ボクの世界のクリスマス
降りしきる空から銀色に舞う雪。暗闇と町の煌々と光る蛍光がその美しさを際立て、一層とその幻想的な風景をかもしだしている。白銀のカーテンが空を覆い、もはや暗闇が照らしているようにも見えた。
町にはシーズンだけあって赤青黄色と光る装飾が散りばめられていて、ショーケースの中には必ずといっていいほど赤い服を着たおじさんの模型が置いてあった。いわゆるサンタクロースという人らしいけど、ボクはその人に出会ったことが無い。
町を行く家族連れの子供が良く言うんだ。
「今年もサンタさん来てくれるかな?」
夢見がちな純粋な瞳でお母さんにそう尋ねる姿は、町を歩けば何度も出くわすだろう。
ボクを手に取っていたあの子も同じようにサンタさんとやらを待ち遠しく待っていた記憶がある。
すると、その子のお父さんはこう言ったんだ。
『クリスマスは、誰の元にもやってくるように、サンタさんもやってくるよ。そう、その子猫ちゃんにもね』
そう言って頭を撫でてくれた。
あの頃の優しさと温かさは、今のボクには想像も出来ないくらい幸せなものだった。
でも、幸せは長くは続かない。
ある日あの子は、ボクを段ボール箱とやらに少量のミルクと魚を入れて、家を飛び出していった。走るあの子の軌跡には、涙のレールが敷いてあった。
とある街中の路地裏に着くと、あの子はボクを置いて泣いて逃げていってしまった。若いボクはその頃どうなったのかは理解出来なかったけど、捨てられたんだと思う。
元々捨て猫だったボクにとって、それは特に気にするべき事象ではなかった。だから今こうしてボクの世界で生きている。
若いカップルを近年見かけるようになった。彼らにはサンタは訪れなくなっているらしく、彼ら同士がその真似事みたいにしてプレゼントを与え合っているとか。
どちらにせよ、ボクには縁の無い話である。
ボクのいる世界は、煌びやかな装飾も無ければ町人の行く姿なんて無い。あるのは終わりの無い暗闇と、異臭を漂わせるゴミと汚れ。辛うじて雪だけはボクの世界にも降っている。
何故こんなところに住んでいるかというと、ボクは一度外の世界に出たのならばまず人の目につくことは間違いなく無い。それどころか時にはやんちゃな子供たちにいじめられたりもする。
それに、ここには沢山の食料が集まるからボクとしても最適な場所だと思ってここにいる。
今日みたいなクリスマスイブには、特に食料が集まるんだ。青くて長細い箱にビニール袋が膨れ上がるように入っていて、その中にボクの今日のご飯が詰まっているんだ。
でもこの所連戦連敗で、何日も食にありつけてないんだ。さすがに空腹の絶頂に近づいてきている。
ほら、今日も来た。真っ白な服を着たお姉さんが青い箱を持ってきた。
「ミャァー」
ボクは自分の存在を知らせるために鳴いた。
その行為は失敗だったかもしれない。お姉さんは、ボクを何か汚いものでも見るような目で一瞥してボクに向かって足を振る。
「ほら、どっかいきな!全く、折角のクリスマスイブだってのに汚いものを見てしまったよ」
ボクはその足から避けるようにちょっと距離を取る。
今回ばかりは引き下がると、ボクの命に関わってしまうからね。
だけど、お姉さんはそんなボクに容赦なく現実を突きつける。青い箱に何か鍵のようなものをつけてしまった。これでは箱を開けられない。
お姉さんがお店の扉の向こうに消えた後、なんとかするためにボクはその箱に近づいた。
鈍色に光る部分を爪で引っ掻いてみる。
箱の横に思いっきりぶつかってみる。
蓋の上でジャンプしてみる。
思い当たる部分全てに噛み付いてみる。
―――ダメだ。
絶望に身を任せると、急に外の寒さが身にしみてくる。今まで幻想的に輝いていた雪景色が、急に悪魔が降らせる魔の薬に見えてくる。
