3頁 神門練磨の書12 ――『生きたい』――
安心して背中を摩っていると、不意に湖太郎が速度を落とし始めた。
何だろう、と思って視線を崇華の前に向けると、――一人の男が進路を塞いでいた。
街道のど真ん中でモノクロの格好の男が、杖――ステッキを地面に突いて、湖太郎の上に乗るオレやミャリを見上げて、軽く会釈した。
「いやー、どーもー。またお逢いできましたね、矛槍くん♪」
白いシルクハットを被り直すと、黒いステッキの上に両手を載せて屹然と見上げてくる男……だと思う。スレンダーな体格の人物は、顔に猫の面をしていて、性別がハッキリしないのだ。ただ、声を聴く限りでは、やはり男のようだ。
どうやら、ミャリと面識があるみたいだけど……
ここからじゃ、ミャリの表情は窺えなかった。
「えーと……あんた、誰だっけ?」
「あらら。お忘れですか? 先日伺いましたのに。もう一度、名乗り直しましょうか?」
「いや、いいよ。邪魔だから退いてくれねえか? 喰うぞ」
「短気なお方ですねぇ♪ 僕の話を聴いてくださいよ、矛槍くん。それと、――《滅びの王》様?」
「―――」
こいつも、知ってるのか? オレが、――《滅びの王》だと。
それ即ち、滅びの王を狙ってきている奴に相違ない。
オレは警戒しつつ、道具袋に忍ばせていた〈ぶっ飛ばし〉の〈附石〉に手を伸ばす。
「……ああ、思い出した。黒イチゴだっけ?」ミャリが、呟いた。
「黒一です。『ご』は要りませんね。――そこで取引をしませんか? 矛槍さん。僕は《滅びの王》様とお話したい事があるのです。故に、少しばかりお借りしたいのですが。ご安心ください♪ 用事が済めばお返ししますので♪」
……借りるとか、返すとか。オレはレンタルビデオか!?
「あー、無理。今、オレが使ってるから」普通の口調で返すミャリ。
……しかも使用中かよ!? もっと気の利いた言葉で返せよ! 『仲間だから』とかさ! ちょっとガッカリなオレ。
「それは残念ですねぇ。では、力尽くになるのですが……構いませんよね?」
オレにはモノクロ服の青年が戦えるとは思えなかった。武器らしい物と言えばステッキ位だし……いや、待てよ。もしかして〈附石〉を持ってるんだろうか? 〈附石〉を持っていれば、麗子さんみたいな杖を出現させる事だってできるし、何よりオレの〈ぶっ飛ばし〉のような〈附石〉を持っていれば、武器なんか無くたって戦えるだろうし。
だがミャリは、青年ではなく、向こう側に視線を向けていた。
「助っ人、か……。あー、かったりぃ」
ミャリが湖太郎から降りると、オレと崇華を見上げて、
「オレがここで足止めしとくから、おまえらだけで目的地へ向かえ。……湖太郎、頼むぞ」
「ねえねえミャリ。そういう時って湖太郎くんじゃなくて、わたしに頼むべきじゃないのぅ?」
崇華が不平を漏らしたが、
「おまえ、頼りねーしなー。ま、そういう事だ。湖太郎、頑張れ」
「がう!」
威勢のいい返事を聴いて安心したのか、ミャリは黒一と呼ばれる長身痩躯のモノクロ男に向かって言を飛ばす。
「早く終わらせてぇから、さっさとしてくんねーか?」
「――本当に短気なお方だ♪ いいでしょう。僕も早く《滅びの王》様とお話をしたいですからね♪ ――どうぞ、折敷さん、小ヶ田さん、方雲さん」
黒一の背後から現れた三人組を見て、――オレは驚きを禁じ得なかった。
「あんたらは!」
「……テメエは、いつぞやのガキじゃねえか」
折敷と呼ばれた男は、初めてこの世界に来た時に襲い掛かってきた、あの幹久という男だった!
残りの二人も、あの時の連れだ。……まさか、再び逢えるとは思ってもみなかったぞ……
「おや、面識が在りましたか? ――折敷さん。あちらの少年は殺してはなりませんよ? 彼――矛槍くんを倒してもらえればいいだけの仕事ですから」
「はんっ、分かってる。給金以上の働きをするつもりは端からねえよ。臨時収入が在るのなら、話は別だがな」
「いいえ〜♪ そんなモノはございませぬとも♪ では、あなた方のお力を信じて、僕は《滅びの王》様とお話させてもらいますよ」
「勝手にしろ」
そこまで会話が聴こえた瞬間、湖太郎が駆け出し始めた。向かう先は、恐らく王都だろう。街道を迂回して、草原のような大地を駆け抜けて行く!
