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世にも奇妙な短編集

地蔵の皮

 その少女は、ゴミによって命を救われた。


 それは、少女がまだ、生まれて間もない赤ん坊だった頃のことである。

 その少女は、とあるゴミ捨て場に捨てられた。季節は冬の只中だった。少女が捨てられたその場所に、積もり積もった生ゴミが、もしもあのときなかったならば。大量の生ゴミが腐り、発酵することによって生まれる程良い熱がなかったならば。少女はあの晩、寒空の下で凍え死んでいたことだろう。


 少女の捨てられた「ゴミ捨て場」は、正規のゴミ集積所ではなかった。

 昔から、その町に住んでいる人たちや、その場所の近くを通りかかった人々が、なぜだかそこにゴミを捨ててゆくのである。捨てられるゴミは、これもなぜなのか、傷んだ野菜やら、食べ残しの弁当やら、飲み残しのジュースやらと、異様に生ゴミの類が多かった。ペットと思われる動物の死体も、よく捨てられていた。ゴミ捨て場、というよりは、むしろ「ゴミの捨てられ場」と言ったほうがいいだろうか。とにもかくにも誰も彼もが、悪臭の立ち込めるその道へ、ふらふらと引き寄せられるようにゴミを捨てにくる、そんな奇妙な場所なのだった。


 正規の集積所ではないから、そこに溜まったゴミはいつも、なかなか回収されなかった。そもそも、大半のゴミがゴミ袋になど入っていない、一つ一つむき出しのバラバラの状態だったため、それを掃除するのはひどく骨の折れることだったのだ。そのせいで、その場所は、ゴミが溜まっても長い間ほうっておかれるのが常だった。

 たまにすべてのゴミが片付けられても、すぐにまた、そこにはなんらかの生ゴミが捨てられて、生ゴミの量はあっという間に増えていき、そうしてすっかりゴミ捨て場然となったそこに、さらに壊れた傘やら家電やら、雑誌の束やら、古くなった布団やら、生ゴミ以外のゴミも捨てられていく、といった具合であった。


 そんなことが、遠い昔からその場所でだけ、何度も何度も繰り返されていたのだ。




 あの「ゴミの捨てられ場」がなくなる――。

 養護施設の先生からそう聞かされて、少女は、十五年間近づきもしなかった、けれどずっと気にかかっていたその場所へと、ひとり赴いた。


 捨てられ場のゴミの山は、すっかりきれいに片づけられていた。

 それでも、辺りには、いまだにすえたようなにおいが残っているような気もした。

 今は、ぽっかりと何もない、ただの小さな空き地となったこの場所。けれど、かつてゴミの山があったここの土地の土には、長年の間に、腐った生ゴミの汁が染み込み続けて、それが今もかすかな臭気を漂わせているのかもしれない。


 空き地の入口には、ロープの柵が張られ「立入禁止」の札が掛けられていた。

 この土地は、これからどうなるのだろうか。

 聞くところによると、土地を買い取ったのは、個人ではなく市であるらしいから、いずれは公園か何かの公共施設ができるのかもしれない。なんにせよ、早く遊具なり建物なりを造って土地を埋めないことには、いくらゴミの山を片付けて、ぼうぼうに茂った雑草を刈り取ったところで、この空き地がまたゴミで埋もれるのは時間の問題ではないだろうか。空き地を片付けて、ロープを張って、立入禁止の札を掛けて済むことであれば、捨てられ場なんて、とっくの昔になくなっていただろうと、少女は思う。


