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40.保護
 ひどい耳鳴りで、頭ががんがんする。
 その場に投げ出されたものの、なんとか腕でかばったことにより衝撃をやわらげることはできた。しかし、無造作にすてられたコレットの体は近くの石畳の上にたたきつけられ、決して小さくはない衝撃があたえられている。
 耳鳴りのせいか、薬のせいか。
 思考が働かないコレットに、唯一打ちつけた腕の痛みだけが強く伝わってきた。
 ゆっくりと目を開くが、なんだかとても目蓋が重い。
 働かない頭で、痛む体で、それでもここから逃げなければと体を起こそうと腕に力を入れようとするが、打ち付けたばかり腕は痛む上に震えが止まらなくて、思ったように力を入れることが出来なかった。
 ふいに、背中に触れられた感触にコレットの体がびくりと震える。

 逃げなくては。
 逃げなくては。
 逃げなくては。

 そう思うのに、体が言うことを聞かなくて泣きたくなる。
 ただ体の震えだけが大きくなるばかりで、少しも動くことができない。
「大丈夫ですか?」
 耳に聞こえた声に、コレットははっとしてそちらを見た。
 焦点が合わず視界がぼんやりとしているコレットの目に入ってきたのは、男性ではなく女性の姿。
 あたりがあまり明るくないのでよくは見えないが、先ほど目の前に現れた少女のように見える。近い距離でコレットをのぞき込む少女の黒髪がさらりとゆれた。
「怪我は?」
「……腕が……」
 気づかうように優しい少女の声に、コレットはなんとか声を絞り出した。
 その答えに、少女はてきぱきとコレットの体を確認する。
 転んだときにぶつけた腕には、すりむいた痕がある。あたりの弱い光の中でははっきりとはしないが、もう少し時間がたてば皮下出血の色も濃くなってくるはずだ。しかし、骨に異常はないようだと少女は短い間でコレットの体の状態を確認した。
 これならばすぐに命に関わる怪我ではない。
 しかし……。
「動けますか?」
 少女の問いに、コレットは力なく首を振る。
 先ほどから起き上がろうと力を入れてはいるが、体に力が入らず立ち上がることができない。

 近くで人が動く気配がした。
 一緒に聞こえた男のうめき声に、コレットの体は反射的に震えを強くする。
 先ほどまでの恐怖は、まだ体に染み付いていた。
 声のした方をちらりと一瞥し、少女は眉根をよせた。
「申し訳ありませんが、もうしばらくお待ちください」
 そういってにっこりと自分に微笑みかける少女を、コレットは驚いて見つめた。
 この少女はいったい誰だろう。
 さっき見かけたときは、ホテルの従業員かそれとも貴族に使えるメイドのように見えた。しかし、彼女の行動はどうみてもただのメイドのものではない。
 その疑問を口にする前に、目の前の少女は立ち上がろうと腰を浮かせる。その腕を、コレットはなんとか動かした手でつかんだ。
 相手は銃を持っている。どう考えても分が悪い。
 心配そうに自分を見つめるコレットを優しく見つめると、少女はコレットの手にそっと触れた。
「大丈夫です。もうすぐ人も来ますから」
 コレットの手を自分の腕からはなすと、少女はすっと立ち上がった。
 胸元からキラリと光る細いナイフのようなものを取り出し、声のした方へと向かう少女がコレットの視界から消えた。
 それ以上少女を追うこともできず、コレットは急速に薄れる意識と戦いながら、まわりの音が遠くなっていくことだけを感じていた。





