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第二十一審 キスと秘密と二人の温度
 電話を切ると、途端に心臓が早鐘のように鳴り出す。
 再会してから学校の外で会うのは初めてだ。私服の嵐なんて、小学校の時のTシャツに短パンくらいしか思い浮かばないや。でも、あのカフェの制服は本当によく似合ってたな。
 物思いに耽りながら丹念にメイクを直し、髪の毛を再度整えているとすぐに約束の時間になってしまった。

「ちょっとコンビニ行って来るね!」
 両親にそう告げて、玄関のミュールに足を入れる。
「あんまり遅くならないようにね」と言うお母さんの言葉に「わかった」と返して玄関を出た。
 時刻は八時。初夏の夜は少しひんやりしていて、気持ちがいい。空には星が綺麗に瞬いている。
 コンビニまでは徒歩三分。大通りへ出るとすぐに目に入る場所にある。
 ここから見る限りでは、まだ嵐は来てないみたいだ。

 正面から少し回ったコンビニの裏の方で、ユラユラと揺れる小さな赤い光。まさかと思いつつ、そっと覗いて見る。
……嵐だ。

「タバコ見っけ。須統嵐君、今すぐそのタバコを捨てて出てきなさい。君は完全に包囲されています」
「……お前、携帯忘れて届けてもらっておいてよくそんなことが言えるな」
 あたしの言葉に、めんどくさそうにしながらタバコを靴でもみ消した。
「それとこれとは話が別。はい、今消したタバコ拾って灰皿へ捨ててくる!」
 嵐はしかめっ面をしながらも、言われた通りにタバコを拾い灰皿へと捨てに行く。
 だって、こういうの許せないんだもん。
「よろしい。では残りのタバコも全部ゴミ箱へ捨ててきましょう」
「はぁ? やだよ。今日買ったばっかだし」
 あからさまにむくれた表情をしているけど、あたしは構わず続けた。
「タバコは二十歳になってからでしょ! 身体に悪いし、自分を大切にできない人は周りの人も大切にできないよ。あたし、タバコ吸ってる嵐は嫌い」
「……めんどくせー女。そんな説教で俺がタバコ辞めるとでも?」
「別に禁煙しろとまでは言わないよ。どうせ、しろって言ってもできないだろうし」
「おい、今バカにしただろ」
 禁煙なんてできっこないと決めつけるようなあたしの態度に嵐が反応する。そういえば、超がつくほどの負けず嫌いだったな、嵐。
「してないよ。本当のこと言っただけだもん。禁煙しろって言ってもできないでしょ? 意志が弱いから」
「弱くねーよ。タバコ吸わなくても生きていけるし」
 よしよし。いい感じに食いついてきた。
「まぁ、口だけならなんとでも言えるもんね」
「そこまで言うなら賭けるか? 俺が禁煙できたらちぃの負け、できなかったら俺の負け」
「いいよ。何賭ける?」
 月が綺麗な夜なのに、コンビニの不自然な明かりに照らされた嵐の横顔はとても不敵に見えた。

「キス。俺が勝ったらキスしてもらう」

 その眼に捕らえられたら、逃げられない。
「やっ……やだよ。なんでそうなるわけ?」
 途端に弱気になったあたしを、見透かすような笑みを浮かべて。
「『どうせ禁煙できない』んだから、平気だろ?」
「そうだけど……」
 しまった。乗せてるつもりが逆に乗せられてるじゃん! 
「じゃあ、決まり。期間はそうだな、一ヶ月……だとなんか中途半端だから、八月十四日。ちぃの誕生日の日でどうだ?」
 なんで、誕生日覚えてるの?
 ずるいよ、嵐。そんなこと言われたら嫌だなんて言えなくなる。
「でも、でもタバコ吸ったっていくらでも誤魔化せるし、それにあたしが勝ったらどうすんの?」
 精一杯の、あたしの反論。
「俺はいつも適当に嘘をつくけど、お前にだけはつかない」
 またそうやって、しれっとした顔で言う。
 嵐は本当に嘘つきだ。
「答えになってないし。あたしが勝ったらどうするかも言ってない」
 反論すればするほど、嵐のペースに乗せられてることはわかってた。
 わかってるのに、誘われるままどんどん深みにはまってく。
「ちぃが勝ったら、ひとつだけ願い事聞いてやるよ。今持ってるタバコはお前に渡すから、勝手に処分しろ」
――――ひとつだけ願い事聞いてやる。
 気にしないと決めたのに、フタをして閉じ込めた気持ちが、弾けた。

