ブックリスト登録機能を使うには ログインユーザー登録が必要です。
  Sperm Business 作者:GFJ
第2話 カタログ
「カタログが入用(いりよう)でしたら、準備できますが」
 マリアが子供の具体的な希望を持ち合わせていないことに気づいて、相談窓口の女性は慇懃な物言いをした。これ以上長ったらしい説明をするのは時間の無駄と感じている口調でもあった。
 
 実際マリアには『精子バンク』で精子を手に入れる、ということ以上の計画がなかった。彼女にとって『精子バンク』は、煩わしい過程を経ずに妊娠するための手段に他ならなかった。人生の設計図を綿密に練ることができるという言わば補助的な手段。夫や夫側の家族という厄介な人間関係に悩まされることもない、結婚に付随する様々な不必要な物を何一つ抱え込むことなく自分の自由にできる。それだけで充分だったしそれ以上のことを考えたこともなかった。
 マリアには具体的な子供のイメージはなかったものの、自分自身についてははっきりした未来像を描いていた。最初は妄想だったものが、時間が経つと共に次第に具体的な計画へと変わって行った。二人の子を産むとしたらすぐにでも一人目を妊娠しなければならない。正直言って、少しぐずぐずしすぎたかも知れないと思っている。マリアにとって、『精子バンク』がもたらす将来は、輝かしいキャリアの道を犠牲にせずに子供まで持つことができる、そんな絵に描いたような成功した女性像、そう、畑教授というモデルケースそのものだった。
 ところが、『精子バンク』を利用する多くの女性にとってその意義はもっと別の点にあった。これまでなら手が届かなかった優れた遺伝子を誰でも手に入れることができる、それこそが『精子バンク』の持つ最も魅力的なセールスポイントなのである。競争率の高い男性の遺伝子を簡単にゲットできる、それも男性の気を引くために、自ら容姿に磨きをかけたり、多大な労力を費やす必要がない、ライバル女性を蹴落とすために汚い手を使う必要だってない、平和的に誰でもが自分の欲しいものを手にする、そのどこが悪いと言うのか、マリア以上に割り切った考えの女性が世間には溢れているのだ。

 希望を聞かれて、何一つ子供に対する具体的なイメージを持っていなかったマリアを、担当の女性は半ば呆れたように見た。地中海病院不妊外来の相談窓口で、マリアは世の女性達がいかに先進的であるかを思い知らされた。
「貪欲になられていいのですよ。凡そご希望の精子を提供できると思います」
 初めて尋ねた不妊外来。実際には自分が不妊症かどうかもわからない状態で受診したことに少なからずの後ろめたさを感じていたマリアは、あっけないほど割り切った考え方の今の生殖医療に驚くと同時に、決してマリアが欲張りではないことを示されたみたいでほっとするのを感じていた。
 マリアは、カタログを購入して、家に帰ってじっくり検討することにした。3冊セットで5万円、プラス3ヶ月有効のパスワードがついている。新しい情報は、インターネットを使って期間限定で確認することができるのだ。カタログとインターネットの情報サイトの中には沢山の丸秘情報が詰め込まれている。あとは、体験談を収めた薄い冊子がオマケとしてついていた。

 マリアは、バッグをソファに投げ出しジャケットをハンガーにかけてからキッチンに入ると、ワインレッドの冷蔵庫からアイスティーを出してグラスに注いだ。キッチンは壁も含めてワインレッドの世界だ。
 一人暮らしするには少々広すぎる高層マンションの一室。リビングから見える景色はマリアの一番のお気に入りだった。しかし窓を開けると強すぎる風が室内に吹き込むのでほとんど開けたことがない。リビングの家具はシックなダークブラウンで統一してある。
 ソファに深く腰を沈めて、マリアはカタログを広げた。40ページほどのカタログ。

 一冊目。才能重視型。
 表紙を開くと、ページの端に4色の色分けがなされている。
 最初の赤く色分けされたページには、有名大学の理科系出身者たちの登録ナンバーが表になって掲載されていた。ただし、大学名ははっきりと書かれていない。Sグループ大学、Aグループ大学、Jグループ大学……とグループ分けされている。大学名まで明記されていないのは、個人が特定されにくいように、ドナー側への配慮なのだろう。大学クループ名の後は、学部名、身体的特徴、その他特筆すべき事柄が簡単に書いてあって、最後の欄は値段。登録ナンバーの上に SOLD OUT の赤い小さなシールが貼ってある欄が散見された。
 黄色いページは、有名大学文系出身者。
 青いページは、音楽、芸術関係。
 オレンジ色のページは、スポーツ関係。
 
