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42.覚醒
 浮上してきた意識にしたがって、コレットはゆっくりと目蓋を開いた。
 ゆっくりと何度か瞬きをすると、小さなランプの灯りに淡く照らされた部屋の中を見回す。
(……ここは?)
 ベッドの天蓋も、深い赤のカーテンも、ベッドルームにしては広すぎるような室内も、そこに置かれた調度品にも見覚えはない。
 ぼんやりとしたまま、コレットは体を起こした。
 体を支えるためについた手にツキンと痛みが走れば、一気に記憶がよみがえる。
 無意識に自分を抱きしめるように腕をまわすと、もう一度あたりを見回した。椅子に座ったままベッドに臥せっている人影に、びくりと肩を震わせる。
 そこにいた人物には見覚えがあった。
 王妃さまから自分に付けられたメイドの一人である。そのことを確認すると、こわばらせた体の力を抜いた。
 疲れているのだろう。
 すやすやと寝息を立てているメイドを起こさないように、コレットは自分の近くにあった上着を彼女にかけると、そっとベッドから抜け出した。
 のどの渇きを覚え、テーブルの上に置かれた水差しからグラスに水を注ぎ、それを両手でしっかりと持ち上げた。ゆっくりと飲み干しほっと息を吐く。
 自分はいったいどれくらい眠っていたのだろう。
 カーテンの隙間から漏れる光はなく、まだ夜中であることを知らせている。
 ここはクリプトンホテルの中なのだろうか。
 本来ならば、今日は夜通しパーティーが開かれているはずだった。しかし、コレットの耳には何の音も聞こえてこない。
 もしかして、あの事件のせいでパーティーは中止になってしまったのかもしれないと思えば、気が重くなった。
 テーブルのそばの椅子に力なく腰掛けると、自分の腕に目をやる。
 白い夜着のゆったりした袖口から見えるのは、手首までしっかりと包帯に巻かれた自分の腕。それをじっと見ながら、コレットは自分の手を開いたり閉じたりして動かしてみる。
 起き上がるときには痛みを感じたが、多少動かしても問題はないようだ。肘のあたりにぴりぴりとした痛みを感じるし、腕をひねれば指先にまでじんと痺れが走る。しかし、水を飲んだときもそんなに痛みを感じなかったし、動かせないほどではない。
 怪我自体を確認してはいないが、自分が感じる痛みから思っていたより大きな怪我ではなかったことにほっとする。
 どうやら怪我をしたときに力が入らなかったのは、腕の怪我のせいというよりもかがされた薬のせいであったらしい。

 怪我をした後のことは、記憶がとぎれとぎれで情況をあまりよく覚えていない。
 自分はどうやって助かったのだろう。
 夢と現をさまようような中で、フィオンの声が聞こえたような気がした。彼の腕に抱かれて話をしたのは現実だったのか、それとも自分が見た都合のいい夢だったのだろうか。
 どうしてあんなことになってしまったのか、その答えは一つ。コレットが人気のない場所へ入り込んでしまったからだ。
 ホテルの中なのだから、一人になっても大丈夫だと思っていた。
 少しでもはやく広間に戻らなくてはと思って急いだが、それによってそれ以上の迷惑をかけたことになる。
 呆れられてしまっただろうか。
 貴族の娘として、社交界でしっかりと立ち回るだけの義務と責任がある。そんな話をしていたばかりだったというのに、パーティー自体を台無しにしてしまう結果となった。
 王妃が付けてくれたメイドがいるということは、この部屋は父親が用意したものではなく、王妃またはフィオンが手配したものなのだろう。
 だがそれは、彼らがコレットの行動を怒っていないという証明にはならない。
 眠ってしまう前に見たフィオンの優しい表情。
 本当にあれは夢ではなかったのだろうか。
