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怨嗟の輪廻
作:暁さくや



四の段 寄寓……3


 瀬地矢愛育園は、閑静な住宅街の奥にあった。
 夕刻であったので、小学校に通う生徒達も帰宅し、園庭は賑やかだった。歓声をあげながらサッカーに興じる男の子達、砂場でおままごとに熱中する女の子、縄跳びの練習、思い思いの時間を過ごしている。表情は生き生きとしていて、とても親がいなくて淋しい想いをしているなどとは微塵も感じさせない。
 岡崎も思わず顔が綻んだ。
「いいねぇ、子供は」
 珍しくスーツを着込みネクタイを締めた野辺山が、しみじみと言った。白衣を脱いだ野辺山は、会社の役員か、管理職のような雰囲気だった。
「ああいう非現実的な遺体を解剖したあとじゃ、これは堪らなく癒されるよ」
「嫌な言い方じゃないか、野辺山ちゃん」
 眉を寄せた岡崎の肩に野辺山が手をのせた。
「それより、野辺山ちゃん、佐々木麗子さんは?」
「さあ、急に電源が入ってアッチと繋がるようだから、今は分からないね」
 岡崎はかえす言葉がなくて、さらに深く眉を寄せて頬を人差し指で掻いた。佐々木麗子の成仏も目的ではあったが、岡崎はあの赤ん坊が、実はとても気になっていた。
 父親の佐々木陽司はとりつくしまもなく赤ん坊を手放した。
 せっかく生まれてきたというのに、母親は変死し、父親には捨てられる。
 佐々木麗子の、生きていた頃の顔写真が浮かんで、岡崎の心は痛んだ。
 いつまでも門のところに不審者よろしく立っているわけにもいかないので気を取り直し、琢磨と共に入口にあるインターホンを押す。すぐに園長が出てきた。品のいい初老の婦人だった。
 念入りに岡崎達の身元を確認すると、園長は「今さら何をしに来たのだ」と言わんばかりに小難しい顔になった。まさかこちらも「母親の霊」を連れて来たなどとは言える訳がない。
 こういう時の為に、ちゃんと口実は用意してきている。遠慮なく警察手帳を提示して、国家権力を振りかざすことになっていた。捜査上に必要な事ができたとでも言えば、すんなり園に入れてくれるだろうと踏んでいた。
 琢磨は用意してきた台詞を詰まることなく、丁寧かつ官僚的に言った。ここは琢磨の出番だ。のんびりした穏やかそうな琢磨の口調には偉ぶったところがないし、決められた台詞をきちんとこなせる真面目さももっている。岡崎ではつい要らぬ事まで言ってしまい、相手が聞き入れないと知ると必ず短気を出すだろう、とは野辺山の意見だった。
「実は、あの時赤ん坊が包まれていたおくるみをお借りしたいのです。その繊維が捜査に必要でして」
「捜査?」
「ハイ、申し訳ないのですが、これ以上は捜査上の秘密ですのでお話できません」
 園長はさらに眉をひそめた。
 いつもこんな顔をしていては子供に嫌われるのではないかと、岡崎が余計な心配をしていると、園長は素直に「どうぞ」とようやく中へ通してくれた。
 応接間でしばらく待たされたが、一人の保育師と共に問題の赤ん坊がやってきた。
 岡崎は少々驚いていた。まさかすぐに会えるとは考えていなかったからだ。
 おくるみを希望したので、てっきり現物だけが運ばれてくると思っていた。後で赤ん坊が元気かどうか気になるので会ってみたいと、ついでを装ってお願いする予定でいたのである。
 赤ん坊は岡崎たち三人の向かい側に座らされた。保育師が少し腰に手を添えているが、カエル型に足を開いて膝の上に手をのせ、しっかりと座っている。
「七ヶ月になりましたのよ、希実ちゃん」
 園長も「希実ちゃん」をはさんで腰を下ろす。
 佐々木麗子の子供「希実」はきょとんとした表情だった。人見知りをしている様子はまだなかった。薄いピンクのリボンつきの服に、なぜか手に、薄汚れた同じピンク色のバスタオルのようなものをしっかり握っている。