「じゃあ、あたしが勝ったらちゆみちゃんと嵐がどういう関係なのか、教えて」

――――ちゆみは二番目のあなただから。

 こんなことでもしないと、聞きたいことも聞けない臆病なあたし。
 聞いたところで余計にショック受けるだけかもしれないのに、バカだな。
「……これで交渉成立」
 嵐が差し出したタバコをあたしが受け取って、二人の賭けは成立した。

 その後で訪れた長い長い、沈黙。
 Tシャツに履き潰したジーンズだけというラフな格好の嵐。見慣れない私服が緊張感を高める。シャツの袖口から伸びた、程よく筋肉のついた綺麗な腕。その服の白さは、琥珀色の髪の毛がよく映える。指にはめたリングもいつもとは違うもので、長くてゴツゴツした嵐の指の為だけにあつらえたようにピッタリと馴染んでいた。
 『携帯返して』それを言ってしまうと、この時間は終わってしまう。だけどそれ以外に話す言葉が見つからない。コンビニの入り口から流れる軽快なメロディーと、道路を走る車の音が、何度も何度も繰り返し響いてくるのをじっと聞いていた。
 本当は、言いたいことや聞きたいことは沢山あるのに、ただ口に出せないだけなんだ。

「なぁ」
 低音で艶のあるこの声を心地良いと感じながら、嵐の短い呼びかけが終わりを告げるようで、反射的に息が詰まりそうになった。
「うん?」
 神様。会話なんてなくてもいいから、もう少しだけ隣に居させて欲しいです。
「今日、なんで委員長と二人で居たんだよ」
 あたしの方は決して見ようとせずに、けれど問いただすようなその声には十分な威圧感があった。
「始めは夏帆と宗佑と四人で遊んでたんだけど、小松兄妹が帰っちゃったから二人になっただけだよ」
「二人になったら優雅にお茶を嗜むのかよ。さすが委員長様だな」
 トゲを含んだ言い方。真っ直ぐに『夏帆が好き』と告白した時の篠原君が脳裏に蘇って、バカにするような嵐の発言に思わずムッとしてしまう。
「委員長じゃなくて篠原君。篠原渉君。転入してきてもう三ヶ月も経つんだから、名前くらい覚えなよ」
「そーそー。その篠原君と仲良くカフェでお茶を飲んでたちぃちゃんは、こんな可愛い服着てオシャレしてニコニコしながら楽しい時間を過ごしてたんだもんなー」
 コンビニの壁を背にそのまま座り込んだ嵐は、下からピラピラとワンピースの裾を軽くはたいてみせた。あたしはその手を払いのけながら。
「これはっ! 夏帆と宗佑が面白がって着せたの! 別に張り切ってたわけじゃないもん」
 あたしに跳ね除けられたのが気に触ったのか、嵐はますます不機嫌になっていく。
「つーか、服が可愛いだけで全然似合ってねーし。色気付くんじゃねーよ。ちぃのクセに」
「そういうのはね、思ってても言わないもんでしょうが。似合ってないのも可愛くないのも、自分でよーく解ってるから余計なお世話!」
 ……本当は、ちょっと今日のあたしイケてるかもなんて思ってました。 
 くそう、調子に乗ってただけに恥ずかしくて泣きそうだ。嵐のバカ。そんなにハッキリ言わなくてもいいじゃん。さすがにヘコむわ。
 再び沈黙が続こうとしたその時。