 急に腕の痛みが強くなったような気がして、コレットは自分の手で腕をそっと押さえた。

 カタンと小さな音が聞こえ、コレットの思考が現実に引き戻された。びくりと体を震わせて、あたりを見回す。
 小さな物音は、眠っているメイドには聞こえなかったらしい。そのまますやすやと寝息を立てている彼女を見ると、コレットは音の聞こえた方に視線を向けた。
 隣の部屋に通じているであろうドア。
 息を飲みながらじっと見つめる。
 それ以上音は聞こえなかった。
 隣に誰かいるのだろうか。
 ゆっくりと扉に近付くと、コレットはドアを少しだけ開けて隣の部屋をのぞき見た。
 ベッドルームとは比べ物にならないほどの高い天井に広い室内。どうやら隣は広めの応接室になっているようだ。
 暖炉や壁にかけられた灯りで、室内はやわらかな光に包まれていた。
 そこにおかれたソファにいた人物に目を留めると、コレットの鼓動が跳ねた。
 淡い光に照らされながらも、キラキラと眩しく光る金色の髪。目に入ったそれに引き寄せられるように、コレットは扉をすり抜け応接室へと入る。
 ソファの肘掛けに頬杖をついたまま、目を閉じているフィオンに近付いた。
 眠っているのだろうか。
 自分が近付いてもそのままの状態で動かないフィオンを、コレットはじっと見つめた。
 金色に光る髪がかかる端整な顔立ち。いつも自分を優しく見つめるエメラルドの瞳は閉じられ、長い睫毛が影をおとしている。
 どうして彼がこんなところで眠っているのだろう。
 疑問に思いつつ、コレットはくるりと首を廻らせた。
 フィオンの他に、この部屋には誰もいなかった。コレットがいた部屋とは反対の方、別の部屋とつながっている扉のない通路からは、淡い光がもれている。
 フィオンがここにいる以上、あちらの部屋には誰かが控えているのかもしれないが、それらしい物音は聞こえなかった。
 まるで時間が止まってしまったように感じられる。
 聞こえるのは、窓の外からかすかに聞こえる虫の音だけだ。
 
 落とした視線の先に、コレットは床に落ちている毛布に気がつく。
 夏とはいえ、湖の側のこの場所は夜には涼しい風がふき、朝方には少し肌寒さを覚えることもある。 
 毛布を拾うと、コレットはそれを整える。起こさないようにとそっとフィオンにかけようとすると、急にその手をつかまれた。
 びっくりして顔をあげれば、オレンジ色の光を受けて色を深くしたエメラルドの瞳が、優しくコレットを見つめている。
「す、すいません。起こしてしまいましたか?」
「いや、起きてたから」
「えっ?」
 フィオンの言葉に、コレットは目を瞬かせる。
 起きていたというのは?
「いつから……ですか?」
「君がこの部屋に入ったときから、かな。近付いてくるのがわかったから、目を開けたら消えてしまうんじゃないかと思って開けられなかった」
「フィオンさま?」
 切なげにフィオンがコレットを見つめる。
 フィオンの苦しそうな表情に、コレットはその場から動けなくなった。
「具合はどう? どこか痛むところはない?」
 優しく訊ねながら、フィオンはコレットが持っていた毛布をとりソファの端に置くと、彼女を自分のとなりに座らせた。
 コレットは答えるように、小さく首をふる。
「少し腕が痛みますけど、大丈夫です」
「そう」
 コレットの言葉にうなずきながらも、フィオンはまだ心配そうにコレットの腕の包帯に視線を落とす。
 つかんでいたコレットの手をそっと持ち上げ、包帯の上からそっとコレットの腕に唇を落とした。
「……っ!」
 直接肌に触れたわけでもないのに、熱が伝わってきたような気がして、コレットは思わず手を引いた。
 コレットの腕を気づかってか、強く握られていたわけではない手は、フィオンの手の中からするりと抜ける。
 急に手を振り払う形になってしまい、コレットは顔を伏せつつ目だけでそっと窺うように視線をあげた。