「ああ! 待ってくださいよ〜」
背後で黒一と言うモノクロ奇術師のような男の声がしたけれど、聴かなかった事にした。
「崇華! あいつ、誰なんだっ?」
湖太郎の背中を抱き締める形で寝そべっていた崇華に声を掛けると、「う〜ん」と考え込むような声が返ってきた。
「わたしもよく知らないよぅ。でも……湖太郎くんがこんなに怯えてるって事は、きっと凄い人なんだと思うよ?」
言われて気づいたけれど、湖太郎の体が小刻みに震えている事が、毛皮越しに分かった。
百獣の王でも怯える相手だって言うのか、あの男が?
……俄かには信じられない話だった。どう考えても、肉体的にも力的にも上回っていそうな湖太郎が、あの棒みたいな痩せっぽっちの男に怯える理由なんて無い。……何か、あの男には隠された力でも在るんだろうか? 例えば……動物を飼い慣らす力とか?
「……な訳ねえか」
自分のあまりにアホらしい考えを否定すると、――急に湖太郎の速度が落ちた。全力疾走だった分、少し前のめりに足を滑らせて、惰性を殺して停止した。
「……っ!」
崇華が息を呑む気配が伝わって、――男が追いついて来たのだと察する事ができた。
「いやー、問答無用で逃げないでくださいよ、《滅びの王》様。走るのは疲れるんですから」
「おまえ……速過ぎだろ……?」
時速何キロくらい出してるのか分からなかったけれど、恐らくオリンピックに出れば入賞できる速度だと思う。それだけの速さを有して尚、余裕さえ感じられた。
走って来たとは思えなかった。
「ははは。さて、《滅びの王》様。僕に付いて来てくれませんか? ちょっとした事です、すぐに帰しますから心配ご無用です♪」
「……」
いっそ清々しい程に怪しさ満点だ。
付いて行けば、どうなるか。……殺されてしまうのが、一番あり得る妥当な線だと思う。こんな存在を生かしとけば……以下略。きっと彼も崇華と同じ考えの持ち主なんだろう。
そんな奴に殺されてしまうのは、この世界の道理に適ってる。……でも、オレはここで死ぬ訳にいかないんだ!
「……崇華」
「なになに、練磨?」
「ここで、待ってろ」
「え――? えとえとっ、それって……?」
「心配すんな。付いてく訳じゃねえ。……ここで、あいつをぶっ倒す」
「おや? 僕を倒すつもりですか、その――《滅びの王》様の力を以てして?」
黒一の声は実に楽しげだった。
オレは〈附石〉を握り締めて、湖太郎から飛び降りた。……こいつの力は底知れねえけれど、多分ダメージを与える位なら、オレにだってできるはずだ。倒せなくても、ちょっと動けなくさせられれば……。
そう考えて、オレはミャリが追いつくまでに片付けようと、すぐに黒一との距離を縮める。
「勇ましいですねぇ。このままじゃ僕は、完全に悪じゃないですか♪」
「楽しそうに言ってんじゃねェェェェ!」
何の策も無く、――殴りかかる!
距離を縮められても全く対応が無かった黒一は、殴りかかってきた拳をステッキで受け止め、――そこに生じ得ない強大な力に突き飛ばされ、ステッキごと宙を舞った。
「――ほう、これが〈ぶっ飛ばし〉の〈附石〉の力ですか、ナルホドナルホド」
「な―――っ?」
宙を舞った黒一は、そのまま何の抵抗も無く落下し、――着地はあり得ないぐらい優雅に決まった。ぶっ飛ばされた時も、どこにも無理が無いような体勢だったし……惚れ惚れする程の身のこなしだ。どこかの雑技団にでも入ってるのだろうか?
とか考えていると、猫の面を被ったまま顔が徐々に近付いて来ていた。
「できれば抵抗なさらないでくださいね? 痛い思いをさせるつもりはございませんので♪」
「練磨っ!」
オレの前に出て来た崇華。錫杖が、震えている両手に合わせて揺れている。
「崇華……?」
「練磨は渡さないんだから! わたしが相手をするわっ!」
「おや、こちらも勇ましいお嬢さんだ♪ して――練磨さん? どうしても付いて来る気は無いのですかな?」
「……」
この男の力は底知れない。……オレだってあいつに付いて行きたくないけれど、ここで崇華を戦わせたくなんか無い。何より、オレを巡って戦うと言う現実が、オレには耐えられない。
事は穏便に済ませたい。……崇華にも戦ってほしくない。そしてできる事ならオレの力で解決させたい。
「……すぐに、帰してくれるんだろうな?」
「はい♪ それはもちろん♪ ただ、確認させていただきたいのですよ。《滅びの王》様のお力と言うものを、ね♪」
「……分かった」
「練磨……?」
崇華が驚いた顔で振り返った。オレは、小さく苦笑を浮かべてみせた。
「大丈夫だって、崇華。……オレは必ず戻って来る。心配すんな」
「……」
「返事は?」
「う、うん……分かったよぅ。……練磨を、信じる」
「よし」
崇華の頭をぐしゃぐしゃに掻き回すと、――オレは猫面野郎を見据えた。
「連れてけ。……今すぐだ」
|