三の段 接合……1
雑居ビル放火殺人事件の捜査はひとつも進展しなかった。
進展しないどころか、毎日のように雑居ビルの玄関付近に小火が出る。周辺住民から苦情が相次ぎ、連続放火を警戒して、警察官が夜を徹して雑居ビルの警備につくことになった。同時に特別警戒のパトカーも周辺の巡回を始めた。
それでも小火はやまなかった。毎晩のようにどこからともなく雑居ビルの玄関付近で火が熾り、警備に当たっていた警官が慌てふためいて消火に当たる毎日だ。
なぜ、どうやって、警察官の監視を掻い潜って火をつけることができるのか、誰にも分からない。
そのうち、焼死した管理人の亡霊の仕業ではないかという妙な噂まで立ち始めた。犯人らしき目撃証言が何ひとつ出ないにも関わらず、火が湧き出すように点くことが、周辺の人間には超常現象に見えたのかもしれない。
まさか、警察まで霊の仕業だと騒ぎ立てるわけにもいかず、警備とともに、地道な捜査が続行されていた。
家賃を滞納していた契約者はもちろん参考人として連行されたが、放火があった時間には確固たるアリバイがあった。捜査はすぐに振り出しへ戻り、捜査員たちは目撃者探しと容疑者のあぶり出しに奔走させられた。
岡崎と琢磨は三階にあった東山芸能プロダクションの担当となり、事務所に関係する人物の洗い出しにかかりきりとなった。とにかく、芸能界の端くれに位置する東山芸能プロダクションは人の出入りが一番多く、かつ記録にすら残っていないことが多かった。ある時は苗字だけが残されており、ひどい時など愛称だけで人物を特定しなければならなかった。以前に契約していた人間、そのマネージャーや移転先事務所などの関係者をリストアップしただけで、岡崎は息を呑んだ。
「洗い出すだけで、十年くらいかかるんじゃねぇか?」
「十年ですか!」
向かいに座る琢磨の真面目な返答を無視して、岡崎は頭をかきむしった。
社長を含め五人の社員の周辺からは、恨みを買いそうな事情を抱える者はおらず、これといって動機となるものも見当たらない。所属のタレントもテレビでは全く見ないような顔ぶれであったし、雑誌や会社と契約してモデルをするのが現在の主な業務内容らしかった。
以前は岡崎でも知っている有名な歌手もいたようだが、揉め事を起こして移籍している。その歌手にもアリバイがあった。
さらに岡崎を驚かせたのは、事務所の人間の引き出しから出てきた山ほどのデモテープだった。売り込みにきた者達の、出来の悪い音楽。彼らの中に、逆恨みをする者がいないとも限らない。
先の見えない人探しに疲れ果てて、冷めたインスタントコーヒーを入れなおそうと腰をあげた時だった。
「岡サン、例の件、結果が出たらしいよ」
久保がいつものように、岡崎の肩に手を置いて言った。
「例の件、って言うと──」
「ディスクだよ、三階の踊り場に落ちていたやつ。真っ二つに折れちゃってた」
「でましたか」
放火事件の捜査の際、三階の東山芸能プロダクションの近くに、一枚のディスクが落ちているのが発見された。無残にも半分に折られ、隅に捨てられていた。その上に唾を吐き捨てたらしく、さらに雲の巣も巻きついて、ディスクはかなり汚れていた。
「やっぱり、デモテープ、らしいよ。聞くかい? 岡サン」
「いいです。東山芸能プロダクションの人が言ってました。似たような音楽を聞かされる身にもなって欲しい、なんてね。で、どうでしょうか?」
久保が差し出した真新しいCD―Rを手にしながら問うた。久保はわずかに眉を寄せ、肩をすくめた。
「でるわけないね。こんなことで、このディスクを捨てた人間を特定できたら、楽なことはないじゃないか。分かったのは、血液型がAだってことくらいだね」
「なるほど、容疑者が日本人のうち四分の一になったわけだ」
「指紋は取れたらしいよ。前科はなし」
「そりゃ、すげぇ」
犯人は永久に分からないと宣言されたのと同じだと、岡崎は思った。東山芸能プロダクションの新人を発掘する担当者は、デモテープを持ち込む人間の名前どころか顔すらも一切記憶にないと、ついさっき聞かされたばかりだった。
「それじゃ、あと頼むよ、岡サン」
久保は嫌味ではないかと思えるほど無邪気な笑みを残して席に戻っていった。岡崎に言わせれば、夜中に警備に当たっている人間の手落ちじゃないかと、叫びたい気分だった。しっかり見張っていれば、連続放火魔を逮捕することは容易なはずだ。
人差し指で頬をかきながら、やっぱりコーヒーを入れなおすことにしようと再び席を立った時、岡崎のスーツの内ポケットで携帯電話が震えだした。 |