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怨嗟の輪廻
作:暁さくや



七の段 発露……2


 閑静な住宅街は喧騒にまみえていた。
 一旦は削がれたミイラ死体事件への興味が、一気に命を吹き返したらしい。どこからどう聞き込んだのか、大勢の野次馬がマンションを取り囲んでいた。岡崎達が到着する頃には、すでにマスコミも集まりつつあった。
「出ませんか?」
 何度も携帯電話をかけている岡崎に、同僚が声をかけてきた。
「何やってんだ、アイツは」
「昨晩はデートだったんじゃないですか」
 誰も琢磨のことを気にかけていない。若い者の、寝坊くらいにしか考えていないようだった。
 しかし、岡崎は違っていた。ひどく胸騒ぎがしていた。
 琢磨はのんびりして見えるが、真面目で曲がったことは嫌いなはずだ。いままで遅刻などしたこともないし、一分でも遅れることはなかった。手帳にはいつも几帳面に予定が書きこまれている。
 携帯電話は、何度かけても留守番電話だった。
 そのうち、鑑識の捜査が終わったと報告があり、一旦携帯電話をかけられなくなった。
 香坂義夫のいた書斎は、変わらず散らかっていた。車の模型を作っていたあとが、生々しくすら思える。
 遺体の状況はいままでと同じだった。佐々木麗子とも、平沢幹夫とも。干上がった皮膚に潤いのありすぎる瞳。たった今まで、模型作りに熱中していても不思議ではない瞳だった。今にも遺体が起き上がり、「出ていってくれ」と叫びだしそうだ。
「見てください」
 鑑識の一人が屈んで香坂義男を指さした。
 指し示された先には、あるべきものがなかった。
 左手だ。
 手首から先が鋭利な刃物で切り取られていた。どんな見事な手捌きをすれば、これだけ綺麗な切り口で手首を持ち去れるのかと問いただしたくなる。折ったのともまた違う切断面だった。
 岡崎はそれを見てすぐに気付いた。
 出血の痕すらない部屋で切り取られた手首。
 あまりに印象的だった血の色をした時計がない。一週間前、岡崎に差し出した腕には、確かに異様な紅さの時計が巻きついていた。記憶に間違いはない。いくら五十が近いといっても、それくらいの記憶はしっかり残っている。
 いままでの遺体も、必ず何かが失われていた。
 首。瞳。耳。今回は手首から先だ。
 ミイラ死体は必ず共通点がある。発見される数日前まで、歩いていること。それまでは痩せてはいるが生きていること。遺体となって発見されると、身体の一部が失われていることだ。
 紅い時計が無くなっている。
 このことだけが今までの死体と違うということはないはずだ。今までの死体にも、一緒に無くなったものがある、ということではないか。
 首に巻きつくものと、耳につけるもの……佐々木麗子の場合の目は何だ? コンタクトレンズか……
 早急に確認する必要がある。
 もう一つ最も重要なことがある。琢磨が言っていた二十五日周期だ。
 香坂義夫の場合で当てはめてみると、二十五日周期は切れ目無くやってくることになる。つまりは、今日、この瞬間に、次のミイラ死体になりえる被害者が存在するということだ。
 琢磨の性格からして、遅刻(いや、こうなっては無断欠勤といってもいいであろう)するわけがない。おまけに、香坂の部屋を訪れた時、黒い影を見たと言っていた。仮に、黒い影が怨霊の正体だったとして、それを見た琢磨を野放しにしておくだろうか。
 自分が怨霊なら、次の獲物は間違いなく琢磨しかいない。
 想像は悪いほうへ、どんどん突っ走っていった。岡崎の頭には野辺山が思い浮かんでいた。助けを求めるとすれば、いまは野辺山しか思いつかない。とり憑いている佐々木麗子も、怨霊の正体を知っている。
 岡崎は後を他の捜査員に任せて、香坂義夫のマンションを飛び出した。
 野次馬を掻き分けて、駆け出す。
 間に合ってくれ、と、今は祈るほかなかった。

