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4.ダンス
「僕と踊っていただけませんか」
 静かになった夕暮れの庭。彼の声だけがやけに大きく聞こえた。
 

 いきなりのことで、なにが起こっているのかわからなかった。
 今目の前で自分を見つめている人物を、コレットは知っていた。いや、ここにいるもので知らない人などいないであろうその人。
 バード公爵、フィオン・アルファード。
 だが、コレットは彼と会話をしたことどころか、今の今までまともに目を合わせたこともない。そんな彼が、今目の前で自分にひざまずいているのだ。
 ひざまずく行為は、自分にとって目上の人物に行われるのが常識である。王弟であり、バード公爵の爵位をもつ彼がその行為を行うべき人物といえば、王と王妃、そして現在は隠居してバード公爵の領地で生活をしている前バード公爵ぐらいだ。
 身分の上下に関係しないとすれば、それは婚約者や伴侶、恋人に対してであるが……。

 固まっているコレットのとなりで、ふうとため息が聞こえた。
「彼女とお知り合いだったなんて、初耳でしたわ。公爵」
 声のしたほうにフィオンの視線がうつった。
 視線の呪縛から開放され、コレットの肩から力が抜ける。
 声の主、エリサに気がつくと、フィオンは立ち上がり軽く会釈をする。エリサもそれに答えるようにドレスのすそをつまみ、ちいさく腰をかがめてあいさつをした。
「お久しぶりですね。エリサ嬢」
「公爵にもご機嫌うるわしゅう。お噂はいろいろおききしていますわ」
 名門コールフィールド伯爵家の令嬢であるエリサは、王弟の前でも臆するところなどない。
 少しだけ肩をそびやかし、フィオンが笑う。
「どんな噂となってエリサ嬢のところのとどいているのでしょうね」
「ところで、彼女とはどこでお知り合いになりましたの?」
 エリサはにっこりと笑って会話を変え、フィオンとコレット両方に視線を送った。
「本日が、初めてです」
「初めて……ですか?」
 微笑みながら答えるフィオンに対し、彼女の親友はわけもわからないといった表情で小さくうなずいている。
「公爵。紹介もなしに急にでは、彼女も驚いてしまいますわ」
「あっ、そうですね。申し訳ありません」
「い、いえ」
 にっこりと微笑まれて謝罪されれば、コレットはそう答えるしかない。
「彼女はコレット・マカリスター。マカリスター男爵家の令嬢でしてよ」
「はじめまして、コレット嬢」
 フィオンは自分の胸の前に片手をそえ、優雅に一礼した。
 慌ててコレットもドレスのすそをつまみ、あいさつを返す。
「は、はじめまして。お会いできて光栄です、バード公爵」
「僕をご存知なのですね」
 知らない人がいるのだろうか……。
 そう思ったが、あまりに嬉しそうに笑うのでいいだせない。
「コレット嬢。僕と踊っていただけませんか?」
 あらためてフィオンは彼女に申し込む。
 コレットの視線が無意識にエリサの方に動いたことに、フィオンは気がついた。
「コレット嬢をおかりしてもよろしいですか?」
 少し引き気味に小さくなっているコレットをエリサはちらりとみる。
 フィオンにしっかりと向き直り、にっこりと微笑んだ。
「コレットはわたくしの大切な友人ですのよ?公爵」
「はい」
「あまりいじめないであげてくださいね」
「エリサっ!」
 助けるどころか、フィオンの側についた友人の名を、コレットは抗議をこめて呼んだ。
 二人に注目されて、コレットは赤くなってうつむく。
「もちろん、そのくらいの良識は心得ているつもりです」
 エリサに答えると、フィオンはコレットにしっかりと向き合って、そっと彼女の前に手をさしだした。
「コレット嬢、僕に今宵のあなたのお時間をいただけませんか?」
 その手と、フィオンの顔を交互に見つめる。
「コレット」
 耳元でエリサに促される。
 ちらりとエリサに非難の目を向けたあと、あきらめたようにコレットはフィオンの手をとった。
 こうなった以上、ここから逃げることなどできない。
 彼女の手をとり自分の腕と組む形をとると、フィオンはコレットににっこりと微笑んだ。間近でとろけるような幸せな笑みをうけ、コレットの頬が無意識に赤く染まる。
 まわりがざわめきはじめるなか、二人は伯爵家の広間へと足を進めた。



 広間へ入ると、周りの視線は一気に二人に注がれ、ざわめきが大きくなった。
 それもそのはず、本日一番の注目人物、王弟であるバード公爵が女性を伴って現れたのである。
 どこの令嬢なのか、公爵とはどのような関係なのか、いろいろな言葉がコレットの耳にも届いていた。
 そんなざわめきを気にもせず、フィオンはコレットを伴ったまま、ホスト、ルノワール伯爵夫人のところまでやってきた。
「まあ、公爵。コレット・マカリスター嬢とお知り合いだったのですか?」
「ええ、先ほどから」
 そう言ってコレットに微笑みかけるフィオンを、あらあらといった感じでルノワール伯爵夫人は肩をすくめた。
 広間に音楽がなりだす。
「ミス・マカリスター。公爵を少しお借りしますわね」
 恋人たちの間に割り込むのは無粋なことだが、パーティーの開始時はホストのダンスから始まるのが常である。
 ホストは自分のパートナーか、または失礼にならないようゲストの中でもっとも身分の高い人と最初にダンスを踊る。今日の伯爵夫人の最初のお相手は、ゲスト。優先すべき賓客、つまり夫人の最初の相手は王弟であるフィオンである。
 慌ててフィオンの腕から自分の手を離そうとしたコレットより先に、フィオンはそっと彼女の手をとった。しっかりと握りしめたまま、そっと顔をよせる。
「少しだけ待っていて」
 まるで恋人同士のように耳元でささやかれると、コレットはどうしていいのか分からないままうなずくしかなかった。