 とても元気そうだった。頬は艶々していたし、黒目が大きな瞳はくるくると良く動く。少しぽっちゃりしているという表現が似合うほどだった。ウインナソーセージのような腕と足。手首も足首も関節は皮膚に埋もれていて、線が入ったように見えている。
 希実を見下ろす園長は、なぜか表情を曇らせた。小さくため息をつき、まるで苦手な食べ物でも目の前にしたように、何かを言いかけては止め、また口を開いた。
「いやあ、元気そうで何よりですな。我々も、気になっていたのですよ」
 岡崎はつい、その場の居心地の悪さに何か言わなくてはと思い立っていた。なんとも芸のない一言だったと、あとになって自分で後悔したほどだ。
 野辺山も、じっと赤ん坊を見ている。
 琢磨が小さな声で野辺山教授に霊の存在を問うたが、首を横に振るだけだった。
「あの……この子、少し問題があるんですよ」
 園長は意を決して言葉を発したようだった。深いため息がそのあとに続く。
「本当なら、近日中に発達心理の先生とカウンセラーの方と共に、そちらに伺おうかという所まできていたのですが……」
 園長がそこまで言った時、事務員がお茶を運んできた。
 希実はその人間をじっと見ていた。
 岡崎からは事務員の顔を見ることができなかったが、お茶を置いた後、わざわざ希実の方を振り返ったのだから笑いかけたりしたのだろう。
 しかし、希実の表情には変化がない。
 事務員が去ったあと、希実は視線を移してきた。
 隣に座る、園長、保育師、前に座る岡崎、琢磨、野辺山の順に、一人につき数秒ずつ、大きな瞳をぎょろりと動かし、まるで値踏みでもするかのように大人びて、それでいて冷めた目で眺めていく。心なしか上目遣いな視線は、希実が七ヶ月の赤ん坊であることを忘れさせた。
 岡崎は目があった瞬間、反射的にぎこちなく笑いかけた。娘の幼い頃と重なって、目尻がだらしなく下がったことも自覚していた。
 妙な違和感だった。
 七ヶ月の子供とは思えない、目の輝き。赤ん坊特有の、無垢、というか無邪気な輝きがないように思える。
 その時、パタン、と扉が閉まり、岡崎は耳元で心臓の音を聞いて我にかえった。
「それでですね」
 園長が咳払いをひとつした。
「おくるみはお貸しできないと思います」
 そう言って、希実の手に握られた、汚れたピンク色のバスタオルを指差した。
「私達は、片時も離さないものですから、きっと母親の匂いがするのではないかと思って、汚れてきたのですが持たせているのです」
「なるほど、そのおくるみはライナスの毛布というわけですね」
 野辺山がスポーツマンらしい爽やかで人懐っこい笑みを見せた。
 園長もつられて微笑み返す。
 琢磨と岡崎は顔を見合わせていたが、そのあとすぐに野辺山が、「ライナスの毛布というのはね、漫画のピーナッツ、スヌーピーといえば知ってるかな。その友達に毛布を引きずっているキャラクターがいるでしょ? それがライナスという名前なんだよ。幼い頃はね、何かのこだわりでずっと手にしていると安心するもの、っていうのがあるんだよ、例えば、積み木でも車でも、おしゃぶりでもいいわけだ」と解説を加えてくれた。
「ああ、そういえば、うちの娘はウサギのぬいぐるみだったな。真っ黒になっても洗わせないと、よく家内がぼやいていたよ」
 それでおくるみだけでなく、希実まで一緒に現れたという訳だったのだ。岡崎は納得するとともに、幼い娘達と過ごした懐かしい光景が脳裏に甦ってきた。
 ピンクのウサギの耳を握り締めた手の親指を器用に口に含んでいた娘。そういえば、下の娘の癖はなんだったであろうか。
 けれど、そんな岡崎の回想はすぐに園長の言葉で消し去られた。
「この子、閉所恐怖症じゃないかと、先生はおっしゃるんですよ。ですからその原因が、あの……この子の母親の死因に関係があるのかと、それで伺おうと思っていたのです」
 岡崎は園長の言っていることがすぐに理解できなくて、あごを突き出したまま小首を傾げた。
 七ヶ月の子供が、閉所恐怖症?
