俺はトラビス・オリビエ(31)
ジャーマ人ショコラティエの親父と、ジプシーのお袋の間に生まれた。
お袋は俺が10才の時に流浪の性を抑え切れずにどこかへ消えてった。
お袋は
【テオブロマ・カカオ】の魔女だった、と
親父に聞いた事がある。
【テオブロマ・カカオ】
ギリシャ語で、【テオ】が【神】・【ブロマ】が【食べ物】という意味だ。
そして親父は俺が18才の時に、お袋のかけた魔法が解けないまま、死んだ。
彼女の魔法というのは、【永遠の恋の微熱】と【テオブロマ・カカオへの情熱】 俺は今でもお袋がくれた、苦くてざらついた液体を忘れられない。
それは古代・アステカの皇帝・モクテスマや王侯貴族に許された万能薬とも言われている。
すり潰したカカオ豆に水を加え、トウモロコシの粉や、レッドペッパーに何種類かのヴァニラ、そして、アチョテと言う食紅のようなものを混ぜて泡立たせたのがそれだ。
お袋は【カカワトル(カカオの水)】と呼んでいた。 彼女はしっかりと、息子の俺にも魔法をかけて行った。
【テオブロマ・カカオへの情熱】という魔法を。
そして親父のお陰もあって俺はショコラティエになった。 俺の店に並ぶチョコレートの一部(まぁ、俺の創作チョコレートだな)には女の子の名前がついている。
何故なら、それは情事を通し、インスピレーションを与えてくれた女の子の名前だからだ。
始まりは口づけから。
舌触りから種類を探り当てる。
上等な女の子はクリオロの様に官能の香りが高い。(滅多にいないが)
そして、トリニタリオ種。クリオロとフォラステロの交配種。性格も官能の香りも様々で複雑だ。もしかしたら一番楽しめるかもな。そして、フォラステロ種。もっとも生産量の多い種である。
このタイプの女の子は、とにかく強い。刺激も、苦味も。結構、過激なプレイをするはめになるかな……
ちなみにクリオロはスペイン語で【自国のもの】そしてフォラステロには【外国のもの】という意味があるが俺には関係ない。用いるスパイスやリキュールや木の実は変わるが、可愛い女の子というのは変わらない。有り難い事に、フレンテーナには世界各国からの女の子がゴロゴロしている。
ベットの中やバスルーム、バーのトイレットから、路地裏まで、調理場は様々だが、女の子の体臭または香水からや、とろけ具合、溜息の種類から使うべきスパイスやリキュールを構想していく。
最近は熟成させる期間が短い、俗に言う一夜のアバンチュールが多いので、かなり集中しないといけない。 まぁ、そんなチャンスは店休日の前の晩に限られているけど。
俺のオリジナルは200種類を越えた。
うち、商品として出しているのは、せいぜい12種類だ。
微妙な味(香り)の違いがわかる人は少ないだろうし、殆どが、あまり大衆向けじゃない。
俺は、食べる人の心を揺さぶるチョコレートを作りたい。
老若男女問わず、【テオブロマ】の至福を与えたい。そのためにも俺は精進していかなければならない。
さってと♪気合いも入ったし、出掛けるか!
3日前にショコラに何故か変な気を起こしてから、俺の血が騒いで仕方ないのだ。これは何かの暗示やも知れぬ。
新しい時の始まりかもしれない!インスピレーションを求め、いざ行かん!夜の街へと!!