 2冊目。容姿重視型。
 漫画チックな似顔絵つき。
 赤色は、体格に関するもの。
 黄色いページは、顔に関するもの。
 青いページは、肌の色。
 オレンジのページは、髪の毛の特徴。
 同じ登録番号の人が、1冊目、2冊目で繰り返し登場してくる。

 3冊目。性格に関するもの。
 赤色は統率力のある人たち。会社役員だとかベンチャー企業経営者だとか、そういう人たちが載っている。
 黄色は協調性の強いと思われる人たち。
 青いページは優しい人たち。どういう基準で選んでいるのか今ひとつよくわからない。

 1人1行から2行ずつの情報。気になった登録番号を2つ3つつき合わせて全体像を想像してみたりする。候補者を絞ったら、1人の情報につき、3万円でもう少し詳しい情報を掲載したプロフィールをもらうことができる。この段階で数十万円使う人もいるそうだ。

 SOLD OUT の登録番号には興味が湧く。値段も高いものが多い。いくつも魅力的な特徴を有した男性のものだろう。
 一方で、青い文字の NEW! にも目が行く。新しく入荷した精子っていう意味だろう。
 マリアは、今、自分が座っているソファを選ぶ時に、散々迷ったときのことを思い出していた。ダークブラウン基調の家具が多い中、ソファは軽い感じの物にしたかった。ところが、これがなかなか難しい。色と形と座り心地。部屋の中で変に浮いても困るし、ダークブラウンと調和を取りながら、なおかつ、明るい雰囲気のソファ。全てを満たす物がなかなか見つからなかった。カタログで散々探したり、家具屋にも足を運んだ。ところが、だだっ広くてどこまでも白い展示場の中に陳列してあるソファを、頭の中で自分のマンションの中に置き換える作業は思うように行かない。実に3週間かけて選んだソファだった。それなりに気に入ってはいるが、これが3週間もかけて選ぶような物だったか、マリアにはよくわからない。使い慣れると、それなりに自分の物になったが、購入して部屋に入れたばかりの頃、最後まで悩んだカタログのソファの方が良かったのではないか、とふと感じたことを思い出した。それが一体どんなソファだったのか、マリアはもう思い出せなくなっている。ほんのり淡いピンク色、クリーム色と言われればそうかな、と思うほど、僅かにピンク色を呈したソファは、部屋に運び入れると、展示場でみた時ほどには上品に思えなかった。重厚な色の部屋の中では、もっとビビッドな色の方が部屋全体が引き締まって見えたのかも知れない。

 『精子バンク』で精子を手に入れる、という作業は、マリアにとって想定外の困難さを伴った。彼女の初期の目的は、とにかく精子を手に入れて妊娠すればいいだけのことだった。ところが、不思議なもので、カタログを見るうちに、欲が出てくる。桁外れの値段がつけられた登録番号に SOLD OUT の文字が躍っているのも彼女の欲に火をつける一つの誘因だった。いっそのこと、コンピュータに任せてみようか、とふと思ったりする。だが、待てよ。ランダムに選ぶ精子とは一体どんなものなのか……。売れ残ったり、安い値段しかつかない物の寄せ集めなのではないか……。わざわざ高値で飛ぶように売れていく物をランダム精子に入れるわけがない。”お楽しみ袋”と名づけられたバーゲン品なのかも知れない。粗悪品を掴まされたくなければ、自分のほしい子供のイメージをある程度思い描いておかなければならない。
 1週間ほどカタログを見つめては、あーでもない、こーでもないと考えるうちに、マリアは疲れてきた。しばらく考えるのを止めることにした。仕事中にふっとカタログが頭の中に出てきて、自分が『精子選び』のためにノイローゼ気味になっていると感じたからだ。5万円で手に入れたカタログは、しばらく本棚に立てられたままになった。



次回は、3月19日(木)に更新の予定です。


+注意+
・特に記載なき場合、掲載されている小説はすべてフィクションであり実在の人物・団体等とは一切関係ありません。
・特に記載なき場合、掲載されている小説の著作権は作者にあります(一部作品除く)
・作者以外の方による小説の引用を超える無断転載は禁止しており、行った場合、著作権法の違反となります。

この小説はリンクフリーです。ご自由にリンク(紹介)してください。
この小説はケータイ対応です。ケータイかパソコンかを自動で判別し、適切なページを表示します。
小説の読了時間は毎分500文字を読むと想定した場合の時間です。目安にして下さい。