 それにしても。

 と、少女は、空き地を塞ぐ柵に近付いた。

 札の上に両手を掛けて、ロープの向こうへと、少し身を乗り出す。

「……お地蔵さまが出たって、本当かしら」

 草が刈られ、土の肌が寒々しく覗いた四角い空間。その、隅から隅までをゆっくりと目でなぞって、少女はぽつりと呟いた。

 誰に向けたわけでもない、それは、単なる独り言だった。

 ところが。

「ああ。本当だとも」

 と、少女のすぐ横から、思いもよらぬ声が返ってきた。

 驚いて隣を振り向くと、そこには、いつの間にか、誰やら見知らぬ人が立っていた。

 その人は、眩しそうなくらいに目を細めて、空き地の奥を見つめていた。

「お地蔵さまのことを、知っているんですか?」

 少女は、思わず声を高くして、その人に尋ねた。

 その人は、目を細めたまま少女を振り向き、首をカクリと揺らすように、うなずいた。


「ああ。知っている。昔、道の傍に祀られていた、古い地蔵のことだな」

「道端……に?」

 少女が聞き返すと、その人はもう一度うなずいた。今度もやはり、うたたねして舟を漕ぐように、カックリと。その首の動きから、少し遅れて、薄く開いた瞼の間を、目玉がきょろりと滑るのが見えた。

 少女は無意識に、半歩、その人から後ずさった。

「道、っていうのは。え? ここの道のことですか?」

 少女は、努めていつもよりも朗らかな声を出す。

 いいや、と、隣の人が、今度は首を横に振る気配がしたが、少女はもうそちらを見はせずに、空き地の適当な場所の地面へと、己の目を釘付けた。

「道が」

 と、隣の人は、少女に言う。

「空き地の奥の、塀の向こうに、道があるんだ。今はもう、道とも言えない、ただの土地と土地との間の隙間だが。こちらに新しい道ができて、必要のなくなったその道は、今や、空き地と建物で周りをすっかり塞がれて、足を踏み入れることはできなくなっている。……町の死角に隠された、千切れた道。そこに、つい最近まで、古い地蔵が祀られていたんだ。……誰からも存在を忘れ去られて、何十年も、拝む者さえいなかった地蔵を、『祀られていた』と言っていいものかは、わからないが」

「……そうだったんだ」


 少女は、大きくうなずいた。

 空き地の奥には、今も目隠しの簡易塀が立てられていて、「道」とやらを見ることはできない。おそらく、もともとあった塀を取り壊す工事でもしたのだろう。

「この道や、空き地の中からは、お地蔵さまって、見えなかったんですね。わたし、詳しい話を知らなかったものだから。てっきり、お地蔵さまは、この空き地の中にあったのかと思ってました。……でも、そうですよね、考えてみれば。お地蔵さまの祀られているところに、誰もかれもがゴミを捨てていくなんて、おかしな話ですもんね」

「どうして」

「……えっ」

 隣の人の問い返しに、少女は戸惑い、声を上げた。

 隣の人は、少し間を置いて、こう問い直した。

「どうして、地蔵が、捨てられ場にあったのだと」

「……ああ」

 問いが向けられていたのは、そちらのほうかと理解して、少女はひそめた眉を解きほどく。

 なんと答えようか。見ず知らずの人に、あまり深い事情まで明かしたくはない。そう思い、少女は、このように答えを返した。


「わたし、昔、この捨てられ場で、命を落としかけたことがあるんです。でも、運よく助かって。それで今、こうして、ここに生きているんです。……だから。そんなことがあったから。お地蔵さまの話を聞いたとき、思ったんです。あのときわたしが助かったのは、もしかしたら、あそこに祀られていたお地蔵さまのおかげなのかな、って。――だって、お地蔵さまって、子どもを護ってくれる神さまなんでしょう? ……あ。神さまじゃなくて、仏さま、ですかね」


 少女は、口元に手を当てて、小さく肩をすくめた。

 それから、空き地の中をゆっくりと見回して、

「お地蔵さまって、まだ、あの工事の塀の向こうにあるんでしょうか。空き地に移されたとか、そういうこともなさそうですけど。でも、どうせなら、やっぱり、ちゃんと人の目に触れるところに……」