「ミーーャ」
鳴く声も虚構に虚しく消えて、すぐに怖いまでに静寂を取り戻した。
降りしきる雪の中、ボクを包むのはただ暗闇のみ。
別の場所を探したけれど、どこも同じようにたった一つの金属器によってボクを絶望の淵へと落としてくれる。
外に出てみようかとも思ったけど、そこには溢れんばかりの人に満ちていてボクが歩ける場所なんてどこにも見当たらない。
もう諦めて、ボクはボクの世界と外の世界の境界線ギリギリの所にちょこんと座って、時がたつのを待つことにした。
人々は皆笑顔に満ちていて、何を話しているのかすごく楽しそうに町を歩いている。
建物はそんな人々を歓迎するかのごとく飾られて、その口を大きく開けて沢山の人を迎えている。
木々は雪の重みに耐えながらも、嬉しそうにそれを眺めている。
空はそんな全てのものを照らし出すように、真っ暗な空に白い天使を輝かせている。
そして、ボクの世界は終わりに近づいていた。
既に空腹すら感じないくらいになり、うっすらと光景が歪む。
鳴き声すら虚しくボクの脳内だけに響き渡り、叫びは届かない。
歪んだ光景がゆっくりと横に倒れ、ボクの身体に最後の衝撃と痛みが走る。
瞬間、幸せだった時間が高速で巡るスライドショーのように脳裏によぎっていく。
もう一度あの温かさを感じたい。
切なる願いも虚しく、ボクはただ泣き叫ぶ。
「ミ・・・ィ」
ボクの世界が、幕を下ろした。
―――
コツ。コツ。コツ。
突然の出来事だった。横になっているボクの耳に、ボクの世界の方向から足音がする。人などいるはずの無い世界から、足音がする。
コツ。コツ。コツ。
だんだんと足音は近づいてくる。ボクに最後の希望を与えようというのだろうか?それともさっきのお姉さんみたいにボクを足蹴にしていくのだろうか?
コツ。コツ・・・。
ボクのすぐ後ろで、その音は止まった。もはやボクには後ろを振り返る力すら残っていない。蹴るなら蹴るがいいさ。もうどうにでもなれ。
「子猫ちゃんは、何が欲しいのかな?」
図太いようで、でも優しいおじいさんの声だった。
ボクはその問いに答えることも、ただ泣き叫ぶことも出来ずにただ横たわっていた。すると、おじいさんがボクを抱き上げてきた。
その手の温かさは、いつの日にか忘れてしまった温もり。
優しいのは声だけでなく、その表情も温かな笑顔に満ちていた。ボクの開かない目も、いまやその笑顔を見るためだけに見開かれていた。
おじいさんはボクが答えられないと知ったとき、おもむろに背負っていた大きな袋から何か整った装飾が施されている箱をボクの目の前に差し出した。
そして、おじいさんは言った。
「メリー・クリスマス」
箱が開く。
すると、そこに入っていたのはおもちゃでも食べ物でもなかった。
―――ふわり。
淡い光を発しながら、それは箱から飛び立つように空を舞う。ボクの目はそれを追い、なんとかそれを掴もうと手を伸ばす。
しかし力尽きたボクに、空を舞うそれを掴むだけの力は残っていなかった。手でもがく様に延ばすのを止め、再びぐったりと体から力を抜く。
するとおじいさんがそんなボクを見て、また微笑んだ。
「君のプレゼントを掴むんだ。諦めてはいけないよ」
ボクの体が突如浮かび上がる。
おじいさんが何かを呼ぶように口笛を吹くと、空からソリを引いたトナカイが二匹降りてきた。走るように空を駆け、おじいさんの目の前で止まる。
ボクを抱いたままそれに乗り、飛んでいく光を追いかける。
「さぁ、君も子供たちに夢を配りに行こうか」
ボクは、赤い服を着て空を舞う。
夢見がちなあの子のところへ、ボクの命を届けに行く。
そうしてボクは、ボクの世界の最後のクリスマスを過ごしたんだ。