  *

 野辺山は、どうにかすれば縺れて転びそうな足を、何とか前に出して歩いていた。周りの人間からは、朝から酔っ払いだろうかと、言われても仕方がないふらつきようだ。
 昨夜から降り続いた雨は少し小康状態になって、霧雨のように野辺山を濡らす。
 麗子は野辺山にしがみ付いたまま、決して離れようとしない。毎日、目を抉られる映像、赤ん坊を抱いた女の映像、暗く狭いところに寝ている映像。それらがひたすら繰り返される。
 妻の真理子がどこからか連れてきた霊媒師も、何の役にもたたなかった。
 なんとか、自分で解決するほかない。
 ようやくそう決心した途端、野辺山の記憶は途切れていた。
 気付くと、見知らぬマンションの前にいた。何故、そんなところに来たのか、はじめは分からなかったが、野辺山の頭の中に、まるで文字が重なってダブったように、もう一つの記憶がじわりと重なってくる。
 これは佐々木麗子が住んでいたマンションだ。
 野辺山の記憶にはないが、麗子の記憶にはある。麗子の記憶を野辺山が重ねてみているらしい。
 エントランスに立っていると、幻影のように薄い影が、ベビーカーを押して歩いてくるのにすれ違った。見たことのない女だったが、顔の形、髪の長さ、連れている赤ん坊の顔を見て、野辺山は自分が何を見ているのかすぐに悟った。
 佐々木麗子だ。
 ベビーカーをおした麗子は、小さなバッグを手にしている。別段楽しそうにも見えなかったが、どこか生活に疲れた雰囲気を漂わせている。
 麗子の気持ちが頭の中になだれ込んできた。
 夫が女のところに入り浸りになり、麗子は一人になった。初めての育児に、本の通りに育っていかない希実。昼も夜も泣き続け、洗濯も掃除もいい加減になっていく。時には立ったまま、台所で食事をとる麗子が見えた。
 それでも麗子は毎日、散歩を忘れない。昼間は陽の光に当たり、夜と昼の区別をつけることが大事だと思ったからだ。自身の気分転換のためでもある。
 マンションを出て歩いていく姿は、どこか軽やかにすら見えた。
 そういえば、岡崎も佐々木麗子が死ぬほんの直前に、散歩へ行く姿を近所の住人に目撃されていると言っていた。
 野辺山も幻影を追ってついて行く。夢なのかとも思えたが、身体を濡らす冷たい雨は、着実に体温を奪い寒気を催すほどだった。
 途中、一軒のパン屋に立ち寄り、また歩き出す。十分ほど歩いて線路を横切り、右手に「土岐河駅」を見ながら、さらに一本の幹線道路を渡ると、小高い山を背に緑の木立が覆う場所に辿り着く。
 公園だった。「土岐河城址・わかくさ公園」と入口に表示されていた。
 立て看板には、簡単に土岐河城の説明がなされていた。千五百八十年、廃絶、とある。城主・土岐河時実には跡継ぎがなく、戦乱の世の波におされて廃絶、城も取り壊されたらしい。当時、勢力を振るっていた織田信長が本能寺で自刃する二年前のことだ。
 入口から入ると視界が広がり、庭園のような造りになっていた。小道を抜けるとすぐ、芝生広場があり、広場を挟んで右側に子供用の遊具がおかれ、左側には小さな歴史資料館がある。芝生広場を抜けると、背後が小さな山になっており、石垣がわずかに残っていて土岐河城の痕跡を偲ぶことができる。
 立て看板の説明書きのとおり、土岐河氏がこの辺り一帯を治めていた主だったらしいことは、野辺山も知っていた。
 麗子は石垣の一つに腰を下ろした。ちょうど座るのにいい高さの石だった。そこで、さっき買ったパンを、昼代わりにする。
 希実はベビーカーで、ぐっすり眠っていた。その姿を覗き込んで、麗子が微笑む。
 幸せに満ちた微笑だった。化粧っ気もなく、髪は単に黒ゴムで止めただけ、Tシャツにジーパンという色気のない服装だ。けれど、野辺山には麗子が満たされて見えた。子供を持った母親の美しさが溢れているように思われた。
 真理子にも、こんな幸せを知って欲しかったな……。
 野辺山はつい、そんなことを思ってしまったほどだった。
 その思考に重なるように、麗子の心中が伝わってくる。
 この子は、私が守ってみせる。大切な、私の宝物……。
 強い意志だった。毎日ここで希実の寝顔を見て、公園の遊具で遊ぶほかの子供達や母親を眺め、自分も希実をしっかり育てていくのだと、心に誓っていたようだった。
 その瞬間だった。
 麗子と同じように石垣の一つに腰を下ろしていた野辺山は、電撃に触れたかのように体が痺れた。昔体験した、氷点下の世界である食肉の保存庫に入ったような冷気がまとわりついてくる。
 目を見開いた。凍り付いて音を立てそうな関節を無理やり動かして立ち上がった。
 ここだ。
 ここで、麗子はつかまったに違いない。おそらくは、麗子がいつも見せている赤ん坊を抱いた美しい女に。女はこの近くにいたのだろうか。
 野辺山の思考がめまぐるしく働く。
 慌ててあたりを見回してみた。公園の中は、いつもなら子供連れの親子が楽しそうに遊ぶであろう遊具が、寂しく濡れていた。小雨の中でも散歩を楽しむ老人や、仕事途中に立ち寄ったらしいスーツ姿のサラリーマンもいた。ごく、普通の日常がある。
 そのあと、足元に目を落とした。
 土岐河城址。ここで昔、何があったのか、歴史に疎い野辺山は分かるはずもない。けれど、戦国時代に建設された城ならば地下に秘密の隠れ家や抜け道、もしくは洞窟のような場所があったとしてもおかしくはない。
 野辺山は座り込んで、地面に手を当てた。
 ざあっと、足の先から全身の毛が逆立ってくる。この下に女がいる。それが、希実を奪ったのかどうかは分からないが、麗子が女にとり殺されたことだけは確かなのではないだろうか。
 野辺山の頭に、水滴が不定期に滴る音が響いた。冷たい藁敷きの上に横になっている女。その女は目を抉られて、この下に閉じ込められている。
 憶測などではない。麗子が、この事を伝えるためにここへ連れてきたのだろう。
「──なんてことだ」
 振り向くと、麗子が石垣の上に腰掛け、目を覚ました希実をあやしている姿が残像となって見えた。
 怨念が、麗子が希実を想う気持ちに感応したに違いない。
 激しい嫉妬と怨念、思慕の念とが、竜巻のように野辺山を包み込んだ。
 重石を背中に乗せられたように、身体が沈んでいく。息が詰まり、野辺山はついに地面に倒れ伏した。













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