 フィオンと目が合うと、ずきんとコレットの胸が痛む。
(どう……して……)
 フィオンの苦しそうな顔がそこにあった。
 どうしてそんな切ない目で自分を見ているのか。
「あの……」
 何を言えばいいのかわからなくて、コレットは口ごもる。
「コレット」
「は、はい」
「触れてもいい?」
「えっ?」
 いつもそんなことを言わずに触ってくるくせに、急に聞かれると戸惑う。
 それでも、フィオンの瞳から目もそらせずにコレットは小さくうなずいていた。
 ゆっくりとフィオンの指がコレットの頬をなぞる。
 その手の冷たさに、コレットはぴくりと肩を震わせた。
 フィオンはそのまま手のひらで包むように頬に触れ、するりと耳を撫で、髪に手をうずめる。
 その動きがぴたりと止まったかと思うと、コレットはぎゅっとフィオンに引き寄せられた。
 触れられる手の動きを気にしていたコレットが自分の状況に気がついたのは、すっぽりとフィオンの両腕の中に閉じ込められてからだった。
「……君が無事でよかった」
 耳元で苦しそうにささやかれた言葉に、反射的に力を込めそうになっていたコレットの両腕が止まった。
 コレットの存在を確かめるかのように、フィオンの腕に力がこもる。
「君が倒れているのを見たとき、心臓が止まるかと思った」
 抱き寄せられた腕の力に、その声音に、どれだけフィオンに心配をかけてしまったのかが伝わってくる。
「ごめん」
 フィオンに心配をかけたことを謝罪しようとしたコレットの唇が、耳に入った言葉で凍りついたように固まった。
(ごめん……?)
 それはどういう意味なのだろう。
 フィオンに謝罪をされる理由が、コレットにはわからない。
 迷惑をかけたのは自分である。
 謝らなければならないのは、自分であるはずなのに……。
「君には、怖い思いをさせた」
「それは私が……」
「もっと僕が注意しておけば、こんなことにはならなかった」
 フィオンがコレットを側においている時点で、彼女に危険が及ぶ可能性があることはわかっていたのだから。
 フィオンの言いたいことは、コレットにもわかった。
 それでも……。
「フィオンさま、怪我なら治ります」
 近い位置からコレットはフィオンを見上げた。
「コレット」
「それに、フィオンさまは私を助けてくださいました。命を助けていただいたのに、謝罪をしていただく理由なんてありません」
 おぼろげな意識の中で、それでも聞いた声はフィオンのものだった。
 彼が助けてくれたことに、コレットのもとに駆けつけてくれたことに疑う余地はない。
「それでも、君に怪我をさせて、怖い思いをさせたことにかわりはないよ」
「……私がいけなかったんです。お庭の方に一人で歩いていったから」
「それは」
「だから」
 フィオンの言葉をさえぎるように、コレットは言葉を続けた。
「だから、もう私に謝らないでください」
 フィオンに非があるというのなら、コレットにもその責任がある。
 自分の身を守るだけの、守ってもらうだけの準備をしていなかったことに違いはない。
 そのためにフィオンが苦しい思いをするほうが、コレットにとって辛かった。
 目をそらさずにじっと自分を見つめるコレットを、フィオンは戸惑ったように見つめる。
 ふっとフィオンの顔に笑顔が戻った。
 それにコレットの胸が温かいもので満たされたようにほっとする。
「あんまり僕を甘やかさないで。どんどんつけあがりそうになる」
 そういって、フィオンはこつんとコレットの額に自分のそれを合わせた。
 間近に見つめるエメラルドの瞳。
 その瞳に囚われてしまったように、コレットは目を離すことができなかった。

 どのくらい時間がたったのだろう。
 ほんの少しのような、とても長いようなそんな静寂を破るかのように、ぱたぱたと隣の部屋から足音が聞こえたかと思うと、バタンと扉が開いた。