フレンテーナ市街:バレチュール4丁目。
ここは上等な女がいる。
【Bar kalrosso】
俺は早速、デュリエッタという女の子と良い感じになっていた。
しかし、思わぬ展開になってしまった。
「ショコラティエ?そうなの?素敵ね。でも、ショコラって、美味しいけど、太るし、肌にも良くないでしょ?虫歯の原因にもなるだろうし、やっぱり高カロリーなものはちょっと…ね」
話の成り行きで彼女はそう言った。
俺が優しいのを見透かして、気を許していたのかもしれないが、これはあまりにも無知だ。
し、か、し!ここで怒ってしまったら、もしかしたらのチャンスが台なしになってしまう。
俺は咳ばらいをして彼女に向き直った。
「デュリエッタ、それは違うよ。」
俺は優しい声で言った。
「ショコラはね、滋養強壮、疲労回復に有効で、太古の昔から珍重されてきたんだ。カカオはポリフェノールや、ミネラルや食物繊維が豊富で、コレステロール値を下げる効果もある。そして、ショコラに含まれるテオブロミンという成分とあの独特の甘い香りには精神をリラックスさせ、集中力を高める効果だってある」
「……へぇ、物知りなのねトラビスって」
デュリエッタは少しも真面目に俺の話を聞いていない。
「そんなことより……。」
彼女は俺の耳元で甘く囁き、俺の胸元にゆっくり指を滑らせた。
熱くなる彼女の吐息とは真逆に俺のボルテージは急降下。
確かに喋り過ぎた。
しかし、許せないのだ。
チョコレートは高カロリーだがココアバター(チョコレートにたくさん含まれる脂肪分)は他の脂肪分に比べ摂取しても吸収されにくいのだ。つまりチョコレートの脂肪分はカロリーになりにくい。
そりゃ、砂糖も入っているが糖質が分解されて出来るぶどう糖は脳のエネルギー源だ。
ミルクチョコレートにおけるカルシウムとミネラルは理想的な比率である。
しかもカカオマス(カカオニブ、カカオの胚乳部分をすり潰し、ペースト状にしたもの)には虫歯を予防する成分も含まれている。
それなのに、自分の怠惰を棚に上げ、チョコレート(ショコラ)のせいにするなんて、本当に神への冒涜である。
ダメだ。もう、勃たない。カカオの栄光を、酒場の口説きネタくらいにしか受け取らない女は射程外だ。
というよりも、こんな時にチョコレートについて語る事など今までなかった。
どうやら、俺は調子が悪いようだ。
今夜はもう家に帰ってカカワトルでも飲んで寝よう。そういや、明日はヴィヨンカ婆さんの所にクーベルチュールを仕入れに行かなきゃならねぇ。
ミシェルを使いにやるつもりだが、アイツに婆さんへの礼儀作法を仕込まなきゃ。
ヴィヨンカ婆さんはショコラ(うちの腫瘍人物)を嫌っているから、今まで俺が行ってたけどあの美少年なら文句はないだろう。
傍に寄り添い、手を重ねて耳元で囁けば半額にしてくれるという良心的な婆さんだ。
そうだそうだ。
俺は忙しいのだ。
こんな所で腹を立てて上質のクーベルチュールを逃している場合じゃない。
俺はデュリエッタの唇を避けた。
「?!トラビス、どうしたの?」
「用事を思い出したよ」
俺は笑って答え、彼女のシャンパンの分と自分のブランデーの代金を支払った。
「それじゃ、子猫ちゃん!素敵な夜を!」
バーを出て、空を見上げた。
空気が冷たいせいか、星が美しい。
「俺のチョコレートの女神はどこだ?」
チョコレートの創造主・ケツァルコアトルに問う。
−バサ!
視線の3メートルくらい先で、買い物袋を落とした
チョコレートブラウンヘアのアホ面の女の子。
「……ショコラ?」
俺は目を疑う。
夜盲症じゃないよな?
ショコラは目を白黒している。夜中にタイトなふともも丈ワンピースにミンクのファー。ほんと、軽薄。
「なんでいるんだよ!」
俺は、買い物袋から飛び出してきた荷物を拾う。
チョコレートペースト、
ソリッドチョコレート、
チョコレートケーキ、
チョコレート・アソート?なんだこれ?
チョコレートばっかりじゃねーか!
俺は笑いを抑え切れなかった。
「一人で歩いてたら危ないぜ!」
そういや、コイツの住んでる所はこの辺りだったな。 「送っていこうか?」
ショコラは俺から荷物をひったくるとブンブン首を横に振った。
なんだ?嫌われてんな。
ショコラは思い出したように、袋から、けばけばしいパッケージのソリッドチョコレートを一枚取り出して俺に押し付けた。
【元気が出るチョコレート】?
なんだそりゃ!
ショコラは頭を下げて、走っていった。
あのバーの隣にある螺旋階段を昇っていく。
そんなに急いじゃあ、近所迷惑だろう。
そういや、アイツ、具合はいいのか?
本当に解らない奴だな。
俺はショコラから貰った、ソリッドチョコレートの銀紙をはいで、噛った。
!?
ガラナチョコ?!
変なチョイスだな!寝起きの一枚か?
笑いが止まらない。
そういや、俺、なんでイライラしてたんだ?
まぁ、いいか。
ガラナチョコなんか初めて食った。
これでカカワトルなんか飲んだら眠れないかもしれない。
ケツァルコアトルの思し召しか?
市販のチョコレートでさえ幸福の一枚に変わる。
やはり、チョコレートは素晴らしい!って事か?
俺は少し笑って、粗悪品のガラナチョコを噛った。 |