「地蔵なら、見つかったあと、打ち壊されたよ」

「……え」

 思いがけない言葉に、少女は目を見開く。

「ど、どうして。お地蔵さまなのに。いくら、ずっと人目に付かないところで忘れられてたとはいっても。打ち壊すなんて、そんなの、ひどい……」

 少女は声を震わせ、うつむいた。

 すると。


「違うんだ」

 と。隣の人は、押し込めるような、静かな、けれど強い口調で、そう言った。

 少女はきょとんとして、隣の人を振り向いた。

 隣の人は、依然として目を細めている。もしかしたら、眩しいわけではなくて、この人はもとから糸のように目の細い人なのかもしれない。

「違うって――何が?」

 少女の問いに、隣の人は、いちど唇を開いたまま沈黙して、ためらうそぶりを見せた。そしてそのあと、あらためて結んだ唇を、もういちど開いてから、こう答えた。

「あの地蔵は、君が思っているようなものじゃない。あれは、地蔵の皮をかぶった、呪いだよ」




 少女は、先ほどよりも大きく目を見開き、唇をきつく引き結んで、隣の人を見つめた。

 言葉を失った少女の横で、隣の人は、淡々と地蔵の由縁を語り始めた。

 それは、このような話だった。


「この辺りの土地が開発されて、今のような、それなりの数の家が立ち並ぶようになったのは、四、五十年ほど前からのことだ。それ以前には、ここいら一帯は、まったくもって閑散とした土地だった。数百年も昔には、ここにあった村が、いちど廃村になったこともある。

地蔵が造られ、祀られたのは、その村が滅ぶ、少し前のことだった。


その村は、村堺にある水源の利権をめぐって、隣村と争いを繰り返していた。地蔵が造られたのは、作物の不作が続き、隣り合う村が、各々の土地の作物を守るために、何度目になろうかという水争いを起こそうとしていた、そんな年のことだった。


その年、続く不作のため、飢えに喘いでいた村に、一人の旅の僧がやってきた。旅の僧は、困窮している村の様子を見て、村人たちに言った。『この村には、どうやら、災厄を祓う力のある神や仏がおわせぬようだ。どれ、ここは一つ、私が厄除けの地蔵を彫って差し上げよう。その地蔵を、村の中の、人の行き来の多い道に祀るとよい』


そうして、旅の僧は、村の中に転がっていた手頃な石を彫って、一体の立派な地蔵を造り上げた。村人たちは喜んで、その地蔵を、村人の多くが行き来する道の傍に祀った。


しかし、この旅の僧というのが、実は、隣村からやってきた呪術師だったんだ。

呪術師が彫った地蔵。それは、形ばかりの地蔵だった。その正体は、厄除けの力を持つ神仏どころか、困窮した村にとどめを刺すための、恐ろしい呪いだった。


呪術師は、地蔵の形に彫ったその石の中に、おびただしい数の鬼を詰め込んでいた。――飢えと渇きに苦しみ抜いて死んだ者の魂が、その苦しみゆえにこの世に留まり、人ならぬ異形と成り果てた、『餓鬼』という鬼を。


村人は、そんなこととはつゆ知らず、道端に祀った地蔵をありがたく拝んだ。地蔵の周りには、いつも、村人たちの供え物がたくさん置かれていた。ただでさえわずかな食料を、村人たちは、惜しげもなく地蔵に供え続けた。誰一人として、それがおかしなことだとは思わなかった。地蔵の形の石の中に詰め込まれた、数え切れぬほどの餓鬼どもが、その食い物へのすさまじい執心によって、村人たちを狂わせてしまったんだ。


その村が、次の年の春を迎えることはなかった。明くる春が来たとき、村人たちは、大人も子供も一人残らず、骨と皮だけの姿になって死に絶えていた。


村人たちが飢えて死んだのであろうことは、誰の目にも明らかだった。だからこそ、やがてそこを訪れ、滅んだその村の惨状を目の当たりにした者は、首をかしげざるを得なかった。