 目に飛び込んできた光景に、体中の血液が逆流したような気がした。

 その後数発の銃声が聞こえ、気が気ではなくフィオンは走り続けた。
 人の声と銃声が聞こえたその場所。
 フィオンが来たとき、まず目に飛び込んできたのは倒れているコレットの姿だった。
 ぴくりとも動かないコレットに近づこうとして、その場にいたもう一人の人物に気がつく。うずくまって手を押さえている男は、フィオンの気配にはっとしたように頭をあげた。
 フィオンと男の目が合う。
 が、すぐに男は目をそらすとあたりに忙しく視線を動かした。
 何かを探しているような動きが止まる。その視線の先にあったものにフィオンも気がついた。
 探していたもの。
 落ちていた銃に手を伸ばした男の目の前で、フィオンが先に銃を拾い上げた。そのまま流れるような動きで、ためらいもなく男の眉間に銃口を突きつけ引き金を引く。
「ひっ!」
 そのあまりにも躊躇のない動きに、男は引きつったような声を上げて息を飲む。
 鋭い視線を向けたまま、フィオンは口元だけを少し上げた。
「残念。たまはなかったようだね」
 そういうと、フィオンはそのまま確かめるかのように再度引き金を引いた。引き金が引かれるたび、男はびくりと体を振るわせた。
 しかし男は銃が使い物にならないことを悟ると、懐から短剣を抜き取りフィオンの腕を払いのけるように動かした。間一髪、フィオンはするりと体を引いてそれをよける。
 それとほぼ時を同じくして、ホテルの衛兵たちがフィオンとその男を取り囲むように集まってきた。
「バード公爵さま、お怪我はございませんか」
「僕のことはいい。あの男を捕まえろ」
 持っていた銃を近くに来た衛兵に放り渡すと、フィオンはその腰からするりと剣を抜き取った。無駄のない動きで、その剣先はまっすぐに男の方へ向けられる。
 ごくりと男が息を飲むのがわかった。
 短剣と長剣ではあきらかに男の方が分が悪い。その上まわりは衛兵に取り囲まれている。
 唯一逃げる手段の一つとして、男はコレットの方をちらりと見た。人質をとれば逃げる速度は遅くなっても攻撃はされなくなる。
 男が動こうとしたその瞬間、フィオンはコレットと男の間に回りこんだ。
「命がいらないようなら、今すぐその望みを叶えようか?」
 これ以上コレットに手出しをするのは許さない。
 フィオンにひたりと見据えられれば、その瞳の奥に宿る怒りの感情に男の背筋がぞわりとあわだった。
 男はちっと舌打ちすると、そのままくるりと踵を返す。
 庭園の奥へと逃げ込む男に、衛兵たちが急いでその後を追いながら走り去っていった。


 衛兵が男を追っていくのを見送ると、フィオンは急いでコレットに近付いた。
 ここにいた男を何とかする必要があったから、すぐにコレットの側に来ることが出来なかった。
 コレットの側に膝をつくと、持っていた剣を置き、く気持ちを押さえながら、そっとコレットを抱き起こす。 
「コレット」
 呼びかけて、食い入るようにコレットを見つめる。
 息はしている。だが、息をしていることと無事であることは同じではない。
 コレットの背中に回していた手が震えそうになり、フィオンはそれに力を込めた。祈るような思いでもう一度コレットの名を呼ぶ。
 震えるように睫毛がゆれ、ゆっくりとコレットの目蓋が開いた。
 視線をさまよわせ、フィオンを見る。
「フィオン……さま?」
 自分の名を呼んだコレットに、フィオンは優しく微笑みうなずいた。
「ごめん、遅くなったね」
 そういってフィオンは、コレットの顔にかかる髪を優しくはらう。
「どこか痛むところはない?」
「すみません……」
「どうして謝るの?」
 優しく微笑むフィオンを見ていたコレットの瞳が潤んだ。
 きっと、絶対迷惑をかけた。
 それなのに、優しく優しく自分を腕に抱くフィオンのぬくもりに、先ほどまでの不安がゆっくりと溶かされていく。
「もう大丈夫。怖い思いをさせた」
 フィオンにだけ分かるくらいの動きで、コレットは小さく首を横に振った。
 壊れ物をあつかうように、フィオンはゆっくりとコレットを抱いたまま立ち上がる。
 護衛のために近くに控えていた衛兵が、フィオンが地に置いた剣を手に取りまわりの安全を確認すると、二人をホテルの中へと案内した。
 いつまでもここにいては危険であるし、コレットの手当ての必要もある。

「フィオンさま……、彼女はどうなりました?」
 薄れ行く意識の中、コレットは小さな声でフィオンに訊ねた。
「彼女?」
 誰のことを言っているのかわからず、フィオンは聞き返す。フィオンがここに来たとき、そこにいたのは倒れていたコレットと近くにうずくまるように膝をついていた犯人の男だけである。
「……私を、助けてくれたんです。男の人に……薬をかがされて、声も出せなくて……。でも彼女が見つけてくれて、悲鳴を……」
 フィオンが聞いた女性の悲鳴は、コレットのものではなくその女性のものだったということなのだろうか。
「まわりに女性の姿はなかったから、ちゃんと逃げてると思うよ。確認するから、今は何も考えずゆっくり休んで」
 その言葉に安心したのかフィオンを見て少し微笑むと、コレットはそのまま意識を手放した。






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