 驚いて、コレットはフィオンから体を離すと音の方向に振り向いた。
 目が合ったのは、隣の部屋で眠っていたはずのメイドである。
 どうやら目を覚ましたときにコレットがいないことに気がつき、慌てて探したらしい。
 メイドの少女は、扉を開けて確認したコレットとフィオンに目を見開く。
「も、もうしわけありません」
 慌てて頭をさげると、扉を閉めた。
 現れたかと思ったら、また隣の部屋へと引っ込んでしまったメイドの態度に、コレットは目を丸くする。
 くすりと笑い声が聞こえて、コレットはフィオンを見上げる。
 悪戯っぽい笑みを浮かべながら、フィオンはコレットに笑いかけた。
「思わぬ邪魔がはいったかな」
「えっ?」
 自分たちを見てすぐに踵を返したメイド。
 彼女が見たものは、仲むつまじくソファで身を寄せ合っていたコレットとフィオンである。
 自分たちが彼女にどう見られたのかを考えると、コレットの顔が一気に朱に染まった。
「でも、いいタイミングだったのかもしれない」
 フィオンの言っている意味が分からず、コレットは小首を傾げる。
「このまま無防備な君を腕にとどめていると、自分を止められる自信がなくなりそうだ」
 フィオンの言葉に、コレットははたと自分の状況に気がついた。
 薄暗い室内の中だったこと、そして最初フィオンが眠っているとばかり思ってこの部屋に入ってきたため失念していたが、今のコレットは夜着のままである。
 あまりの恥ずかしさに、コレットの瞳がじわりと潤んだ。どうしていいのか分からずに、両手で顔を隠すようにおおう。
「コレット」
 優しく呼ばれても、返事ができない。
「ごめん、少し調子に乗りすぎたかな」
 フィオンはそういうと、ソファのわきに置いた毛布をコレットの体を覆うようにそっとかけた。
 夜着を隠すようにかけられたそれに、コレットは両手を離して少し顔をあげた。
「まだ夜も遅い。もう少し眠った方がいい」
 フィオンはソファから立ち上がると、コレットをエスコートするように彼女の手をとった。
 そのままベッドルームの扉まで行くと、ドアをあける。
 ドアに背を当てていたのだろうメイドは、扉が開いたことで慌ててその場をどけると二人に対して頭を下げた。
「もうコレットから目を離さないようにね。これ以上は僕が止められなくなる」
 後半の言葉はコレットを見ながら言うと、自分は足を進めずにコレットだけをベッドルームに促した。
「今夜は、もう何も心配せずにゆっくり休んで」
 そのまま扉を閉めようとしたフィオンにコレットはくるりと振り返った。
 先ほどのフィオンの手の冷たさを思い出し、扉にかるく手をあてて閉めるのをとめる。
「あの……」
「どうした? 一人寝は寂しくなった?」
「そ、そうではなくて……」
 赤くなっていく頬の熱さを感じながら、コレットは言葉を続けた。
「フィオンさまも、ちゃんとお休みくださいね。夏とはいっても、こんなところで眠られては風邪をひかれます」
 避暑地でもあるスティスル湖畔は、夜はかなり温度がさがる。うたた寝をしては風邪を引くことにもなりかねない。
「大丈夫、といいたいところだけど、そうだね。このままここにいるのは確かに危険かな。薄い扉一枚隔てただけでは、僕を止めるのも難しそうだしね」
 にっこり笑うと、フィオンはコレットの髪をそっとすくい彼女の耳へとかけた。
 少し寝乱れた髪がなんとも悩ましくて、離れていくのを惜しむかのようにするりと撫でる。
「コレット、ありがとう」
「え?」
 何を? と聞き返す前に、フィオンはコレットから手を離した。
「それじゃ、おやすみ」
「……おやすみなさい」
 コレットの返事に優しく微笑むと、フィオンはゆっくり扉を閉めた。








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