「あぁー……そうじゃなくてっ!」
 呟きながら、突然髪の毛をわしゃわしゃと掻き毟る嵐。
「悪い。今のはさすがに言い過ぎた。なんかムカついて……っ、だから本当はそんなこと思ってねーよ」
 しゃがみこんだ姿勢のまま、深くうなだれてボソボソと弁解する。
 いつもは見上げてばかりの嵐の頭が足元にあって、大きな身体を丸めてしゅんとしている。
 気付いた時には、あたしは隣にしゃがんで彼の頭を撫でていた。
 サラサラと滑らかにあたしの指をすり抜けていく、柔らかな髪の毛。
 嵐は目を見開いたたまま、目線だけをこちらへ向けて固まっている。
 は、恥ずかしい……! 
 なんか、なんか言わなきゃ。
「こっ、これは……目の前に撫でやすそうなものがあったからよ! そう! それだけ。深い意味は全っ然ないから!」
 あたしのバカ! 『目の前にあったから触りました』なんて痴漢かよ!
 でも本当に衝動的に体が動いて、だから自分でもよくわかんないんだもん。
「い、犬とか……反省してる姿見るとこう、可哀想になってついつい撫でてあげたくなるじゃない? ねぇ? まぁ、あたしは犬より猫が好きなんだけどね……」
 もう、どうにでもなれ。

「ぷっ……犬猫と一緒にすんじゃねーよ……お前、相変わらず……バカ」

 わ、笑ってる?
 より深く頭を下げてしまった嵐の表情を確認することはできないけど、小さく肩が震えている。
 そんな風に笑う嵐、久しぶりに見るよ。まるで小学生の頃に戻ったみたいだ。
「そうだ! 大事なこと忘れてた。嵐、今日はありがとね」
「あぁ、携帯な。別にいいよ。帰り道だし」
 ジーンズのポケットに手を入れて取り出そうとする嵐にストップをかけた。
「携帯じゃなくて! いや、携帯もだけど。カフェの代金、嵐が出してくれたんでしょ?」
 覗きこむようにして確認すると、嵐は即座にそっぽを向いた。
「篠原の奴、バラしやがって」
 顔を背けてふてくされるように言ってるけど、耳が真っ赤なの見えてるよ。
 嵐でも照れたりするんだ。なんか可愛いな。
「もしかして、ヤキモチ?」
 たまにはあたしが苛めるのもアリだな。うん。
「は? お前みたいな貧乳に興味ねーし。せめて人並みになってから言え。幼児体型が」
 ……やっぱ、可愛くない。 
「ほら、もう携帯持って帰れ。遅くなると親が心配するだろ」
 大きく息を吐き出しながら、嵐は携帯を差し出した。
 親が心配するだろって……嵐だって同じ歳のクセに。
 嵐の両親はどうしてるのかな? きっと同じように心配してるよ。
「うん……。わざわざありがとう。バイトで疲れてるのにごめんね」
 使い込んであたしの手のひらにしっくりと馴染む携帯を握り締める。ほんのりとあたたかくて、嵐の熱がまだ残っていた。
「じゃあ気を付けて帰れよ、っつてもすぐそこだけどな」
「歩いて三分だよ。今日は本当にありがとね。また月曜日、学校でね」
 「おやすみ」と手を振って、大通りを渡って帰る。
 もうちょっと名残惜しそうにしろよ、とか、ちゆみちゃんの時は家まで送って行ったのにあたしには必要ないってか? とか。こんなに幸せな時間が過ごせたのに、あたしはわがままだな。
 大通りを渡りきって曲がり角に差し掛かった時、ふとコンビニを振り返る。

 いつの間にか、バイクに跨った嵐がこっちを見ていて、角を曲がりきったその時、派手な音を立てながらそれは遠ざかって行った。
 嘘つき。何が『帰り道だし』だ。方向逆のクセに。カッコつけすぎ。
 家に帰って、夏帆に電話をしようと携帯を開くと『新着メール一件』
 知らないアドレスからで、届いたのは一時間前。

『お前の番号とアドレスは謝礼代わりにもらっておく』


 
ちょこっとだけ、お気持ち聞かせていただけたら嬉しいです。


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