「公爵、大丈夫ですの?」
 ダンスを踊りながら、ルノワール伯爵夫人はフィオンに声をかけた。
 まわりも少しずつダンスに加わり始めている。音楽の音にダンスの足音、広間のまわりに集まっている人々のざわめきで二人の会話がまわりに聞こえることはない。
「ああ、伯爵夫人はご存知なのですね」
 フィオンに薬が盛られたことを……。
 いつの時点で薬を服用したのかはわからないが、本来なら王弟であるフィオンに薬が盛られたのである。夜会を中止するべきなのだろうが、服用したのが『惚れ薬』ということから、彼がこの屋敷内にいる時点でまわりに知られることは、若い女性も多いこの場では危険が伴う。
 公爵はまわりに気が付かれないように伯爵邸を後にし、両家の家臣により夜会の参加者にいるであろう主犯を探すと報告を受けていたのだが……。
「申し訳ありません。こちらの事情で伯爵夫人にはご迷惑をおかけすることになってしまいました」
 伯爵邸が事件の現場となってしまったのである。 
 せっかくの伯爵夫人の主催の舞踏会を台無しにする以上に、彼女の評判を落とすことにもなりかねない。
「まぁ、ご心配いただいてありがとうございます。でも、こちらの心配よりも、公爵の方が大変なのではなくて?」
「……そうですね」
 公爵家としても当主の一大事であるが、王家としても王弟への不逞ふていの行いである。王家としても黙っているわけにはいかないだろう。
「彼女ですのね」
 フィオンが選んでしまった相手は。
 優雅に伯爵夫人をリードしながら、フィオンは視線をコレットにむけた。
 広間にフィオンと供に現れた少女である。そのためまわりも遠慮したのか、彼女をダンスに誘おうという人物はいなかった。まわりの人間と少し距離を置いて一人立っている。
 彼女の姿を見るだけで、フィオンの胸に熱いものが湧き上がってくるような感情が起こる。これが本当に薬のためだというのなら、ものすごい威力である。
 それでも……。
「伯爵夫人には、困ったときには恋愛指南をお願いするかもしれませんが、そのときはよろしくお願いします」
 にっこりとフィオンが微笑む。
 コレットと知り合いである伯爵夫人であるのなら、的確なアドバイスももらえるかもしれない。
 フィオンの言いたいことがわかって、伯爵夫人は目を丸くした。
 口を開こうとしたとき、ぴたりとフィオンの動きが止まった。伯爵夫人が気がつかないうちに、一曲目が終了していた。
 優雅に礼をし自分から離れていくフィオンを、ルノワール伯爵夫人は目で追っていく。フィオンはまっすぐにコレットの前に行き、声をかけていた。
 コレットのことを知っているルノワール伯爵夫人には、コレットが犯人でないことがわかる。彼女はそこまでして彼の気を引くほどバード公爵に興味がなかったはずだ。他の女性がかしましく噂をするなか、彼女の中では他に相手が決まっていたように見えたが……。
 薬を飲んだことを自覚した上でのフィオンの行動に、伯爵夫人はまわりに気がつかれないくらいに小さくため息をついた。


 コレットの手をとり、フィオンは広間の中央へと進み出た。
 王弟である彼が通る場所は、まわりの人々が失礼にならないようにすぐに場所を空けるため、たくさんの人があつまる広間でも誰にぶつかることも、ましてや歩調を緩めることも必要なく目的の場所へ行くことができる。
 彼女の手に少し力が入ったことに、フィオンは気がついた。コレットは緊張のためか、少し不安そうな表情をうかべまっすぐ前だけを見つめている。 
「緊張してる?」
「えっ?は……はい。こんなにたくさんの人の前で踊るのは初めてなので」
 緊張の大半の理由は目の前にいる人物のためなのだが、あえてコレットはそのことには触れなかった。
「ふふ、大丈夫。しっかりリードするから、まわりを見ずに僕のことだけ感じていて」
 そっと耳元でささやくと、フィオンはコレットの手を包み込むように握り、そっと腰に手をあてる。今まで何度となく行ってきた行為だというのに、やけに緊張していることにフィオンは気づいた。
 そんな自分がおかしくてくすりと笑うと、コレットが不思議そうに自分を見つめた。どうしたのかと問うように少し首をかしげたしぐさが可愛らしい。それに答えるように、フィオンはにっこりと微笑み返す。
 ダンスの曲が始まる。自分の手にすっぽりと納まってしまうような小さな手を強く握ったのを合図に、ゆっくりと最初のステップを踏み出した。

 くるりくるりと舞う姿は、まるで触れようとするとするりと逃げてしまう風に舞う花びらのようだとフィオンは思った。
 ピンク色がかったトパーズのイヤリングが、ダンスのステップを踏むたびにきらりきらりと揺らめいて光る。結い上げられた艶やかな栗色の髪には白いジャスミンの花が編みこまれていて、甘い香りがフィオンの鼻腔をくすぐった。
 花の香りだけではない甘い匂いに、頭の芯がしびれたような感覚がする。
 もっと強くこの手に捕まえて、その甘い香りを思う存分確かめたくなるのをぐっとこらえる。
 ダンスのためだろうか。そのすべらかな頬が赤く染まっていく姿がとても愛らしい。
 少しずつ緊張がとけ表情がやわらかくなってきたコレットから、フィオンは目を離すことができなかった。






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