
「半分個しよーよ。あたしイチゴにするから。レーズンは入れないでね」

 ぐんぐんスピードをあげる自転車。
 向かい風でも、ペダル漕げば前に進むもんだ。

 

 
「立花先輩、ちょっといいですか?」

 総大将のお姫様。あなたの自転車はペダルついてますか?
ちょこっとだけ、お気持ち聞かせていただけたら嬉しいです。


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