村を訪れた者が見たのは、哀れに痩せこけた村人の骸。そして、道端に祀られた地蔵の周りを埋め尽くす、腐り果てた食い物の山だったのだから」




 語り終わったその人は、それきりしばらく、口をつぐんだ。

 少女もまた、何も言えず、うつむいていた。

 いくらかして、再び口を開いたその人は、静かな声で少女に言った。

「こんな話は、知らないほうがよかったか」

 その問いに、少女は答えられず、口元を結んだまま、空き地の奥の簡易塀をじっと見つめた。


 それからどれくらいの時間、そこで立ちぼうけていただろう。

 動かない少女の横で、隣にいるその人の気配もまた、そこから離れようとはしなかった。

 やがて、少女は、ゆっくりと一つまばたきしたあと、その口元に笑みを浮かべた。


「お地蔵さまのこと、教えてくださって、どうもありがとう。……そうですね。確かに、そこにあったお地蔵さまは、わたしが思っていたようなものじゃ、ありませんでした。守り神でも、仏さまでもない。地蔵の皮をかぶった呪い。――でも。それでも、やっぱり。そのお地蔵さまに込められた呪いの力が、この時代にまで消えることなく残って、それが、結果的にわたしを生き延びさせたのなら、同じことです。わたしは、そのお地蔵さまに、救われたんです」


 隣の人を振り向いて、少女は笑った。

「わたし、肉親の愛情というものは、まったく知らないままに、育ってきたんです。実の親には、物心つかないうちに、捨てられてしまいましたから。……ですけど、ね。意外にも、今は、人並に幸せなんですよ。今までの、まだ十五年ぽっちの人生の中でも、たくさんのものが、手に入りました。今のわたしには、大好きで、大切な、友達がいます。尊敬できる大人の人が、そばにいて守ってくれます。将来の夢とかも、それなりに持っていて……。それは。そういうのは、ぜんぶ、あのときこの捨てられ場で、ゴミのおかげで――それはつまり、お地蔵さまのおかげで、生きながらえることができたからなんです。だから」

 少女は、そこで、ふと声を落とした。


「お地蔵さまに、一目会って、一言、お礼を言いたかった」

 吐息のようにその思いをこぼして、少女は目を伏せた。そして、そのまま、顔の前で両手を合わせ、今はもういない、地蔵の祀られていたその場所に向かって、頭を下げた。

 そんな少女に、隣に立つ人は言った。


「あの地蔵は、石の肌の裏に鬼がひしめく、形ばかり、皮ばかりの地蔵だった。そんなものに、加護などあるわけがない。人を守る力など、あるわけがない」


 それは、淡々とした口調だった。けれど、その声には、今までにはなかった、いくらかの温かみが宿っているように感じられた。

 顔を上げて、少女は、隣の人を見る。

 その横顔には、光と影の加減かと思うほどの、ほんのかすかな笑みが、浮かんでいた。

 隣の人は、たゆませた唇を、もう一度開いた。


「それでも、あの仏の形をした石が、皮だけでも確かに地蔵であったなら。その皮は、かつて幼い赤ん坊の命を救えたことを、きっと、何よりもうれしく思っていることだろう」

 そうして、隣の人は、その細い両目をそっと閉じた。

 



 少女は、いつの間にか、一人で空き地の柵の前に立っていた。

 ついさっきまで、少女の隣には、もう一人の誰かがいたはずだった。けれど、辺りを見回してみても、少女以外の人の姿は、どこにもなかった。

 不思議に思いつつ、少女は、その人が立っていたはずの虚空を見つめる。


 そこで、少女は気がついた。

 今さっきまで話していた、その人の、顔立ちも、背丈も、性別も、服装も、声さえも。もう、何一つとして、思い出せないということに。


 少女は、空き地の奥へ目をやった。

 そこにある、地蔵が祀られていた道の前に立てられた、目隠しの塀。

 それを眺めながら、少女は、ぽつりと呟いた。


「あの人が、地蔵の皮だったんだわ」





 -終-





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