「とにかく、この子はサークルの中に決して入ろうとしません。周りを大人に囲まれるだけでも、狂ったように泣き叫ぶのです。真っ暗闇もダメなようでした。いつも夜は電気を点けたまま別室で眠っています」
「ほお、それは珍しいケースだ」
 野辺山はまるでマウスでも観察するように希実を見ている。
「岡サン、彼女は暗闇で発見されたんだろ?」
「暗闇、ってもね……真っ暗じゃあなかったよ。まあ確かに、不可解ではあったけど……狭い所に入っていたということもありませんし、状況的には参考になるようなことはなかったと思いますが」
「そうですか」
 園長は落胆したように小さな声で返答した。
 佐々木麗子がミイラで発見されたのに、希実が満足そうに眠っていたことは、非現実的な現象だった。やせ細ることもなく希実は生きのび、こうして愛育園に預けられている。しかし急激に母親がミイラ化して死亡したと仮定すれば、納得できることではある。今のところは、野辺山教授の解剖結果から、そう結論付けられていた。
 状況的にも閉所恐怖症に陥るような環境であったとは言い難い。
 カーテンは閉められていたし、部屋は蒸し暑かった。それでも発見された時は暗いといっても薄明かりは差し込んでいたはずだ。とりたてて、サークルの中に入っていたということもない。希実は和室に敷かれた布団に佐々木麗子と並んで寝ていたのだ。
「では、原因はそれ以前にあるのかもしれません。お父さんにも伺ってみます。食も細いですし、こちらとしても、問題が多いとお預かりできませんので、別の施設を考えている所でしたの」
「はあ……」
 岡崎にはそう答えるほかなかった。
「食が、細いのですか、その子は?」
「ええ、そうは見えませんけれどね」
 野辺山の質問に、園長は愛想笑いをかえした。
 希実は血色も肉付きもいい。小食でも元気な子供はいるので、岡崎としてはこの時点ではあまり園長の言葉を重要視していなかった。
 そのあと、口実だったおくるみの繊維をこっそり保育師に取ってもらい、何とか体裁を整えて、差しさわりのない会話をしたあと帰ることにした。
 野辺山が腰を浮かし、岡崎も再度、園長に礼を言い、希実を見た。
 希実はひたすら一点を凝視していた。
 視線の先には琢磨がいた。どうやら岡崎が園長と雑談をしている間、琢磨自身は何とか希実を笑わせようとしていたらしい。小首を傾げたり、しきりに瞬きしてみたり、大きく目を見開いて「ばあ」と声なく言ってみたりと、かなりの努力をしていたようだった。
 何をしても、希実は決して笑わない。
 じっと上目遣いで琢磨のことを見ている。
 岡崎も思わず気の毒になって、琢磨を突いてやめさせた。照れたような笑いを見せる琢磨に、岡崎も吹き出しそうになりながら視線を正面に戻した時だった。
 希実が笑っていた。
 岡崎は思わず身震いしていた。
 それは七ヶ月の赤ん坊の微笑ではなかった。
 上目遣いのまま、両方の口角を持ち上げただけの笑みだった。にたり、という表現が、まさしく似合う。
 映画などで蛇の妖怪が獲物に狙いを定めて満悦したように笑う、あの薄ら笑いにそっくりだった。













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